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おうちを見に行った時、食事に行ったりすると、安いのに美味しい🌼と思っていましたさらに北上して、法事に行った時も、そのような印象があって、美味しいものを食べるのは、私の数少ないお出かけの時ね、という印象を持っていました少し前に安冨氏が、インバウン丼について話していたのですが、観光客がいるようなところでは、変に値段が高いなという印象もありましたそして、日本は先進国化が進んでいるというお話もしていて、それは格差が広がりつつあるというお話だったのですが、何となく感じていた感じは、こ
このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。リンクを貼(は)らせて頂いております。紫色のブログタイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)さて、去る昨年の4月4日(土)の「『清明』の日」のブログの上段に、去る一昨々年さきおととしの4月4日(土)の「『清明』の日」のブログそして去る7年前の4月4日(月)の「不思議な一致(「清明」の日)」のブログのそれぞれ上段に、
今回は不思議なお話。僕は過去に、人の不調が見て分かったことが何度かあります。明らかな不調は目に見えて分かりますが、そうじゃなくて、その人にモヤがかかった感じになって、その後に不調が発覚するというものです。ただ、それが分かるのは稀で、全く分からないことがほとんどです。思い出すだけで大きなものは2回。祖父のお腹にモヤがかかっているなと思ったら、祖父に大腸がんが発覚し、最初に務めた会社では、出向先の社員の頭にモヤがかかってるなと思ったら、その方に脳腫瘍が発覚しまし
今年になって、怖い夢もみなくなったのは、不思議なことです怖い夢の他にも、若い頃は、金縛りによくなりました金縛りになると、何か怖い存在が寄ってくるように思って、金縛りを解きたいと思って目が覚めるという感じでした今は、そのような怖いことがなくて、とても安心した気持ちです🌷ずっと、金縛りですとか、疲労感ですとか、怖い夢ですとか、そして病気ですとか、気持ちが落ち着かないことばかりでしたが、不思議に、とても安心できます🍀人徳者というのも、いろいろな捉え方があると思いますけれど、三種の神器
地下鉄烏丸線の鞍馬口から歩いてすぐ、御所の北側にある御霊神社。桓武天皇が平安京に都を移したときに、早良親王(崇道天皇)の怨霊を鎮め、都の安寧を願って建てたのが始まりと言われています。室町時代に、応仁の乱が勃発した場所でもあります。1979年国際児童年に建てられた清明心の像
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さてさて………………【相国寺】を出発し、てくてく歩いて到着したのは……………【上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)】京都府京都市上京区御霊前通烏丸東入上御霊【上御霊神社】という社名は、【下御霊神社】に対応するもので、現在は宗教法人としての正式名を『御靈神社』としている。『応仁の乱勃発の地』室町時代の文正2年(1467年)1月18日、失脚した管領の畠山政長が、境内の森に布陣し、そこに畠山義就が攻め寄せて『上御霊神社の戦い』が行われた。この戦いが『応仁の乱』の前哨戦となったことから、こ
先日、日頃からお世話になっているトータルフィットネス本橋代表主催の講座があり、東京へ受講してきました。講座名は『身体を軽くするコンディショニング』。そのレポートです。本橋さんのご紹介本橋さんはトータルフィットネス株式会社で、パーソナルトレーナーとして、ご活躍されています。すでに20年以上も活動されていて、K-1ファイター、ボクサー、歌手、奏者、書道家など、多くのお客様から支持されています。不調をどうにかしたい。身体の更なる効率的な動作をしたい
こんにちは家系図コーチング®︎山道紀子です。(プロフィールはこちらから)今日1月21日は、冬の土用の間日、大安、一粒万倍日、不成就日、旧大晦日、初大師…今年はゆきすきのくにさんのオリジナル暦手帳を使わせてもらっていて、いろいろ書いてありました✨ふむふむふむ…とよくわからないなりに感じています(笑)そう、今日は旧暦の大晦日!明日が旧暦の新年なのですよね。そんな今日は月一回の学びの日✨大江亞紀香(おおえあきこ)さんの『清明塾』に10月から通って
あなたの「生き道」を高みへ鑑定歴34年「日常生活とは神事(カミゴト)」あなたの人生の相談役鑑定師の河村ジュンです(*^^*)こんにちはブログをご覧いただき、ありがとうございます初めての方も、よろしくお願いいたします【日本の神様のこと】日本神道についての備忘録神様(日本神道)についての、備忘録です。「神」とは、一神教的な思想におけるGodではなく、単一の特定の存在でもなく、ありのまま生命そのものを示すの
あなたの「生き道」を高みへ鑑定歴34年「日常生活とは神事(カミゴト)」あなたの人生の相談役鑑定師の河村ジュンです(*^^*)こんにちはブログをご覧いただき、ありがとうございます初めての方も、よろしくお願いいたします【祖型塾】※超重要※日本人の原点:「清明心」(きよきあかきこころ)で生きる喜び清明心とは、大和言葉で「きよきあかきこころ」と読みます私たちの住まう、この日本という国はそのほとんどが森林で
おはようございます今日は、1月17日です。神戸淡路大震災から、27年が経ちました。『ひとは忘却の生きもの』と言われますが一生、忘れることはありません。トンガの大規模噴火の影響による津波もありいろいろなことを思います。『清明心(きよきあかきこころ)』日々、自分を律して清き明き心=清らかで、邪心のない心で祈りをささげていきます。私のひとりごとにおつきあいくださりありがとうございました。ではまたねね
日本の伝統宗教・神道(6)集団主義、つまり個人は問題とならない短所としては、すでに「外」に対する「排他性」を指摘しておきましたが、他にもあります。すなわち、人の評価を「個人の人格、能力」で判断するのではなく、その人が「属している集団」で判断するということです。たとえば「東大生である」と聞い...nyabecch.blogspot.com日本の伝統宗教・神道(6)-日本思想nyabecch.blog47.fc2.com
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私は130年続く神社の、創建当時からの宮司家に生まれました。しかも、父母両家ともそういう家柄で、先祖から脈々と続く想いを、一身にうけて育ちました。そして自然に、神社の世界の真ん中で半生を生きました。だからこそ、伝えられる事があります。私的神道論です。極めて個人的な主観ですが、伝えられる事。神社はどういう場所なのか。そして神様の正体について。機上からあくまでも、日本の神社の神様に限りますが、※他は私は知らないので以下について書いてみようと思います。☆神社とはなんな
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「日本橋古事記塾」午前、午後の部、合同の分散会をしました。東京には現在品川塾、午後の芝公園塾があります。分散後はどちらかに入塾か、オンライン日本橋古事記塾に分かれます。オンライン日本橋古事記は今までのリアルの塾と同じです。講義2時間古事記に日本人の生き方を学ぶ受講料も今までと変わりません(管理上半年分一括、欠席の時は録画配信)になる予定です。日本橋古事記塾からオンライン日本橋古事記塾へ移行される方はこちらへhttps://ssl.form-mailer.jp/fms
【清明心】ちょっと前のPodcastの放送で、『純粋な想い』についても話していますが、純粋な祈りの本質こそ、純粋な心にある。自分の真の想いに純粋であることや、損得や見返りを求めず、ただただ他者のために祈る心や、何かを期待するでもなく、すべてのご縁や、自分がいま生きていることへの感謝の念を捧げる純粋な心。これ以上に細やかで清らかで、暖かく、澄んだ高波動はない💫まさに、神道では「清明心」=「澄み切った心」が至上とされてます。……又、先月の自粛前に忍野八海🗻に行く途中
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神道では、『罪、死、悪、老、病、貧』などを説かないのであります。なぜならそれ自体が『迷い』に他ならないからです。たとえ掟や戒律や悪自体の内容などを知ったとこで、其処から離脱できなければむしろ人間の心を縛るものとなるからです。キリストの人倫の法は、他宗教の信仰は間違いであると改宗を奨めて、自己の正義を掲げて指導と説得(布教活動)を行う。これが宗教戦争の原因となったことは言うに及ばずであります。仏教も然りであります。ブッタの教えである『生・老・病・死』の恐怖から逃
あなたは大国主命になれますか?まず初めに、日本人として、大和人として、私たちが共有しなくてはならない歴史や魂を伝えてくれるこの『新釈古事記伝』を残してくださった阿部國治先生、そして、そのお弟子さんであり、本書の価値を理解し、編纂を通じて世に送り出してくださった栗山要先生に心より御礼を申し上げます。さて、皆様はなぜエステティシャンである私が全国各地でこの『新釈古事記伝』の勉強会を行っているのか、不思議に思われていることと思います。本書との出合いは、いまから約八年前。私は二〇〇六年にフランスで
1月の青森古神道古事記「天岩戸隠れ編」、神法禁厭秘伝~良縁和合編開催しました古事記不思議発見!謎とき講座6回シリーズ第5回目「天岩戸隠れ編」矢加部先生がおすすめの「朗読のための古事記」あ、ちなみに、古事記講座ではこの本を用意してくださいねと言うことではありません。矢加部先生お勧めの本ですが、なくても大丈夫です。(勘違いされる方がいるかもしれないので念のため書いておきます)前回のレポ記事前回http://suzunean.blog.fc2.com/blog-ent
(以下引用)「まこと」の心は、人の精神のもっとも純粋なものである。人はまことにおいて、その生命の本(もと)をもち、まことによって万物と一体となり、またよく万物を生かし、万物と和するまことは芸術に表れては美となり、道徳としては善となり、知識に於いては真となる。美と善と真とを生み出す根元にまことのあることを知るべきである。而してまことは又いわゆる明き清き直き心、すなわち清明心であり、それは我が国民精神の根源となっている(「國體の本義」山田孝雄、GH
「湯河原古事記」〜冬至の日の出参拝のため、ご縁の杜に昨晩から宿泊しました。ご縁の杜の夕食は完全ビーガン対応なのにすごく美味しいのです。特に美味しかったのが大根一口カツ。私はまだ、歯の治療中なので野菜が噛み切れないのです。この大根カツは茹で大根に衣を付けて揚げたのですが、大根と思えないほど美味しいのです。このほかに、ミックススムージー、玄米酵素ご飯、かさねにかの味噌汁などなど書ききれません。夜は里奈ちゃんが二次会のお部屋を用意してくださったので、みんなと語り合いました。けさは、5:
清明心〈きよきあかきこころ〉について悩みを整理して明るい心で、前向きに生きるために。〈諦めるは明らめる〉と書きます。心はたくさんの要望を持っています。そして対象物に対していろいろな反応をします。例えば、バスケの選手なら今活躍中の八村選手のように背が高くなりたい、身長が欲しい、高い人が羨ましいと思っているとします。そう思うことは良いことでも、悪いことでもありません。そう思ったという事実です。しかし、人は自分の努力だけでは得られないこともあります。(明らめる」とは自分にとって必要な
「願われている」ことなのでフォローやいいね!シェア、リブログはどうぞご自由に!大歓迎です!修身の教科書にみるやまとこころ昭和14年1月1日に発行された『修身及公民科』という文部省検定済みの教科書の復刻されたものが、私の手元にあります。最初のページに記されているのは教育勅語です。そして、「第一大国民」と教科書は始まります。明治天皇御製「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」人それぞれの性質があるように、国
◆伊勢雅臣2『世界が称賛する、日本人が知らない日本2:「和の国」という根っこ』を読み解く(その2)※要旨・「世辞が言えたら一人前」江戸時代の江戸では、子供たちの教育は主として寺子屋で行われた。・親は商売のため、子供を教える時間がない。そこでお金を出し合って、寺子屋の師匠に子供たちを預けた。お金の不自由な家の子は、師匠が面倒を見た。・必要最低限の読み、書き、算盤をマスターした後、子供たちは、9歳までには「さようでございます」「お暑うございます」などの大人言葉を学ぶの
人間には角があると世の中を転つて行くのには骨が折れて損だ。丸いものはどこまでも苦なしに行けるが、四角なものは転るに骨が折れる許りではない。転る度に角がすれて痛いものだ。夏目漱石わら天神さんを後にし、裏道を歩いて向かった先は、そこそこ僕の田舎を歩いてるような錯覚に落ちていった、ふるさと鳥取も高い建物ってあまりないんだよねこの日のグーグル先生は中々にマニアック?な方で、選択された道筋は、ほんとにここは京都???的な街並みが続き新鮮だったなぁ御霊神社(上御霊神社)京都十六社
それならば承久の乱のごとき不祥事は何ゆえに起こったか。皇位の神聖性が自覚せられていながら、しかも朝廷に敵対し上皇を流しまつるというごときことがあり得るであろうか?(北条)義時もまた皇室に向かって弓を引こうとしたのではなかった。「義時は君の御為に専ら忠を尽し、未だ不義なし」と言った。皇室への忠順が彼らの当然践むべき道であることは、一点の疑いもなかったのであるこの時代に伊勢神道が起こった。ここに正直をもって天照大神の御心とする思想がはっきりと樹立された。平安時代初期の即位宣命は常に「正直
ヨシ・アシという日本語は、善悪という漢字によって現わされることもあるが、また吉凶とも書かれている。従って善悪が吉凶と同義である場合は少なくない。鳥の鳴き声を悪しという場合は、凶と同義である。しかるに他方で悪という漢字はマガすなわち禍を書き現わすにも用いられる。人の生を利する一切のものはヨキモノであって善という漢字で現わされ、人の生を害し脅かす一切のものはアシキモノであって悪の字により示される。従って幸福はヨキモノすなわち善であり、災禍はアシキモノすなわち悪である。本居宣長は善心悪心をウルワシ