ブログ記事11件
『ですです』です。今日からは心機一転新しい形でブログを書き始めることになります。それでは『ですです』です。私の歴史観点から行くといくつかのキーワードを見出すことができます。ひとつ目は楚国秦国二つの国を渡り歩く昌平君そして二つ目は笹竜胆?ちょっと待って!それって少し前に書いていた記事では?昌平君は『四三星夏が来るPART5』笹竜胆は『四三星夏が来るPART7』当然です。今までの書き方を辞めるとは言ったけど書かないとは言ってないし…
鎌倉宮へ行ってきました。前回行った時はお参りと御朱印だけだったんだけど、鎌倉時代を勉強するともう一度行きたくなりました。今回は先に御朱印を。その後、拝観料を払い本殿裏側へ。まずは宝物館。護良親王の令旨。こちらは本物(に似せたレプリカだと思う)護良親王の像。顔が毘沙門天に似てるからわざとそういう顔に掘ったんだろうね。土塀の中での護良親王光が反射して見えにくい(;'∀')おっとここに明治天皇。この鎌倉宮というのは明治
たぶん2か月くらい借りていました無断ではなく、一旦返却・再度借りる・・・という形で予約が入っている本を先に読まないといけないので(次の方がお待ちなので)、そうすると次に予約が入っていない本を何度も借りるという形になってしまいます図書館の本はちゃんと期日までに返さないと借りることも予約をすることもできなくなってしまうので、わが家ではきちんと守っています今回の白狐魔記は鎌倉後期~室町時代です。北条氏とか後醍醐天皇とか・・・歴史で覚えたなぁ~というくらいです。歴史は好
こんにちは!今日は連勤明けの休みですが3度寝して朝から何も食べていません。笑最近はもっぱら休日は家にいるので給料もおろさず終いでお財布がかなりエコ🌏さてさて、なんの予定もないこんな日にはブログを更新したい😊今日は久々に南北朝ネタ。2年前に鎌倉に行った時の写真をば。はい、鋭い方はこの鳥居でもうお分かりですね。笑↓鎌倉宮〜〜〜⛩(シレッとコレモリストがいます)御祭神はみんな大好き(?)護良親王💜【大塔宮護良親王】(おおとうのみやもりよししんのう)1308〜133
故・舘盛県議の著書寄贈の伝承を小説にタウンニュース今年6月、直腸がんで逝去した元県議会議員の舘盛勝弘さんが、亡くなる直前に書き上げた書籍『相模原の武将淵辺義博―護良親王は生きていた―』(日相...野外講座北区遺跡学講座2019「七社神社前遺跡」(北区飛鳥山博物館)東京都北区北区飛鳥山博物館の野外講座。七社神社前遺跡について、博物館内で座学を行ったのちに、現地を見学するもの。あなたは、まだ本当の千葉のすごさを知らない!?千葉県への愛が深まる一冊『CHIBA千葉チ
故舘盛勝弘氏(元神奈川県議会議員、元相模原市生涯学習部長)が執筆した著作「相模原の武将淵辺義博-護良親王は生きていた-」が完成し、ご子息の舘盛寛行氏から市内小・中学校へ寄贈されることとなり、本日、教育長室において寛行氏への感謝状の贈呈式が行われました。縁あって寛行氏と教育委員会の仲介をさせていただいたことから、私も同席しました。小説仕立てで、子ども達にも読み易く、親しみやすいよう工夫がされているこの本。故人が歴史を楽しみ、故郷を愛した気持ちが、この本を通じて子ども達に届き、次
『杉本寺』での浄化も終わり今度は予定外の場所へ・・・⬆️『鎌倉宮』塗り直したばかりの白い鳥居が、純白で本当に綺麗でした(^_^)『杉本寺』から徒歩で15分ほどの距離だったので、歩いて行きましたここは、ブロ友のなるみさんが最近お志事した場所だったので、今回はスルーする予定でした(>_<")その時の『なるみさんのブログ』は、こちらです(^-^)/⬆️青葉が綺麗な季節ですね♪さて事の発端は・・・今回の鎌倉は、狐さんたちの復活と鎌倉浄化が大本命!!それでも直義の墓参りは、少し
河津桜は早咲きの大島桜とヒカン桜から生まれた物で2~3月にかけて、その花を楽しむ事が出来る鎌倉宮にも、この桜の木があり、毎年、美しい花を咲かすきっと、今頃は・・・「宮さま、今年も見事な花を咲かせましたね」そう話しかけたのは淵辺義博(ふちのべよしひろ)だった。ここは鎌倉宮宮さまと呼ばれているのは鎌倉宮で祀られている大塔宮護良親王である。「いかがですか・・・?」義博は酒を呑むジェスチャーをして見せた。「良いなぁ」護良は優しげに微笑んで答えた。「宗忠(むねただ)と小太郎にも声をか
本日は神奈川県相模原市中央区淵野辺(ふちのべ)の皇武(こうぶ)神社を訪れた。皇武神社には2009年に訪れたことがある。皇武神社皇武神社はメジャーな神社ではないが、ここ数ヵ月間当ブログの検索ワードになぜか根強く『皇武神社』が入っており、ずっと気になっていた。だが僕はお参りするにあたり何かしらの動機が無いと動かない性質なのでずっと動かずにいたのである。しかし去年10月より鎌倉へ『4919(よく行く)』ようになり、南北朝時代の歴史に引っ張られるようになった。そこへ神奈川県相模原市『淵野辺』のキー
第三十四話出立護良が下野国に出立する日が近づいていた。初めて南と一つになった晩から護良は時間の許す限り抱き続けていた。「護良さま、だめぇ・・・」「そなたを離したくはない、南!!」何度も何度も愛されて、疲れはてた体を抱き締められながら眠りの底に落ちて行く。何度も何度も、その繰り返しで・・・。護良は、もう何もかも、どうでも良いとさえ思い始めていた。「大塔宮さまは、おいでか・・・?」正成が訪ねて来たのは、そんな時だった。「居りますが・・・」正成は、雪の返答で状況を把握し