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神呪寺(かんのうじ)は西宮市の甲山の中腹の位置にある。天長七年(830年)に弘法大師が開祖・如意尼の姿を写して如意輪観音像を桜の木に刻まれたとされている。この如意輪観音を御本尊とし、天長八年(831年)10月18日に、弘法大師を導師に迎えて、本堂が落慶した。淳和天皇の妃・真井御前は、当地で三年間の修行を経て、弘法大師より剃髪を受け、如意尼という僧名を授かった。そして数年後、当地に淳和天皇が行幸され、如意尼と相見えられたと伝えられている。鎌倉時代初期に源頼朝により再興されたが、その後、戦国時代
第五十二代嵯峨天皇は平安時代初期の天皇。平安京を開いた桓武天皇の第二皇子。御父は桓武天皇、御母は藤原乙牟漏。先帝の平城天皇は同母兄、次帝の淳和天皇は異母弟。延歴五年(786年)生。諱は神野(かみの)。在位は大同四年(809年)から弘仁十四年(823年)。父の桓武天皇が長岡京から平安京への遷都を行い平安時代が始まりました。しかしその長岡京への遷都や平安京への遷都には怨霊が絡んでおり、怨霊渦巻く平安京と言われる平安時代への幕開けまでの怨霊の動きを見ながら神野親王は育ちます。つまり、同母兄の
ようやく母の一回目のワクチン接種が終わりました。大きな会場だったので密にもならず、めちゃスムーズに段取り良く進んで、接種後の待機時間を入れても30分もかからず帰ってこれました。昨日私の所にも接種券が届いたけど、私もここで接種したいなぁ。そんな私のブログ、まだ4月半ばのお話です。この日はお天気も良かったので、ちょっと西院までお散歩。西院…阪急の駅は「さいいん」ですが、嵐電の駅は「さい」と読みます。そんな地に建つのは高山寺。ここは平安時代、淳和天皇の離宮南池院(西院
第五三代淳和(じゅんな)天皇は平安時代初期の天皇です。生年は承和七年(840年)。御父は平安京に遷都した桓武天皇、御母は藤原百川の娘、旅子。御名は大伴(おおとも)。即位後、大伴氏は天皇の御名と同性なのは畏れ多いと伴氏へ改姓しています。桓武天皇の第七皇子。第五一代平城(へいぜい)天皇・第五二代嵯峨天皇は異母兄弟。また、嵯峨天皇は同じ年に生まれています。大伴親王(当時)は、父帝の死を機に臣籍降下を願い出ましたが、皇太子(平城天皇)に慰留されました。というのも、皇太子と神野親王(後の嵯峨天
6月11日が命日・忌日の有名人・著名人840年(承和7年5月8日)54歳崩御(?)淳和天皇陛下第53代天皇桓武天皇の第七皇子1488年36歳没(敗死)ジェームズ3世さんスコットランド王ジェームズ2世の子1847年満61歳没(遭難死)ジョン・フランクリンさん北極探検家1924年86歳没(?)テオドール・デュボワさん作曲家・オルガニスト・音楽教師1979年満72歳没(胃癌)ジョン・ウェインさん俳優『駅馬車』『黄色いリボン』『静かなる男』『赤い河』199
五大明王を本尊とする五大堂。■五大堂平安期天長年間(824-834)淳和天皇御願により創建。1623年(元和9年)龍厳上人により講堂として再建。これが現存建物です。南側正面。本尊、五大明王像を安置。不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王。南西側。床下の亀腹。自然石とコンクリートの荒々しい石積み。金堂へと登る石段すぐ脇の伽藍です。西側側面。桁行三間、梁間三間、入母屋造、銅板葺、向拝一間付。
★第五十四代仁明(にんみょう)天皇は、平安時代初期の天皇です。弘仁元年(810年)生。御名は正良(まさら)。御父、嵯峨天皇の第二皇子、御母は壇林皇后、橘嘉智子(たちばなのかちこ)。またこの時同時に正子(まさこ)内親王が生まれていますので双子の親王と内親王でした。在位、天長十年(833年)から嘉祥三年(850年)。第五十三代淳和(じゅんな)天皇には多くの皇子がいましたが、皇太子には第五十二代嵯峨天皇である兄の皇子、正良親王を立てました。そして正良親王は、天皇から皇位を譲られて即位すると淳
※2016年のお花見のブログを基に書きました新型コロナは変異して衰えず今年もお花見に出かけることはない桜は不思議な魔力のある樹木桜花とく散りぬともおもほえず人の心ぞ風も吹きあへぬ桜は風に誘われて散ってしまう人の心の花は風が吹かなくても散ってしまうではないか桜が咲いて散る短い間すら保てない恋心もあるのだろう紀貫之の桜歌(〃∇〃)紀貫之は平安前期の詩人で男性だったけど詠む詩には女性の心を宿していた
【藤原関雄(ふじわらのせきお)】🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨古典和歌を「和歌コード」に翻訳する時、無視できない要素があります。それは…◉作者のプロフィールや人物背景◉その時代に起こった出来事◉その『和歌集』掲載の前後の歌とのつながりこれらを抜きにしては「和歌コード」に翻訳することができません。…ということで和歌作者の詳細を見ていこうと思います。🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨『古今和歌集』282番目の歌は藤原
「波多門部造」から想像される久米の歴史5前回の聖武天皇と久米の関係|久米の子の部屋(ameblo.jp)で、藤原百川の外祖父である久米奈保麻呂が、宝賀寿男氏のご研究で「系統不明」とされていることをご紹介しました。久米直–國學院大學古事記学センターウェブサイト(kokugakuin.ac.jp)によると、「(前略)8世紀にみられる久米連は、神亀元年(724)に久米奈保麻呂が久米連を賜ったことに始まる。同時に賜姓された氏族はいずれも渡来系であり、『新撰姓氏録』河内
『古今和歌集』を「和歌コード」で詠むための資料。夏(4月から6月)に亡くなった人⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️✨⭐️『古今和歌集』の歌を「和歌コード」で読み解くと、亡くなった人に関する思いや、その背景を詠んだものが多く出てきます。『古今和歌集』のまとめかたとして、直訳で見たときに「春夏秋冬別」に分類されています。その「季節」と、「実際に起きた具体的な出来事」が重なるように歌が詠まれています。ですので、「どの時期」に「誰が」「亡くな
翌日(11月9日)は、Gotoキャンペーンに付いてくる市内数ヶ所で利用できるレンタル自転車券の有効利用です。三条会商店街から南にある寺院を眺めながら、拝観しながら、西大路四条の交差点にある寺院を拝観。なお、三条会商店街南の寺院群は番外編にてアップします。日照山高山寺長い間大改修工事のため、境内に入るのを躊躇っていた高山寺。やっと拝観できました。本堂左側に見えるのは、昭和9年9月21日の室戸台風で犠牲となった淳和小学校生徒・先生の慰霊のため
平安時代に入って三代目の嵯峨天皇が上皇の頃のお話です。嵯峨天皇の次に皇位を継がれたのは、嵯峨天皇と同じ年に生まれた異母弟の淳和天皇でしたが、その直前に嵯峨天皇の皇子である正良親王が立太子されていました。この頃は年少者が即位されることはなかった時代ですから、中継ぎに淳和天皇を即位させたのでしょう。淳和天皇は即位10年後譲位され、24歳の正良親王が即位されました(仁明天皇)。この時、本来であれば仁明天皇の皇子を立太子するところでしたが、嵯峨上皇が、淳和上皇、仁明天皇の反対を押し切り、淳和上皇の皇
壷阪寺の山から降りて、少し北にある寺院。淳和天皇勅願寺との事で、菊の御紋が見受けられました。鐘楼お不動様。水掛っぽいけどお不動様の真ん前にろうそく立てがあるんですが…。このお寺、山門くぐったらすぐ自宅なのでこのお堂は自宅脇を通った裏手にあります。いただいた御朱印。
【東三条左大臣・源常(ひがしさんじょうひだりのおおいまうちぎみ・みなもとのときわ)】🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨古典和歌を「和歌コード」に翻訳する時、無視できない要素があります。それは…◉作者のプロフィールや人物背景◉その時代に起こった出来事◉その『和歌集』掲載の前後の歌とのつながりこれらを抜きにしては「和歌コード」に翻訳することができません。…ということで和歌作者の詳細を見ていこうと思います。🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨🌟✨
早番で天気のいい日限定ってことで(しかも暑すぎない日)そんな頻繁に行けてないのが現状ではあるけれどもやっと涼しくなってきたのでそろそろ再開しようかな?というわけで少し前のものなんだかんだと面白がってあちこち寄り道淳和天皇(じゅんなてんのう)桓武天皇の文字子どもの頃から慣れ親しんだ道しるべはあちこちでみつけることができる地図をよく見ると神社仏閣はもちろん古墳や天皇陵も多い書いてたらなんや久々に伏見の明治天皇陵行きたくなってきた長岡京の中心地太極殿実は長岡京市
西院「春日神社」淳和天皇が退位に伴い"淳和院離宮"(別名・西院)へ居を移すに際し、天長10年(833年)にその守護社として奈良春日大社より御分霊を迎え祀り創建されました。以来、皇室をはじめ藤原氏の守護神とし今なお崇敬を集めています。一ノ鳥居。狛犬。手水舎。社務所前の「藤」。舞殿。本殿。一願蛙。境内に実った果実。-END-
第五三代淳和(じゅんな)天皇は平安時代初期の天皇です。生年は承和七年(840年)。御父は平安京に遷都した桓武天皇、御母は藤原百川の娘、旅子。御名は大伴(おおとも)。即位後、大伴氏は天皇の御名と同性なのは畏れ多いと伴氏へ改姓しています。桓武天皇の第七皇子。第五一代平城(へいぜい)天皇・第五二代嵯峨天皇は異母兄弟。また、嵯峨天皇は同じ年に生まれています。大伴親王(当時)は、父帝の死を機に臣籍降下を願い出ましたが、皇太子(平城天皇)に慰留されました。というのも、高志内親王妃は桓武天皇の皇女
★第五十四代仁明(にんみょう)天皇は、平安時代初期の天皇です。八百十年生。御名は正良(まさら)。御父、嵯峨天皇の第二皇子、御母は壇林皇后、橘嘉智子(たちばなのかちこ)。またこの時同時に正子(まさこ)内親王が生まれていますので双子の親王と内親王でした。在位八三三年から八五十年。第五十三代淳和(じゅんな)天皇には多くの皇子がいましたが、皇太子には第五十二代嵯峨天皇である兄の皇子、正良親王を立てました。そして正良親王は、天皇から皇位を譲られて即位すると淳和天皇の皇子恒貞親王を皇太子に立てまし
【第23番医王山無量寿院薬王寺】薬王寺は神亀3年(726)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したとされます弘仁6年(815)、弘法大師が42歳の時自身と衆生の厄除けを祈願し一刀三礼して彫った薬師如来を納めて本尊とされました以来、厄除けの根本祈祷寺として信仰され平城天皇・嵯峨天皇・淳和天皇など歴代天皇が厄除けの勅使が遣わされたと伝えられます。建替えした仁王門仁王門からの参道本堂への厄除け階段本堂大師堂国道からの瑜祇塔
本日も妄想にお付き合いください。真雅さん「嵯峨野にある大覚寺が今でも有数の寺院なんは恒貞親王と正子内親王二人のおかげじゃな。」聖宝さん「確かに今でもめちゃめちゃおっきょいですけんな。嵯峨野のほとんどゆうてもええくらい。お二人がが仏法に励んでくれたお陰ですな。」真雅さん「おかんのな、正子内親王もえらいこと仏法に熱心でな。」聖宝さん「円仁さんから受戒してもろた。」真雅さん「そうや。尼僧になったんで。ほなけど尼僧ってな、、、何かとな。。。大変やろ。。正
承和9年(842年)7月初頭、淳和上皇は既に亡く、嵯峨上皇が病に倒れると、皇太子・恒貞親王(先代・淳和天皇の皇子)に仕える春宮坊帯刀舎人・伴健岑(とものこわみね)は、自身の仕える皇太子の立場が危うくなると感じていた。これまで、桓武天皇以降、皇位は兄弟の子孫による迭立が慣例となっていたが、淳和&嵯峨、両上皇が居なくなれば、恒貞親王は廃太子とされ、現・仁明天皇と中宮・順子(藤原良房の妹)の子・道康親王が新たに立太子となる可能性が出てきたので。なにしろ、道康親王は、スピード出世の藤
天長10年(833年)2月、淳和天皇から嵯峨上皇の皇子・正良親王に譲位され、仁明天皇となる。そして、淳和“上皇”の皇子・恒貞親王が皇太子となったのだが…時を同じくして蔵人頭(くろうどのとう)兼左近衛少将となった藤原良房は、道康親王を皇太子に推していたという。道康親王は、仁明天皇の皇子で、母親は中宮・順子(藤原良房の妹)である。この当時、皇位は桓武天皇の皇子である兄弟間での迭立(てつりつ)…即ち、兄弟の子孫達が交互に即位する形だったので、皇太子は恒貞親王となっていたのだが、
大同5年(810年)の“薬子の変”から13年後の、弘仁14年(823年)嵯峨天皇は弟の淳和天皇に譲位した。そして、嵯峨“上皇”の皇子・正良親王が皇太子となった。その3年後の天長3年(826年)、かつて、藤原薬子の専横を牽制するように蔵人(くろうど※天皇の秘書として機密文書を扱う)に任命され活躍した藤原冬嗣の子・良房が蔵人となる。その翌年の天長4年(827年)、皇太子・正良親王と中宮・順子(藤原良房の妹)の間に男子が生まれ、この子が道康親王となる。この道康親王の存在が、皇室
本日も妄想にお付き合いください。聖宝さん「道昌師匠の虚空蔵菩薩さんの感得はすごいことですな。」真雅さん「そやろ。立派な変態体質じゃろ。」聖宝さん「わしも清瀧権現さんを感得しましたけどの。」真雅さん「聖宝の話はどうでもええけど。道昌兄やんは感得した虚空蔵菩薩さんを彫って、その仏像を空海兄ちゃんに供養してもろて、嵐山の法輪寺にまつったんよ。」聖宝さん「わしの醍醐寺にも空海大師匠直筆の『大日経開題』があるで。」真雅さん「いや聖宝の話は今はええんよ。道昌兄
西院「春日神社」天長10年(833年)、淳和天皇が仁明天皇に譲位され、淳和院(西院)にお移りになった時、勅諚により奈良の春日四座大神を勧請し「守護神」としたのが始まりです。一ノ鳥居。手水舎。「一願蛙」。拝殿。本殿。舞殿。境内社「西院宮」。境内社「還来大神社」。奉納された草鞋。-END-
【Q15616】漫画『8マン』の原作を担当したことでも知られる、1962年に『SFマガジン』に掲載された『レオノーラ』でデビューしたSF作家で、代表作に『狼の紋章(エンブレム)』を始めとする『ウルフガイ』シリーズや、『幻魔大戦』シリーズがあるのは誰?【平井和正】【Q15617】「アジノモ島」に招待されたプレイヤーが食材を集め「トマトカップのサラダグラタン」「パイナップルのサラダ」「マヨオムレツ」などの料理を作るという内容の、1993年に味の素マヨネーズの懸賞の当選者にプレゼントされた非売品の
令和2年3月15日,日曜日,晴泉州岸和田は,昨日の雨もすっかりと上がって,朝から快晴に恵まれました。午前6時過ぎ,いつもの散歩。岸和田城周辺を妻の恵美子さんと二人でウオーキングをしました。昨夜のバドミントン練習の疲れが若干ありましたが,気持ちよい朝の空気を吸い込みながらの散歩で疲れも吹っ飛びました。本日の予定は,以前,計画していた,レッドシャトル杯(バドミントンの団体戦・三井化学体育館で年に二回実施)が,新型コロナの影響で中止となり,その代わりというか,恵美子さんの親