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「波多門部造」から想像される久米の歴史5前回の聖武天皇と久米の関係|久米の子の部屋(ameblo.jp)で、藤原百川の外祖父である久米奈保麻呂が、宝賀寿男氏のご研究で「系統不明」とされていることをご紹介しました。久米直–國學院大學古事記学センターウェブサイト(kokugakuin.ac.jp)によると、「(前略)8世紀にみられる久米連は、神亀元年(724)に久米奈保麻呂が久米連を賜ったことに始まる。同時に賜姓された氏族はいずれも渡来系であり、『新撰姓氏録』河内
天女のお話丹後国の風土記に曰く丹後国丹波の郡群家の西北の隅の方に比治の里ありこの里の比治山の頂に池があり其の名を真奈井と云ふ今はすでに沼となれりこの井に天女八人降りて来て水浴みき...そこに和奈佐という名の老夫婦が現われ密かに一人の天女の衣装を取り隠す天女たちは天に飛び上がってしまったが衣装を隠された天女だけ人間界にとり残され老夫婦のいうままに娘となって十年を暮らす天女は酒造りが上手く一杯飲めば万病に効く酒を造り機織りも教え家はたちまち裕福になる
2018年12月15日喫茶店から二条城へ行く途中に見つけた「神泉苑」です。神泉苑は、平安京(大内裏)の南東隣りに位置し、八町の規模を有する苑池であり、禁苑とされているそうです。「ちはやふる」のキャストの皆さんも訪れていたのですね。渡れば願いが叶うといわれる法成橋・・・・私も渡りましたが・・・・願い事は秘密です。五位鷺(ごいさぎ)醍醐天皇が神泉苑に行幸になったときに鷺が羽を休めていました。帝は召使いにあれを捕らえて参れと仰せられました。