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【4月13日】京都市上京区にある白峯神宮さんへ。春期例大祭淳仁天皇祭記念50枚限定御朱印。
BODYPITKYOTO院長藤崎進一です!お昼休みに白峯神宮へ参拝に上がりました⛩左近の桜が満開でした🌸舞殿の前に左近の桜🌸右近の橘🍊雨粒が滴り艷やか❤御祭神:崇徳天皇🎌淳仁天皇🎌神恩感謝⛩皇彌榮🎌国家安泰💪家内安全🤗BODYPITKYOTO関係者の繁栄幸福🥰BODYPITKYOTO京都市北区大将軍一条町134☎075−461−5817ご予約は⇛こちらをクリック!ご予約|bodypitkyoto⓵予約を入れる日の◯印を押してください。⓶時間帯をお選びください
藤原南家とは、不比等長男・武智麻呂(ムチマロ)に始まる藤原氏の一流。南家の称は、武智麻呂の邸宅が弟房前(フササキ)の邸宅に対し南に位置したことに由来し、逆に房前側を藤原北家と称す。武智麻呂は、長兄として廟堂の首班を務めて右大臣まで昇ったが、天然痘により病没した。臨終の床で正一位左大臣の官位を授けられる。橘諸兄政権では、武智麻呂長男・豊成(トヨナリ)が、順調に昇進を重ね右大臣に任ぜられ、橘諸兄とともに左右の大臣として太政官を主導した。その後、孝謙天皇が即位すると、弟仲麻呂が、
こんにちは今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ今日も前回に引き続き、『孝謙(称徳)天皇』の物語の続きですところが「おごれるものも久しからず」(by平家物語)という言葉のとおり、病にふせっていた光明皇太后が崩御すると、絶対的な後見人を失った藤原仲麻呂は急速に力を失いつつありました。元々仲麻呂の傍若無人な振る舞いに対して苦々しく思っていた人達が多かったからです仲麻呂とも心の距離ができて孤独だった孝謙上皇は唯一の肉親の母親を失ったショックで病床に伏せるようになってしまいましたそしてます
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第42回弓削道鏡孝謙上皇が病気になった時に、祈禱僧として弓削道鏡は上皇に接近します。病気が治ると上皇の寵愛は藤原仲麻呂から道鏡に移ります。道鏡については永らく野心家で、自分の出世欲を満たすために孝謙上皇を騙したとされていましたが、近頃では、道鏡はありきたりの祈禱僧で野心などなかった、上皇が道鏡の気を引きたいので、次々と役職を与えたのではないかと考えられています。上皇の寵愛が去ってこれは不味いと思った仲麻呂は、挙兵を企てますが
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第41回我儘女性天皇阿倍内親王、即位して孝謙天皇ですが、父親の聖武天皇が上皇でいるうちはおとなしくしていたのですが、死ぬと箍が外れたように好き勝手なことをやり出します。ふつうの女性であれば、美味い物を食べるとか、高い衣類を着るとかになりますが、最高権力を持っているのですから人事になります。好き嫌いの人事というか、聖武天皇が決めて行った皇太子に道祖王が気に入らなくて、聖武天皇が死んだ翌年には廃太子にしてしまいます。理由が、聖武天皇の喪中
白峯神宮へ御祭神は小倉百人一首で親しまれている崇徳天皇と『日本書紀』を編集した舎人親王の皇子である淳仁天皇です神門拝殿蹴鞠の神様が祀られていることからスポーツの安全・上達のご利益で有名な神社です御本殿鈴は両手で抱えて鳴らします良く鳴る=良く成るということで願いがかなうとされています向かって右に軽い鈴左に重い鈴が置いてあります勝利をめざして一生懸命がんばってきた結果負けてしまったとし
天武天皇の第六皇子に舎人親王という皇子がいらっしゃいました。その御尊母は天智天皇の皇女の新田部皇女(にいたべのおうじょ)でしたから母方も天皇の血筋の皇子でしたが、天武天皇が有力皇子同士助けて争わないことを誓わせた吉野の盟約当時はまだ3歳と幼く加わっていません。第六皇子でしたので皇統からは遠く、しかし天武天皇の諸皇子の中では長命でしたので、長屋王とともに皇親勢力として権勢をふるい、「日本書記」の編集も総裁し養老四年(720年)五月に完成奏上しています。3年前は日本書紀編纂千三百年という
『”先物取引き所の先駆けへ”こっちはおかんの入院中にw』そっちは大阪でっかwおかんの入院中に、ちょっと行って来たw🌀渦巻く海🌊を越えて、趣味の旅へwameblo.jp淳仁天皇陵へ第47代天皇、脱位して淡路島に流されたw自己満の旅はつづく
第四十七代淳仁天皇は奈良時代の天皇です。御父、舎人親王の第七子、御母は当麻山背(たいまのやましろ)。また御祖父は天武天皇です。3年前は日本書紀編纂1300年の記念すべき年でしたが、舎人親王は日本書記の編集の総裁をしていた皇子です。『すめらぎのお話・・・皇帝と廃帝と日本書紀と枕草子と馬』天武天皇の第六皇子に舎人親王という皇子がいらっしゃいました。その御尊母は天智天皇の皇女の新田部皇女(にいたべのおうじょ)でしたから母方も天皇の血筋の皇子でし…ameblo.jp『「日本書紀」編纂13
11月10日が命日・忌日の有名人・著名人765年(天平神護元年10月23日)32歳崩御(病死?)淳仁天皇陛下第47代天皇1799年満71歳没(?)ジョゼフ・ブラックさん物理学者、化学者二酸化炭素の発見1944年61歳没(多発性骨髄腫)汪兆銘さん南京国民政府行政院長1956年57歳没没(脳出血)ヴィクター・ヤングさん作曲家、指揮者、編曲家「星影のステラ」『シェーン』『八十日間世界一周』⇒『ヴィクター・ヤング(1899年8月8日生~1956年11月10日没
さてさて……………【白峯神宮(しらみねじんぐう)】京都府京都市上京区今出川通堀川東飛鳥井町261【伴緒社(とものおしゃ)】源為義・源為朝を祀り、武道・弓道上達の神として信仰される。例祭11月15日。源氏家系図も表記されている武道の神こちらには……………境内には摂社、末社がたくさん鎮座している。【地主社(じしゅしゃ)】祭神・精大明神(せいだいみょうじん)「まり精大明神」とも言い、球技・スポーツ芸能上達の神とされる。・柊大明神厄除・延命長寿の神。・今宮大神無病息災の神
2023年10月26日暑く長い夏が終わり、ようやく過ごしやすくなったこの日は、久々に『ひとり京都勉強会』をすることとした12月には「京都検定2級」の受験も控えているしそんなこんなで京都市営地下鉄『今出川駅』で下車したココロが、まず初めに到着したのは…………【白峯神宮(しらみねじんぐう)】京都府京都市上京区今出川通堀川東飛鳥井町261長女が一度参拝した話を聞いていたので、念願の初参拝となる配流されて、その地で没した崇徳天皇・淳仁天皇を祀る崇徳上皇は、『保元の乱』に敗れて讃岐国に流さ
2019/02/01配信<第47代淳仁天皇>大欣王〔淡路廃帝〕(父)舎人親王〔崇道盡敬皇帝〕(母)當麻氏老の女山背(弟)清原氏(太政大臣)藤原仲麻呂〔恵美押勝〕→大師→乱VS坂上刈田麻呂官職唐風化・復旧〔二官八省一台五衛府〕
「弓削道鏡」あと一歩でみなさん、おはようございます新しい一週間の始まりです新たな目標に向かって走って生きましょうさあ、今日「8月21日」の國史を学びましょう「弓削道鏡、下野国配流」神護景雲4年(770年)仏教の蘇我氏に、神道の物部が敗れて発想の転換をしました道鏡は物部出身ですが、お坊さんになりました相手の得意技を取ったのです孝謙天皇は女帝(生涯独身)です聖武天皇と光明皇后の第一子・基王がいましたが夭折したため孝謙天皇は「生涯独身
琵琶湖めちゃキレイ。。。。(≧∇≦)滋賀県長浜市西浅井町菅浦の湖岸集落(すがうらのこがんしゅうらく)を訪ねた奥の方に見える住宅がそう中世に岡崎市にいた松平益親(まつだいらますちか)という人物が、ここで代官をやっていたという話を知りどんな土地なのか、訪ねてみたいと思ったのだするとこの菅浦の湖岸集落や湖北という土地は非常に興味深い所だということがわかってきた
2023年2月11日に澤田瞳子「孤鷹の天(下)」を読了しました(上巻)国政を担う(担おうとする)者たちが義のために闘い、散っていく様は、涙なくして読めません。しかし、赤土は広子の元には戻らなかったのね…。淡路島は、よく行く場所なので、陣を敷いた伊弉諾神宮の他、多賀、先山、郡家、成ヶ島、由良、津名と知った地名がわんさと登場。うーん、淳仁天皇巡りに行きたい。和歌山も、名草郡、玉津嶋、粉河、賀太(加太)などなど。名草戸畔はこの頃の人だったりするのだろうかなんて、思ってしまいました。ここに百
2023年2月7日に澤田瞳子「孤鷹の天(上)」を読了しました(下巻)恵美押勝(藤原仲麻呂)を扱ったNHKのドラマがあったはずですが、恐らく、録画して見ないままになり、再放送も録画して、やっぱり見なかったはず。(古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」でした、多分)高橋克典の死に際の絵しか覚えていないので、見ていないんだと思いますが、もったいないことをしましたまた、大炊帝(淳仁天皇)のお墓に行ったなぁと思いつつ、恐ろしいことに、それ以外の記憶がない。でも、過去のブログを読むと、一通りのことは
☆雷丘東方遺跡(小墾田宮推定地)大和国高市郡奈良県高市郡明日香村雷(Pなし)推古天皇「飛鳥小墾田宮」の推定地。淳仁天皇・称徳天皇の行宮「小治田宮」の推定地でも。場所は「雷丘」を含む東側。南側すぐにも同程度の小山があり、当丘陵を「城山」、南側を「上山」とも言うようです。これまでに建物跡等や平城京と同じ瓦が出土することから、宮殿の存在が考えられていたようです。そして昭和六十二年の第三次調査で、「小治田宮」と墨書された土器が発見され、「小治田宮」跡の可能性が俄然高まったとのこと。
名古屋のシンゾウです相変わらず、漢字地獄に嵌っている私です。「読み問題」に全く歯が立たなくて気持ちが折れそうでしたが、「漢字書き取り」になってから、書けないのですが、見た事のある漢字が増えて来ました。数年頑張れば!!ひょっとして合格出来るかも.....錯覚でしょうね。「漢字書き取り」に次の漢字が現れるとホットします。(漢字検定1級問題)●ネハンに入る●イダテン走りで急を知らせる。●山登りのダイゴミを味わう。●ウラボンエに墓参する。●仏殿のシビを修復する。●漁船のカガリビが滲ん
この日、も1つお参りしたいところ「八田部」のお社ってだけで探しました。ここについてはもう、確認のため。父方も母方もこの八田部の出の人がいるのです。私から見て祖母にあたる。この八田部という集落の神さまどなたが祀られているか。有り難うございますでした。やっぱり、いらっしゃるうご祭神帯仲津日子命さま息長帯比賣命さま(神功皇后さま)品陀和気命さま大鷦鷯尊さま(オオサザチノミコト)宇遅稚郎子尊さま(ウジノワキイラツコノミコ
小学校6年生の社会の勉強で、源平や戦国の三武将をめちゃくちゃ駆け足で習った頃から、少しずつ歴史が好きになり、戦国・幕末と大いに逞しい志士に心を熱く持っていかれましたが、現在地では唐からの文化が色濃く日本に入ってきた奈良時代が大好きですみなさまこんばんは三重県津市でエステティックサロンLotusLandを経営していて、歴史がこよなく好きな香月です一昨年に読んだ本がまたしても読みたくなって、本棚から引っ張り出してきたこちら澤田瞳子さんの『孤鷹の天』。7
葛城神社⛩目の神様神社👀大麻比古神社大きな御神木にパワー感じます🌳淳仁天皇淡路陵おのころ島神社⛩伊弉諾神宮⛩帰りに見た明石海峡大橋鈴鹿パーキングエリアのNがピンク💕感謝、感動、美味な最高の旅でした🌟💫🤩💜ありがとうございます😃💜
甲賀市の信楽町は、陶製のたぬきの置物で全国的に有名なところです。天神神社という名が目についたのでお参りしてきました。天神というからには菅原道真公をお祀りしてると思い込んでいましたが祭神は高皇産霊尊、大己貴命、淳仁天皇で、道真公とは全く関係がないことに驚きました。↓信楽高原鐵道勅使駅から鳥居をくぐり、一直線の参道を行くと大きな杉が立っています。地上2~3mで2幹に分かれていますが、2本とも離れずに上方に向かっているのが珍しいです。↓参道を進んで、天神神社入り口に着きました。神社の字名は勅使
2019/02/01に公開<第47代淳仁天皇>大欣王〔淡路廃帝〕(父)舎人親王〔崇道盡敬皇帝〕(母)當麻氏老の女山背(弟)清原氏(太政大臣)藤原仲麻呂〔恵美押勝〕→大師→乱VS坂上刈田麻呂官職唐風化・復旧〔二官八省一台五衛府〕
引き続き白峯神宮のお話です。交通安全ステッカーが変わったとのことで拝受しました。キラキラのホログラム陸上海上航空交通安全守護ステッカー御祭神第47代淳仁天皇・第75代崇徳天皇は、常に「治世」に努められ、大御心として尊い人命が損なわれないよう国民の安泰を念じておられました。現在では、交通による災害が絶えませんが、御祭神の、より一層の御加護を頂けるよう御祈願して謹製しましたステッカーです。『京都市上京区「白峯神宮」交通安全守護ステッカー』今回の旅は急
スポーツの神様今出川の堀川東入るにある白峯神宮。千本釈迦堂の帰りに参拝しました。蹴鞠やスポーツの神様として有名なので、サッカー選手もよく参拝しています。なかなか心強いお言葉が書かれています。ご祭神は、崇徳天皇と淳仁天皇。悲運の天皇をお祀りし、御霊をお慰めしています。ここは多分、混み合うことはなさそう。市中にありますが、静かな佇まいです。崇徳天皇の百人一首でも有名な、「瀬をはやみ~」
渦潮またいで四国へPASSO;えっさ81才ナビ;リコ82才山陽→九州→日本海北上→北海道→東北→再び北海道→東北→中部→関西→四国2021/03/03岡山県浅口市ひとりで出発2021/07/18宮城県石巻市・仙台市新潟しらびそ山岳会の旧い先輩瑠璃子押しかけ道中163才になった2022/04/2210.20南あわじ市出発快晴14℃→22℃↓きょうの走行ルート図41kmGoogleマップ「おはようリコさん晴れや」きょうの鳴門観潮は15時以降が見頃と
やっと詣でることが出来ました。第47代天皇に天平宝字2年(758年)に即位した淳仁天皇です。天武天皇の舎人親王の第七王子であり諱を大炊とされていました。私が最初に淳仁天皇が淡路島に陵があると知ったのが、「白峰神宮」に行った時に、崇徳天皇と一緒に祀られているのが淳仁天皇だったのです。その時に調べてからの事です。「はいからさんが通る」という漫画が好きで、その中に伊集院忍少尉のおばあさんが若い頃好きな方とは結ばれずに別れなければならなかったそうです。『自分の子どもたち
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/567東高野街道/58八尾市守屋塚全国の神社が玉垣...毎日新聞JR八尾駅から南西へ700メートルばかり歩くと、太子堂の交差点に至る。交差点を西へ折れてすぐ、酒屋さんの隣には鳥居が建ち、玉垣が巡らされている。来年11月に「ぼくたちの学校展」須賀川市立博物館・民俗資料館協議会|阿武隈時報社阿武隈時報社須賀川市立博物館・歴史民俗資料館協議会(西間木俊夫会長)は17日、同館で開かれ、今年度実施した企画展実績と新年度事業計画などを協議し