ブログ記事20件
今日は、京都の知人と食事の約束がある。日中時間があるので、藤森駅から、京都トレイル深草コースを歩く。🚶聖母女学院裏、深草十二帝陵この先で、やっとトレイルの案内板を見つけた。一安心。😌この先は、綺麗な竹林の道だ。🎋ただ、【入るな、盗るな】の看板がやたらと目立つ。白菊の滝でお参りする。この先、御剱の滝にも寄り、Uターン。竹の下道は、誰も歩く人いないだろうと思っていたが、時々、外国人観光客とすれ違う。嵐山の竹林道ほどじゃなくてよかった。また、沢山の社があった。あっとい
嘉祥寺(かしょうじ)は嘉祥四年(851年)に、文徳天皇が先帝の仁明天皇の菩提を弔うために、陵墓の傍らに清涼殿の建物を移して寺とt。開山は真雅である。元慶二年(878年)には、定額寺となり官寺の扱いを得て、寺域も広大な大寺となったが、平安時代後期には衰微し仁和寺別院となった。そして、室町時代の応仁、文明の大乱により焼亡した。その後、寛文二年(1662年)に、深草十二帝陵の管理をしていた安楽行院を大僧正・空心律師が再興し、同院境内に聖天尊を祀り嘉祥寺も再興されたため、深草聖天と呼ばれている。
深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)は京都市伏見区にある天皇陵で、鎌倉時代から室町時代における持明院統の歴代の12人の天皇陵および伏見宮の栄仁親王の墓であり、深草十二帝陵と呼ばれている。この地は、鎌倉時代に安楽行院が創建され、この寺の法華堂に嘉元三年(1305年)に後深草天皇の遺骨が納骨された。その後、後深草天皇の系統である持明院統の天皇たちの遺骨を安置するようになった。第89代後深草天皇(ごふかくさてんのう):御父(御嵯峨天皇)第92代伏見天皇(ふしみてんのう):御父(後
2020年9月27日の京都市伏見区・宇治市の歴史散策の続き。「瑞光寺」「嘉祥寺」をお参りした後は、「眞宗院」に向かいました。瑞光寺・嘉祥寺のレポ『瑞光寺と、嘉祥寺と~京都市伏見区の寺院・史跡』2020年9月27日の京都市伏見区・宇治市の歴史散策の続き。「宝塔寺」をお参りした後は、「瑞光寺」に向かいました。宝塔寺(その2)のレポ『宝塔寺(その…ameblo.jp「嘉祥寺」から更に南に進むと、左手にまたお寺が見えて来ます。こちらは、
別名深草十二帝陵南朝10帝+北朝2帝=12人の帝が祀られてるから、深草十二帝陵。鎌倉、室町、安土桃山と、幕府が実権を握っていた時代で、朝廷が冷遇されてたから、天皇陵が纏められちゃってるんかな、知らんけど第89代後深草天皇即位西暦1246年退位西暦1260年皇位年数14年第92代伏見天皇即位西暦1287年退位西暦1298年皇位年数11年第93代後伏見天皇即位西暦1298年退位西暦1301年皇位年数3年北朝第4代後光
昨日の雨は上がりましたが、今日はとても寒くなりました。藤森駅を出て、疎水から北の眺めです。ここから、深草の里に向かいます。JRの線路を東に渡ると、持明院統の帝たちを祀る、深草北稜、十二帝陵です。いつも何気なく横を通っていますが、最近ちょっとした話題に。大河ドラマのキーパーソンになりそうな、正親町天皇が祀られているんです。18日のぐるっと関西では、天皇を演じる玉三郎さんがゲスト。にこにこしながら、じっと座って俯瞰する秘訣、演技をカメラに切り取られる面白さを語ってくれました
8月10日♪祝日(月曜日)♪青すぎる空に誘われて、サイクリングへ♪ホンマは伏見稲荷行こ思てたんやけど遅い時間なったしメインを伏見街道(前編♪後編♪)特に4つの橋にキリカエて…(⌒⌒;)ゞ第4橋めざして走ってたらまた、南下してて左手(西側)に、こんな道標♪『深草十二帝陵東三町』やて…♪深草十二帝陵てゆうんは、名前の通り♪ココ深草に眠る12人の天皇たちのお墓♪鎌倉~南北朝~室町~織豊時代の間の、持明院統(北朝)の歴代天皇たちが葬られたはるん♪伏見街道をい
儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。そんな「制覇の道」・・・天皇陵をできるだけ回ってみる天皇陵編も実施中です。(ちなみに皇室の場合、「覇道」ではなく「王道」の象徴のような存在ですので、天皇陵編のタイトルは<王道の男>です)2月に三連休で京都に行ってきました。三日目、竹田駅周辺の天皇陵を巡りましたが・・・このまま天皇陵巡りを続けてみることにしました。竹田駅から東へ向かって進んで行き・・・京阪本線の藤
【平成29年10月10日(火)参拝】そして今年の4月の初参拝から数えて、本日で11回目にして深草北陵ファイナルです!!後陽成(ごようぜい)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都市伏見区深草坊町後陽成天皇(ごようぜいてんのう、元亀2年12月15日(1571年12月31日)-元和3年8月26日(1617年
【平成29年10月9日(月)参拝】いよいよ時代は戦国、織豊政権時代に入って来ました。正親町(おおぎまち)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都市伏見区深草坊町正親町天皇(おおぎまちてんのう、永正14年5月29日(1517年6月18日)-文禄2年1月5日(1593年2月6日))は、第
【平成29年10月4日(水)参拝】後奈良帝分骨所のあとは深草北陵へ後奈良(ごなら)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都市伏見区深草坊町後奈良天皇(ごならてんのう、明応5年12月23日(1497年1月26日)-弘治3年9月5日(1557年9月27日))は、室町時代・戦国時代の第10
【平成29年9月29日(金)参拝】気づけば世は戦国時代に突入してました…。後柏原天皇(ごかしわばら)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都市伏見区深草坊町後柏原天皇(ごかしわばらてんのう、寛正5年10月20日(1464年11月19日)-大永6年4月7日(1526年5月18日))は、室町時
【平成29年9月25日(月)参拝】実は般舟院陵参拝のあと、深草北陵に来る前に先に泉涌寺の灰塚に行ったのですが、便宜上、こちらの本陵から先に投稿させていただきます。今回で7回目の深草北陵参拝ですが、なんと浅葱幕(青白の幕)が掛かっているではないですか?こういう光景は過去多々参拝してきた中でも初めてです。後土御門(ごつちみかど)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都市伏見区深草坊町
【平成29年7月15日(土)参拝】後小松帝灰塚の後は6度目の深草北陵へ称光(しょうこう)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都府京都市伏見区深草坊町称光天皇(しょうこうてんのう、応永8年3月29日(1401年5月12日)-正長元年7月20日(1428年8月30日)は、室町時代の
【平成29年7月11日(火)参拝】いよいよ南北朝合一、そして約3年かかってキリ番の第100代までやってきました。残り24代、ゴール目指してコツコツと頑張ります!またまた円町からなのでこの前と同じ稲荷駅ルート。今回で5度目の深草北陵。後小松(ごこまつ)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都府京都市伏見区深草坊町
【平成29年7月2日(日)参拝】華開院から深草北陵へ円町からなので、京都でJR奈良線に乗換え、「稲荷」駅から徒歩で深草北陵を目指します。伏見稲荷の参拝客が殆ど。。。(外国人ばっかり…)15分程で御陵到着後円融(ごえんゆう)天皇陵御陵名:深草北陵陵
【平成29年6月26日(月)参拝】引き続き深草北陵。後光厳(ごこうごん)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都府京都市伏見区深草坊町後光厳天皇(ごこうごん
【平成29年6月26日(月)参拝】大光明寺陵のあとは1ヶ月半ぶりの深草北陵へ栄仁親王は現在の天皇家に繋がる皇統で今回の巡礼で絶対に外せない重要人物です。栄仁親王墓は深草北陵にあります。栄仁親王墓御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都府京都市伏見区深草坊町京阪「藤森」駅伏見宮栄仁親王
【平成29年5月11日(木)参拝】引き続き、深草北陵後伏見(ごふしみ)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都市伏見区深草坊町後伏見天皇(ごふしみてんのう、弘安11年3月3日(1288年4月5日)-延元元年4月6日(1336年5月17日))は、鎌倉時代の第93代天皇(在位:永仁6年7月22日(1298年8月30日)-正
【平成29年5月11日(木)参拝】後深草帝以来3週間ぶりの深草北陵再訪です。伏見(ふしみ)天皇陵御陵名:深草北陵陵形:方形堂所在地:京都市伏見区深草坊町伏見天皇(ふしみてんのう、文永2年4月23日(1265年5月10日)-文保元年9月3日(1317年10
【平成29年4月20日(木)参拝】月輪陵もさることながら、この深草北陵もかなりの難関になりそうです…w。深草北陵には北朝につながる持明院統歴代が葬られており、「深草十二帝陵」とも称されています。最寄りは京阪「藤森」駅。そこから北東に1km程行き、JRの踏切を渡ってすぐの処に御陵があります。藤森駅南にある石標龍谷大深草町家
稲荷山の南麓を通る竹之下道を進んでいました。ここで、前回の反省をしておきます。今回も、所々で寄り道をしますが、あまり"詳しく"書いていますと、先に進めません。何と言っても、テーマは「大岩山に登る」です。なるべく簡単に、寄り道しながら、先を急ぎます。途中、右手に鳥居が見えてきます。弘法の滝です。稲荷山は、神仏のおいでになる山です。そしてお山の中には、末広の滝や御剱の滝などたくさんの滝が散在します。まとめて「お滝」と呼ばれ、信仰を集めています。そして「お滝」とは、滝行が行われる場です。