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毎年恒例となったお正月の七福神巡り→初湯3年前の千住七福神→大黒湯2年前の池上七福神→桜湯昨年の隅田川七福神→薬師湯に続き今年は深川七福神→辰巳湯に行くことにしました先ずは都営新宿線の森下駅を降りて、最初に向かったのは深川発祥の地の深川神明宮にある寿老神です寿老神(深川神明宮)ここでご朱印帳代わりの色紙を買い、各所を巡ってスタンプを押して貰います参道にズラリと並ぶ神輿庫が迫力ありますこれが一斉に出る祭りの賑わいはかなりのものなのでしょうね布袋尊(深川稲荷神社)へ
久しぶりのブログ更新です。遅ればせながら、明けましておめでとうございます。ブログをお読みいただき、たいへんうれしく思います。今年もマイペースでブログ更新していきますので、よろしくお願いします。世の中は元日に北陸地方の大地震が起き、新年のおめでたい雰囲気どころではありません。被災された皆様には、心からお見舞いを申し上げます。また、JAL機が被災地支援に向かう海保の航空機と接触事故を起こし、海保の乗組員が亡くなるという事故まで起きてしまい、今年はいった
世の中は元日に北陸地方の大地震が起き、新年のおめでたい雰囲気どころではありません。亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災された皆様には心からお見舞いを申し上げます。また被災地支援に向かう海保の航空機がJAL機と接触事故を起こし、海保の乗組員が亡くなるという事故まで起きてしまい、今年はいったいどんな年になってしまうのかと不安を抱く年の始めです。幸先の悪い新年ですが、少しでも運を呼び込めるようにと、七福神巡りをしてお祈りして来ました。七福神巡りはいろいろな場所でやっていますが
おまたせしました😉💡開運先生サニーです✨【深川不動尊⛩️✨&深川七福神めぐりin門前仲町】毎月、月供養の護摩木焚きをして頂く為に訪れます深川不動尊👼年始ですので七福神めぐりも兼ねて✨深川不動尊も富岡八幡宮も毎年に大変人気があり、1月4日でも行列があるほどです😉深川不動尊の『護摩木焚き』の迫力は圧巻です👹🔥💕🐰😸ペット祈願や供養もありまして🐶🐤💕(ペットにつきましてはお問い合わせください)2階には、「四国八十八ヶ所巡拝所を巡ったのと同じ効果が得られます」祈りの回廊や『深川七福
令和6(2024)年の七福神は、深川七福神、令和四年に巡ったので、二年前、二度目のことです。ここの七福神巡り、色紙に巡る七福神が印刷されていて、巡るたびにその七福神のスタンプを押される、まさにスタンプラリー、ちょっと味気ない七福神巡りですが、あえてこの道順で七福神を巡ります。ちなみに、二年前の深川七福神めぐりの色紙を紹介しておきましょう。歩行距離、約4.8kn、約一時間半ほどの時間。先ずは、深川で最も創立の古い神社、①寿老神の深川神明宮(江東区森下1-3-17)。深川八郎右衛門
法乗院→玄信寺の次は浄土宗寺院の心行寺へ〜心行寺さんは深川七福神でお詣りしてるので、今回で2回目…縁起は前回の七福神詣りのリブログを参照して下さい🙏↓浄土宗寺院心行寺の山門山門の🏮には山号と寺号本堂心行寺の縁起案内板堂内御本尊は阿弥陀如来宝篋印塔影窓院地蔵と五重層石塔影窓院地蔵は、心行寺塔頭であった影窓院にあったお地蔵様五重層石塔は元亨4年(1324年)の銘深川七福神の福禄寿お堂は閉じられていますが、お正月にはご開帳されますお堂内には、福禄寿が2体安置されています
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介する神社は東京都江東区富岡の富岡八幡宮です。当ブログでは2回目の紹介となります。尚、前回お参りした時の様子を紹介した記事はこちらになります。『富岡八幡宮(東京都江東区)』こんにちは、ロイヤル麦茶です。ここ数日は朝から気温が高く、自宅から駅まで歩くだけで汗だくになっておりましたが、今日は曇っていて気温が低かったので幾分マシでした…ameblo.jp今回は深川七福神巡りの為に訪れておりますが、境内社の恵比須社が深川七福神の恵比須神の札所となってお
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介するお寺は東京都江東区深川の心行寺です。御本尊は阿弥陀如来。元和2年(1616年)、京橋八丁堀寺町に創建。寛永10年(1633年)に現在地へ遷っております。かつては末寺として影窓院と正寿院がありましたが、合併されている為、現在は存在しません。心行寺は深川七福神で福禄寿の札所となっております。前回投稿した記事で紹介した冬木弁天堂の後にお参りしております。冬木弁天堂から歩いて西の方へ進みます。歩く事5分ほどで心行寺の前に到着しました。
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介するお寺は東京都江東区冬木の冬木弁天堂です。御本尊は弁財天。承応3年(1654年)、上田直次は茅場町で材木商「冬木屋」を興しました。宝永2年(1705年)、三代目弥平次の時に茅場町から深川に屋敷を移転しましたが、その際に邸内の大きな池のほとりに竹生島から弁財天を勧請したのが始まりです。冬木弁天堂は深川七福神で弁財天の札所となっております。前回投稿した記事で紹介した円珠院の後にお参りしております。円珠院から葛西橋通りの方へ向かって歩きます。
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介するお寺は東京都江東区平野の円珠院です。日演上人が小西檀林から夏安居を利用して本寺である浄心寺で出張講義をした際、聴衆の一人で旗本永見甲斐守重直の娘で永井讃岐守大江直充朝臣の後室、お寄の方が開基となり、創建されました。当初は浄心寺の東側裏手にありましたが、関東大震災後の区画整理により浄心寺の西側となる現在地に遷りました。圓珠院は深川七福神で大黒天の札所となっております。前回投稿した記事で紹介した龍光院の後にお参りしております。龍光院から南東の方
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介するお寺は東京都江東区三好の龍光院です。御本尊は阿弥陀仏(阿弥陀如来)。慶長16年(1611年)、神田馬喰町(現在の中央区日本橋馬喰町)に創建されました。明暦3年(1657年)、明暦の大火により焼失。神田岩井町(現在の千代田区岩本町)に遷りましたが、天和2年(1682年)に再び大火に遭い焼失した後に深川へ遷り、関東大震災後の区画整理により現在地に遷りました。龍光院は深川七福神で毘沙門天の札所となっております。前回投稿した記事で紹介した深川稲荷神社の
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介する神社は東京都江東区清澄の深川稲荷神社です。御祭神は宇賀魂命。寛永7年(1630年)の創建。当地の旧町名が西大工町だった事から西大稲荷と呼ばれておりました。関東大震災後の区画整理により町名が変更され、昭和27年(1952年)頃から深川稲荷神社と呼ばれるようになりました。深川稲荷神社は深川七福神で布袋尊の札所となっております。前回投稿した記事で紹介した深川神明宮の後にお参りしております。深川神明宮から歩いて深川稲荷神社へ向かいます。清澄
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介する神社は東京都江東区森下の深川神明宮です。御祭神は天照大御神。深川一帯は昔、葦の生い茂る三角地で誰も住んでおりませんでしたが、深川八郎右衛門なる人物が一族を引き連れて当地に移り住み、土地の開拓に着手しました。その際に八郎右衛門の屋敷内に小さな祠を建てて伊勢神宮より御分霊を勧請し、開拓民の幸せと深川の地の発展を祈念したのが深川神明宮の始まりと伝えられております。慶長元年(1596年)、徳川家康が当地を巡視した際に八郎右衛門を呼び寄せ地名を尋ねると、八
だそうです鳥居の大幕に書かれていました深川神明宮徳川家康が江戸入国の時、慶長元年(1596年)この辺りを巡視住む人も少なく、地名も無いことから家康が深川八郎右衛門の姓「深川」を地名とするように命じたそうです深川神明宮は、慶長年間(1596年~1614年)に摂津国の深川八郎右衛門ほか6人が開拓した新田に伊勢神宮の御分霊を勧請したのが始まりだそうでです手水舎は花手水境内社の一つ、和合稲荷神社そして深川七福神巡りの一つ寿老人神明宮社殿
八幡橋を渡り富岡八幡宮と深川不動尊(成田山)の北を抜け葛西橋通りも横切り深川えんま堂へやってきた朝、早すぎて誰もいない法乗院(深川えんま堂)は寛永6年(1629年)開山の真言宗豊山派のお寺えんま堂には日本最大の閻魔大王座像が安置され本堂1階には江戸時代に描かれた「地獄極楽絵」が展示されているそうです境内に「日本三大仇討ち」で知られる曽我五郎の足跡石があるとか・・・見るの忘れてもうた通りを北上し、深川七福神巡りの一つ、心行寺福禄寿を安置
年始の事初めは七福神廻り2023年深川七福神廻りにお供は青サブ126613LB出発ー!森下駅から寿老人深川神明宮途中に芭蕉記念館マップルの昭文社布袋尊深川稲荷神社さすがに深川錣山部屋親方は元イケメン関脇の寺尾でしたね清澄庭園二日から営業中佃煮屋さん"まずい"がひっくり返って"うまい"かな?毘沙門天龍光院大黒天円珠院伊勢屋行列ができてました福禄寿心行寺六角堂が立派、お寺はアッサリお寺の方がいらして見張られてる感じ隣の法乗院さんは絢爛豪華
元旦に引き続き明るい陽射しに恵まれた2日昨年は実現できなかった年始の深川七福神めぐりに伺いました水の街江東たくさんの河に囲まれています最初の参拝は深川神明宮から鮮やかな花手水に迎えられ少しだけ並んでからの参拝こちらには寿老神がお祀りされています御朱印と七福神の色紙をいただきましたここから深川七福神めぐりのスタートですこの後は深川稲荷神社の布袋さまに伺いましたその続きはまた明日~
おはようございます快晴とまではいかないけれどなんとか晴れていますよ昨日は春みたいで暗くなっても、ちっとも寒くありませんでしたあ写真は昨日のウオーキングコース先ずは家の近所偶々○○党の選挙カーが停まり、中から議員らしき方が中に入っていきましたよ1回だけ入店しました、随分と綺麗になりましたねえ「布袋尊」深川七福神の1つ↑此処に有るのはカエルの親
法苑山浄心寺の次はすぐ近くにある妙献山円珠院へ。この日の最後の参拝です。御本堂。御本堂の天井。御本堂前の大黒天さま。境内の居眠り小僧さん(^o^)御本堂横の庫裏で御首題を頂きました。御首題。
深川七福神の一覧です。『深川七福神寿老神深川神明宮』御徒町のアーンドラ・キッチンでミールスを食べた後、都営ワンデーパスを使って上野・御徒町駅から大江戸線に乗って森下駅で下車して、深川神明宮に向かいます。森下駅…ameblo.jp『深川七福神布袋尊深川稲荷神社』相撲部屋が並ぶ通りを進み深川七福神の幟に沿って曲がると深川稲荷神社があり、布袋尊を祭ってあります。深川七福神布袋尊深川稲荷神社http://www.fu…ameblo.jp『深川七福神毘沙門天龍光院』雲
深川・森下周辺の散策をした日深川神明宮を参拝後近くの稲荷神社にも参拝しました深川神明宮の鳥居を出てそのまま右に隅田川方面に進み八名川公園を目指します公園と八名川小学校の近くに目指すところの神社がありそう簡単な道だったのであまり探さなくても大丈夫だろうと油断してしまいお目当ての稲荷神社に気が付かず軽快に自転車を走らせすぎて見事に通過していたようです何かがおかしいとグーグルマップで検索し周囲を一周してから八名川小学校横の八
一昨日は朝から日射し強めの日でした夕方の予定まで時間があったので遠出はできないけれど家のことも全て済ませたし・・・と神社めぐりに出掛けることにしました自転車でちょうどよい距離のこの日の方角のよい場所をGoogleマップで検索します見つけました雰囲気のよさそうな神社深川神明宮〜深川発祥の地〜www.fukagawa-shinmei.com大通りから一本奥に入った小名木川に沿って走る『高橋のらくろーど』別名『高橋夜店通り』といい
2019年12月大晦日の江東区白河・深川界隈の続き。「滝沢馬琴誕生の地」「採荼庵跡」「小津安二郎誕生の地」「増林寺」「海福寺跡」と回った後は、「心行寺」に向かいました。心行寺・深川えんま堂・陽岳寺のレポ『心行寺と、深川えんま堂と、陽岳寺と~東京都江東区の寺院・史跡』2019年12月大晦日の江東区白河・深川界隈の続き。「滝沢馬琴誕生の地」「採荼庵跡」「小津安二郎誕生の地」「増林寺」「海福寺跡」と回った後は、「心行寺」に向…ameblo.jp「陽岳寺」から
〜深川七福神巡り〜友人と有楽町で待ち合わせ、先ずは銀座経由で築地場外市場までお散歩。天気も良く暖かかったので多くの人が出ていました。初めての場外市場にワクワク見るものすべてが美味しそうゆっくり見てまわりたかったけど、まだ後があるのでちょっとだけ休憩🍺次の目的地の深川七福神巡りへ。のんびり歩いて門前仲町まで。永代橋から佃島とスカイツリー深川不動尊(七福神外)→冨岡八幡宮→冬木弁天堂→心行寺→円珠院→龍光院→深川稲荷神社→深川神明宮深川不動尊冨岡八幡宮冬木弁天堂心
本日の最終目的地、深川神明宮に到着。ところで「神明」て「しんみょう」じゃなくて「しんめい」と読むんですね。あるところで知りました。寿老神は、深川神明宮の境内の寿老神社に安置されています。深川神明宮は、深川において創立の最も古い神社であります。大阪摂津の深川八郎右衛門が、この付近に、深川村を開拓し、その鎮守の宮として、慶長元年(一五九六年)伊勢皇大神宮の御分霊をまつって創建しました。徳川家康が、この村に来て、村名を尋ねたがないので、深川八郎右衛門の姓をとって、深川村と
本来の目的地、深川稲荷神社さんへ向かいます。地図を見ると「清澄庭園」さんの前を通るようです。時間的余裕が有るので寄っていこうと思いました。なんか変な感じ・・マジですか?あっけなく挫折。チョットのんびりしようかなと思いましたがま、いいや縁が有ればまた来ると思います。気を取り直して深川稲荷神社さんへ向かいますここで間違いないですね布袋尊のまつられている深川稲荷神社は、寛永七年(1630年)の創立、深川地区では、創立の古い神
龍光院深川七福神・毘沙門天1611年(慶長16年)に開山された。近くの雲光院の塔頭として創建されたもので、当時は「龍光院」という一つの塔頭ではなく、「法龍院」「清光院」「清心院」の三つの塔頭であった。元々は、雲光院とともに現在の日本橋馬喰町にあったが、火事等で度々移転を繰り返し、1682年(天和2年)に現在地に移転した。その後、1734年(享保19年)に法龍院と清光院が合併して「龍光院」に改称、1788年(天明8年)に清心院を吸収合併した。現在は深川七福神の毘沙門天を祀る寺として、
日蓮宗寺院の円珠院は、浄心寺の塔頭の一つです。円珠院は、義勝院日演(1741没)が開山、永井讃岐守直允の後室(円珠院殿妙献日寄大姉、享保15年1730年寂)が開基となり創建したといいます。深川七福神の一つ大黒天として親しまれています。円珠院円珠院は享保年間に創建された。開基は円珠院殿妙献日寄大姉であり、円珠院は永見重直の娘で、のちの旗本永井讃岐守直允の後室である。生年は不明であるが、享保一五年(1730)に没している。夫の永井直允は功運寺(元は三田・現在は中野区に移転)に葬られ
1654年(承応3年)、材木商の上田直次の開基である。上田直次は茅場町で材木商となり、「冬木屋」を名乗った。その際、自邸内に琵琶湖の竹生島の弁財天社(現都久夫須麻神社)から分霊を勧請したのが起源である。その後、1705年(宝永2年)に現在地に移転した。「冬木」の地名は、この冬木屋に由来する。1870年(明治3年)、これまでは冬木屋の屋敷神であり、冬木屋関係者のみの神であったが、一般に開放された。Wikipedia深川七福神の弁財天様です。狛犬さん達のお出
双修山養源院と号し、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立。開山は観智国師の高弟、光蓮社団誉一路屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室養源院殿である。寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転した。「御朱印地・拝領地寺社帳」によれば、当時は間口四十二間、奥行四十二間、千七百六拾四坪の境内地で現在もほぼ当時の面影をとどめている。往時は影窓院・正寿院の2つの末寺があったが、その後合併された。旧本堂庫裡は大正12年9月関東大震災により焼失、その後昭和7年に再建された本堂庫裡も昭和20年3月戦災