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「昭和・平成鉄道の時代」4:00テレ朝チャンネル212月16日(火)#3「よみがえる鉄道風景(1)」松前線、湧網線、三木鉄道#4「よみがえる鉄道風景(2)」黒石線、深名線、鹿島鉄道#5「新線の開通(1)」営団地下鉄・東西線、千代田線、つくばエクスプレス、横浜高速鉄道#6「東海道・山陽新幹線の変遷」12月17日(水)#7「レールの上の『銀河』」能登#8「東北・上越新幹線の変遷」#9「よみがえる鉄道風景(3)」日立電鉄、筑波鉄道、信越本線、碓氷峠越え#1
JR北海道・深名線ラストシーン。。もう30年・・・(T_T)1995
「昭和・平成鉄道の時代」4:00テレ朝チャンネル212月7日(日)#3「よみがえる鉄道風景(1)」松前線、湧網線、三木鉄道#4「よみがえる鉄道風景(2)」黒石線、深名線、鹿島鉄道#5「新線の開通(1)」営団地下鉄・東西線、千代田線、つくばエクスプレス、横浜高速鉄道#6「東海道・山陽新幹線の変遷」12月8日(月)#7「レールの上の『銀河』」能登#8「東北・上越新幹線の変遷」#9「よみがえる鉄道風景(3)」日立電鉄、筑波鉄道、信越本線、碓氷峠越え#10「路面
10月3日(金)10日目。本日は、駅舎跡探索もあり、改修駅舎もありです。北上して抜海駅跡を最後に南下して、名寄付近で宿をとる予定です。峠下駅跡です。2023年4月に留萌線の石狩沼田ー留萌が廃線になり、ちょうど1年後、この峠下駅舎が雪の重みで倒壊しました。全国ニュースにもなり、手入れ、管理されないと、あっという間に滅ぶんだなと痛感しました。駅舎は綺麗に取り払われていますが、ホームは残っています。こういう両端付き合わせのホームでした。先頭同士を近づける事で、タブレットのやり取りがやりやすくな
▲▼第三雨竜川橋梁旧国鉄深名線のなかで最大の難工事箇所であるポンカムイコタン渓谷に建設されたプラットトラス橋▲渡部義雄君弔魂碑難工事だった第三雨竜川橋梁1931(昭和6)年5月10日完成のその日に技術主任である渡部義雄さんが(29歳)最後の作業を行ったとき雪解けで増水した激流の川に転落し亡くなりました▲旧添牛内駅旧国鉄深名線▲待合室(鍵が掛かっていて入られません)▲廃駅印▲ホーム側▲名寄方向▲深川方向▲朱鞠内駅標深名線は1995年平成7年に廃線にな
名寄のキハ53-500。・・国鉄キハも深名線も遠くなった。。(T_T)(T_T)1995
”深名線”廃線から30年。惜鉄の旅続編です。「深名線」路線距離121.8km軌間1,067mm(狭軌)線路数全線単線電化区間全線非電化最大勾配25‰最小曲線半径250m閉塞方式タブレット閉塞式(深川-朱鞠内間)票券閉塞式(朱鞠内-名寄間)今回は、名寄市の「天塩弥生(てしおやよいえき)」を訪れます。2016年(平成28年)3月26日から跡地に昭和40年代の駅舎をイメージし再建さ
ようこそいらっしゃいました!国鉄末期に登場したオレンジカードきっぷもカードで買う時代というのをフレーズに登場した、交通系ICカードの走りですね。カードに登場している、JR北海道の深名線は、今年で廃線から30年らしいですね。このオレンジカードは、廃線の年に乗車した車内で記念に購入しました。深名線ともにオレンジカードも過去の遺物になりましたが、今でも小物入れの中で生き続けています。いつもありがとうございます!
深川駅と名寄駅を結ぶため、両駅の頭文字を取って命名された”深名線”が営業を終了したのは、1995年(平成7年)9月3日。翌9月4日付で全線廃止となりました。あれから30年。記念のイベントが行われていたので訪れてみました。起点:深川駅終点:名寄駅駅数・旅客駅:21駅幌加内町に今も駅舎跡が保存されている「添牛内駅(そえうしないえき)」1931年(昭和6年)9月15日鉄道省雨龍線の幌加内駅-当駅間延伸開通に伴い、開業10月10日-路線名を幌加内線に改称、それに
日本有数の極寒地走った「深名線」廃止から30年最終日はどんな様子だったのか深名線朱鞠内駅で交換する列車(PublicDomain)1995年9月3日のJR北海道深名線の最終運行から本日で30年となった。JR北海道の深名線は、深川―幌加内―朱鞠内―名寄間の121.8kmを結ぶ長大ローカル線であった。国鉄時代から、赤字額が過大であるということが問題視され、すでに1968年に持ち上がった国鉄赤字83線問題のときから、廃止が取り沙汰され続けてきた路線であった。しかし、1980年に施行された国鉄再
さてさて、こちらの天塩弥生駅。旅人の宿でもあり、食事もできる普段のメニュー今回の深名線廃線30周年のイベントでは特別メニューこちらでは音威子府そばをいただくことができる。今回は「オセロもり(白黒合盛り)」アップ黒い音威子府そばと、白い咲来そばの合盛り。そばは冷たいのオンリー。白い咲来そばは、ちょっとボソッとしているけれど品のいい味。黒い音威子府そばは、香りのいい懐かしい音威子府そば。そーいえば、冷たい音威子府そばを食べたことってなかったかも。うん、これはこれで美味しい今は
添牛内駅をあとにして、天塩弥生駅に向かう。ここは廃駅巡りをしながら一度だけ来たことがあるこちらの駅舎は、今は旅の宿として利用されている。だから、運賃表の中に“宿泊料金”も「惜鉄訪問証」もあったよ鉄道グッズも所狭しと並んでいる鉄電これは売り物じゃないよ時刻表駅舎の外に出ると……遮断器奥には腕木式信号機も。駅名標もこーいう電柱もなんだか好き道路脇には幟住宅の方にはサボが並んでいる。お、ネコちゃんあ、ココにも「ナデナデしてもいい」と聞くとコロンとお腹を見せてくれたよか
↑↑↑メッセージボードのメッセージを必ずお読みください。・・・・・・・・・・・・本日はJR北海道深名線廃止30年です。今から30年前の1995年(平成7年)9月3日が深名線の最終運行日でした。深名線には1991年に一度だけ乗車した事があります。その時の写真は「深名線廃止25年」だった2020年に、当時開設していたSNSアカウント(アメブロ等)で投稿しております。今回は追加の写真も合わせてご紹介したいと思います。(3枚とも)1991年(平成3年)1月1日
北海道幌加内町深名線沼牛駅跡8月31日に国道275号線を走っていて案内板を見かけたので行きました駅舎は当時の駅のようです?発車時刻表が駅名標もありました隣の「たかどまり」までは結構距離あると思います?線路は情報では去年引いたようですよ駅横ではこちらでも新そば祭りがやってましたまだお腹すいてないので次に向かいましたバイクや車でたくさんの方が来てましたJR北海道バス1日7往復のバスが運行してますが今後残るのでしょうか?って思いました
8月30日に旧深名線の天塩弥生駅跡に行ってきましたなぜ「天塩弥生駅跡」って言うと2015年に更地だった場所を買い昔駅舎風に建物を立てたようです実は後から知りました昔の駅だと言われても違和感ないですよね?鉄道関係の物もかなりありますこれは当時の発車時刻表でしょうか?昔駅でも不自然はないと思います当時の写真とかでしょうか?駅名標も縦型の駅名標踏切の?今は旅人の宿で営業されてるそうです鉄道関係のグッズもありました
幌加内そばまつりに合わせて、沼牛駅の一般開放。この時に坂本名人のおそばも食べることができるこれが楽しみなの駅舎の切符売り場だった所で食券を買う私たちは「ねむり雪そば」アップ艷やかで繊細なそば。まず、何をつけずに一口……おおっんまっわさびを塗って一口……これはすごくんまっ汁をつけて一口……ん〜超絶美味しい〜ちゃんと“そば湯”、薬味の“ミョウガ”もあるそば湯はアツアツ。フツー、薬味にミョウガってあんまり出てこないよね。なかなか珍しいそして美味しい。そば畑に佇む腕木式信号機……
幌加内のそばまつりに合わせて、深名線の元「沼牛駅」の一般開放もあったのここ数年は私の中で「そばまつり=沼牛駅開放」が定着している沼牛駅の駅舎は、そば職人“坂本さん”が中心に駅舎を守り続けている。真冬の雪下ろしや駅舎の補修など地道だけれど大切な保存活動がされていて、イベント時には一般に駅舎開放をしてくれる。今回もそばまつりには坂本さんのそばも食べることができる(それは次回のブログで)駅舎内見学のお願い当時の時刻表運賃表駅舎の外にはレール今回は新たにレールも敷かれていて、保線用ト
トムラウシ山に登り、芦別で目覚めたのは4時前。今日は利尻に向かう、稚内12時前の船に乗れれば良いだけ。オロロンラインも良いが、深名線訪ねたくそのまま北上。深川の外れで12日の日ノ出を迎え。深名線は何処かと探しながら走るが、農地に戻されたか藪化したか見当もつかない。鷹泊駅。よく残っていた。駅付近には農業倉庫、柔らかな朝。濃霧により線路跡はさっぱり判らず、走り続けると橋梁。第三雨竜川橋梁。まるで現役の様に佇み、私は撮って無いが30年には同好が居たのだろう。状
幌加内交流プラザ1階あります、幌加内そば雪月花へ場所は、前回の深名線の資料館の下の階になります。建物の玄関には積雪の看板、幌加内は、北海道でトップの豪雪地帯2018年に324センチも積もったみたい(^-^)こちらのそばは、茨城から移住したご夫婦が幌加内産のほろみのりを厳選して石臼で製粉して最初から最後まで蕎麦を打つ、すべてをこなす極少数派の蕎麦屋さんです。ご主人さんお話好きで、どこから?来たの~と聞かれて、函館ですと伝えると遠くから来たんだね~と言われ、わたしは、もっと遠くの茨
わたしの大好きな、2大廃線跡の深名線(しんめいせん)道北に来て時間があると遠回りになっても訪れたくなる路線幌加内町にあります旧国鉄、深名線跡へ幌加内町は〇の辺りになります。路線は、雑ですがこんな感じです。深名線は、深川市の深川駅~幌加内を通り日本最大の人造湖の朱鞠内湖を経由して名寄市の名寄駅まで、つないでいた路線で途中朱鞠内駅(しゅまりない)から日本海の羽幌町まで延伸する予定もありました。超絶赤字路線でしたが、あまりにも僻地すぎて長い年月廃止が保留されていましたが道路環境が整い1
「昭和・平成鉄道の時代」テレ朝チャンネル28月17日(日)#24「さようなら『あさかぜ』『出雲』」さくら、あさかぜ、出雲#25「新型車両デビュー(2)」カシオペア、小田急ロマンスカー#26「蒸気機関車の魅力(4)」横黒線、羽越本線、つばめ#27「田沢湖線の歴史」田沢湖線、生保内線、橋場線、秋田新幹線8月18日(月)特別編「鉄道博物館特集」#28「大宮工場特集(1)」#29「大宮工場特集(2)」8月19日(火)#30「新線の開通(2)」埼玉新都市交通ニュー
空知中央バス(外部リンク)は北海道中央バスのグループ会社で、滝川、深川を軸に路線バスを運行しています。平日限定で1日1往復半(3本)、しかもジェイ・アール北海道バス深名線と一部同じルートを走るレアな路線が運行中!路線の名前は多度志(たどし)線。深川市中心部にある深川市立病院前と、1995年9月4日に廃止された旧JR深名線多度志駅跡に最も近い場所にある多度志バス停を結んでいます。朝の多度志→深川市立病院前と昼の深川市立病院前→多度志→
キマロキ編成の見学を終えて北国博物館へ入ろうとしたところ、後方から踏切警報器の音が聞こえ始めました。慌てて駆け戻り、カメラを構えます。宗谷本線の特急列車がやって来ました。後で時刻表を調べた結果、時間的に特急サロベツだったようです。キハ261系0番台。北へと走って行く姿を見送り、北国博物館に入ります。常設展示への入館は有料ですが、エントランス横のギャラリーホールにて特別展「排雪列車キマロキ展示保存50年・深名線廃止30年記念展」が催
「昭和・平成鉄道の時代」4:00テレ朝チャンネル28月11日(月)#43「新型車両デビュー平成の新型を中心に」サンライズ、京成スカイライナー、東武リバティ#1「ブルートレイン(1)」さくら、富士、はやぶさ#2「ブルートレイン(2)」北斗星、北陸、能登#3「よみがえる鉄道風景(1)」松前線、湧網線、三木鉄道8月12日(火)#4「よみがえる鉄道風景(2)」黒石線、深名線、鹿島鉄道#5「新線の開通(1)」営団地下鉄・東西線、千代田線、つくばエクスプレス、横浜高速
深川から北上し目的地である朱鞠内へ向かう。深川市多度志付近から国道275号で幌加内方面へは、かつて「深名(しんめい)線」が走っていたルートである。深名線は、函館本線・深川と宗谷本線・名寄を結ぶ路線で、1922年(大正11年)着工。深川と朱鞠内まで「雨竜線(後に「幌加内線」改称)」とし、小刻みに北へと延伸していった。名寄のまでの全線開通は1941年(昭和16年)と長い年月をかけて建設されたものの、国鉄民営化後1995年(令和7年)に廃止された路線である。令和に入っての廃止は、自分
幌加内交流プラザから500m程離れた場所にある幌加内駅跡にやって来ました。幌加内駅は相対式ホーム2面2線の列車交換可能な駅だったそうです。駅舎は深名線の廃線後も集会所兼バス待合所として利用されていましたが、2000年に発生した火災によって焼失したそうです。残ったホームも道路工事のため撤去され、今では駅名標とモニュメントが残るのみです。ほとんど交通のない道路の間にポツンと存在しています。現役時代が偲ばれます。
今年の夏も鉄分をたっぷりと含んだ北海道旅行に行ってきました。例によって計画・予約は妻任せで感謝感謝。私は行程をナビに入れて運転するのみです。旭川空港でレンタカーを借り、空港近辺では取り締まりに注意して走り、60㎞離れた幌加内町へとやって来ました。まず訪れたのは幌加内交流プラザの中にある「JR深名線資料館」です。部屋の入り口正面ではかわいいジオラマがお出迎えしてくれます。入室記録帳によると本日一番乗り。この数日の記録によると、少ない日はたった一人の訪問、そ
平成7年廃線の深名線で使われていた閉そく機。このタイプはあまり見たことがない。こちらはいつもの。「だるまさん」です。
前回に引き続き「深名線」廃線跡巡りの報告。今回は後半の「(臨時)政和温泉駅」~深名線起点「深川駅」です。新たな北海道発見!深名線終点の「名寄駅」からスタートし、朱鞠内湖周辺の峠を越えて、幌加内町の盆地に入ってきました。予定のスケジュールは前回の「その1」で報告した政和駅から始めます。政和駅を14:50に出発し、14:55に「(臨時)政和温泉駅」に到着。【(臨時)政和温泉駅】国道275線から脇に入った細道の途中にあります。この辺りに駅があったよ
留萌本線の石狩沼田まで往復乗車後、深川駅でのスナップです。到着したホームから反対側を見ると深川18:10発のみ利用する6番線ホームこのホーム、間違えなくその昔、深名線が使用していたホームです。深名線、深川駅には何度も来ましたがついには結局乗ることが出来ませんでした。キハ54、いい感じです。同じ車両を前から。この列車が石狩沼田まで営業列車、復路は回送列車で戻ってきます。駅改札口から。以前はこの行き先案内がr増毛、留萌だけでなく羽幌や築別、そして幌延行き深名線で