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大阪城の天守閣の北側にある山里丸に「豊臣秀頼•淀殿ら自刃の地」という石碑がたてられています。でも、この石碑は平成9年3月に建てられています。天守閣の近くでありそうしたモニュメントを欲しがる人のために建てられたようです。史料を紐解くと、自刃の地は、山里丸ではなく、二の丸帯曲輪、糒櫓、千貫櫓等であり、史料で山里丸という根拠史料は見つからないようです。
蘭丸は静かに一礼した。私は二人の視線が交差するのを見届け、口を開いた。「信長公がいなくなった今、私にそれほどの力はない。すでに世は動き始めている。そなたもそう感じているであろう」私の言葉に利家は唇を噛んだ。「ただ私は真実が知りたい。そしてこの世を乱世なき世にしたいと願うておる」「姫様……」「利家殿。本能寺以来の一連の流れ……そなたはどう見ておる?長秀殿より多くを聞いたが、そなたの胸にもまた、思うところがあるのであろう。私はそなたの本心が知りたい」利家がわずかに息を呑んだ。その逡巡は
ヤフオクや正月セールとか富貴蘭がかなり売り出されていますが安く成りましたね⁉️私が棚入れした時には倍以上の値段で棚入れしていますので今考えると何やねん‼️と思ったりもします。それだけ富貴蘭と言う蘭を知っている人が少なく富貴蘭趣味者が増えないし年配の人ばかりで若い人がする趣味では無いような⁉️富貴蘭をやっている者としてはもっと趣味者が増えて欲しいですが・・・。一昨年、福岡の小川ガーデンさんに行った時に購入しましたがその時は柄も無く購入しました淀の松実生の淀君です。最近に成り柄が浮き上がって
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟』ということで、司馬遼太郎先生が豊臣家の人々をそれぞれ章立てして書いた『豊臣家の人々』を読みました。司馬遼太郎先生の筆で、秀長・正妻の北政所・淀君&秀頼・秀次・秀秋・秀家などそれぞれの人物像を知る1冊豊臣家の人々新装版(角川文庫)Amazon豊臣家の人々新装版(角川文庫)[司馬遼太郎]楽天内容・レビュー本書は9つの章立てで、それぞれで秀吉を中心とした豊臣家の人々の話が書かれています。構成は以下の通りです。第1話
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の歴史認識を照らし合わせたくてヒストリーチャンネルで放送されていたので観ました。淀君・秀頼親子を追い詰め、挑発して滅亡させた徳川家康と本多正信(ヒストリーチャンネルの『まんが日本史』より)内容について関ヶ原の勝利した徳川家康が天下人への道を固めるべく進んでいくのがこの41回の内容になります。織田信長&木下藤吉郎(羽柴秀吉)、羽柴秀吉&黒田官兵衛というように、徳川家康&本多正信というタッグで天下取りを進めて
名古屋に転居したので、関西、北陸方面が近くなり、行きやすくなった。今回は琵琶湖の北東地域に1泊2日の旅行をした。新幹線から冠雪した伊吹山が見えた。『長浜城』羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、浅井攻めの功により、今浜(長浜)の旧浅井領を信長より拝領しこの地に築城した。町の名前も信長の長の一字をもらい長浜とした。長浜市街地からは伊吹山(標高1,377m)がよく見える。百名山の一つで実際の標高より高い印象をうける。駅前で電動自転車を借りて小谷城址、姉川の合戦場などを観光する。
いい天気だった。なので、今日の休日も「歩く!」ことにした。今日は、今の職場のある前橋市で歩いて来た。過去には自分の店があったりもした場所の辺り…。日本全国に同様の伝説がたくさんあるかと思うが、前橋市には「静御前」と「淀君」の墓がある。「静御前」も「淀君」も前橋市で亡くなったという言い伝えなのだが、もちろん本当かどうかはわからない。とは言え、そんな言い伝えがずっと残っているということは、当時何かしらそれっぽい人が存在していたことはあったのかもしれない。でまあ、今日は前橋市の「静御
日本三大悪女と言えば、北条政子日野富子淀君の3人です。尼将軍北条政子Amazon(アマゾン)日野富子:政道の事、輔佐の力を合をこなひ給はん事(ミネルヴァ日本評伝選222)Amazon(アマゾン)淀君(講談社文庫)Amazon(アマゾン)男尊女卑の時代に成立した呼び方なのででしゃばりな女というイメージを付けられた人たちです。が、それだけではない。北条政子は、夫没後の政争に関与したと言われていま
名護屋城(一部大名陣屋含む)(Ⅲ)唐津市鎮西町名護屋今回は二の丸からスタートします二の丸・長屋跡同二の丸石垣の合坂二の丸石垣・合坂二の丸石垣と船手口同の舟手口二の丸、左が遊撃丸石垣本丸石垣、前方に天守台遊撃丸虎口遊撃丸遊撃丸から本丸天守台跡同水手曲輪への遊撃丸虎口遊撃丸石垣
久しぶりに軽井沢の「SAWAMURA」でモーニング何回もリピートしているので写真は撮らなかったので過去記事はこちら。軽井沢のモーニングは、とても楽しいのですがいかんせん、モーニングの後に行くところがありません食べ終わって9時前とかまだどこも開いていないなので、地元群馬に帰って前から気になっていた上野国淀君伝説のお寺に行ってみました淀君といえば、浅井長政とお市の方の間に産まれた3姉妹。茶々(淀君)、初(京極高次の正室)、江(徳川秀忠の正室)茶々こと淀君
天正17年(1589年)4月に淀君が豊臣秀頼の武運長久を祈願するために片桐且元大野修理之介が奉行となり大阪城築城の余材をもって本堂が建立されたとするが秀頼はまだ生まれておらず年代が合わないしかしこうした話から『淀君の寺』とも呼ばれているとの事🧐1958年(昭和33年)から始められた谷町筋の拡張工事のため敷地内の東部分約1800平方メートルが削られることとなりそのため本堂・大門・帝釈堂・庫裏は奈良市にある薬師寺に移築され🧐本堂は現在の慈恩殿となっているらしい
【食育クイズ:Vol.1877】「京都府」の「養源院」おさらいクイズ。血天井の霊魂を慰める為に描かれた「杉戸絵」の作者とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞北海道大豆100%大豆ミートミンチタイプ200gAmazon(アマゾン)コッチラボ【国産大豆100%】大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに(1㎏)Am
───はしめに🙏すっかりチャット君と仲好しです。しばらくはチャット君との「会話記事」が多くなりそうです。内容は、ややマニアックになるかも知れません(いや、完全にマニアックです)テーマに興味の無い方にとっては全く無用な記事と思われます。どうか「お付き合い&義務感」は無用ですので(ダメだな…)と思ったら遠慮なく退避して下さい。🌼🌸🌼🌸🌼🌸🌼🌸なお、今後このシリーズでは表記の簡略のため、jimのセリフは赤色文字で✒️チャット君のセリフは従来の黒文字で✒️表記しま
おはようございます。Lilyです。大阪で難波大社生國魂神社に行きました⛩️⛩生國魂神社|大阪府大阪市天王寺区-八百万の神大阪府大阪市天王寺区にある⛩生國魂神社の情報(投稿写真、催し物、地図と経路、最寄の駅、最寄のバス停)がご覧いただけます。yaokami.jp難波大社生國魂神社いくたまさんと呼ばれて親しまれている神社です。生國魂神社の創建は生國魂神社の社伝によると神武天皇が東征の時に石山碕に生島神、足島神を鎮め祀ったのが始まりとされている大阪でも古い神社だそうです。豊臣秀
最近見た虫教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう先週、ホタルを一匹だけ見つました…「虫の日・ムシの日」日付けは「む(6)し(4)」の語呂合わせですが、漫画家・手塚治虫氏らが設立した日本昆虫クラブが制定しました。広島市森林公園には昆虫館がありますが、いつか孫と行ってみよう…「蒸しパンの日」蒸しパンは蒸しケーキとも呼ばれる菓子をひとつですが、その起源は不明でただ焼いただけのものは1万年前にはメソポタミアやエジプトで食べられていたようです。そして地中海から欧州
今年4月、大阪城🏯に豊臣石垣館museumがオープンした徳川幕府が消し去った豊臣秀吉の大坂城地中の石垣展示館オープン豊臣秀吉が築いた大坂城は、「三国無双」•「日本一堅固」と称賛される豪壮華麗な城でした。しかし、秀吉の没後、大坂夏の陣で落城。その後徳川幕府は、大坂城の再築にあたり、豊臣家の権威を消し去るかのように、豊臣大坂城を大量の盛り土で地中に埋めてしまいました。今の大坂城の石垣や堀は、すべて徳川幕府による再築時のものです。豊臣期の石垣を地上で見ることはできません。(以上、豊臣石垣館パ
ちがうのよ~ヽ((◎д◎))ゝ↑↑↑そうじゃないのよ〜💦。・゚・(ノ∀`)・゚・。むしろ朝からめっちゃ怒ってるし某淀君に反射的に💢怒りが止まらんとよ〜悪口雑言1回=100円としたらもう700円はいっとるばいこの時間にこれじゃ1日で少なくとも2,100円超え!?ん?じゃあ1ヶ月で6,3000円1年で↓↓↓756,000円!!??ホント💦これじゃワルクチ言ったつもり貯金したが良いよねえ〜┐( ̄ヘ ̄)┌ちょ
宇治市淀君使え豪農家近隣大迷惑竹林伐採騒音です❗️金持ちでも迷惑わからないコモンセンス低い家柄ですね❗️Xドコモ遠隔操作繋がらない直らない〜なんにもしなくて凍結わからない❗️イイネボタン❗️コメント返し遅れます❗️午後もよろしくお願いします❗️
木下藤吉郎は、素晴らしい人物だった。天下を取った、豊臣秀吉は魅力がない。歳を取ると、悍馬も駄馬になる。秀吉は駄馬になった。YouTubeを観て下さい。https://youtu.be/HyeuhrXP1Rs高野山奥の院淀君に子供が生まれた、豊臣秀頼だ。跡取りが出来た秀吉は、甥の豊臣秀次を殺した。見栄も外聞もなく、後継者の秀次を殺した。高野山の金剛峯寺に、秀次切腹の間がある。秀頼が生まれた、秀次は殺された。理由は、どうとでもなる。京都の三条河原で、妻女33人が殺
\\メイクしながらスキンケア//山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥夢見た悠々自適ゆうゆうじてきの年金生活は、なぜか幽遊自虐ゆうゆうじぎゃくの年金生活にさま変わり‥だがしか~し転ころんでもただでは起きないのが団塊だんかい育ちのいじましさ!つかんだ節約せつやくテクニックを余すとこなくご披露いたしましょ~ぅこちらからどうぞ10月25日の拙ブログ「淀君は、ヘビースモーカーだった?!日本最初の女性
秀吉に捕らえられ三条河原で処刑されたはずの石川五右衛門だったが…。五右衛門を主人公とする雷蔵主演の「忍びの者」シリーズの最終作。*****煮える大釜に沈められた五右衛門(市川雷蔵)。処刑後、徳川家康に士官している服部半蔵(伊達三郎)は五右衛門が隠れている寺を訪れる。なんと、六角の辻でさらし首になったのは半蔵が用意した身代わりの別人だったのだ。半蔵は家康の意向を伝えようとするのだったが、五右衛門は太閤となった秀吉を一人でゆっくりと攻めていくのだと言う。盗んだ大金をそのまま無縁仏に寄進する盗人
淀君ヨダレを垂らして寝るなんて、漫画の世界だけだと思っていた。最近じゃあ当たり前のように垂れ流しだ。加齢かな~yes!加齢じゃな~いyes!老いかな~yes!老いじゃな~いうとうと~するたび~ヨダレが漏れるぅ~そぉ~んな年頃ね(ヨダレをヨドというのは、ここの方言みたいです。)
秀次事件で謹慎となっていた時に、三成が私の所へ来て"秀次に利用されたのでしょう。お可哀想に。これからは自分がお拾様(息子)とお方様を御守りいたしますので御安心ください。"と、言ってきました。色々と話を聞いているうちに、『そうなんだ…全て嘘だったんだ。いつから秀次様に利用されていたのかな…。』と、更に傷つきました。その後も度々…三成に何度も諭されていくうちに少しずつ秀次様に対して見方が変わり自分が愚かだったんだと思うようになりました。現代では、"三成が秀吉の後に、のし上ろうと
犬山市には天下の名城、国宝犬山城がある。崖の上にある、敵は攻めがたい。また見晴らしがいい、崖下は木曽川が悠々と流れる。美濃方面丸見え。戦国の雄は、この城を我がもんとしようと争った。秀吉は要衝を抑えた。この町名物の、犬山城戦国武将物語の甲冑武者行列を秋にやる。城下町から犬山城に向けて、約300人超えの仮装が古い町並みに繰り出す。小牧長久手の合戦を広場で再現する。秀吉と家康の知恵くらべ、秀吉は不覚を。かたや家康は名をはせる事が出来た。地歩をますます固める契機となった。硬い話はこ
\\メイクしながらスキンケア//山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥夢見た悠々自適ゆうゆうじてきの年金生活は、なぜか幽遊自虐ゆうゆうじぎゃくの年金生活にさま変わり‥だがしか~し転ころんでもただでは起きないのが団塊だんかい育ちのいじましさ!つかんだ節約せつやくテクニックを余すとこなくご披露いたしましょ~ぅこちらからどうぞ日本における喫煙文化は、安土桃山から江戸時代に急速に広まりましたが、日本女
今日は京都三大祭の最後を飾る時代祭が行われたのですが、今年も多くの芸妓さんや舞妓さんが歴史上の人物に扮して、行列に参加されました。中でも、一番の華は、芸妓さん扮する巴御前です。白馬に跨がる姿がとても凛々しくて素敵でした😊👘巴御前静御前紀貫之の女「横笛」カメラ目線を頂きました。ありがとうございます😄清少納言と紫式部常盤御前淀君
先日の鴨川には網打の方がいました何が捕れるのかしら?鮎?鯉?さて、世間というのは、なかなか面白いもので、先日のフランスオリンピックにても冤罪でギロチンにかけられ殺されたマリー・アントワネットが自分の首を持っている過激な演出がありました。(画像お借りしました)(画像お借りしました)-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.behttps://yo
メモ。島津家の協力を得て秀頼母子を琉球国へ脱出させるくだりがある・・・狸親仁って😂成功からの次作のこのノリわかる気がする(笑)
2人が義龍の謀略によって惨殺された事はすぐさま道三の耳に入ったが、道三自身、にわかには信じられぬことであった。道三は義龍を我が子と思って育ててきた。世間の噂はあってもそんな事に流されなかった。しかしここに至って、疑いのある物は始末しておくべきだったと死ぬほど後悔した。実の子であってもいつ敵味方になるかも分からぬ時代である。ましてや自分が打った人間の子であるかもしれぬという疑いがあるのなら、いつ刃を向けて来るか分からぬ、そのくらいのことを予想しなかった愚かさに今さらながら自分の甘さを痛感したが時
この時代、結婚しているにも関わらず戦局やその時の情勢の都合である日突然、本人の意思など全く無視して女子は離縁させられ、別の殿方に嫁がさられるなんて当たり前のようにあったのだ。それが武家の女子なら尚の事である。深芳野様だって頼芸公の元で健やかに暮されていたのに突然、道三の元に払い下げられたようなもの。道三の元に来る前日までは頼芸公のご愛妾だったのだ、日を違えずして褥(しとね)を共にしていたらどっちの子だかなんて女にだって分からぬというものだ。女は本能で分かるなんて誰が言ったのか。分かる人もいるのだ