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令和7年11月24日(月・振休)成相寺から籠神社へ向かう。09:18成相寺を出発し下山する。↓09:25籠神社に到着する。成相寺は成相山の中腹に、籠神社は麓(天橋立の西の端)に位置する。籠神社は、笠松公園へ上がるリフト・ケーブル乗り場の直ぐ横にある神社で丹後一宮元伊勢と呼ばれている。〈籠神社〉一の鳥居。石畳の参道で整備されている。籠神社駐車場。手前にリフト・ケーブル乗り場の駐車場があるが、その先の鳥居の手前に籠神社の駐車場に入る入口がある。駐車場からの参道。手水舎。
ご訪問ありがとうございます。謎多き神様「ニギハヤヒ」について、大神神社、籠神社と古社に伝わるニギハヤヒと関連のある社伝等を紹介しておりますが、今回紹介するのは「石上(いそのかみ)神宮」です。石上神宮は、ニギハヤヒの剣である「布留御魂」を祀る旧官幣大社(かんぺいたいしゃ)です。先に「官幣大社」というものについて、簡単にご説明しておきますね。「官幣大社」とは、明治時代から戦前までの日本に存在した国家による神社の社格制度の中で、特に重要とされた神社の一つだと思ってく
絹巻神社但馬国城崎郡兵庫県豊岡市気比字絹巻2585-1(一の鳥居がある道路向かいに社務所と駐車場有り)■延喜式神名帳海神社名神大の比定社■旧社格村社■祭神天火明命[配祀]海部直命(アマノアタイノミコト)天衣織女命(アマノエオリメノミコト)*神名訓みは兵庫県神社庁による豊岡市の北端、「円山川」河口近く東岸に鎮座する社。「但馬五社明神」(小田井縣神社・出石神社・粟鹿神社・養父神社・当社)の一社。背後の岩山である「絹巻山」(標高62.5m)を御神体としているかと思われま
ご訪問ありがとうございます。『古史古伝と古社から読み解くニギハヤヒの履歴その1』ご訪問ありがとうございます。前回は、先代旧事本紀に記されているニギハヤヒの事績の一部についてご紹介しました『ニギハヤヒの実績をめぐる日本最古の歴史書「先代…ameblo.jp『古社から読み解くニギハヤヒの履歴(大神神社)その2』ご訪問ありがとうございます。どうも地震以降、体調を壊される人がすごく多くて、今は再びコロナ感染が拡大しており、私も仕事が大忙しです。雨季だということもあり…ameb
『正倉院THESHOW』で、1300年前の楽器の音に出会ってから、『正倉院THESHOW④1300年も前の楽器の音色で光溢れるラブソングを♡』✨✨正倉院THESHOW✨✨現代アーティストが正倉院からインスピレーションを受けて手がけた新作もお披露目されていました。その一つに、音楽プロデューサー・ベ…ameblo.jp音について思いを巡らせていたら、FBで、ドンピシャな神様と神社を紹介されてるのを、見つけました😆まあ、なんと‼️インドからやって来られた弁財天さまではなく、日本
与謝野町立古墳公園②続いて公園内の古墳見学今回の丹後旅行で訪れた『日本海三大古墳』最後は蛭子山古墳です後円部から登ります◎日本海三大古墳※大きさ順網野銚子山古墳京丹後市網野町網野神明山古墳京丹後市丹後町宮蛭子山古墳与謝郡与謝野町加悦(かや)解説板墳丘は3段築成墳頂◎蛭子山古墳・加悦谷の東縁部の丘陵上に築造された、丹後で最初の大型前方後円墳・築造時期は4世紀中頃。・墳長145m。・九州系の舟形石棺で、石は加悦谷産の花崗岩。
小野龍海’s歴史塾このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。ono-no-tatsumi.amebaownd.comこの前イエス・キリストの特定をした記事にあったコメントで「邇芸速日命」にイエス・キリストを感じるというものを頂いたが事がありました、私は神武東征の時の邇芸速日命をイメージしているので、そのままの印象でコメントを返したのですが、後で邇芸速日命の情報を読むと、どうやら一般的には二人の事を邇芸速日命と書いているようなんです。↑wiki上
[丹後国加佐郡]九重神社(舞鶴市万願寺)(*現在記事改定作業中、リンクには飛びません)◆丹後の原像【92.「九社明神」「九会神事」】【丹後の原像】シリーズは「丹後史料叢書」の現代語訳を中断し、「古代海部氏の系図」を行っていますが…その「古代海部氏の系図」を中断し、「豊受大神にじわりと」を行っていますが…それをまた中断し新たな記事を。ややこしいな(笑)いつかはやらねば…と思っていたもの。今回のみの単発記事です。*現在、九重神社(舞鶴市万願寺)と山崎神社の記事は改定作業中。リ
日本人にとって最も大切な女王HIMIKOヒミコ「邪馬台国の卑弥呼」と習ったが...真実は、奈良にあったヤマト国の女王(日女命)ヒミコ太陽神と繋がる祭祀王である海部氏の家系図に「日女命」という名で登場するヒミコ平安京を築いた秦氏は、古代ユダヤ人である。秦氏でも、祭祀を行なう特別な一族が物部氏。物部氏の中でも、祭祀の最高位(大祭司)コーエンを継承する海部氏。←ヒミコの家系である。一般的に、彼女は「巫女」と言われるが....そんなもんじゃ
https://ono-no-tatsumi.amebaownd.com/小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.comクナト王こと「天鳥船命」の系譜について、「武部(もののべ)」の考察を行った事で見えてきた景色があります。まずはコチラを、神皇記の記述から「武部(もののべ)」と読むことを知り、その系譜が物部になっ
今朝、何氣にりまりまさんのブログを読んでたのね。そしたら……真名井神社令和5年4月28日参拝の記録、とあって、今日はブログお休みにするはずだったけれど、早朝に書いて、急遽、記事を更新する事にした。あまりにも書きたくなったので。だから予定変更して、明日、ブログをお休みします。ご了承下さい。写真はお借りしました。記事をずーっと下へスクロールしたら、上の石碑の写真↑があったのね。で、りまりまさんが、【この形、この文字気になるわ
念願の丹後一の宮籠神社(このじんじゃ)に参ります。宿の朝食をちょっと早めてもらって出発です。宿から約2分。右には第一の鳥居。左の山頂には傘松公園のリフト&ケーブル駅が見えます。「下乗」境内に車馬乗り入れ禁止の印。殿様であろうともね。右に與佐宮阯丹後一ノ宮、左に元伊勢大神宮籠之宮の御柱。端っこを歩きます。中程に御百度石がある。右側に由緒記があります。続いてさざれ石の記平成二十年記、丹波国造八十二代元伊勢籠神社宮司海部○○とあります。とある書に2
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【89.古代海部氏の系図~9】前回の記事に於いて、国宝指定されている「海部氏系図」(本系図)は、まったくの偽系図であり信用し得る箇所が一辺も存在しない…そのような宝賀寿男氏による、完全排除の説を載せました。理由は理路整然としたものが多数掲げられており、判然としたものばかり。当ブログに於いてはこの説を支持していくことにします。今回の記事では、もう一方の「勘注系図」についての記事となります。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過
ご訪問ありがとうございます。前回は、浦嶋子(浦島太郎)は、古代出雲一族と初期大和王朝の王であるニギハヤヒの血がが交わった「海部族」の末裔であるという伝承についてお話をしましたでは、前回、新たに出て来た伝承の「浦嶋子は海部族の末裔」だとすると、以前にお伝えした「海幸彦=浦嶋子」という話とはどう繋がるのか?という新たな疑問が出てきました。以前、私は、シャーマンの間の口伝では「海幸彦は、浦嶋子なんじゃないか?」という推測があるとお伝えしました。以前
「部」意味①わける。また、分けたものの一つ一つ。「部品」「部分」「一部」②すべる。統率する。③組織上の区分。くみ。「部署」「部員」「本部」④集落。むれ。「部族」⑤つかさ。役所。「工部」⑥新聞や書物などの分量や冊数。「部数」「大部」「忌部」とは、古代よりヤマト王権の宮廷祭祀・祭具製作・宮殿造営を掌った名門氏族。「忌部」は穢れを忌む集団という意味。「忌」は、慎みをもって神事で穢れを取り去り、身を清めることをいう。阿波を開拓した忌部氏は、ヤマト政権の設立直前の3~4世紀に
☆「尾張氏」(古代氏族の研究⑫)宝賀寿男遂にこの時が来たのかな?「尾張氏」について腰を据えて考える時が。そんな思いに駆られ急いで本書を購入。一気に読了してしまった。丹後の海部氏を探るという自身の大きな主題を抱え、それに取り組まなければならんという大きな壁に立ち向かうに当たり…その前に一般的に同族とされる尾張氏を踏まえておかねばなるまい…と。[尾張国]熱田神宮今春、ようやく尾張を訪れアクシデントに見舞われ途中断念するも主要社の一部の再拝が叶いました。記事を起こす上で尾張
矢田神社(京丹後市久美浜町海士)(やだじんじゃ)丹後国熊野郡京都府京丹後市久美浜町海士(登記は番地に鍵が掛けられ不明)(P有、ただし通行要注意)■延喜式神名帳矢田神社の論社■旧社格村社■祭神建田背命[配祀]和田津見命武諸隅命「川上谷川」河口部の東岸、久美浜町「海士(あま)」集落の外れの丘陵内に鎮座する社。「海士」は「海部」とも表記され、海部氏がかつて拠点とした地。後に與謝郡府中郷へ移り籠神社を創建しています。◎「丹後舊事記」によると、創祀は垂仁天皇の御代に川上摩
[丹後国熊野郡]矢田神社(京丹後市久美浜町海士)*既に多くの「いいね」を頂いていますが、大幅に改定を施すため改定記事として再UPします。■表記「勘注系図」…建田勢命「先代旧事本紀」…建田背命「丹後舊事記」…神服連海部直(カムハトリノムラジアマベノアタヒ)*海部直、海部直命と表記されることも多い■概要彦火明命の六世孫。海部直・丹波国造・但馬国造・神服連などの祖。初代「丹後国王」とも言われる建諸隅命(由碁理)の父。◎「勘注系図」には以下のように記されています。━━大
海部氏系図・海部氏勘注系図は、京都府宮津市の籠神社に伝わる日本最古の系図の一つです。国宝に指定されています。始祖・天火明命から第34世までの子孫が記されています。海部氏系図・海部氏勘注系図を見て驚かされるのは、系図に記された子孫の中に、何人もの天皇が存在する事です。初期の大和朝廷は天皇家(神武系)と海部氏(天火明系)の連合政権で、海部氏は皇位継承権を持ち海部氏から多くの天皇が出ている事が分かります。始祖・天火明天命(饒速日命)1世・天香語山命2世・天村雲命3世・倭宿祢命4
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【87.古代海部氏の系図~8】いよいよというか…ようやくというか…本題に進みます。たかだか130ページ余りの書にここまで50ページほどが割かれ本題は薄っぺらいな…。これまで気楽に記事を起こしてましたがここからはそうもいかん。しっかり取り組んで参ります。…その前に!やらねばアカンことがあるんや!今回は少々長い記事となります。最後までお付き合い頂ける方がおられましたらさいわいです。~*~*~*~*~*~*~*~*~*
J-POP呪術大戦:その7番外編「歌は世につれ世は歌につれ」。大和の言葉で奏でる歌は呪術である。よって、J-POPも呪術となる。そこには歌の呪術師、言葉と音の魔術師たちが存在する。※本連載に登場する人物名は本物ですが、書かれている内容は筆者の妄想です(笑)。ファンの方は真剣に取り合わないでください。「J-POP呪術大戦」という勝手な不定期ブログを始めてみたが、やはり「呪術」レベルの歌唱ができるシンガーは少なく、そうした楽曲を生み出せるアーティストも年々減っている。日本の音
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【86.古代海部氏の系図~7】本題の系図へと進める前の最後の記事。但馬国の古墳時代の様子を見ていきます。丹後国とは関係無い?いやいやいや~大いに関係があるのです。海部氏の当主、天火明命六世の建田勢命(海部直命)は北但馬を拠点にしていたのです。但馬国を知らずして丹後国は語られない!また内陸の出石地方は天日槍神が拠点としていた地。両者の関係を探る必要があります。まだあまり訪れることができていない地域ですが、知識を深めて、いずれ訪
結局、週末の那覇・与那国は取りやめにしました。連れが地震と津波に完全にビビって、キャンセルとなりました(涙)JALの呪いだwwwww気を取り直して仕切り直し!ちょうどその日に面白い本を見つけてですね。これ↓を読んでからのほうが、与那国訪問がより有意義なものになりそう。ちょっと気になっている本。与那国の海底遺跡のことが書いてある本です。縄文リアルタイムスリップ蘇る海洋神殿ペトログリフ(古代岩刻文様)・イワクラ(巨石文化)・ピラミッド(古代山岳祭祀遺跡)Amazon(アマゾ
「人生」!(261)★自民党の腐敗政治をどのようにするか?答えはナッシングだろうな!選挙システムを変えることが一番だがとてもとても多数を占める与党が変えようとはしないだろう。お先真っ暗とりあえず比例復活ぐらいは廃止せよ!◆籠神社海部氏が祝部を務める籠神社には昭和62年に公開されるまで秘蔵されていた二枚の銅鏡がある。*一枚は「息津鏡:径17,5cm後漢の内行花文鏡」*もう一枚は「辺津鏡:径9,5cm前漢の蓮孤文昭明鏡」がある。しかし海部氏には鏡作や石作
熱田神宮■表記紀…尾張大海媛(オワリオオアマヒメ)記…意富阿麻比売(オオアマヒメ)「先代旧事本紀」の「天孫本紀」尾張氏系譜…葛木高名姫命*紀の一書の遠津年魚眼眼妙媛(トオツアユメメクワシヒメ)と同神か*「海部氏系図」の大倭姫と同神か■概要記に記される尾張連(後の尾張宿禰)の祖。また崇神天皇の妃の一人(神)。当記事ではごく簡単な「尾張氏」考を含めて記します。◎尾張氏は族名通りに尾張国を拠点とした氏族。かつて熱田神宮の社家を歴任していたことでも知られます。始祖は天孫天
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【83.古代海部氏の系図~4】前回の記事の冒頭の恒例の余談で、肝心の系図は一体いつになったら始まるのか…について、「次回から」などと書いておりました。ウソ付きでした。まだもうしばらく先になります。丹後の主な遺跡を旧石器時代、縄文時代と紹介しました。続いて弥生時代、古墳時代と紹介せねばなりません。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事『◆【丹後の原像】過去記事一覧』新井崎神社の鳥居越しに仰ぐ「冠島」「沓島」これま
私のブログを読まれる人の中には小野氏・和邇氏など同族筋の方も多くおられる感じがいたします。しかしチグハグな感じもあり、同族の元が何であるか混乱されている様子も見受けられます。なので今回は「大山祇ファミリー」としてご紹介したいと思います。大山祇ファミリーという表現もかなり重要な意味があります。まずはコレを、これは私が本に載せる為に作った図ですが、一番分かりやすいと思います。初代の大山祇サクラウチを頂点として描いていますが、本当はオモタル・カシコネの娘が
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【82.古代海部氏の系図~3】前回の記事の最後に次回予告的な文面で、「精査して取り上げるかどうかを考えてみます」としていました。結果、取り上げることにします。これまで丹後について多くのことを書いてきました。それらと重複するということ。また著者の金久与一氏の見解とは、隔たる箇所が多くあること(発刊後の考古学成果は多くありますが)。このような理由で躊躇っていましたが、ここらで古代丹後というものの簡単なおさらいもしておこうかと。参拝を控
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【81.古代海部氏の系図~2】前回の記事にて、それまで行ってきた「丹後叢書」の現代語訳を一時中止し、「古代海部氏の系図」という著書を元に新しい題材を行っていくという旨を綴りました。そして序章として、この題材を始める経緯や、「海部氏系図」の概要等について触れました。今回はその第2回目。ゆるゆると本題へと向かいます。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事『◆【丹後の原像】過去記事一覧』新井崎神社の鳥居越しに仰ぐ「冠島」「
弘法大師「空海」と真言密教の謎その3空海の母の家系である「阿刀氏」は饒速日命を遠祖とする物部氏と同祖で、祭祀に長じていた阿刀氏のルーツは、古代イスラエルの祭祀支族「レビ族」の可能性が高く、それは物部氏の中でも祭祀を司どった王族たる「海部氏」のこととした。なぜ「海部氏」なのか。それは、空海が愛したとされる女性が「眞名井御前」(まないごぜん)だからである。「眞名井御前」は、丹後一宮の元伊勢「籠神社」(このじんじゃ)の神官「海部氏」の娘で、幼名は厳子(いずこ)といい、10歳のときに京