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昨日は早朝のトンバラへ。昨年亡くなった島の友人を弔うために。サバニで向かった男衆を見守る。小さな舟で大きな海へ。陽が昇り、朝が来る。新しい1日のはじまり。こちら側へ戻って来るサバニ。小さいけれど、たくましいなぁと思いました。生きていることを感じる朝でした。おかえりなさい。
友達と会う約束をするのに連絡をしたらご両親の老いや入退院で多忙とのこと・・80代ですからみなさま色々あるのよねご訪問ありがとうございます♪アラフォーで未亡人になり子育ても終了恋愛→恋活→婚活とパートナー探しの旅の途中です。(今、交際中の方がいます。)暮らしのアレコレは公開主に婚活について限定で書いてます。アメンバー申請は条件を読んでメッセージをください。全員を承認はしておりません。よろしくお願いします。気軽にコメントいただけると励みになります。8月のママ
「私は海に流してもらうんだ」そう言った私に、それが良いな、と言った兄。「じゃあ調べておくね」と言った私。いつからだったか、兄の膵臓癌がわかってから時々話題にしていたことです。昨年秋に友人が良かったという海洋葬の会社を教えてくれたのだけど、実際のところ、まだまだ先と思っていました。亡くなってすぐ葬儀をどうするか決めなくてはならなくて、他の兄弟に兄が海洋葬を望んでいたことを話しました。兄が望んだのならと海洋葬にすることになったのですが、実家のお墓にも入れてお参
今日は業者が来て、生前母のためにつけた手すりを外してもらいました。電動ドリルをもっているので、父は自分であちこちに取り付けした棚板をついでに外してもらおうとしています。「片付け屋さんがやってくれるから」でも業者の方、気持ちよく外してくれました。埃かぶっていた申し訳ないそのあとは片付け屋さんです。きれいな若い方で驚きました昨日役場で、アンテナの取り外しの事を言われました。「入居後につけたのなら外して下さい」「あー、そうですか」横から父が「俺がつけたんだ!」余計な口出し
2月25日ツツゴーの日この日は父の命日だった。ベイスターズファンだけに覚えやすい日でありがたい。生前、母が父を口説き落とし墓終いをしたので、両親と墓に入っていた父方の祖父母は皆、今は海に眠っている。おかげでわざわざ鹿児島まで墓参りに行ったり、寺にお布施を払ったりする必要がなく、命日やお彼岸はどこかの海に行けば良くなった。用事もあったから今回は桜木町の海へ。全く墓参りのような風情はない。海を見て故人を思うだけ。いつでも会いに行けるのが海洋葬の良いところ。最後に母がしてくれた子ども
うちの実家は鹿児島で、子どもは4人とも県外で暮らしている。そんな事情もあり母が生前、父を説得して海洋葬にしてもらうことになった。同時に墓じまいも。2022年に父が他界し、祖父母(父父と母父)と一緒に粉骨し、海に流してもらいました。そして母も今年の5月に愛犬のお骨と一緒に海へ行きました。流した場所は東経〇〇度、北緯〇〇度と教えてくれます。そのおおよその場所を調べて行ってみました。その場所は桜島の少し沖でした。道路と海岸線が少し離れていたので、車を路肩に停めて歩道を海に向かって歩きまし
こんにちは。スタジオRSTのTakuです。また新宿都庁ピアノで演奏してきました。これで3回目になり、少しづつ慣れてきたような気がします。さて、今回の曲は「千の風になって」です。この曲と言えば「葬儀の曲」と思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。同じく私たちも数年前に大切な人とお別れした際に、流れた曲です。もちろん、曲の存在は知っていましたが、あの悲しみの中で聴いた印象が強く、それ以降、この曲を聴くと当時の想い出が蘇ります。昨今、葬儀のカタチも様々になり海洋葬、樹木葬、宇宙葬が
長男の夏休みが今週で終わりなのでお盆も終わりのほうなら渋滞も大丈夫かとお参りに行ってきました海に遊びに行った時は手を合わせてたけど海洋葬の場所へ行くのは14年目も経ってしまった長男が免許を取ったので交代で運転で海の方は道も細くて緊張したようでコンビニで私に運転交代港に着くと当時を思い出す2歳と4歳だった仲間達と連れ立って子供達の事を見てもらってた海に手を合わせお昼ご飯に入った店は14年前に入ったお店だった3人で美味しい物を食べて思い出ひとつ、
先日、ひょんなことから松島海岸に行くことになり娘と孫2人と一緒に電車に乗りました。私は、ちょっと忘れていましたが娘のほうが覚えていたんですね。松島が私の「海洋葬」の場所ということを…『「海洋葬」と決めてます。』私は、義実家のお墓に入らずに海洋葬にする…と決めています。私にとっては「そのほうが自然だから」です。東北であれば松島海岸でできるそうです。松島海岸は家族との思…ameblo.jp久々に行った松島海岸は6月の平日だったこともあり観光客は多くありませんでした。その代わり
私は、義実家のお墓に入らずに海洋葬にする…と決めています。私にとっては「そのほうが自然だから」です。東北であれば松島でできるそうです。松島海岸には家族との思い出もあるし教師時代の修学旅行で何度も訪れている場所…私にとってはご縁のある場所なのでバッチリだな!と思っています。エンディングノートにも書いて娘や息子たちに伝えたらものすごくスッキリしたんですよね!今の時点では少数派かもしれませんが「お墓に入る」という常識を手放せると知っておくだけでも人生の自由度は
2月15日(木)晴暑い博多天神🍜600円也旨い😋コロナ禍前は400円だった❗️替え玉一回無料🆓半玉お代わりしたかったけれど、時間が押していて…午後から仕事仲間との勉強会に参加🗒️5時からノミホ打ち上げ🍻なのになのに…ご近所さんのお通夜に行かねば😹ノミホ、気合い入れていたんだけど😅コロナ禍中は「家族葬」「直葬」が多かったけれど、コロナ禍が明けると少しずつ戻ってきていて…因みに、無宗教の私は「直葬」か「海洋葬」希望。最期の願いとしては、葉山裕次郎灯台ルートの「海
おはようございます。12月26日本日お誕生日の方おめでとうございます少し前に「深海葬」なるものがあると聞きググってみました。深海葬|MONDIAL.TOKYOmondial.tokyoご遺骨をパウダー状(粉骨)にして、天然素材のクリオネ型骨壺“クリオール”で駿河湾の海底2,000mに安置する埋葬サービスです。骨壺は天然素材でできていてクリオネ型、くるくる回って海の底に沈んでいくということ。そのまま骨壺も溶けて自然に帰るということです。広く言えば「散骨」、「
こんな小さな何かが入ってた多分プリンポトスを差していた緑色に白が混じっている小さな葉っぱいつ差したのか忘れていた棚の上に生命力水と空気で生きてる?外でも中でもなかなか元気でつよいなえらいな白と緑のまだらに惹かれ確かJAで買った今は節約モードだから家には来なかったかも自然のデザイン凄い私ももうすぐ土に戻るといや海洋葬を希望してたんだった先輩だね葉っぱも各々終わる。何気なさに気付いたのは夜アルコールもまわっていたからパソコンはSurf
ねこ達の遺骨寂しくて手元から離せなかったずっと棚に並べてボーッと見つめたり祈ったり過去に囚われて「ごめんなさい」から「ありがとう」を行ったり来たり2023年5月やっと住職さんにお願いしてこの部屋でお経をあげていただきみんなの遺骨の一部を一つの骨壷に納めてあとの遺骨は後日、パウダー加工して海洋葬にしてもらった私はずっと自分の部屋で海に向かって手を合わせることしかできなかったお空に還すのがおそくなってごめんね少しそばまで行ってみたけどあと
死んだあとの話8遺体人が亡くなると、その身体のことをーーー、遺体(いたい)と言うことになっています。この場合「遺」という、この文字を調べないとね。【遺】1.忘れる。とり失う。遺棄・遺賢・遺失物2.おきざりにする。死後に残す。残る。遺愛・遺戒(いかい)(ゆいかい)・遺骸(いがい)・遺稿・遺訓・遺言(いごん)(ゆいごん)・遺志・遺骨・遺産・遺児・遺書・遺族・遺伝・遺徳・遺風・遺物・遺留」ふ〜ーーん、漢字は実によく出来てる!この場合の「遺」の意味は、当
お墓を考えるこんにちは。築45年超えの都営住宅に息子と二人で暮らしているシングルマザーの、みきですタイトル通りの内容です。我が家は、現在お墓がありません。父は既に他界していますが、海外にお墓があります。なので、母のお墓は現在ないのです。以前はお墓は建てた方が良いと思っていましたが、今は少し悩んでいます。お墓をたてた後の管理問題です。今現在、私の住まいと母の住まいは電車で2時間程離れています。私は都内在住、母は県在住。母の住んでいる県に私は住んだことが
Facebookに流れてくる気になってた広告を頼りにずっとウチに置いてあったちっちとサリーとお別れをすることに犬の骨🦴をそのまんま海に流したり、砂浜に埋めたりしたら何かの間違いで出てきた時に事件になりそうだからパウダー状に細かくしてそれをお散歩コースにちょっこりまいて「さよなら」しようかと10gは別にとっておいてもらって自分が死んだ時に棺に入れて欲しいから小瓶に骨パウダーを取り分けることにあの子達が子犬だった頃、初めてお散歩を覚えた辻堂海岸、私が好きでよく通っ
生きているマッコウクジラ映像だが初めて見た。子どもの頃図鑑にダイオウイカとの格闘の場面が載せられていてワクワクした。海の中ではこんなことが起きているのか!!そのマッコウクジラが大阪湾に迷い込んだ。どうしてそうなったのかも分からなかったが潮を吹くマッコウクジラの姿をテレビの画面で見て子どもの頃図鑑で見た以上にワクワクした。それが数日経って死んでしまったという悲報。たまらない異臭が漂ったという。そして今日海に帰された。見ていたら切なくなった。生きとし生けるものい
昔があるから前川清本人歌唱歌詞付きyoutu.be良いことばかりではなかったが昔があるから今日を生きられると考えるようになってきた寒い風よありがとう辛い昔よありがとうという歌詞をいいなぁと思えるようになったあと32年(たぶん)の人生をザ・テンプターズTheTempters/今日を生きようLet'slivefortoday(1967年)ザ・テンプターズTheTempters/①今日を生きよう(1967年10月25日発売)ソロ:萩原健一作詞・
雲ひとつなく晴れましたね☀️気持ちも晴れ晴れ😀と、言い切れないのは、夫が昨日に続き今日も有給で家に居るからかもしれません😅今か今かと連絡を待っていた、伯母の遺産金振り込み手続き完了の連絡。予定では今週中だったのに、手間取っていて今暫く時間を要すると行政書士からメールが来ました😮💨一体、何にそんなに時間が掛かるのか🤔❓と、追求したい気持ちをグッと堪え、相続人にメールで進捗状況を報告。でも、良いこと(普通なら当たり前のこと?)もありました🤗亡くなった父の戸籍取得が完了したので、遺産
昨日、ようやく父の入院費(6月の教育入院〜亡くなった9/18まで)を診療所に支払いました。まとめての支払いで良いと言われていたのですが、亡くなった9/18から1ヶ月以上経過した10/25に9月分の会計明細が届いたのです😮💨遅ッ血糖値を測る小さな医療器具は、病院からお借りしてる物の筈とケアマネージャーから言われ、確認の上、それも返して来ました😌ところが、病室内に父のステッキが残されていたようで(ヘルパーさんに渡された荷物のなかには無かった💦)自宅に持ち帰り、早速、粗大ごみの申込み。父の持
先日、3月に亡くなった、私の父を海洋葬にて送りました。海洋葬ってあまり聞きなれない言葉ですよね。まぁいわゆる海への散骨です。散骨って、花咲か爺さんよろしく、灰をまき散らす海に向かって遺骨を撒くみたいなイメージですが、実際は違います。まず、お骨をパウダー状にしてもらいます。ほとんどの海洋葬の会社でやってくれます。そして、それを水に溶ける紙で作られた袋に入れます。なんと、Amazonで売ってました。水溶性紙袋/海洋散骨/樹木葬に。サイズ(22cm×19.8cm)
3月に同居の私の父が亡くなりました。トラタの中学受験と父の手術や入院が重なり、本当に忙しく、精神的にキツイ冬でした。術後せん妄状態になり、常に朦朧としていたような父。ただ、トラタが志望校に合格したことは伝えることができました。多分父の心に届いたと思います。孫が双子だったこともあり、父は娘である私よりも双子はいっぱい抱っこした!と言えるほど、育児に参加してました。息子がいなかった父にとって、孫が男の子だったことはとってもうれしくて、トラタ&トラジの将来をとても楽しみにして
SOKAの墓所をどうするかが最近の課題だった。17年前に亡くなった母の遺骨と郷里の墓から移した父の遺骨がここに入っている。その後、私は脱会。先日、死去した弟もここには入っていないし、私も入る気はない。さて、この墓所をどうするか?母の遺骨を埋蔵した時「使用者の私には承継者がいないが、将来どうしたらいいか」と墓地公園事務局に尋ねた。返事は「貴女が死去した後は『墓所使用許可書』を事務局で保管するのでこちらに送って下さい」との事だった。私は海が好きなので、身内の者に「直葬で海洋
おはようございます。今日もスタバにて朝活中のトラミです。新入りのミニたんじろちゃんも一緒ですミニ煉獄さんも嬉しそうお盆中なのでお墓の話でも。昨日の夜、NHKのテレビ番組「ドキュメント72時時間」は、放送10年を記念して、視聴者投票で選ばれた歴代トップ10が紹介されていました。その中で興味を引いたのが、7位の「樹木葬桜の下のあなたへ」。東京郊外にある大型霊園の中に、一般的な石のお墓に混じって、桜の樹木葬が点在しているそうです。桜が咲く季節に、そこにお参りに
海洋葬の日が近づいてきた6月17日父とドライブをしましたお父さん出発するよシートベルトしましょうね粉骨して頂く場所まで高速なら2時間ですがどうしてもお父さんと通りたい道があって遠回りする事にしましたお父さん、今日はねNちゃんの29回目のお誕生日だねなぜこの日を選んだかと言うとお父さんは生前娘からおじぃちゃんがもし天国に逝ったら遺骨をペンダントにいれてもいいかと聞かれた時、いいよ!ありがとう!と答えていました娘は色んなことがあって気持ちが弱っていますだから、お父さんから頑張れ
とてもいい天気だけど、、、私のやる気スイッチはいったいドコに隠れてしまっているのかそれでも、全く動きようがなかった事柄が相方の仕事の激務のも一段落したらしく(月曜から土曜日まで毎日23時帰宅だった)今日、午前中に休みを取ってくれてようやく紹介状等を掛かっていた近所の市民病院から取りに行ってくれて職場に着く合間に次に掛かる予定の病院への連絡も入れてくれると言い出掛けた。何もしようがなかった先週いっぱ
↓↓↓1年前です。************風がない。あたたかくて、波も静か。松島湾でせんせ〜とせんせ〜のお父さんを散骨してきました。海洋葬。骨なんかもはやただのカルシウムの粉だわよ。だから淡々としてるだろうと思ったけどいざ、粉になった骨が入った袋を海に放り投げてそれが静かに沈んでいくさまを見ていたら涙が溢れてきてしまった。この頃、別のことで落ち込んでたからせんせ〜のことで泣くのは久しぶり。だってさ〜〜〜袋に名前が書いてあってさ、泣けて
時々、自分はどんなカタチで死ぬんだろうなって思う時があります。コロナで死にたくはない。自分らしい死に方で死にたいと思うのです。誰しもそう思うのですが、どっこいそうはならないのが世の常ですね。死んだ後は冷たい墓石の中には入りたくない。こんな思いの人が年々多くなっていると言います。自分が死んだ後の埋葬場所には、海や山への散骨・宇宙葬・勿論先祖代々の墓等アレコレ御希望が御座いましょう。最近は「樹木葬」が圧倒的人気のようです。遺骨を樹木の下に、共同で埋葬されるものです。つま
あの日も凄く暑かったとても天気が良くて思ったよりヨットはとても大きかった乗り込んで水に溶ける紙で包まれた妻は両手に収まった沢山涙を流して妻の名前を叫んでいた葬儀の時は忙しすぎてきちんと悲しめてなかった気がして海洋葬にしたのはこころの整理には良かった気がする今日は子供達とお墓参りがわり交差点の街路樹のところ雑草がずいぶん増えてしまって綺麗にしてきた。植えられるスペースが確認できたので明日はお花を植えにいこう寝室で妻の遺影に話かけながら綺麗な満月に話か