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浮浪児(戦争により孤児になってしまった少年少女)⬆……浮浪児狩りの恐怖から逃れ……男児の場合は……👈悪い大人に👈脅され👈犯罪行為を強要された👈アガリ(利ざや)が少ないと👈殴られ蹴られ👈食事を抜かれる捕まったら👈収容される(保護)から👈とにかく逃げて👈ねぐらに帰る女児の場合は……👈運が良ければ👈英国や米国等👈養女として👈連れて行かれた……運が悪いと……👈人身売買の対象にされ👈奴隷扱いや👈劣悪な環境での労働👈とにかく👈酷い扱いを受けた……戦争に👈国民を追いやった罪人(東條英
戦後80年である。おそらくこのブログを見ている方の中には戦前を生きた人は少ないと思われます。わたしは戦後の時代に生まれましたが、その時の空気感はまだ戦中の、といいますかその余波である風景があちら、こちらに残っていました。まだ復興の途中で空き地が多くそこで戦争ごっこなどをした覚えもありますし、復興のため地下に埋める土管(陶管)、コンクリート製(ヒューム管)などもあちらこちらの空き地に積んでありまして、そんなところで遊んでおりました。日本が復興期になる映画『三丁目の夕日』が、わたし
夢小説『梅田瑞生の悲劇の日誌』について夢小説の原作者は、僕になっています。夢小説の『梅田瑞生の悲劇の日誌』です。昭和初期と現代に混紡した時代と、出生から成人なるまでの物語です。主人公は、僕であり、不登校の浮浪児4人の、同い年の田原未友子と1つ下の骨田隆也と2つ下の上村春伸と山内春子になります。僕が高校卒業して、5人で梅田軍団を作ってから、芸能事務所に所属する物語です。
・・・・・そうなのだ!子供に食わせるのは親の責任だ!終戦直後の浮浪児じゃあるまいし、腹を空かせた子供って何なのだ。確かに、私が子供の時は、3食食わせてもらってても何時も腹を空かせていた。餓鬼というくらいだから、子供は腹を空かせているのが当たり前なのだ!何を勘違いしているのだ?いや、勘違いを利用した偽善事業だ。でなければ、公金に集る悪事だ・・・でなければ、親は贅沢な生活していても、子供には食わせないってか?そういう世の中になってしまって、終戦
時間を少しさかのぼります。終戦と同時に大量の戦災孤児が生まれたことを記憶しておかなければなりません。戦災孤児というのは空襲で親も家も失った子どものことを言います。集団疎開先から東京へ戻ったら、家も親も失っていた、という子どもたちが大量に生まれたのです。中にはわずかでも養護施設のような所に行けたり、親戚に引き取られたりした子どもたちもいたでしょうが、大半は寝る所も食べるものもなく、路上生活をするしかありませんでした。上野の地下道を通った時、そこに大勢の子どもたちがいたこと、そしてとても臭
2019年2月3日今日も朝から、(神よ、あなたの為になにができるでしょうか)と祈りながらタイプをしている。他には、祈り兼の散歩しか気力も体力もないが、多くの人にお願いしたい。私は個人的に祈る時には、天地創造の神に対し、「私のじーじー」と思うが、やはり、「天の父よ」かな。感覚的には、どんなことでも聞いてくれるお爺さんであるが…。私は、自分の孫には自分のことを「ジージー」と呼ばせている(ジジイではない)。中国では、多くは、「爺爺」(発音:ィエイエー)と呼ばせていたが、ある看護婦は、
1:おっさん友の会★27(月)15:52https://news.yahoo.co.jp/articles/1ef6349c3462141c18ca69aa3b575c1d4208738bhttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1679899928/76:>>1トラックドライバー自衛隊介護士選び放題だぞ94:>>1俺は氷河期世代、現役生活保護4年目、趣味は散歩とホロライブだが俺が若かったらあれ目指すだろうなV
敗戦!焼け野ヶ原、食糧難、闇市、浮浪児、ガード下の靴磨き。虎刈り、丸刈り、バリカンヘット、いがぐり坊主。シラミ、回虫、虫下し。まくり、DDT、予防接種。まさか、出てくるとは思わなかった。雲は行き、水は流れて、出た!!昭和は餓鬼の、必需品!!
終戦記念日とは言っても、私も戦後の様子などは知らず、浮浪児がたくさんいたこと、子供の靴磨き、足や手のない兵隊さんが物乞いのようなこと?をしていたことなど、断片的な知識ばかりです。昔、読んだ「はだしのゲン」も、今は書庫に入って見られなくなりました。戦後を知らない人ばかりになって、戦争がどんな悲惨なことか、若い人たちは、想像することができるでしょうか。戦争は、生活、文化、人生、仕事、全てのものを破壊します。サイドゴアブーツさんの記事と動画、ご覧ください。ショックな動画。五輪選手
戦争は、人の心をなくす。平時には、あり得ないようなことが当たり前に起こる。戦争をしたくて始める庶民がいるわけがない。戦争の犠牲になるのは、兵士も民間人も常に普通の庶民だ。戦争を始めた奴らは悲惨な目に遭うことはない。戦争犯罪を犯しておきながら政治家になった奴が何人もいる。親を亡くした子供たちはもっとも悲惨だ。住む場所を失った戦災孤児は浮浪児と呼ばれ、行くところがないから上野駅の地下道などで夜を過ごす。浮浪児と呼ばれ、まるで汚いものを整理するかのように、浮浪児狩り、狩
空襲警報に怯えていた日々に漸く終止符が打たれた。戦争に勝とうが負けようが戦争さえ終われば、との願いが漸く叶った。3年と8ヶ月。あの日、実に嬉しかった。終戦となっても相当長い事戦争が終わった喜びを口にする事憚られた。学校の先生から「我が国は戦争に負けて良かったんだ」と言う言葉を聞いたのはそれから2年も後だった。終戦の日を境に学校での授業もガラリと変わった。その変わり身の速さには子供心にも戸惑うばかりだった。巷には包帯を身体中巻いた傷痍軍人が溢れ、家や親、
何度か起きて寝てを繰り返し、そのたびに夢を見た。で、覚えているのは2作品。まずはなぜか実際にこの夏の甲子園に出場する地元の高校野球部が登場。自分は部の関係者で、投手の〇〇君と□□君(どちらも実在)と親し気に談笑していたが、何やらトラブルが発生してさてどうするか...というところで目が覚めた。前日に組み合わせが決まったことが夢の引き金になったよう。そしてもう一作は、うってかわって小汚い公衆トイレが舞台。自分はそこの清掃人。浮浪児っぽい子供が飯を食いだしたり、錦鯉の渡辺氏扮する悪徳刑事がやってき
東京の皇居のお堀に面した第一生命ビルにGHQが出来て総司令官のマッカーサー元帥がやって来たのは終戦の日の2週間後。そのために「見苦しい浮浪児たちを町中から追い払え」との政府からの命令で親を空襲で失った孤児たちが山へ捨てられた話は前に書きました。あちこちに進駐軍の基地が出来て続々とGIたちが進駐して来ました。高崎にも進駐軍がやって来るというのでみな緊張しました。何しろ「鬼畜米英」と教えられていた相手です。どんな恐ろしい野獣が来るかと町中が戦々恐々としていました。誰もまだ外国人なんて見たこと
疎開して間もなく、旅館の下を流れる川の上流へ遠足に行き、そこでみんなで川に入って泳ぎました。その時に耳に水が入ったらしく私は中耳炎になってしまいました。すぐに町の耳鼻科に連れて行ってもらったのですが、予後があまりよくありません。耳の中が化膿して膿が流れ出てくるのです。同じ部屋の子たちから臭いと言われ、自分ではどうすることも出来ず東京の両親に手紙を書きました。母は東京の医者に診せたいから連れ帰りたいと校長に申し出たのですが、これは国の政策だから勝手は許されないと却下されてしまいました。それ
産業カウンセラーのきたはらひろこです。昨日は終戦の日でした。BSテレ東「池上彰の戦争を考えるSP2021」昨夜7時からの放送見たのは終わりの方だけでしたが…見ごたえありました。終戦後、戦争で両親を失った戦災孤児の数は約12万人にのぼった。引き取り手がなく、ひとり路上で生きなければならなくなった「浮浪児」と呼ばれた子供たちは3万5千人に及んだ。そうした浮浪児など、焼け出されて家をなくした人の多くが上野駅周辺に集まった。終戦からほどなくして現在のアメ横に闇市
雨続きぬかるむ暗渠パイプ難しいよな!オハヨウゴザイマスあの頃、僕らが鳴らした鐘は、今、どこで響いているのだろうNHK・オーディオドラマホームページより【NHKFM】特集オーディオドラマ2021年8月14日(土)午後10時~午後11時(前編)(聴き逃しの配信期間は放送から1週間)【出演者】山崎智史柴崎楓雅田代輝齋藤さくら野口かおる児島功一古河耕史中村真知子りきまる丸山澪横山芽生寺嶋慎太朗辻晴仁櫻井瑶齋藤優聖河井樹平松來馬川村瑠泉三本
・・・大きな入道雲を眺めていて、ふと目をやった高台の畑・・・赤いとんがり帽子を被ったかのような鶏頭が目にはいった。眺めているうちに、なんの脈絡もない詩が脳裏に浮かんだ・・・緑の丘の赤い屋根とんがり帽子の時計台鐘が鳴りますキンコンカンメーメー小山羊(こやぎ)も啼(な)いてます風がそよそよ丘の上黄色いお窓はおいらの家よ昭和22(1947)年7月に始まった菊田一夫作のNHKラ
映画「鐘の鳴る丘隆太の巻き」1948年(昭和23年)松竹81分<監督>佐々木啓祐<原作>菊田一夫<キャスト>佐田啓二、本尾正幸、井上正夫、英百合子、野坂頼明、飯田蝶子、<内容>東京には到る処に浮浪児がいた昭和二十一年の夏も終わるころ、復員姿の青年賀々見修平(佐田啓二)は、弟修吉を尋ねて新橋駅にたたずんでいた。--父も母も亡き兄弟二人は、信州の伯父にあたる賀々見勘造の家に引き取られたが、兄修平がやがて戦地に征った後、弟の修吉は、どうして
四畳半の部屋を広く使いたいので、セミシングルサイズの敷布団(ごろ寝布団)と薄手の毛布数枚と肌掛け布団で寝てる私。(使わない時は畳んで部屋の隅に置いてる)テーブルも昔懐かしいちゃぶ台を愛用。そんな状態が気に入らない母は、私の部屋を『浮浪児の部屋』と呼ぶ。他の部屋で使ってない箪笥やコタツの私の部屋への移動や、新しく母の好みのベッドを買って置きたいという要求を、私が飲まないのが原因なんだけど、『浮浪児』呼びは何でかしらね?私の部屋なんだから、好きにさせて欲しいんだけどなぁ。『居候のクセに』
1944年9月、だんだん激しくなる東京への空襲に備え、政府は東京中の小学生の3年生から6年生までを全員地方へ疎開させることにしました。親戚や知人で受け入れてくれる所がある家庭は「縁故疎開」と言ってそれぞれ各自が手配し、それがない家は学校ごとの「集団疎開」または「学童疎開」と呼ばれ各区単位で行き先が決まりました。私が住んでいた中野区の受け入れ先は福島県。3,4年生は飯坂温泉の旅館池田屋、5,6年生は田舎のお寺でした。当時私は4年生でしたので、池田屋旅館の一室に8人で住むことになりました。食
毎年8月15日までの間に一度は戦争のはなしをすることにしています。ですけど…今年は…コロナ大災害地震こんなに大惨事が続いている時に…どうしようかなぁ…迷いました。…が、読む読まないは選べますので、やはりいつもどおり戦争に関わる話を載せることにしました。細かい話は抜きにして毎年載せている画像をまたまた載せておきます。(笑)1945年3月10日未明東京大空襲1945年3月東京で焼け出され、茨城県までいきました。茨城県稲敷郡長竿村で倒れ掛かっ
読書してますか?目的もなくスマホばかり眺めていませんか?読書しているといってもビジネス本ばかりではないですか?年間何十冊とまではいきませんが読書は好きな方なオレ。今回職場の友人に貸してもらった一冊が心に響いたのでひとつご紹介「浮浪児1945戦争が生んだ子供たち」石井光太新潮文庫浮浪児1945戦争が生んだ子供たちこの本は空襲の大混乱の中で親を失ってしまったり、離れ離れになってしまった子供たちが必死に生きていく実話である。目の前で家族が焼け死んでいくような惨たらしい光景を目の当
読了。
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とても長いです。国の在り方を方向付けていく施政が荒むと社会全体が荒んでいき、人々の心は蝕まれ、気づかないうちに正常な神経が保てなくなっていく。そして、その状況が日常的に当たり前のようになっていっても、多くの人々が何も感じなくなり、マスコミはその施政状況に同調するばかりで、本来の役割の機能を失う。安倍政権7年、数の力による強権は、何でもかんでも政権側の立場で決められ(数の力による強権と言っても、単に連立公明党による集票力によっているだけのことなのだが)、虚偽行為ですらまかり
「羅刹の囁きⅦ」本日発売開始いたしました。こちらのお話は7で完結いたします。下の表紙をclickして頂きますと販売ページに飛びます。宜しくお願いいたします。KindleUnlimited会員の方は読み放題で読書できます。こちらも本日より5日間100円キャンペーンをいたします。ご購入いただけると嬉しいです。宜しくお願いします。☆著書のタイトルをclickして頂けましたら販売ページに飛びます。「羅刹の囁きⅠ~Ⅵ」*Amazon著書販売ページ←気が向いたらフォローしても
憲法第34条の人権に関してと、児童福祉法第33条の児相が裁判所の許可無く、子供を保護施設に連れ去る事を認める権利は、どちらが先にできたかご存じだろうか。憲法はご存じの通り、1947年5月3日施行である。一方、児童福祉法は、同年12月12日である。憲法の方が若干早いのだ。しかし、成立過程や、理念には雲泥の差がある。憲法は、戦争への反省を元に、欧米の先進的な人権を盛り込んでおり、現在でも、そのまま誇れる内容である。憲法は、裁判所の許可無く、拘束される事を禁じているのである。これは、諸外国の児童
野坂昭如原作、火垂るの墓を知らない人はいないだろう。戦争の悲惨さを伝える涙無くして語れないストーリーだ。父は戦死し、母は空襲で無くなり、妹の節子も死んでしまい、浮浪児となってしまう。この様な浮浪者生活を行う戦災孤児達は、当然、生きる為に、食べる為に、犯罪行為に走ってしまう為、治安悪化の一因とされていた。ここで、成立したのが、児童福祉法である。つまり、児童福祉法は、治安悪化の原因となる浮浪児達を街から一掃する目的であった。子供達を想い、助ける為というよりは、街をキレイにする為という思惑から成