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浦島太郎に出会う旅part13~島児神社と道の駅くみはま~丹後半島旅行2日目、午前11時過ぎ。金刀比羅神社から島児神社へ。内陸部から再び海岸部を目指す。車でざっと30分弱といったところか。島児(しまこ)神社は、浦の島子さん、つまり浦島太郎を祀っているお宮さんだ。それはもうちっさなお宮で、創建はかなりの昔にはさかのぼるんだろうが確かなことは分からない。というのは江戸前期までは現在のお宮周辺はたぶん海であったハズなので、このお宮もどっ
京丹後経ヶ岬令和5年4月鷲🦅しながら、京丹後の記録に戻ってみたら『【海の京都】浦島太郎は亀を助けていないシリーズ丹後風土記常世と龍宮城』京丹後伊根舟屋をのぞむ令和5年4月29日京丹後の記録つづきまだまだ続いている浦島太郎『【海の京都】浦島太郎と玉匣乙姫様に出会う嶋子の物語浦島神社…ameblo.jp海の京都・京丹後経ケ岬には経猛禽類繋がりでハヤブサがいた🦅鷲鷲いいすぎていたか、、😅カメラマンは何待ち??近くに防衛庁があったから航空機??沖縄ではよく見
京丹後伊根舟屋をのぞむ令和5年4月29日京丹後の記録つづきまだまだ続いている浦島太郎『【海の京都】浦島太郎と玉匣乙姫様に出会う嶋子の物語浦島神社宇良神社言霊の玉手箱』浦島太郎を追いかけて、玉手箱をみたくて令和5年4月29日の記録海の京都京丹後宇良神社、浦島神社つづき『【海の京都】京丹後浦島太郎を感じたくて筒を潜っ…ameblo.jp『【海の京都】京丹後浦島太郎を感じたくて筒を潜って蓬莱へ浦嶋神社宇良神社へ』龍宮の憩い令和5年4月29日京丹後の記録のつ
今日はとても面白い1日となりました5月27日に京都北文化会館で燈詠祭りを主催する件で先ほど黒川宇宙研究所に出演させてもらいましたぜひご覧ください↓↓↓【燈詠祭り開催者と生配信】Vol.15月27日に行われるTOMALIVE2023の松明巡り第二幕のライブビューイング!全国北海道から熊本14か所の開催者の皆さまと生配信第一弾♥火を灯して燈へ。▶各会場の詳細記事はこちらです!!3.千葉麻里衣(まりぃちゃん)さんhttps://ameblo.jp/rainbowmaps
何ヶ所から、音聞こえていました。部屋から見えた2ヶ所思っていたより、長かった。でも、5分くらいしか見なかった。音は聞こえていたけど…。TV📺で、ネイマールさんが出ていて、その挑戦を見たかったから〜〜で、今TV📺で、浦島太郎は元々は、『浦島子』さんだったってひゃー!!でも、男の方だそうです。助けた亀🐢ではなく、吊り上げた亀らしく…美女に変身したとか。物語としては、浦島太郎の方が良いよねー。
神話カタリストたけみつです!神話カタリストとは?神話を伝える活動を始めてから、10年!”神話で在り方を整える”という本を出していただくことになりました。友人が素敵な紹介&販売サイトを作ってくれました。是非、一度、覗いてみてください!神話で在り方を整える紹介&販売サイト20時からfacebookLive!ラヂオ番組で語れなかったお話を番外編でお届けしました!昔話の浦島太郎助けた亀に連れられて竜宮城に来てみれば...の浦島太郎浦島子とい
網野神社丹後国竹野郡京都府京丹後市網野町網野789(P有、境内南東角より進入)■延喜式神名帳網野神社の比定社■旧社格府社■祭神日子坐王住吉大神水江浦嶋子神網野町市街地の中心部に鎮座する社。穏やかな港町の市街地ではあるものの、当社境内は一層緩やかな時が流れる麗らかな雰囲気。また維持管理も行き届きとても清々しい社です。◎元々は三箇所に別々に鎮座していた三社を、享徳元年(1452年)に当地に合併奉遷させたようです。ご本殿は現在の境内社蠶織神社の社殿。大正十四年に蠶織神社が創
『琉球方言とアラハバキの内緒話』『沖縄の奇祭の内緒話』『女神とCUBEとクババの内緒話』『明けの明星と空海とフクロウの内緒話』「明けの明星」「宵の明星」。すなわち、『金星』の別称である…ameblo.jp↑のつづき神ノ島『久高島』には、『アカララキ』が祀られており、この神は竜神『アラハバキ』と同一神である。『アラハバキ』を祀る神社は、その名を隠されているものも含めると全国に数多くあるが、特に関東や東北、さらに言えば青森「津軽」に多くの伝承が残されている。では、なぜ沖縄「琉球」と
一月六日(月)戊申九紫小寒明日七日(火)己酉一白七草平田篤胤著「宮比神御傳記」おかめの面といふ物を。またお多福ともいひて。諸人の愛敬をのぞむ家々に祝ふことは。或説に足利の末頃とか。ある神社の巫女に龜女とて。その見目はかの面のごとくなるが。宇受賣命を信仰し。愛敬こぼるゝ計にて。見物の山をなすのみならず。見目よりも心の實ありて。何なる澁つら惡玉も。この龜女が顔をみしほどは。其惡心のやみし故に。其かほを面につくり。お多福と名づけて弘めしが始めなりと云ひ。また一説には。直に受宇
友清歓真著「神道古義」藐姑射神山千載集に動きなき猶ほ万代ぞたのむべき藐姑射の山の峰の松風百千たび浦島が子は帰るともはこやの山はときはなるべしなどある。ハコヤの神山は元来ハコノヤマなのであって、ハコは無論箱を意味するのであるが、ハコといふ古語はハケ(葉笥)から転じて来たのである。太古に於て食物を木の葉に盛ったところから起って来た語で、恰かも天照大御神様が豊受姫神様を重く祭らせ給ふが如く「食」といふものは極めて神聖なものとされて居たので、神聖と幸福と平安の理想郷がハコヤの山なので
霊界物語第4巻第9篇宇宙真相第48章神示の宇宙その三王仁(わたし)は前席(ぜんせき)に於(おい)て、太陽(たいやう)は暗体(あんたい)であつて、其(そ)の実質(じつしつ)は少(すこ)しも光輝(くわうき)を有(いう)せぬと言(い)ひ、また地球(ちきう)は光体(くわうたい)であると言(い)つた事(こと)に就(つ)き、早速(さつそく)疑問(ぎもん)が続出(ぞくしゆつ)しましたから、念(ねん)のために茲(ここ)に改(あらた)めて火(ひ)と水(みづ)との関係(く
「浦島太郎はどこへ行ったのか」という本があります。高橋大輔氏が書かれた本です。何年も前に一度読んだのですが、高橋氏が浦島子、龍宮を求めて京都、対馬、長崎、中国、香川、尾道、鹿児島を旅され、最後に沖縄の地で浦島子とは鹽土翁、猿田彦大神、住吉大神であったと結論付けておられます。最後の結論のつけ方がちょっと強引のような気がしますが、私は、高橋氏の説は正しいと思っています。この本は、梅原猛氏も推薦しておられ、実に面白い本でした。「浦島子伝」の中で重松明久氏は豊受大神、猿田彦大神、国常立尊を御同
今日も「浦島子伝」重松明久著の紹介から始めます。豊受大神に、皇太神としての称号を使用することの可否をめぐり、論難がおこったことによっても、察せられる。この論争の一件書類は、「皇字沙汰文」上として伝わる。内宮の言い分に対し、外宮側よりさらに反論している。すなわち内宮の答状によれば、外宮鎮座の次第について、「書記」にみえないうえに、「丹後国風土記」によれば、丹波与謝郡比沼の真名井に浴みしていた天女が、外宮御饌都神であるとする。しかし天女イコール当宮の神ではありえない。時代も隔っており、当
私は、本を購入する際、その本が一生手元に置いておきたい本かどうかが一番の決め手、基準です。今回「浦島子伝」を購入したのもそれが基準です。私は、浦島子、饒速日大神。神女、市杵嶋姫命と解していますので、此の本に掲載されている浦島子と神女のお話は繰り返し読むことと思います。私は、購入した本は、一度最初から、最後まで読まなければ、気がすみません。神道関係以外にも歴史書、時代小説等が好きなのですが、たまに最後まで読むのがシンドイ本もありますが、歯を食いしばって最後まで読みます。どうしても、最
昨日、如意尼と紫雲篋について書きましたが、“空海と真井御前(如意尼)に就いて”の中で宮司海部光彦氏も如意尼がお持ちであった紫雲篋について書いておられます。さて真井御前は、昔一の篋を秘蔵していたと云う。曽って天長元年(八二四)、天下が大旱の時、弘法大師は守敏僧都と法力を競う事となったが、その時大師はこの篋を真井御前から与えられ、是に依って秘法を修し、広く天下に雨を降らしたと伝えられる。さてその篋には當然秘密の珠が入っていた事であろう。果たしてその珠とは何であろうか、佛教の如意宝珠なら
今日、「竹取物語」川端康成訳と「浦島子伝」重松明久著が届きました。4月8日は、釈迦の生誕日“花まつり”です。私は、仏者ではありませんが、仏道修行をされている方にとっては、最も大切な日であると考えますので、そのような日に神仙の書と思っている本が届いた事を有難く思っています。こじつけでしょうか…私は、神話を研究していて、仏教を信仰している方も神道家と同じ大神仙を信仰しているのではないかと思う事があり、ブログにも何度かその根拠を書いてきました。仏教者で、太真西王母を信仰している方はいないかも
「日本書紀」「万葉集」「本朝神仙記伝」「御伽草紙」から浦島子の話を紹介してきました。浦島子に関し、平田篤胤先生が「三神山餘考」の中で浦島子が往たりし海郷を、諸書に蓬莱山と云るは、神女の語に、君棹ヲ廻ラシテ于蓬山ニ赴クと云るよし、風土記に見えたる如くにて、然も有べけれど、海神の本宮に至れるには非ず。海中の仙境何處にまれ、数万の列仙家あるが中の、一仙民の家に至れるなり。其の事の状を以て思ひ辨ふべし。然れば浦島子は眞仙には非ず。仙中に入りて、其仙風に牽れて長命せるのみにて、元より修し得
昨夜ふと、浦島太郎の話は御伽草紙にもある事を思い出しました。幸い手元に御伽草紙がありますので、女房、龍宮がどの様に書かれているかを紹介します。はるか海上に、小船一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば、美しき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ着きにけり。女房いひけるは、「さればさる方へ便船申して候へば、折ふし波風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人有りて、自らをば此はし舟に乗せて放されけり。悲しく思ひ鬼の島へや行かんと、行方知らぬ折ふし、ただ今人に逢ひ參らせ
昨日に続き「丹後國風土記」浦島子から、龜比賣の事が書かれてある箇所を紹介します。女娘問ひしく「此來君夫が貌を観るに、常の時に異なり。願はくはその志を聞かむ」といひき。女娘問ひて、「君歸らむと欲すか」といひき。女娘、涙を拭ひて歎きけらく、「意は金石と等しく共に萬歳を期りしに、何ぞ郷里を眷(した)ひて、一時に棄て遺るる」といひて、すなはち相携へて徘徊(たちやすら)ひ、相談ひて慟哀しみ、遂に袂を接へて退き去り、岐路に就きき。ここに女娘の父母と親族と但に悲しみて副(たぐ)ひ送りき
この昨日は、宮地厳夫先生の「本朝神仙記伝」から水江浦島子を紹介しました。今日は、丹後國風土記浦島子から龜比賣、蓬山(とこよ)がどのように書かれているかを紹介します。嶼子獨り小船に乗りて、海中に汎び出で、釣すること三日三夜を経て、一魚だに得ず、すなわち五色の龜を得たり。心に奇異しと思ひて船の中に置きて、やがて寐ねつるに、忽ちに婦人と為りき。その容美麗しく、更比ふべきものなかりき。嶼子、問ひしく、「人宅遙遠にして、海庭に人なし。詎人の忽ちに來たれるぞ」と云ひき。女娘微笑みて對へらく、「風
浦島子について書いてきましたが、宮地厳夫先生も「本朝神仙記伝」の中で、浦島子について書き残して下さっています。雄略天皇紀、淳和天皇紀、丹後風土記、浦島子傳を参考に、大変美しい物語を書いておられます。私は、龜比賣、女娘とは、市杵嶋姫命の事を解していますので、先ずは、方全先生(宮地厳夫先生)が、龜比賣、蓬莱山をどのように書いておられるか、そして、丹後國風土記にはどのように書いてあるかを紹介したいと思います。「本朝神仙記伝」水江浦島子島子獨小舟に乗り、海上に出て釣を垂る、一魚をだに
昨日、「日本書紀」「万葉集」から浦島子を紹介しました。先日ブログで徐福の事を書いてから、平田篤胤先生の「三神山餘考」「赤縣大古傳」「大扶桑国考」「三五本国考」「天柱五嶽餘論」「黄帝傳記」を読んでいます。平田篤胤先生の御著書を読む時は、観想法をするつもりでいますので、神仙界、特には崑崙神界に入り込んでいる気になっています。私は、太真西王母を尊崇していますので、今後平田篤胤先生、清水宗徳先生の御著書から西王母について書かれている箇所を紹介していきたいと思っていますが、今日は、昨日紹介した浦
「神仙日記」では、多都比姫神、龍飛姫神について考察してきましたが、「神皇紀」、徐福の事を紹介してから、平田篤胤先生の「三神山餘考」、宮地厳夫先生の「本朝神仙記伝」を読み直していますので、浦島子に関して考察していきたいと思っています。浦島子に関しては、「日本書紀」「風土記」「万葉集」「浦島子伝」「本朝神仙伝」「本朝神仙記伝」「続浦島子伝」にもみられます。「日本書紀」秋七月に、丹波國の餘社郡の管川の人瑞江浦嶋子、舟に乗りて釣す。遂に大龜を得たり。便に女に化為る。是に、浦島子、感りて婦に
昨日、神拝、修法時乙姫が気になった為、乙姫の事をブログに書きましたが、今「浦島子伝」「続浦島伝記」を読んでいます。このお話の中には、色々神仙道に関する言葉がいくつも出てきます。瑤珠珊瑚を玄圃の表に満たせり。両書にほぼ同じ表現でこう書かれています。玄圃といえば崑崙山。崑崙山といえば太真西王母。私が最も尊崇する神仙境、大女仙です。太真西王母の御本宮を亀山、亀台、麗農山、不周山とも呼ばれているようです。清水南岳先生は、「群仙の慈母太真西王母」で、太真西王