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大物崩れの前の戦いを現在書いていますが、池田城の戦い、記述のある場所によって表現が違います。池田城の戦いは享禄四年三月六日に落城ということは分かっていますが、池田城(Wikipedia)はttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%9F%8E_(%E6%91%82%E6%B4%A5%E5%9B%BD)享禄4年(1531年)の大物崩れでも高国の攻撃を受け、この戦いの後に城の復興で主郭の堀を広げ周りに土塁を設け、南側に
香登城(備前市西香登・香登本)和気郡西香登村に所在する城館として、『備前記』・『備陽記』・『撮要録』では浦上左衛門が居城した「古城山」または「古城跡」、『吉備温故秘録』では、浦上右衛門、高取左衛門進宗政が居城した「古城」などの記載が認められる。一方、和気郡香登村では、浦上宗久、高取左衛門が居城した城館として『和気絹』は「香々登城」、『備陽国誌』は「古城」、『東備郡村誌』は「古城墟」と記され、『吉備前鑑』は高取左衛門宗政が居城した「古城跡」などの記載が認められる。なお、『宇喜多能家寿像賛』によれ
※備前市木谷の浦上村宗公の墓・・・手前に小型五輪塔や一石五輪塔がありますが、現在は数基確認できるのみとなっていますが、かつては数十基あったとのことです地元の方と話に夢中になり、付近の風景を撮り忘れてました…が、墓所は川の橋のたもとにあります(川のあたりにはかつてお堂以外何もなかったそうです)玉垣は備前市と地区住民の皆さんで造ったものですかつては数十基石塔が、この場所に集められていたようですが、お堂、石塔群の大半は台風による洪水で流されたようです浦上村宗
※浦上村宗公墓所石碑・・・ほんまに民家の敷地のとなりにあります※備前市木谷の浦上村宗公の墓・・・地元の方によると石塔は、昭和の河川工事の際に掘り出され、備前市が調査した結果、形式から見て戦国期の造立で、浦上村宗の宝篋印塔であることが判明しました浦上村宗の墓2️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ備前浦上家2️⃣前回は、「浦上則宗」の説明に終始してしまいましたが、則宗は浦上氏を語る上では欠かすことのできない「ほぼ戦国大名浦上氏の基礎を作った
※備前市木谷の浦上村宗公の墓・・・国宝閑谷学校への道中にあります備前市木谷の伊佐川に架かる橋のたもとにある民家の一角に村宗と浦上氏一族の宝篋印塔群があります浦上村宗の墓1️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ備前浦上家1️⃣これまでは、戦乱の時代として応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までの3つの時代カテゴリに活躍した大名、武将の生涯を調べてみたいと思いこのシリーズを立ち上げました。しかしながら、僕の一番の興味、関
前日、尼崎えびす神社に行くのをやめて行先を大物主神社に決めてから、寝た。するとその夜、夢を見た。どんな夢だったか具体的には思い出せないが「えびすさま」か「事代主さま」が出てきた。やっぱり十日戎、尼崎えびす神社にいくべきなんかなぁ大物主神社を出て、バス停の時刻表を見てみる。1時間も次のバスはない。次男の帰宅時間が近づいているし陽も随分傾いていた。尼崎えびす神社までここから徒歩で21分らしい。もうすでに行きに30分歩いたのでぇ…もうよろしいかと…尼崎駅
【1月25日(火)】赤松氏の家臣で備前ほかの守護代であった浦上氏の居城です。管領細川高国に頼られた浦上村宗は、この三石城から畿内へ出撃するも、大物崩れにより細川高国とともに敗死しています。嫡男の浦上政宗は播磨・室津の室山城に拠点を置き、尼子氏に対する対応で兄政宗と対立した浦上宗景は天文23年(1554)に三石から和気の天神山城へ拠点を移したため城は放棄されたようです。三石城へは北側の三石城址駐車場まで車で登り登城。久々でしたので結構忘れていたところもありました。ここは北側
いつもブログを読んでくださり有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする歴史エンターティナークリエイターの原一六四(ひろし)です。さて本日は「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズをお送りいたしたいと思います。このシリーズも久しぶりですね。次回の大河ドラマ「麒麟が来る」で、久々に松永久秀が出てきますね。あの松永久秀が今まで見た松永久秀の中で一番、不気味な気がします。では細川晴元の続きを書いていきたいと思います。いよいよ長かった細川家の争いに決着が・・・と、その前に
いつもブログを読んでくださり有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする歴史エンターティナークリエイターの原一六四(ひろし)です。本日は「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズをお送りいたします。現在は細川晴元の台頭という事で書いてます。最近、移動を自粛しているので近くの城跡に散歩がてら行ったのですが閉鎖されてました。なんだか、ここも!?と切ない気持ちになって帰ってきました。では行ってみましょう!!その前に前回の話を確認したい方はこちらをクリックしてくださいね。(
いつもブログを読んでくださり有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする歴史エンターティナークリエイターの原一六四(ひろし)です。本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズをお送りいたしますが、本日は細川晴元の番外編をお送りいたしたいと思います!!本当は「歴史上で活躍した女性」シリーズで書こうかと思ったんですが、今回は番外編という事で書いてみたいと思います。現在、細川高国の反撃の部分を書いていますが細川高国が反撃できるようになったのは浦上村宗の助けのおかげです。この浦上村
いつもブログを読んでくださり有難うございます。城跡と歴史で日本を元気にする歴史エンターティナークリエイターの原一六四(ひろし)です。今日は、久々に「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズを書きたいと思います。楽しみに読んでてくださった方、いつ再開するんだろう?って思っていた方、お待たせして申し訳ありませんでした。では、細川晴元の続きを書いていきたいと思います。大河ドラマ「麒麟が来る」では、京都で三好長慶と細川晴元が争い京都の民が犠牲になってましたね。大変な時代です。はやく
いつもブログを読んでくださり有難うございます。城跡で日本を元気にする城跡で地域活性する歴史エンターティナークリエイターの原一六四です。本日は「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズです。さて、現在は細川晴元を取り上げています。では、早速いってみましょう!!その前に、前回の話を確認したい方は、こちらをクリックしてください。【細川高国の反撃~柳本賢治暗殺~】桂川原の戦いで敗戦し近江坂本へ逃れていた細川高国は反撃の機会を狙っていた。細川高国は備前・美作・播
茶臼山砦(津山市坪井上)『久米郡誌』に「茶臼山古戦場」として、立野の地にあり、昔の城跡と伝え、坪井上の東端に位置し、周囲は樹木なく面積二反歩、永正十七年(1520)十月に浦上村宗が本陣を構え小寺勢を討ったところとする。(※美作国の山城より)主郭南二郭東二郭南二郭と繋がる東三郭東四郭東五郭方向を変え、南西二郭南西曲輪群北東二郭南西曲輪群北主郭南西曲輪群南西二郭南西曲輪群南主郭茶臼山砦遠望軌跡ログ旧久米郡久米町の城
〖新生活応援キャンペーン実施中!〗⚫花粉のピークは杉(過ぎ)た?⚫花見のシーズン。城めぐりのシーズン到来ですね♪山城はまだまだ凍結や、残雪もあるかもしれません!気を付けて下さい!あ、花見も気を付けないといけない点もたくさんあるようなので今度そんな話もしてみようかなー↓♪こちらからどうぞ♪↓☆紋次郎SHOP☆入口↑こちらをクリック↑入口★3月のおすすめ商品★《新生活応援キャンペーン》【ダイニングベンチチェア】『ライトブラウン』ダイニングベンチチェア【背もたれあ
岡山県備前市三石備前・三石城跡三石城は、三石駅の西に聳える標高297mの山に築かれている主郭は山頂にあり主郭の南下の曲輪が二の丸南西にのびた長い曲輪が三の丸で大手門跡と三の丸の南西端には石垣が残るという三石城1333年、南北朝時代に南朝方として挙兵した伊東二郎により築かれたといわれる室町幕府の成立により赤松氏が播磨国の守護職になると赤松氏の家臣であった、浦上宗隆が守護代として、三石城を居城とした1519年、浦上村宗は赤松義村から謀反の嫌疑をかけられ三石城
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【問題】浦上村宗と浦上政宗は次のうちどのような関係か?【選択肢】叔父と甥兄と弟父と子祖父と孫【正解】父と子【解説】浦上政宗は村宗の長男であり、両者の関係は父と子になる。村宗が享禄4年(1531)に大物崩れで戦死すると幼少の政宗が浦上家の家督を継いだ。