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今年も11月17日(日)に、佐久間町大井(西渡)で『浜背負(はましょ)い祭り』が行われます。江戸時代、信州塩尻への塩の輸送は吉良に代表される良質の塩が集まる三河足助から三州街道がメインでした。一方、険しい山道が続く秋葉街道では、遠州川崎(牧之原市)の塩が川崎湊から海路を運ばれ、掛塚湊から天竜川水運で北上。西渡の湊(舟渡の浜)からは、急峻な山道を人が背負い水窪経由で青崩峠を越えていきました。江戸時代まで、塩はたいへん貴重でした。吉良と赤穂の争いも塩産地の商業利権を巡る“塩戦争"だったとす
11月19日(日)に二年に一度のイベント「浜背負い祭り」が佐久間町大井(西渡)で行なわれている。一般に「塩の道」は遠州相良(牧之原市、旧相良町)から長野塩尻までの陸路を指すことが多いが、相良の塩は陸送が中心で信州へ運ばれることは少なく、実際に青崩峠を越えて信州へ運ばれていったのは遠州川崎湊(牧之原市、旧榛原町)から廻船によって出荷された塩であったと云う。塩は川崎湊から掛塚湊へ廻船で運ばれ、掛塚からは川船で天竜川を遡っていった。本格的な天竜川の水運は江戸時代の初期に角倉了以が開き、角