ブログ記事13件
5月下旬の週末。浜松での用事が早く終わったのでふと思い立って浜松市博物館へ。元々私は浜松生まれなので、小さい頃にここ行った事はあると思うんだけど全く記憶が無くって…ってことで行ってみました!うーん、建物の前に来ても全く思い出せない…来た事ないのかも?中に入ると、ドドーンとナウマンゾウ結構大きい…!ナウマンゾウの化石は、浜名湖周辺で多く見つかってるそうです。蜆塚遺跡の貝塚断面。この辺り昔は海だったんだろうなぁ。そして古代の人はたくさん貝を食べて殻を捨ててこのような貝
こんにちは☆今日は浜松駅に来ております。駅前のメイワンの中の谷島屋にて、ちょっとした本をパラパラ捲って、最後の参考文献のところで、『骨』に関する本を発見、探してみました(笑)とりあえず発見して購入、骨というか、人類学的な本でしたね(´・ω・`)もっと『骨』が出てくるかと思いきや、そうでもなかった感が強い(あ、でもこれはこれで良い)ちなみに、パラパラ読んだ本はハードカバー、5分くらいで読み終えてびっくり(読んだ本人が驚い
【Q18187】別名を「可変幅フォント」という、どの文字も同じ幅の「等幅フォント」に対し、文字が並んだときに見栄えが良くなるように文字ごとに幅が異なるフォントのことを、「釣り合った、均整のとれた」という意味の英語で何フォントという?【プロポーショナルフォント】【Q18188】ノビル、ナズナ、オオバコ、アシタバ、イタドリ、ヒガンバナなどがあり、江戸時代には飢饉のたびにそれらをまとめた本が多数出版された、飢饉などの際に食料として利用される山野に自生する植物を何という?【救荒植物】【Q1818
浜松市博物館・蜆塚遺跡浜松❗といえばナウマンゾウ‼️浜北人‼️後期旧石器時代、人々がナウマンゾウを追い掛けたのは、天竜川~諏訪湖~甲州街道。その、主役であるナウマンゾウと浜北人が、仲良く展示される浜松市博物館‼️浜北人骨は、下層が後期旧石器時代18000BP(BC16000頃)上層が縄文時代草創期14000BP(BC12000頃)浜北遺跡上層人骨は、C14年代測定法(化石生物に含まれる炭素中の放射性炭素14・半減期5730年・の炭素12との含有比率によって、死亡時の年代
従来、日本人は南方からきた古モンゴロイド(縄文人)と北方から中国に南下し朝鮮半島を辿って来た新モンゴロイド(弥生人)の混血とされてきました。教科書には、未だにそう書かれているかもしれません。然し、近年の研究では、古モンゴロイドはアイノイドと呼ばれるようになり、縄文人の祖先は4~5万年以上前には既に日本列島に居住し、4万年前には世界最古の磨製石斧を使用していました。新石器時代は、4万年前の日本列島で始まったと唱える海外の研究者もいるようです。日本固有とされるY染色体ハプロタイプD1bとC1
こんにちは。皆さん、この勝利の日本史を見てくれてありがとうございます。この勝利の日本史は某会社の日本史の教科書は、難しいという人向けに書きます。私は日本史問わず、歴史はロマン溢れるストーリーだと思っています。私はまるで皆さんにストーリーを話すように日本史を教えたいなと思います。では、これからよろしくお願いします。第1講は人類の誕生と進化について講義します。まずはこちらを見てください。こちらは人類の誕生から進化までを図式化したものです。まずは猿人ですね。猿人はアフリカ
10月13日(土)浜北区堀谷大日本荒鎺本社で例大祭が執り行われました。大日本荒鎺本社は、日本で唯一とされる磐座を御神体とするアラハバキ神社。直ぐ近くには、縄文人も利用したであろう渾々と湧出る泉があり、住居とするには申し分ない洞窟もあります。この堀谷鍾乳洞からは縄文時代の遺物も発見されています。一山隔てた場所には、本州最古の化石人骨「浜北人」が発見された旧石器時代の遺構「根堅遺跡」があります。ここには、太古の昔から人々の営みがあり、連綿と祭祀が続けられてきたのではないかと
10月13日(土)に浜北区堀谷にある大日本荒鎺本社で祭典が執り行われます。アラハバキノ大神威様は女神とされ、偽書?『東日流外三郡誌』で遮光器土偶の姿で描かれています。古来より謎の神とされ、様々な説が唱えられています。アラハバキノ大神威様は、クナトノ大神威様(岐神、二俣神)の配偶神であり、出雲族の最高神である。アイヌの大首長である。武蔵国一宮氷川神社、三河国一宮砥鹿神社の本来の祭神である。伊勢神宮内宮荒祭宮に祀られる天照大神荒御魂(=瀬織津姫)とは本来アラハバキである…など、本来はアラハ
米国の世界史教科書が韓国関連の内容を拡大、「日本海」は「東海」併記に=韓国ネット「誇らしい」「慰安...ニフティニュース...政治・経済についての記述が2ページ分追加され、石窟庵(慶尚北道慶州市にある仏教遺跡)など独創的な文化についての内容も掲載される」と説明したという。経験者が教える、マチュピチュへのアクセス方法と楽しみ方【現地ルポ】ガジェット通信ペルーのアンデス山脈、標高約2,450mの尾根に位置する古代インカ帝国の遺跡「マチュピチュ」。山裾から遺跡の存在が見えないことから
日本でついに墓に葬られた旧石器人骨が発見された。沖縄県教育委員会が19日午後、最終的な調査結果を発表した石垣市白保竿根田原洞穴遺跡の旧石器人全身骨格で、発見された洞窟は国内初の旧石器時代の墓地と推定された(写真=発掘調査の模様)。旧石器時代の初めての墓か日本で1万カ所もあるとされる旧石器時代遺跡は、ほぼすべてが石器のみの出土だ。石器を作った旧石器人がそこで暮らし、やがて死んだはずだが、死者を埋めた土層は、火山灰の混じる酸性土壌で形成された日本列島の地質学的性質のために、骨
http://nyabecch.blogspot.jp/2017/05/3_7.htmlhttp://nyabecch.blog47.fc2.com/blog-entry-3735.html
サルマタイ時代の遺跡中期アメーバブログサルマタイ時代の遺跡.中期Wikipediaよりサルマタイ文化は中期サルマタイ時代に最盛期を迎えた。この時代の文化はサラトフ市の北のヴォルガ川左岸に位置...<金口木舌>遺跡を観光資源に琉球新報世界最古の釣り針など、大発見が相次ぐ南城市のサキタリ洞遺跡。記者会見用資料に「沖縄遺産のブランド開発発信事業」という文字があった。一括交付金事業...<縄文遺跡群>世界遺産登録課題9項目確認河北新報青森、岩手、秋田の北東北3県と北海
1-1更新世と日本原始時代についての混乱を避けるためには、まず、地質学上の年代区分と歴史学・考古学との関係を正確に把握しておく必要がある。下の表をみてほしい。【地質年代と人類の進化】更新世とは、約260万年前から約1万年余り前までの期間をさす地質学上の言葉で、この時代には、寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期がくりかえされた(氷河時代)。今からおよそ700万年前に出現したと考えられている人類は、この間に、猿人→原人→旧人→新人へと進化し、日本列島にも数十万年前から人類が生活して