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1966年4月27日から5月1日までは、大阪・梅田コマ劇場で「舟木一夫ショー」があり、共演は山内賢さんと西尾三枝子さん。そして、5月3日から9日までが、東京・浅草国際劇場での「舟木一夫ショー」共演は、和泉雅子さんでした。前年、「花咲く乙女たち」「高原のお嬢さん」の映画公開があり、このショーの後には、和泉雅子さんとの共演による「絶唱」の撮影が決まっていましたから、日活からの応援共演がされています。
AKBではなく。SKDは、戦前に設立された、かつて西の宝塚歌劇団と向こうを張った東京・浅草を本拠地とした松竹運営の歌劇団である。松竹歌劇団(ShochikuKagekiDan)の通称で、紆余曲折の後、1996年に解団されている。同劇団出身者として、テレビや映画で良く知られている方々として、お年を重ねて今なお麗しい草笛光子さん、寅さんの妹役や「ハウルの動く城」のソフィーで知られる倍賞千恵子さん、等々がいらっしゃる。母はテレビに映るたびに「淡路恵子さん、おきれいねー」とばかり言っ
渡辺プロダクションタレント友の会会報「YOUNGヤング」1980年12月号の表紙は小柳ルミ子さんでした。巻頭グラフでは「日本歌謡大賞」で六度目の「放送音楽賞」を受賞された沢田研二さん、小柳ルミ子さんの国際劇場公演、石川ひとみさんの「ほほえみコンサート」などが紹介されています。この年の「日本歌謡大賞」の大賞は八代亜紀さん、放送音楽賞は西城秀樹さん、五木ひろしさん、小林幸子さん、高田みずえさん、沢田研二さん、新人賞は田原俊彦さんとま松田聖子さんでした。クローズアップでは12月に帰国し
ゴールデンウィークの谷間、それでも車の数さえいつもより少ない気がします🚗大連休な人もやっぱり多いのですかね。後半の4連休、イベントの計画立ててる人も多いでしょう、まったく羨ましいかぎり😅旅行なんて縁のない暮らし、1度くらい"温泉旅行"なんつ〜もんに行ってみたいもんだ😁さ、今日もDVD📀1937年の作品、『西部地獄街』まずはパッケージからフムフムしときますかね👀【「西部魂」のリメイク作でもある、ジョン・ウェイン主演で贈る西部活劇】【避雷針売りと旅するデュークは実業家の従兄弟を頼り
1964年3月8日日記公演は無事終わりました。この八日間のショーは、ボクにとって初めてのワンマンショーでした。それがともかく無事終わったのである。紙上を借りてお礼の言葉を言わせて頂きます。ファンの皆さま、本当に有難うございました。今後とも宜しく!千秋楽のパーティーが「飯田屋」さんと言うドジョウ屋さんで開かれた。ボクは田舎者のくせに、ドキョウは弱いのですき焼きにして貰った。
1964年3月4日日記今度の公演では思いがけない出来事が次々に起こる。ボクが歌っている時に、可愛い男の子が舞台に上がって来た。ヨチヨチ歩きながら、花束をボクにプレゼントしようとした。ところが初日の時と同じ様に、坊やはオーケストラボックスに落ちてしまったのである。さあ大変、歌の途中でボクは坊やを拾いに行った。場内は大騒ぎだった。別にケガはしなかったのでホッとしたが、とにかく驚いた。(この後公演が続く為、3月5日から7日は日記がおやすみになりま
1964年3月3日「舟木一夫ワンマンショー」は3日目を迎え、映画で共演していた仲間たちが浅草国際劇場に来てくれました。舟木さんが初めて出た映画「高校三年生」で共演し、とても仲良くなった大映の倉本功さん。そして舟木映画2本目となった「学園広場」で共演した山内賢さん。そして、これまではまだ共演はありませんが、日活の若い仲間の一人進千賀子さん。後に「あゝ青春の胸の血は」で共演をする事になります。倉石功さん舟木さんがデビューして最初に出演した映画「高校三年生」は、曲がヒットして、すぐ目を付け
1964年3月3日日記前々から「仲間たち」で共演した仲間たちが、ボクの公演を見に来てくれる約束だった。浜田光夫さんも来て下さる、と言っていたのだがロケに出掛けて留守。その代り、他の映画で共演した倉石功さん、山内賢さん、進千賀子さんなどが見えボクは感激した。公演を終えてから倉石功さんとボーリングに行く。倉石さんはボクの家に寄ってくれて一緒に食事をする。愉しかった。
舟木さんの初めてのワンマンショウ―が1964年3月1日から、浅草国際劇場で始まりました。浅草国際劇場と言っても、既に1982年に閉館しており、見る事も出来ません。出来た当時は、「東洋一の劇場」とも呼ばれ、椅子席3800席補助椅子1000。立ち見を入れれば5000人以上を収容できる大劇場でした。ご訪問頂いている方の中には、行かれた事のある方も沢山居られるかも知れませんが、どの様な劇場であったかを、資料を基に載せてみる事にします。場所は東京都道262号蔵前三ノ輪線の国際通りと呼ばれ
1964年3月1日浅草国際劇場。念願の大劇場「浅草国際劇場」で「舟木一夫ショー」が幕を開けます。前年の1963年6月のデビューから、「高校三年生」で大ホームランをかっ飛ばし、新人らしからぬ活躍は、次々出す曲は、二塁打や三塁打をかっ飛ばします。足の早さは盗塁王のごとく、高校三年生での映画出演、続いて学園広場の映画出演、故郷一宮では凱旋コンサートに、後援会の発足。MVPは「舟木一夫で決まり!」とばかりに、レコード大賞新人賞、NHK紅白歌合戦初出場、NHK大河ドラマ「赤穂浪士」に出演。ドジャース
1964年3月1日日記一日から八日までは、浅草国際劇場の舟木一夫ショーに出演毎日、同じような生活なので、その中の変わった話題をファンの皆様にお伝えしましょう初日の一日は、早朝四時、劇場に入るすでに大勢の人が並んでいる朝早くから何をしているのだろう?と思ったらなんと、それがボクのショーを見に来てくれたんだ,と聞いてビックリ仰天こんな熱心なファンの方がいると知って改めて大いにハッスルせねばならないと思った衣装を着けて舞台稽古を開始
1965年9月、日活映画「東京は恋する」が公開されました。これで11本目の映画出演となり、日活映画としては6本目となる映画です。1月の「花咲く乙女たち」3月の「北国の街」に続き、この年3本目となる映画公開でした。しかしこの時すでに、次回作「高原のお嬢さん」の出演が決まり、撮影が開始されて、ロケ地となる長野県の蓼科へと向かう日が続きます。そして10月31日から行われる浅草国際劇場での「舟木一夫ショー」と忙しい日々を一週間風にまとめられた記事です。二人が蓼科の滝を見に行くシーンがあり
1966年(昭和41年)9月1日に園まり後援会から発行された会報「園」第1号の写真の一部です。第1号は新聞形式でしたが第2号以降は冊子になりました。6月1日から一週間、日劇で開催された初めてのワンマンショーについての紹介、9月3日からの国際劇場出演と9月5日発売の新曲「夢は夜ひらく」の宣伝などが載せられています。
「野良猫人生」です✨今日は暑い🥵です何時もと違うAEONに(イオンタウン)買出しに出ましたが…暑い🥵…愛車ラビット号で汗だく💦でした…一般の人に風を切って涼しいでしょうなんて言われたりしますがずっと突っ走っていたら涼しいかもしれませんが普通の道路では信号🚥があり走ったり…止まったり…速度も遅くて暑いんです…苦笑いさて9月中旬に東京スカイツリー(業平橋)すみだ水族館の帰り乗り換えで久しぶりの地下鉄浅草駅(銀座線)アダルトDVD📀って…(笑)日本最古と
1966年(昭和41年)に勁文社から発売された園まりさんのフォノシート(ソノシート)「何んでもないわ」の写真の一部です。提供は日本グラモフォン、協力は渡辺音楽出版と明星で企画は渡辺音楽出版になっています。当時、園まりさんが「男性のアイドル」と認識されていた事が分かります。
1968年(昭和43年)9月13日から16日まで浅草国際劇場で開催された日野てる子さんのリサイタルのパンフレットの写真の一部です。このパンフレットに載せられたプロフィールで日野てる子さんの2枚目のシングル「星かげの浜辺」の発売日が1964年6月20日と分かりました。このパンフレットの日野てる子さんのプロフィールは詳細で参考になります。当時、日野てる子さんがファンの方から「にゃんこ」という愛称で呼ばれていた事も分かりました。このリサイタルは特別ゲストとして小川知子さん、城卓矢さん、高
1967年(昭和42年)1月6日から12日まで浅草国際劇場で開催された新春豪華ショー「初春夢は夜ひらく」のパンフレットの写真の一部です。園まりさんと藤田まことさんの二枚看板の舞台でザ・ドリフターズ、布施明さん、南利明さん、Wけんじさんなどが共演されました。「てなもんや三度笠」の寸劇も有り、園まりさんの植木等さんとのデュエット曲「あんたなんか」を園まりさんと藤田まことさんで歌われたようです。
男はつらいよ寅次郎わが道を行く1978年8月5日(土)公開シリーズ21作目の今回は、マドンナ役に迎えられた木の実ナナが得意の歌と踊りを披露するほか武田鉄矢が寅さんと一緒に騒動をまきおこす。あらすじ初夏の景色でいっぱいの柴又に、例によってプラッと寅が戻ってきた。風邪で寝込んでいたおいちゃん、その寅に「俺も年だ、店を継いでもらえたら……」と一言。「俺だってそれは考えている」と寅も無理して言うが、それからいつものように調子に乗って続けてしまう。みんなに馬鹿にされて、寅はまた柴又を後にする。
1966年9月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの四曲入りのコンパクト盤「やさしい雨」のジャケット写真です。園まりさんにとって最大のヒット曲になったシングル「夢は夜ひらく」と同じ日に発売されました。9月3日から9日まで浅草国際劇場で「園まりショー」が開催されて望月浩さん、森進一さん、ザ・ドリフターズがゲスト出演されました。15日には大阪フェスティバルホールで「乙女の心を唄う園まりのすべて」が18日には京都勤労会館で「園まりワンマンショー」が開催されました。13日と
1966年(昭和41年)9月3日から9日まで浅草国際劇場で開催された「園まりショー」の様子を伝えるグラビアの切り抜きです。ゲストは望月浩さん、森進一さん、ザ・ドリフターズでした。
こんな記事見つけました。松竹歌劇団が再結成!「東京レビュー」復活をめざす劇団員の決意松竹歌劇団OGが再結成!「東京レビュー」復活をめざす劇団員の決意|デイリー新潮昭和初期に宝塚歌劇団、OSK日本歌劇団と並んで“三大少女歌劇団”と称されたレビュー劇団が松竹歌劇団(SKD)だ。…www.dailyshincho.jp松竹歌劇団松竹歌劇団-Wikipediaja.wikipedia.org国際劇場国際劇場-Wikipediaja.wikipedia.orgSKD
気になっていた、スマホのAndroidOSのアップデートはいつ?今朝調べたら、昨日〜今朝早速ダウンロード📱新学期の春🖊📒Android14になった。OSの提供元だけにAndroid端末は、GooglePixelが良いみたいに思う今日この頃。もう、GoogleとApple社の2社体制に絞られそうな〜。未使用/国内版SIMフリーGooglePixel8128GB/256GB[Obsidian][Hazel][Rose][Mint]docomo/AU/Softbank/楽天
REPOST11は、アメブロさんの「禁止タグ」なる得たいの知れないワードが、記事のどこかに潜んでいるらしく、POSTをいくつか削除するも未だ解決せず、投稿できないでいます。ゆえに、12を先にアップします。タイトルはショーケン「愚か者よ」マッチ「愚か者」だったよね、信じられない競作だったテレビで(確か夜ヒット?)「近藤さんのもいいですけど、わたしのも聴いてやってください」なんて、そんなニュアンスのことをショーケンが言って、「いや、あんたの曲になっちゃってますから!」と叫んだわ(じゅ
これまでの記事(1)笠置シヅ子の壮絶な生い立ち(前編)2023-11-17https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12828953681.html(2)笠置シヅ子の壮絶な生い立ち(後編)2023-11-17https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12828994773.htmlさて、今回の記事笠置シヅ子と服部良一の出会いは運命だった…東京の歌謡界で大阪人の師弟コンビが成し遂げた「ジャズ革命」東京で疎外感があっ
1968年11月1日から5日まで浅草国際劇場「ザ・タイガース・ショウ」開催パンフレット❣️「ショー」というタイガースはいつも歌だけでなく、プラスアルファで日本初の球場コンサートと言われた後楽園球場の時も、ケロヨンを登場させたりして趣向を凝らすのでしょうか?この浅草国際劇場では、1968年から3回開催されましたが、毎回、いろいろなことを魅せてくれました。初回のこの時、迷子になったのが恥ずかしいです🤣この55年前も、寸劇のように「ロビンフット」のちゃんばらをしていました❗️珍
ひとつ前の当ブログに書いたように、2019年5月12日に95歳で亡くなられた「京マチ子」さんの芸名は、「明日待子」さんに因んでいたという説があります。「ムーランルージュ新宿座」のトップ・アイドルの明日待子さんに対して、「大阪松竹少女歌劇団」にいた京マチ子さんはしばらくバックで踊るだけでした。しかし、敗戦後、「大阪松竹少女歌劇団」の幹部に昇進、そのダイナミックな踊りで注目を浴びるようになります。1948年、浅草国際劇場で京さんは全身を黒く塗り南洋の女に扮してブギウギを踊っているのを大映のプロデ
ジュリーが14年前くらいまで、ゴールデンウィーク辺りに、東京と大阪の帝国ホテルにて「トークショー」を開催していた❣️ディナーの後、歌は歌わず喋るだけ❣️でも、帝国ホテルへの電話は、なかなか繋がらない❗24000円だった❣️タイガースの話でも、阪神タイガースの話で聞いていてもさっぱりの語りもありました🤣ジュリーがそのトークショーでいつだったか、「僕には7人の恩人がいる」と…その一人今日は加瀬邦彦さんのご命日です偲ぼうとおもいます…ザ・タイガースとして、ジャズ喫茶に正式デ
3月31日金曜日〜その7坪内祐三福田和也著/構成石丸元章『暴論・これでいいのだ!』を読む。P317、浅草国際劇場でロケを行った、映画「男はつらいよ・寅次郎わが道をゆく」について触れている。(写真)講談社刊『男はつらいよ寅さんDVDマガジン』を全て揃えています。これは、Vol.29〜シリーズ第21作「寅次郎わが道をゆく」。国際劇場の場面に喰い入るように見ましたなぁ…。
思わず撮ってしまった風景は?白鷺が飛び立つ風景▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう中学生の頃高田浩吉が好きで、映画は全部観ました。歌も全部覚えました♪お正月の国際劇場は毎年美空ひばりと高田浩吉のショー欠かさず観にいきました♪「マンボ№5」などを「ウッ~」なんていいながら歌い踊って~♪楽しかったなぁ~~~#ウクライナに平和を
東京・大阪舟木一夫ショー明星昭和41年7月号より昭和41年4月大阪・梅田コマ劇場公演「舟木一夫ショー」昭和41年5月東京・浅草劇場公演「舟木一夫ショー」舟木一夫三周年記念の、二つの「舟木一夫ショー」には、大阪では、山内賢さんん西尾三枝子さんがゲスト出演され、東京では、和泉雅子さんがゲスト出演されています。この年は、NHK大河ドラマ「源義経」で、舟木さんは平敦盛を演じました。55年前の、舟木さんの舞台での活躍がご覧いただけましたか。