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人生の中では幸運に思えること、不運に思えること、いろいろな出逢い、出来事がありますが、それを受け入れて進むことによって、より強かったり、より面白かったりする人生が開けるんだなということを、最近しみじみと感じているのです。浅川智恵子(日本科学未来館館長/IBMフェロー)
視覚障碍者になってからというもの、自分の選択肢がとても少ないことを感じてきました。私は一度選んだ道は最後までやり遂げることを常に心掛けてきました浅川智恵子(日本科学未来館館長/IBMフェロー)
人生の中では幸運に思えること、不運に思えること、いろいろな出逢い、出来事がありますが、それを受け入れて進むことによって、より強かったり、より面白かったりする人生が開けるんだなということを、最近しみじみと感じているのです。●浅川智恵子(あさかわ・ちえこ*日本科学未来館館長)
日本科学未来館館長、IBMフェロー浅川さんは1958年大阪府豊中市生まれ11歳の時にプールに顔をぶつけた際のケガで視力が落ち、14歳で完全に失明普通なら困難に直面して立ち止まってしまうところだ。浅川さんは「このまま家にいても何も変わらない。必ず前に進む道があるはず!」盲学校へ進学、翻訳家になろうと大学は英文科へ進む!しかし、会議の翻訳では膨大な紙の資料が必要だと分かり、別の道を模索。そんな時にプログラミングに出会い、視覚障害者向けにプログラミングを教
両眼共にかなり進んだ緑内障との診断を受けた頃、彼女のプレゼンにとても励まされました。今もこれからも、彼女は私の希望です。