ブログ記事120件
内藤孝南アクセス令和七年の一年間の運勢の傾向11月の運勢(毎月の運勢)今週初めは、南千住の僧侶と歩くお寺巡りに参加しました。その時に、浄閑寺という大きな延命地蔵のお寺にも行きました。ここは、通称「投げ込み寺」というのだそうです。ここは小塚原処刑場のあった場所だそうです。小塚原は、古塚原、骨ヶ原とも呼ばれていたそうです。罪を犯したモノが処刑されたり遊郭で亡くなった花魁などは、筵に包んでお寺に掘られた大きな穴に放り込まれていたそうです。お寺に入
浄閑寺で七回忌の法事でした。我が家からは車で40分くらいで着くから車が断然いいんだよね〜ここは遊女が身を投げ込んだと言われるお寺さんなんだよねーとても興味深いなぁけどあまりよくわからないんだけど😅鬼滅の刃遊郭編を思い出すぜ😼お昼ご飯まで用意していただきありがとうございます😃
①②の続きです。『★吉原のこと①』「吉原の浄化、遊女の癒し」というメッセージを受け取りその後、メッセージだけではなく実在する人物まで投入され東京に行くことに決めました。東京行きを決めてか…ameblo.jp『★吉原のこと②』①の続きです。『★吉原のこと①』「吉原の浄化、遊女の癒し」というメッセージを受け取りその後、メッセージだけではなく実在する人物まで投入され東京に行くこと…ameblo.jp間違って風俗店を行き先に設定していたことに気付きあ
「吉原の浄化、遊女の癒し」というメッセージを受け取りその後、メッセージだけではなく実在する人物まで投入され東京に行くことに決めました。東京行きを決めてから吉原について調べて知ったのですが今年のNHKの大河ドラマは吉原のことを題材にしたものだったのですね。私はもう10年ほどテレビを見ていないので今回、吉原について検索してその大河ドラマを初めて知りました。吉原神社には、べらぼうコーナーやグッズなんかもありました。ドラマを見てた
・・・・・・都電・荒川線の終点でおりました。宣伝の看板がレトロすぎる・・・・・・・・NHK大河ドラマ「べらぼう蔦重栄華乃夢噺」が好評放送中ですよね。そこで延期になっていた台東区の吉原近辺を、ちょっと歩いてみました。「歴史散策の会」の皆さんと一緒です。とにかくタイムリー。いつもそうですが、歴史散策?と言っても、のんびりした会です。現地の歴史的な「空気」をほんの少し感じるだけですからね。吉原近辺と言えば、樋口一葉(1872-1896)が頭に浮かびますよね。出身地は、現在の東京都千代田
『私旅は辿り着かない&間に合わない』『前入りのお江戸は』『品プリNタワーお部屋レポート』恒例のいつから笑ホテルチェック✅荷物だけ預けようとしたらアプリ会員初回特典で早めのチェックインが出来…ameblo.jpチャットGPTTに振り回されながら前回行けなかった吉原界隈を再訪三ノ輪駅からこの日は月曜日樋口一葉記念館は月曜日は休館でしたが雰囲気だけでもと向かいの公園に記念碑がある公園には子供たちの姿はなくおばさんやおじさんがそれぞれ紙たばこを吸っていて
孤高の文士・永井荷風の漢詩文調で古風な文章が好きなawakinです。この明治生まれの作家は何ものでもない一般人の目には奇人変人に写ります。何しろ文壇との関わりは頑なに拒んで敵視するばかり、実家とは絶縁し、日常は病院通いと散歩、電車に乗れば3億円相当の残高が入った通帳を落とし、花街と私娼そしてストリップ劇場の踊子たちと濃密な時間を過ごして今で言うパパラッチに追いかけ回されたりと、孤独でありつつ騒がしい日常を過ごしていたようです。とは言え彼の日記、有名な「断腸亭日乗」を読み進むと、この
秋分の日。今日は浅草探検デー。さあ、レッツゴー❗️まずは、三ノ輪駅からスタート。「投げ込み寺」と言われた浄閑寺へ。ここにはたくさんの吉原の遊女が亡くなったら投げ込まれるていたお寺。遊女は消耗品扱いでした。その中でも花魁に上り詰めてリスペクトされていたのが若紫。若紫は良い旦那さんに身請けされる直前に、カミソリを持って暴れた他の遊女の客に喉を切られて死んでしまいました。不憫な遊女たちを想って若紫のお墓をお参りしてきました。さあ、次は吉原神社にいくぞと、国際通りを歩いていたら、樋口
「べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館」から入場者が乗れる循環ミニバスに乗って台東区内の蔦重ゆかりの地へ。蔦重のお墓のある正法寺、樋口一葉が吉原のあたりを描いた「たけくらべ」にも出てくる見返り柳、耕書堂があった五十間道、大門跡(写真なし)九郎助稲荷が合祀された吉原神社、女郎たちが弔われている浄閑寺(こちらは荒川区)。ミニバスは乗り降り自由でしたし、少し遠い浄閑寺には、台東区の循環バスのめぐりんを使うと便利でした。土地土地の史跡を訪ねることで、この地で暮らしていた人々に思いを巡らせるこ
今度は大河ドラマ「べらぼう」に縁のある場所へ行きたくて、浄閑寺へ行きました。浄閑寺は投げ込み寺とも呼ばれ、吉原の遊女たちが眠っているお寺です。大河ドラマ「べらぼう」では吉原遊郭の遊女が亡くなったあと裸で投げ込まれたお寺のシーンがあったけど、わたしもあれを見て悲しくなりました。亡くなった遊女がお金になるからと着物を奪われてしまい、裸同然で埋葬されるシーンは遊女の境遇を示すうえで「よく演出してくれた!」と思います。この時は時間がなくて吉原には行けなかったけど、東京に行ったらお参りのためにも必
2025.5.29〜31東京の旅俳句を差し込み、紀行文を書いてみました。旅の記録。https://note.com/365ryu/n/nf1ac423f6aa1【隅田川紀行】慌ただしい暮らしの中で、ふと亡き人たちの生に思いを馳せる_2泊3日東京の旅|劉秀美『隅田川散策』が描かれた永井荷風の小説を読み、隅田川沿いを歩きたくなった。東京高尾の霊園に眠っている祖母に会いにいきたい。この2つの想いが、東京2泊3日の旅の出発点だ。2025年5月28日午後10時過ぎ、車に乗り込み大阪を出発。
南千住と浅草散策の詳細記事。今回は三ノ輪の浄閑寺という寺院です。別名「投げ込み寺」と呼ばれており創建は新吉原が移転する2年前の1655年と伝わります。吉原移転記事のリンクを貼っておきます。↓『山谷堀から吉原へ:下町にも出雲族?』前回のブログで「待乳山聖天の境内は前方後円墳の上に広がっている。」という仮説を立てたオヤジ・・・・・🤔今回は古墳時代からずっと下って江戸時代の浅草界隈のお話…ameblo.jp新吉原総霊塔。↑「投込み寺」という名称は吉原で働けな
4月19日に地下鉄日比谷線の三ノ輪駅に降り立ったオヤジ。南千住、浅草界隈を散策しました。😎南千住や三ノ輪周辺は浅草の北側に位置しており隅田川の自然堤防に広がる浅草よりも標高は明らかに低い。(↑)三ノ輪は都電荒川線の終点。最近、「東京さくらトラム」という愛称が考案さたそうです。ところで他の都電が廃線となる中どうして荒川線だけが残ったのでしょうか?おそらく大半が専用軌道で交通渋滞を起こす可能性が低く路線の管理も比較的容易である事が理由だと思われます。
大門側から歩いて遊廓エリアの一番奥に当たる所に鎮座まします吉原神社。元は大門交差点と遊廓街の四隅にあった稲荷社を合祀したもの。綾瀬はるかの九郎助稲荷は一番奥の南側にありました。地図を見ているとその九郎助稲荷の隣に「浅草溜(あさくさだまり)」という一角があり、男、女と別れています。調べてみると、15歳未満の重罪人や重病になった女郎などが投げ込まれていたと記されています。そしてこの場所の管理を行なっていたのが車善七という非人頭。溜には非人たちの寄せ場もあったとのこと。これはこれでいろいろ考察できそ
今もなお倭姫命の動画が上がります。。あー分かりません何故?能力の無さに悲しくなります💧年間1000〜2000人死刑は執行されていたと言われてる刀の試し斬りもしたという話を聞いたことがあるま、昔はいつの時代もそんなもんだろうけど治安が良かったと言うけど表に出ないようにしていただけでしょ権力ってそういうものよなんてったって鳴かぬなら鳴くまで待とうよ?綿密な…執念が違うわwアタシは江戸時代が好きだけど別に平和だったから好きなわけじゃない瀬織津姫が平和な時代だったと?!それ
浅草周辺を歩きながら学ぶ通訳案内士研修に参加しました。この研修では、雷門などの定番の観光地を案内するだけでなく、いわゆるダークツーリズムとも呼ばれる歴史の負の部分の探訪もしました。ここで紹介する浄閑寺は一見すると普通のお寺なのですが、その歴史を知ると吉原という場所が暗い歴史を抱えているということがわかります。人気大河ドラマ「べらぼう」で脚光を浴びている吉原ですが、華やかな部分だけでなく、このような側面があったということも伝えていきたいものです。浄閑寺と吉原遊廓の歴史江戸時代、吉原遊廓は日本最
皆様は2025年の大河ドラマ『べらぼう』を観ていらっしゃるでしょうか?わたくしは毎週観ております。吉原遊廓の華やかな様子とともに、初回では亡くなった遊女たちの埋葬シーンもあったりして、色々と考えさせられるドラマとなっていますよね。昨日ですが、そんな遊女たちの供養を行ってきた、三ノ輪のお寺さんへお参りさせていただきました。『栄法山清光院浄閑寺』(別称:投込寺)浄土宗寺院ご本尊阿弥陀如来創建明暦元年(1655)開山晴誉山門の木造部分は荒川区の最古の木造建造物に指定され
安政2年(1855)の大地震の際に、多くの新吉原の遊女が投げ込むように葬られたことや、あるいは吉原で引き取り手のない遊女の死体を投げ込むように浄閑寺にかつぎ込んだことから「箕輪の無縁寺」「投込寺」と呼ばれるようになったと言われている。(諸説あり)(浄閑寺様でいただいた由緒書より)新吉原総霊塔川柳作家花又花酔(はなまたかすい)の詠んだ句「生れては苦界、死しては浄閑寺」が刻まれている。
大河ドラマ「べらぼう」第1回の紀行で、浄閑寺が出てきましたね。吉原の近くにある浄閑寺。吉原が現在の地に移って以来、(明暦2年に現在の地に移転。)遊女たちを弔い続けています。(浄閑寺は遊女の投げ込み寺として知られているんですね。亡くなった遊女が寺に投げ込まれていたということですね。)新吉原総霊塔。
べらぼう~#1語り手の九郎助稲荷🦊さんの登場!徳川幕府300年間に約100回もの大火に見舞われたという江戸。三年に1度は焦土と化した江戸。その中でも江戸三大大火🔥の二つ目、目黒行人坂の火事(明和九年1772)から物語が始まった。行人坂大圓寺から出火し、麻布、日本橋、神田、本郷、浅草に延焼。まさかの九郎助稲荷背負って逃げる蔦重それにしても第1回で喧々諤々の論争が起こった衝撃シーン☝️蔦重に📖の楽しさを教えた元花魁で、体を壊して切見世が並ぶ河岸見世の下級遊女まで落ちた朝
待乳山聖天の大根まつりに行った後で久しぶりに吉原に行ってみました今年の大河ドラマが吉原遊郭を舞台にした「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺〜」ということで今年注目のエリアです吉原の入口である大門にあった柳の木遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、このあたりで遊郭を振り返ったということから「見返り柳」の名があります吉原大門の前のS字カーブの道は江戸時代からの道がそのまま残っています遊郭の中を外から覗けないようにしていたと言います吉原大門があった場所に今は「
こんにちはソラです今日は三連休の初日どこにいくでもなく家で留守番しながらユックリ寝そべり生活禁断のスナック菓子「ぱりぱりさくさく」がまんできずに手にしてしまう…ブログを見たり、読書したりあったかいココアを飲んだり…気がつくと睡魔に襲われる最高の日です先日妻の知人からいただいた深紅を濃縮したような真っ赤の唐辛子!周りの空気も辛くなりそうで見ごたえ充分!!鷹の爪は、おコメにまぜれば虫よけになるなぜか、唐辛子からきてからそのそば
皆様、ご訪問ありがとうございます。美すずです。先日、黒留袖の会のブログを書きましたが『着物備忘録2024/12/22』皆様、こんばんは。美すずです。明日は仕事始め。今年は息子が帰省をずらしたので、ゆっくりと過ごせたお正月でした。ブログをほったらかしにしていたので、備忘録として…ameblo.jpその際に、『銀太郎さんお頼み申す』の第5巻の事に触れました。その時に、銀太郎さんの最新刊が出ていることに気づき、慌てて購入!銀太郎さんお頼み申す6(愛蔵版コミックス)[東村
今年の大河ドラマは発表された時からずっと楽しみにしておりました。で、放送前日にこの方の動画を参考に娘と散策してきました↓全くこの動画の通り・・という訳にはいきませんでしたが。。スタートはこちらから↓そして、隅田川を沿いには広重の絵が↓現在の隅田川からは隔世の感があるこういう光景が見える訳ですが↓そんなことを感じながら歩くのも楽しいものです。そして、現れたのは待乳山聖天↓ここは何度か訪れたことがありますが思わず”浮世絵画集”と広重の絵の”
NHK大河ドラマ「べらぼう」がスタート。12月30日付ブログで触れた”ボキャブラリー”が続々登場。昨年芸大美術館で「大吉原展」を見たのは、この番組のための予習だったのかな?などと思ってしまった。◆ボキャブラリー1)吉原五十間道◆蔦屋重三郎の店はこの道沿い。吉原の中を見せまいと、道をわざと曲げている。◆ボキャブラリー2)鉄漿溝(おはぐろどぶ)◆遊女逃亡防止のために堀のようなどぶが周囲に設けられたため、今でも、その段差跡が垣間見られる。場所的には一旦吉原の外に
NHK大河ドラマ「べらぼう」横浜流星小芝風花浅草寺浅草寺『【台東区】総本山浅草寺②』寺社No.1049御朱印No.690総本山金龍山浅草寺東京都台東区聖観音宗坂東13番、浅草七福神大黒天、江戸観音1番2001年11月21日御朱印…ameblo.jp吉原神社吉原神社弁財天『【浅草七福神弁財天】吉原神社①』寺社No.2553御朱印No.2161吉原神社東京都台東区浅草七福神弁財天2011年10月13日「べらぼう」ameblo.jp吉原神社『【台東区】
安政6年(1859)に摂津国屋は、前田家、上杉家等の大名からの貸付をほぼ取り立ててしまい、家に貯えた古金銀も概ね沽却(こきゃく:売却)したそうであるが、香以の豪遊はそれでも衰えなかったと鷗外は記す。「遊に慣れたものは燈燭を列(つら)ねた筵席(えんせき:宴席)の趣味を忘るることを得ない」と。この年に新しく花鳥を馴染みとした。そうして2年が経った。即ち文久元年(1861)夏、香以は日本橋沿いにあった鞘町河岸の船宿で吉原へ行くための舟を頼み(艤し)、松井町の稲本楼に行った。だ
9月の半ばにアップしてた市川市行徳方面の浄土宗寺院が途中だったので、続きを書きたいと思います😅前回の記事はこちら↓下新宿の大徳寺から本行徳の浄閑寺へ〜巡礼したのは5月18日…まだ5月半ばの事でございます😱🤣🤣浄閑寺の山門地蔵菩薩と六角塔六角塔には南無阿弥陀佛の六字名号が彫られています浄閑寺の縁起案内板本堂昭和63年(1988年)再建のもの浄土宗寺院の浄閑寺は、飯澤山長寿院浄閑寺と号します浄閑寺は、元亀年間(1570〜1573年)頃より観音堂のあった当地に、西蓮社鎮誉一
三ノ輪の寿永寺から浄閑寺へ移動します浄閑寺の三門浄閑寺の縁起案内板小夜衣供養地藏尊元々は境内にありましたが、今は三門横に有ります境内案内図本堂浄土宗寺院の浄閑寺は、栄法山清光院浄閑寺と号します創建は、明暦元年(1655年)開山は天蓮社晴誉順波和尚安政の大地震で、吉原の遊女達の遺体が沢山投げ込まれたことから、投げ込み寺と呼ばれる様になりました作家の永井荷風は、遊女の暗く悲しい生涯に想いをはせ、しばしば浄閑寺を訪れていたそうです御本尊の阿弥陀如来恵心僧都作で、昭和59年
2020年4月中旬の東京都台東区浅草・今戸・吉原・三ノ輪散策の続き。「豊川稲荷神社」「最上稲荷神社」「正宝院(飛不動)」「樋口一葉旧居跡」「一葉記念公園」「吉原公園」と回った後は、土手通りを三ノ輪駅方面に歩いて行きました。豊川稲荷神社・最上稲荷神社・正宝院(飛不動)・樋口一葉旧居跡・一葉記念公園・吉原公園のレポ『正宝院(飛不動)・樋口一葉旧居跡・一葉記念公園・吉原公園~東京都台東区の神社・寺院・史跡・街並』2020年4月中旬の東京都台東区浅草・今戸・吉原・三ノ輪散策の続き