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私はこれまで、何回かに分けて、死後の生命について考察してきました。どこかのアンチブログの管理人さんが言っていたように、「死んだら終わり」なら、身も蓋もありません。どうせ「死んだら終わり」なら、現世で享楽的に生きる人が増えるでしょう。欲望にまかせて悪事さえ行う人が出てくるかもしれません。「死んだら終わり」なのか?2021-10-08キューブラー・ロスの死生観2021-10-09海の表面の波2021-10-10"エネルギー保存の法則"と死後の生命202
田んぼの秋の夕景です夕日が沈みシルエットと化した南アルプスの山脈の上照柿色に染まった夕焼雲が山の向こうの空の果にあたかも吸い込まれるかのように伸びていました今日の一句秋夕焼雲流れ行く浄土へと酔人あきゆやけくもながれゆくじょうどへと句の文字色は照柿(てりがき)です
トクモリザウルスのヤスさん。とても優しい口調で、聞いていて癒されますおばあさまの優しさも伝わってきますね先生からの感想・・・・・・ヤスさんやユタであったおばあさんが見ている霊は新しいモノたちですね・・・古いといっても100年前前後かと・・・・怨霊や妖怪みたいなものはいない・・・霊界の世界には何層も異なった層があり、色で例えると濃淡があるような感じです。見える人の殆どが比較的新しい霊魂しかみえていない・・・また、その人の霊性によっては見えるモノも違うようです。
「写経会」時間は、朝の10時~11時半までです。日程は…、1.おつとめ礼讃文・正信念仏偈(焼香)・私たちのちかい。2.みなさんに写経していただく部分を住職がお話ししました。3.みなさんに写経していただきました。4.みなさんとお茶とお菓子をいただきました。5.恩徳讃を歌って解散しました。※参加してくださったみなさまへ今日は、曇でとても蒸し暑い日でしたが、みなさん本当に良くお参りくださいました。心よりお礼申しあげます(合掌)今回は、「正信念仏
少年時代には、FMラジオの電波を探して、部屋中をウロウロしたり、窓に電線を這わせて、アンテナをそれにくっつけたりと(笑)電波は飛んでいても、環境で弱かったり、途切れ途切れになったりと(@_@;)念仏を「呪術」と受け取れば、念仏を唱えると、阿弥陀如来を使役出来るみたいに解釈されてしまう。カルト教団のマントラと同じになってしまうって事💦如来の遍く響く「本願」を受け取って、受入れた時、如来に全てお任せした他力の本願が、其身から溢れ出る…それが、他力本願(≧∇≦)b
こんにちわ、みっちゃんことみさおです♪もし、あなたが、ある動画を見て「いいな」と思った物があったら、その物を「買うか買わないか」その選択はまだ早いです。おそらく、その後、別の場所で類似した動画を見つけても、あなたはその中にある情報をクローズさせることでしょう。何故ならば「前にもこの話を聞いた事がある」といった既存の行動、あるいは,既に買ってしまったのだから。ところが、世の中にある情報の80%はまねられたコピー情報だと言っても過言ではありません。20%のアイデアが派生しているだけ
茨城県筑西市のフラワースクール幸花でございます。ご訪問下さって、誠にありがとうございます先日、とっても楽しいK様から、岩手県のお土産をいただきました。K【幸花さん、こういうの好きかと思って^^】と。緑茶、桑の葉、大麦若葉、人参、杜仲茶、クマザサ、昆布、黒大豆、玄米、リンデン、黒米、赤米、明日葉、カミツレ、ひじき、丁字、ウコン、蓮葉の入った植物混合茶でございます。身体によい感じのお茶ですね。よいエネルギーが、ま
明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…「善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや」知らない人はいない、というほど「歎異抄』で一番有名な言葉です。「善人でさえ浄土に往生できるのだから、まして悪人はいうまでもない」。これは「悪人正機」といわれている教えで、「正機」とは「仏の教えや救いの対象となる人」のことです。ところで、一般の考え方を言葉にするなら、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」で、「悪人が往生して浄土に行けるのならば、善人なら、な
『僧侶への道』(25日目)『南無阿弥陀仏!』残りの人生どう生きていこうか・・・・60過ぎたら思うこともあります。仕事はまだまだ第一線でやっていますが若い人に譲っていかないと将来のためになりません。昔から哲学的な考えを持っていました。商売をやってても最後は『人』なんだろうと。宗教にって思いが強いわけではありません。自分の人生に役に立てばそれは他人のためにもなるだろう。そうだ、僧侶になろう。(名前が正信も何かの縁だろう)2023年7月4日に決めま
気にかかった文章】Ⅱ辺境人の「学び」は効率がいい「ネゴシエーションできない人」というのは、自説に確信を持っているから「譲らない」のではありません。自説を形成するに至った経緯を言うことができないので「譲れない」のです。「自分がどうしてこのような意見を持つに至ったか」、その自己指摘閲歴を言えない。自説が今あるようなかたちになるまでの経時的変化を言うことができない。私たち(日本人)はつねに他に規範を求めなければ、おのれの立つべき位置を決めることができない。努力と報酬の間に
「講演」タンポポよよい話ができるよう守ってくれとタンポポの花を胸にさして講演をするみんなニコニコして聞いて下さったのはタンポポのおかげだありがとうありがとう「待っていられる仏陀」光り輝く浄土の門に背を向けて生きてきた無数の無数の数えきれない程の無数の無知な者たちがやってくるのを迎え待っていられる仏陀よその暖かいおん顔よおん目よおん手よああ今も立ち続けていられる世尊よ坂村真民*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
「独りいて悲しむときは二人いると思え、二人いて悲しいときは三人いると思え。その一人は親鸞なり」親鸞ご存じ、浄土真宗の宗祖の親鸞さん。そのお師匠さんは浄土宗の宗祖の法然さんで、修行しなくても念仏で極楽浄土へと布教した革命的な浄土宗の法然さんの下で、親鸞さんは生涯にわたり布教に力を注がれたそうですね。法然さんの別のお弟子さんのスキャンダルで法然さんと共に流罪になったり、当時は絶対的タブーであった妻帯されることなども含めて、政府や他の宗派からの弾圧等もすごかったと想われます。そんな激動の中も
令和5年6月。友人のお兄様が往生されました。突然の別れでしたのでご家族をはじめ有縁のものは悲しみ驚くばかり。ご結婚されお子さんを授かり良いお父さんとなられたばかりでした。色々と考えさせられ泣けました。ただ、思う事は、泣いてさよならバイバイではないという事。お父さんは真を語る仏様となりご家族、そして有縁の私たちを明るく導いて下さるという事。
中尊寺においては毎年の修(しゅ)正(しょう)会(え)を始めとする諸法(ほう)会(え)に供(きょう)する料(りょう)田(でん)を経(きょう)蔵(ぞう)別(べっ)当(とう)領(りょう)骨(ほね)寺(てら)村(むら)の田畠から募るよう記された大治元年(1126)の文書が残されています。後世の作成とされる文書ですが、年記や署名、奥州藤原氏からの現物支給はともかく、料田の内容や用途については少なくとも文書が作成されたと思われる鎌倉期当時の伝承と実状を反映したものといえるでしょう。(注1)骨寺村は
修正会法則(天明六年西谷本)初夜導師作法に続く後夜導師の作法では、『八(はち)十(じゅう)華(け)厳(ごん)経(きょう)』「法(ほっ)身(しん)偈(げ)」の経句と『金(こん)光(こう)明(みょう)最(さい)勝(しょう)王(おう)経(きょう)』に登場する菩(ぼ)提(だい)樹(じゅ)神(しん)の言葉をかりて仏に見(まみ)えることを願い(注1)、さらに仏の勝れた三十二の姿(三十二相)を讃えます。続いて四(し)箇(か)法(ほう)要(よう)(唄(ばい)・散(さん)華(げ)・梵(ぼん)音(のん)
今年も骨(ほね)寺(でら)村(むら)荘(しょう)園(えん)お田植え交流会の季節がやって来ました。骨寺の田に育ち、実った米は秋には収穫され、中尊寺へと納められて中尊寺の正月修(しゅ)正(しょう)会(え)に供えられます。さて、修正会とはどのような法要なのでしょうか。古代日本においては仏に礼拝して自らの滅罪(めつざい)を願い、天下泰平、風(ふう)雨(う)順(じゅん)時(じ)、五(ご)穀(こく)常(じょう)熟(じゅく)などを祈る「悔(け)過(か)会(え)」と呼ばれる国家的法要が盛行しま
種々の残念で悲しいことが絶え間なく続きます。そんな中でも仏恩報謝の日々は続いていきます。誰も責めず自身ができることを粛々と阿弥陀さまと共にさせていただく覚悟です。一日一日お浄土に近づいているいまここが慶ばしく嬉しく私は人間に生まれてきてよかったです。
5月24日、護国寺で信行会を開催しました最初は私の『地獄と浄土はどこにある?』と題して法話私達が亡くなった時、生前良いことをした人は浄土へ行き、割ることをした人は地獄へ行く・・・これは仏教のみならず、キリスト教、イスラム教、すべての統一見解ですねでは、その地獄と浄土はどこにあるのか私達はついついどこか遠くの所を想像しますが、実は一番身近にあります私達がプンプンと怒ると、それを見た周りの人は、イライラしだし、
鬱なんて生きている限り、(生体反応としても)普通にあります。当たり前ですが、どってことないです。本日の私も、多々とやる事はあるのですが、ドーモヤル気が起こらず…こんなところで道草を…笑初夏らしく、ギョーム・ド・マショーの曲を聞くと、とてもホッとします…なんてステキなんでしょう…「喜びの庭の思い出」今、各所のバラ園もステキなので、バラ園であの世を、環相するのもいいかもしれません。私は、今年も、母とバラ園に行ってきました。香りもかいでおこう!「心の庭」を持っている事は大切なこと
先斗町と反対側も鴨涼床なんてやっていただろうか。今まで気づかなかっただけか。厳密に言うと、鴨川は床(ゆか)と言い、貴船は川床(かわどこ)と呼び方を変えています。ポルテ21スイート最近のお気に入りのパン。安くてタンパク質や食物繊維が摂れる優れものです。小麦は身体に悪いと言われているので、控えなければならないのだろうけど、たまになら良いはず。こちらはハーブ入りの餃子。変わった食べ物は大抵、不味いものですが、これは美味しかった。オレンジのシブーストタルトあまり好きじゃないかも。
※今月も郵送対応をしておりますので、ご活用ください(。-人-。)本光院から、5月の限定御首題のご案内です自分が亡くなった時、良いところに生まれ変わりたいと願うのは万人の思いですねその場所を仏教では『浄土』と言います最近は天国と称されることも多いですね(仏教では天国は迷いの世界のひとつなのでご注意を)でも生まれ変わった世界には、苦しみは全くないのでしょうか人間である以上、欲望がある以上、苦しみは付きまとってきますでは生
今日の東京は晴れです。雲を見ていたらゆっくりと流れていて、空って見ていて本当に気持ちがいいものですねさて、今日からゴールデンウイークですね。遊びに行く方も多いのでしょうが、私にとってはここが極楽浄土です実に安上がりな人間です今日の御講師は、三重県四日市市信明寺日置宗明(ひおきむねあき)師です。※青字が日置師の言葉の要約です。今日のご讃題(テーマ)つつしんで浄土真宗を案ずるに二種の回向あり。一つには往相(おうそう)二つには還相
なぜ自力を全てを手放したとき、真理との邂逅を知ることができるのかと聞かれたので、全部手放したときに体験できると応えました。手放したときに見える地平があるのです。真理の内に包まれた臨終まで続く至福のときを、今ここで感じてください。臨終の先は浄土です。
お浄土が故郷のようなのははまだ行っていないのでわかりません。でも阿弥陀さまがお連れになるところなので、どんなところでも全ておまかせで、ご一緒出来るのが本当に楽しみです。できれば使命を果たし、何も思い残すことなく往生したいです。それも寿命まかせです。
今日の東京は温かな晴れの気候です。絶好の行楽日和。いえ、今日も絶好のお寺日和です昨日から、お彼岸の真っ最中ですからねさあ、法話に参りましょう看板の裏面に回ってみると・・・。う~ん。形あるものは必ず壊れる。諸行無常の掟です今日の御講師は、昨日に引き続き、愛媛県今治市称名寺の龍田智教(たつたちきょう)師です。※青字が龍田師の言葉の要約です。<倶会一処>お釈迦様がお説きになった阿弥陀経というお経に、倶会一処(
こんにちはバルコアです。5.仏教への影響また鎌倉期における仏教への影響も注目しなければならない。まず良忠(1196-1287)の選択伝弘決鈔では、「五常」の説明に五行大義が引かれ、沙門信瑞(1236-1280)の浄土三部経音義集には「人理」「魂神精誠」「日」「月」「精神痛苦」「星月」「愚人」の字句の解に用いられ、神於寺了尊の悉曇輪略図抄(1287)には「五音」「声音」「調声」「五経」「虚無」「三才」「十二運」「干支」の解説に、二十四条もの五行大義が用いられている。また光宗の渓嵐拾葉集
このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。リンクを貼はらせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)さて、去る昨年の7月11日(月)の「父親の初盆(新盆)での挨拶」のブログの上段に、「(前略)去る3月17日(木)の『父親の告別式(家族葬)』のブログに記させて頂きましたように、父親が亡くなって告別式がありました。そして、昨日
今日の東京は温かで、最高気温は17度だったようです。一昨日は雪だったのに、今日は日なたならコートを脱いでもよさそうな陽気。まさに諸行無常ですね。同じことは続かない。ならば、今、ご苦労をされている方も、もうすぐの辛抱ですよ今日の御講師は、広島県三次市西覺寺の伊川大慶(いかわだいけい)師です。1984年生まれだそうです。※青字が伊川師の言葉の要約です。<何になる>私の地元で、200人の小学生を集めて、自分達の「街の探検」をしようという
NHKのあさイチで「篠栗の母」と紹介された祖聖大寺坊守(そしょうだいじぼうもり)真誠(僧名)です。今日は長崎県大村市、狩野ジャパン社長さんの通夜に住職、副住職と3人で行ってまいりました。副住職は21時からオンラインで会合でしたが「人は大切な家族やお世話になった大切な人が亡くなった時の為に日頃一生懸命働いているんだよ!(休みをもらうんだよ)」と行く気満々。道中雨が降っていましたが、長崎に近付くに連れ日が射し始め。長い長い高速道路、浄土も厚い厚い雲を抜けると光の世界、心穏やかな安心(あんじん)