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散歩の際に立ち寄ることが多い浄信寺境内。地元では、「花のお寺」と呼ばれている。雨が降った後のアジサイは、特に美しい。また、品種により、開花時期がずれるので、長い間楽しめる。また、サルスベリの樹に、青色と紫色の紫陽花が寄りかかるように咲いていた。〔撮り溜めた写真から〕旧街道に面した山門を潜り、本堂へ続く石畳みを進む。参道には石仏とアジサイが配置され、「アジサイ寺」の雰囲気がある。石仏は、如意輪観音像が多く、地蔵像や石燈篭もある。深井山浄信寺は、戦国時代に創建された浄土宗の寺院。本尊の阿弥
散歩から帰った時の受付ロビーホテルにしてはとても簡素夜になったら金シャチにライトがついて気が付きましたレストランです一番早い夕飯の予約なので空いてます病み上がりの主人はお酒は止められていますが私が飲むということでワインを。病人食を頼んだ方がいいか迷いましたが丁度いい量でよかったですホテル前に出ます真向こうが駅ですなぜか自転車が沢山展示。。。借りれるのかな?夕方雨。。
ニッコースタイル名古屋の真下にある浄信寺の奥にある花車神明社ひっそりとしてどこか街の中とは思えない静けさ乃木将軍の像とか。日露戦争で活躍した日本の陸軍軍人この右の通りを北上すると四間道に続き、一本東には美濃路が南北に続く。ビルが聳え、車が溢れる味気ない色合いの名古屋の玄関口にあって、ここには嬉しい樹々の緑がある。ネットから頂きました
夕飯前の1時間ほどホテル周辺散歩浄信寺を出ると”にしきばし”堀川は、慶長15年(1610)の名古屋城築城と同時期に、徳川家康の命令で当時広島藩主だった福島正則によってつくられた運河(人工の水路)です。名古屋城築城に際し船で大量の資材を運ぶことを目的に、城の西の堀留から熱田まで長さ約6キロメートル、深さ1.8メートルを掘るという大事業でした。堀川がつく
近くの浄信寺には、ソメイヨシノより早く咲く「しだれ桜」が1本ある。細身のしだれであるが、境内を覆うほどの枝振りだ。目の高さ位置まで垂れ下っているので、可憐な花びらを良く見ることができる。花のお寺としても親しまれる浄信寺。大きな庭石、石灯籠、石仏が各所に配置されている。そして四季の花がある。花木の手入れも行き届いている。濃い紅色の寒桜とヒュウガミズキやミツマタを目にした。季節が進むと、突如として、次なる花たちが現れる・・。写真1浄信寺のしだれ桜。写真2通路に垂れ下る花びら。
流山街道と旧街道の交わる近くに深井山浄信寺がある。地元では、花のお寺として親しまれている。境内や庭には、白梅や紅梅が植えられ、手入れされている。暫くすると、枝垂れ桜が境内を覆うことになる。新たに設置された「浄信寺略史」によれば、中世に存在した深井城下で応永4年(1397年)鉄道上人が創建したとされる。戦国時代の天正6年(1578年)現在の東深井に移る。鉄道上人は、筑前国の武家の生まれで、戦に敗れて諸国を回り流山に辿りついたという。境内や墓地内に墓石程度の石仏が多く置かれている。右膝を立
木之本の古き眺めに時超えて我(われ)も馬買い石取(こくどり)夢見※木之本は昔、馬市が開かれていたとのこと。山内一豊さまは、ここで買い求めた馬を信長さまに認められて、土佐の太守になられた。私も古い街並みを歩いていると、馬を買い石取(武士のこと)になる夢を見てしまう。木之本の宿場名残(なごり)し軒先を君と歩けば地蔵おられし※木之本にある浄信寺(木之本地蔵院)のお地蔵さまは、日本三大地蔵の一つ。奥琵琶湖
🐲辰2024🐉083🐲🍁2023年11月05日(日)🍁『2023年🍁御朱印巡りin大和國&近江國🍁』3日目🍁近江國の御朱印巡り🚕🚌🚆いよいよフィナーレです🍁古くから🇯🇵眼病平癒と延命息災の仏さまとして🇯🇵信仰を集め🇯🇵木之本地蔵または木之本地蔵院で🇯🇵知られている🇯🇵浄信寺(木之本地蔵院)※木之本地蔵院長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト。琵琶湖の観光をもっと楽しく。長浜・米原を中心に北びわ湖の観光情報が満載です。kitabiwako.jpを参拝🍁限定を含む
浄信寺。北方古墳に行ったついでに立ち寄りました。お寺の掲示板のことば「無碍(むげ)の一道人生は長さだけではない幅もあれば深さもあるその長さは個人の一生そのひろさは人間の生活その深さは長さひろさの帰依となりたもう仏のいのちこうして人生は念仏者の無碍の一道となる金子大栄(「聞思室日記」続々)」役に立つものだけで身の回りをぎっしり詰め込めばよいとはかぎらない。日本画の余白のように、一見何も用がないように見えるものが、人生の味わいを深めて、自分のこころを豊かにしてくれることもある
木之本地蔵院まずはこちらを訪問メガネ供養なんかできるんですねでも貴金属メガネとか間違っても供養できません田中貴金属にでも持っていって供養すべきです(笑)最近はあまりに地金が高騰しすぎて、別素材との組み合わせとか増えて、オール貴金属フレームを扱っている店も限られ、本数も減っているようです浄信寺阿弥陀堂人が少なくご利益がありそうに感じました普段、自分自身の希望や願いを神様仏様にしない私ですが、こちらのお堂にはほとんど人がいませんでしたここなら静かにお願いできそうでしたなので、自
散歩の際に立ち寄ることが多い浄信寺境内。地元では、「花のお寺」とも称されている。雨が降った後のアジサイは、特に美しい。また、品種により、開花時期がずれるので、長い間楽しめる。また、サルスベリの樹に、青色と紫色の紫陽花が寄りかかるように咲いていた。旧街道に面した山門を潜り、本堂へ続く石畳みを進む。参道には石仏とアジサイが配置され、「アジサイ寺」の雰囲気がある。石仏は、如意輪観音像が多く、地蔵像や石燈篭もある。深井山浄信寺は、戦国時代に創建された浄土宗の寺院。本尊の阿弥陀如来像が本堂に安置
ご訪問ありがとうございます。本日もお疲れ様でした。今日はオフです。午前中、妻に家の掃除をお願いして、三軒茶屋の西友へ行きました。初三軒茶屋西友です。コスパの高いワイシャツを探しに行きましたが、気に入ったものは見つかりませんでした。でも、入った事の無かったスーパーを探索して面白かったです。そのあとダイソーに入り、テラスの軒下にスーツを干す時の長めのS管フックを探しました。微妙にサイズが合わず、希望の商品には出会えませんでした。昨日、妻は恵比寿ガーデンプレイスで探したようですが見つからなか
桜時期の散歩際、少し立ち寄る処がある。旧日光東往還だった道路に佇む深井山浄信寺。境内に高さ10m程のしだれ桜がある。長い期間その花姿を楽しめる。彼岸の墓参りに来た人を癒してくれる。正門の脇のソメイヨシノも見頃を迎えていた。流山・浄信寺は、「花のお寺」としても知られている。これからは、アジサイ、サルスベリ、金木犀、イチョウと四季の花を楽しめる。アジサイの新芽を見つける。写真1深井山浄信寺の門。写真2門の屋根と参道の桜。写真3浄信寺の枝垂れ桜。写真4癒される桜花
そんなこんなで名古屋に行ってまいりました今日は3回目の名古屋遠征(野球は除いて)中日劇場での『星逢一夜』『GreatestHITS!』以来その時は雪が降っていてクソ寒かったらしいと、過去ブログ記事には記されておりました名古屋駅前今日はとにかくよく晴れていました(そして、暖かかった!)もちろん地下鉄には乗らずに歩いて御園座へ途中、川を越えたところにあってとても気になった建物「加藤商会」という文字が大きく刻まれていますが中はタイ料理のレストランでしたこの建
地元で「花のお寺」と呼ばれる浄信寺。暑い日、風雨の日を通じて、百日ほど咲き続ける紅白のサルスベリが咲いていた。江戸川台駅と運河駅の中間、旧日光東往還沿いに建つ浄土宗の寺院。山号を深井山と云い、創建が1578年と伝わる。本尊は阿弥陀如来像、60年毎に開帳する秘仏聖観音像が安置されている。白いサルスベリもやはり百日紅と表記するが、「百日白(ヒャクジツハク)」と呼ぶこともある。俳句の世界では、夏の季語として扱われていた。また淡い紫色したものは、「紫薇(シビ)」と詠まれたという。正岡子規の「いま頃
散歩の際、近くの浄信寺境内に立ち寄ることが多い。地元では、「花のお寺」とも称されている。雨が降った後のアジサイは、特に美しい。また、品種により、開花時期がずれので、長い間楽しめる。また、白色のアジサイは、時間の経過とともに、色の移ろいを観ることができる。旧街道に面した山門を潜り、本堂へ続く石畳みを進む。参道には石仏とアジサイが配置され、「アジサイ寺」の雰囲気がある。石仏は、如意輪観音像が多く、地蔵像や石燈篭もある。深井山浄信寺は、戦国時代に創建された浄土宗の寺院。比較的新しい本堂に本尊
深井山浄信寺の枝垂れ桜が見頃になった。薄ピンクの枝垂れカーテンが風に揺れていた。自宅から近いでの散歩コースのひとつ。旧日光東往還に佇む浄土宗の寺院。戦国時代に創建されたとされる。「撮り溜めた写真から」初夏にアジサイと石仏、真夏にサルスベリ、秋にイチョウと四季の花を楽しめる境内。薄黄色の可憐な花も咲いていた。アミガサユリとヒカゲツツジだろうか。枝垂れ桜の頭上を見上げると飛行機が通過していった。写真-1浄信寺の枝垂れ桜。写真-2参道と石仏と本堂。写真-3門前のソメイヨシ
平清盛の弟・平経盛の末っ子にあたる平敦盛が源氏の武将・熊谷直実と一騎打ちになり首をとられたのが、平安時代の末期1184年3月20日その際平敦盛の首を包んだ母衣(ほろ)に法然上人が名号を書いたとされる物が伊東市内の宇佐美にある浄信寺に残されています。1年に1日だけ3月20日に一般公開されています。寿永3年の出来事なので詳しい事は知りません。浄信寺の周辺図浄信寺===運営中のサイト======ランキングサイト==
旧日光東往還沿いに構える浄信寺。境内には大きな樹々が配置されていている。暑い最中、百日紅が咲き続けている。赤・白・ピンク色の花をつけるサルスベリの樹がある。散歩の途中に寄る場所のひとつ。浄信寺は、戦国時代創建の浄土宗の寺院。山号は深井山。院名を稱名院。現在の所在地は流山市東深井。本尊は阿弥陀如来。境内では。四季折々に、枝垂れ梅。アジサイ、金木犀など楽しめる。三方に出入口があり、通り抜けは自由。枝垂れ梅の樹と並んで、樹高15mほどのコブシ(辛夷)が立っている。枝先に赤紫色の実を付けていた
梅雨時期、朝散歩の途中に、近くの浄信寺境内に立ち寄る。地元で「花のお寺」と知られている。色とりどりの紫陽花が見頃を迎えた。小さな石仏の脇にもアジサイが植えられている。日陰が多いので、長い期間花を楽しむことができる。アジサイは、雨上りのしっとりとした雰囲気が似合う花。地植のアジサイは、乾燥に強いので水やりに苦労しない。時期により色合いが変化して行くので、「移り気」との言葉がある。また、小さな花が密状態の様から「団らん」をイメージさせる。千葉県は、まん延防止重点対策が7月11日まで継続して
しだれ桜が見頃を迎えた浄信寺を訪れる。散歩コースを少し変更する。しだれ桜は、境内の参道わき路を覆うように咲きほこる。薄ピンク色の可愛い花が風に揺れる。日光東往還沿い佇む深井山浄信寺。戦国時代創建の浄土宗のお寺。流山100ヶ所巡りにも選ばれている。夏になると、イチョウの保存樹が日差しを遮る。そんな大きな大樹が2本聳えている。高齢者へのワクチン接種がいよいよ始まるようだ。4月12日開始に向けて、4月6日週に各県に2箱(1950回分)を配送のみ。流山市では、漠然と施設入所者から開始するとあ
くりはし八福神寿老人さまが祀られている浄土宗無量山帰命院浄信寺は岌蓮社乗誉上人が開山し梅澤太郎右衛門が開基となっています山門本堂ご本尊:阿弥陀如来常香炉石仏梅澤太郎右衛門の墓梅澤太郎右衛門はもともと戦国大名北条氏の家臣で慶長5年(1600年)にこの栗橋に移り住み浄信寺の開基で江戸時代初頭に栗橋宿を開発・発展に寄与した人らしいくりはし八福神:寿老人さま
コロナ禍で、近隣への散歩ルートが増えた。体重も増えた。近くお寺・浄信寺の境内には、手入れが行き届いた白梅(しらうめ)が植えてある。日々、花を増す枝を観て境内を横断する。東深井・浄信寺は、アジサイや観音石仏で知られている。流山「100ケめぐり」の名跡となっている。日光東往還沿いに佇む古刹だ。関東の1都3県は、なかなかコロナ非常事態から脱出できない。西日本は2月28日に解除された。しかし条件付き解除だという、妙な言い方だ。千葉県は、新規感染者数で全国の1位、2位を「競って」いる。直近1週間
実は、1年半ほど前に書いてあったブログなんです。他のものを先行してアップしていましたら、こんなことになってしまいました。2019年9月下旬、城南海さんのコンサートを伏見まで観に行きました。その帰り、名古屋駅まで歩きました。納屋橋付近の風景に立ち止まり、堀川沿いに北へ移動しました。https://ameblo.jp/miksssa6353/entry-12532018005.html一橋上流(北)の錦橋で、北に目をやると、小さなビルの谷間に寺の屋根や林のような部分を見つけました。寺
先週、九品仏の浄信寺さん(正式名称『九品山唯在念佛院浄真寺』)へ連れて行っていただきました☺️門を入ってすぐに閻魔堂があり、そこには、かなり迫力のある閻魔様がいらっしゃいます😵賽銭箱にお賽銭を入れると、閻魔様が一言ずつメッセージを下さるのですが、私の時にいただいたのは「お前は、自分が何もできない人間と思っているかも知れないが、そんなお前にもできることがある。それは、人の幸せを願うことだ。何も持っていなくとも、人の幸せを願い、祈ることだけはできるのだ」というお言葉でした。何だか深くて、胸がジ
旧日光東往還に面する浄信寺(流山市東深井)。境内と駐車場には、まだサルスベリが咲き誇っている。7月から咲き続けて、早や2ヶ月半。まだ暑い日が続きそうだ。百日紅の由来となっている如く、100日間咲きそうだ。円形で縮れている小さな花びら。散っては次々と再生される強い花だ。本堂は最近建て替えられた。その際、地下にホールを設けた。演奏会や講演会などを通じて、地域の交流の場になっている。境内では四季折々の花を楽しめる。夏、日陰涼を提供してくれる場所。近隣の人たちの散歩道になっている。写真-1
東深井(地名)に小さな石仏を包み込むように紫陽花が咲いていた。普段は見過ごしがちな参道の石仏。青紫色のアジサイが訪れる人の興味を惹く。深井山浄信寺(じょうしんじ)の境内である。主要幹線道路・流山街道から少し離れた場所に建つ浄土宗のお寺。浄信寺は、流山街道と旧街道の交わる位置にある。江戸初期に、北西500mの場所から移転して来たという。火災が原因か・・。そして、この寺院の前を旧「日光東往還」が通る。江戸時代、大名行列が通ったとされる。創建が享徳2年(1453)とされる浄信寺。1465年に応
本来の用件は、銀行に行くこと。そして、母親の様子を見ることであります。でも、チンタラ、チンタラ、走り続けているわけでして。神社に続いて、浄信寺さんにもお参りさせていただきました。心も浄めてもらえましたから、心身ともに美しいジダンが再生されているわけです。腐りきってるけどなっおおっ!こんなところに、日本酒の品揃えが良さそうな、酒屋さんがあります。ぜひ品定めの上、一本購入したいところですけど。残念ながら、ランニング中です。残念ながら、クソ貧乏だからやろっこちらは、JR東羽衣線で
諏訪ノ森駅をスタートしまして。あっ!厳密に言いますと、三井住友銀行から、走り始めまして。どうでもええからっ浜寺公園の山側には、豪邸が数多く見られます。さぞかし、お金持ちなんでしょうね。百円ちょうだい。クソじじいがっおっ!こんなところに、緑豊かな場所がと思いましたら。何度も来ています、大鳥北濱神社さんでした。ここは、一の鳥居が、意外な場所にありまして。いつも、二の鳥居から入ってしまいますけど。今回は、覚えていましたから。大回りして、入りましょう。こう見えて、ジダンは礼
2019年11月15日の愛知県名古屋市歴史散策レポの続き。「光明寺」「遍慶寺」をお参りし、「岩塚城跡」を見学した後は、「浄信寺」に向かいました。光明寺・遍慶寺・岩塚城跡のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12574377133.html「遍慶寺」の前に、「史跡散策路岩塚宿散策コース」というマップがありました。おお!コース通りに進むと、お寺と神社があるな~♪この通りに歩いてみましょうか。ということで、四つ角を