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神から人。神から人へ、伝え残すも後わずか。残りの教えは、これからの、人のなすべき、行うべき、最も始めの行なれば、心を素直に、気持ちも清く、新しき神を迎えんとする、原初の人の心たれ。初めに伝えん、これからの、み役の変わり目、次なるみ役。既(すで)にも伝え、教えしが、これより後には、伝えを広め、さらに多くの方に見せ、多くの魂、守護神守護霊、救い導く。そがみ役。人は己の心を高め、命を浄めて、神を知り、神を信じて疑わず、ただそれのみにて、救われるもの。なれど、さのみで終わりては、この
動き働く、それのみにて、無駄な考え、疑問も持たず、神に預けて、委ぬればよし。小さき疑問も、迷いも悩みも、全ては至らぬ行いから、生じてくるを、気付けよ、人よ。全てを神に任せおき、愚かな考え思案を捨てて、無心に歩めよ、働けよ。全ては神のご意図に添いて、神の経綸(けいりん)、実現させん。人の迷いは、妨げならん。勝手な行い、邪魔をせん。生まれて許され生かされて、齢(よわい)を重ねて、行を積み、経験重ねて、成長せしも、悟りの進まぬ魂は、とくと省(かえり)み、改め直せよ。神の力にすがりても、神は
空にかかれる虹と雲。夜には星も輝かん。天上人の来たれる星も、遠き空にて瞬(またた)かん。神の心を読み取るように、空を見上げて、思いを馳せよ。遥(はる)かな宇宙、無限の神秘。暗き明日の煩(わずら)いばかり、心に占めるな、塞(ふた)ぐるな。全ては己の思いから。思いを浄め高むれば、恵みも自ずと集まらん。神の慈愛を受けんためには、己の器を清くせよ。神の光も汚れし器に、入(い)れば輝き、失わん。いかに光を降り注ぎ、溢(あふ)れんまでに満たさんと、神の思いの深くとも、受ける器
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)110〜111頁あらゆる諸仏は不退の法輪を転じたもう、もろもろの菩薩をして退転せざらしめんがために。無量の法輪を転じたもう、一切世間をことごとく了知せしめんがために。一切を覚悟する法輪を転じたもう、無畏の大獅子吼であるから。一切法の智慧蔵の法輪を転じたもう、明浄の法門を開示して愚痴の闇を除滅するから。無著の法輪を転じたもう、智慧は虚空に等しいから。無礙の法輪を転じたもう、一切法は有でもなく無でもないと観ずるから。一切世間のと
神から人。神から人へ、そなたを通じ、伝え残すもあと僅(わず)か。僅かというは、時にあらず。神の伝えも大方(おおかた)は、そなたを通じ伝えたり。人に知らすることの多くを、神はそなたに伝えたり。なればみ役の変わり目なり。次なるみ役、なすべきお役は、神の伝えを広げんこと。そなたの書きしこの書記を、多くの方に広めんこと。なれば、そなた、伝えの書記は続くなれ、新たに励めよ、伝えの広めを。神は急ぎ、求めておられる。人の多くが知ることを、読むことを、
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)89頁仏子よ、一切諸仏に十種の演説無量の諸仏の法門がある。十種とは何であるか?一にあらゆる諸仏はことごとく無量の衆生の界門を説きたもう。二にあらゆる諸仏はことごとく無量の衆生の行門を説きたもう。三にあらゆる諸仏はことごとく無量の衆生の業報門を説きたもう。四にあらゆる諸仏は無量の化衆生門を説きたもう。五にあらゆる諸仏は無量の浄衆生門を説きたもう。六にあらゆる諸仏は無量の菩薩の行門を説きたもう。七にあらゆる諸仏は無量の菩薩の願
レイキでは、空間を清浄にするやり方も学べます。ただレイキを使って、場を浄める前には、まず部屋を片付けて、綺麗に掃除しておくことが大切です。また部屋が綺麗な状態でないと、部屋がざわざわして、自分にするのでも、他人にするのでも、レイキをしにくいと感じます。
おはようございます🎵占い師の美月です。本日もご訪問ありがとうございます。最近、なんか霊的なエネルギーというのか?不思議な現象をみかける。霊的な存在のアピールを感じることも多くて、でもみんな気付いてないんだなぁ、、日曜日も老犬介護中のネイリストさんのところでうとうとしてたら、ネイリストさん横で物音をさせながら動いてる霊的な存在に、、、全然気付いてないのよ。それにしても不思議な動きだったよ。最近、なんだか多いです。7月になりここんとこ暑い日々で、、まだ制限をすべて外せない状
小雨の中、今朝も田んぼ朝んぽご機嫌です♪田んぼに来ると必ず遠くを眺めるあかねっち。なんだろう、良い景色〜だなんて思ってたりして😆ホント田んぼに来ると上機嫌なんですよ😆広々してて気持ち良いのかな。ただ、距離は長くなり、私もちょっと疲れます。1時間以上、約7キロは歩きます。子供の頃から草花が大好きなあかねっち😆オレに似たのかな😆パピーの頃はご近所の小学生達に「葉っぱの子」なんて言われていて、よく葉っぱ🌿を加えたまま散歩していました😊田んぼの草も除草剤散布されてい
全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)1140〜1141頁また初地のうちに広大の願をおこし、二地に戒品をたもち、三地に仮名をやぶり、四地は専一で、五地にもろもろの妙事があり、六地は甚深の相、七地は広大の心、八地のうちに種種の荘厳と、もろもろの神通とがあり、九地に微妙の義を思量してあらゆる世間の境界を越え、十地によく諸仏の大法の雨を受持する。菩薩の行の大海は、動かし難く、窮め尽すことが出来ない。また、発心して世間を出でて初地に入ることをえ、二地に浄く戒をたもち、三地にもろも
あるてみすてんぷるの沙羅です。何だか急に昼間熱くなった箕面です。ご来室くださった方々も暑い暑いとおっしゃいながらの到着。熱いシェアもその後にしていただいた今日の「自己の神性講座」。まず第四課の「欲求」についてのシェアだったのですが、肉体的欲求・精神的欲求・霊的欲求を自分の日常生活をみて見事に分析してくださり、そこから自分が行うべきことを見出し、その結果、今後も継続してくださる課題を導き出してくださいました。その中で、肉体において、食べたものがそのまま自分の精神を作
あるてみすてんぷるの沙羅です。久しぶりに「自己の神性講座」で黙示録編をさせていただくことになりました。「自己の神性講座」では『神の探究』をテキストとして使わせていただいておりますが途中で難しい・・・となってしまうこともあります。ある意味、自分が何を考えているのか?自分はどうしたいのか?ということが分からないとなってしまうと難しくなるのだと思います。取り組み方にはコツがあるのですが、そのコツを掴んでしまったら内観はたやすくできるのではないか?と思うのは私だけ!?
とにかく穏やかさ武術て激しく動いても内面は穏やかさ。内面の穏やかさを修行すること。互いが赦しあえる呼吸であること。相手を攻撃するのではなく自分の心を和で浄めるぶつかりではなく一つすべての心は一つで繋がっている。✨🙏
あるてみすてんぷるの沙羅です。自分をみる、内観するということですね。これはある意味地獄だという方もいらっしゃる^^過去世で修行を積んできた人にとって楽しいことでも多くの方にとってはこの内観の作業は辛いものになります。スピリチュアルという言葉が出始めて多くの方が霊能の方に行き始め、何十年とたちました。しかし、依然世の中は変わっていません。コロナになり、戦争に突入し。エドガー・ケイシーは「平和になるには私たちの心がまず調和を得ないと平和には向かわない」と言いま
あるてみすてんぷるの沙羅です。ご来室くださった方が春菊の花を持ってきてくださいました♪春菊ってこんな可愛らしいお花が咲くんですね!知らなかったΣ(゚Д゚)それも同じ春菊でも花の色が違うことにもビックリ(゚Д゚)自然って何て素晴らしいんでしょう♪普段食べているばかりでこのように愛でることをしていなかった自分を少し反省^^;下さった方は「黄色が好きでしょう^^」というお言葉と共にくださいました。泣ける~(;∀;)物凄く好みを分かっていらっしゃる。ありが
あるてみすてんぷるの沙羅です。今日は久しぶりに気持ちの良い日になっている箕面です^^風が吹いているのですが強くもなく心地がいい♪さて人の魂は地上に降りた時に肉にもつれ込んでしまったとエドガー・ケイシーのリーディングに記されています。これも信じる信じないは別として、肉にもつれ込んだがゆえに霊性を忘れ肉の欲求のまま生きてしまうことがあるとのこと。しかし、私たちの魂は高貴です。なにしろ神さまからいただいたのですから。すると何か足りない、と申しますか、何かが違うと思
あるてみすてんぷるの沙羅です。「自己の神性講座」を受講している方々は言葉を大切に扱ってくださいます。霊的な事柄を現実世界に表すために、上手く言い表せないこともしばしば。「うまく説明できないんですけど」と前置きをされてお話される方もいらっしゃいます。とてもよく分かります。そのお気持ち^^昨日のブログでも書かせていただいたのですが、私も説明する時に「知恵は生きなければならない」をどう言葉で説明する?とか。仏教には「不立文字」という考え方がありますが、文字に表せない
あるてみすてんぷるの沙羅です。昨日から昼間とても暑くなりましたね!一気に夏本番くらいの熱さになり、昨日一昨日と夏の庭に変えていたために夜になると、お~、暑かった~となったのです。しかし、心地よい身体の疲れ^^一緒に植え替えを手伝ってくださった方にも感謝感謝。「自己の神性講座」を行っていると花の植え替えをしている時も霊的なお話をず~っとしているという^^;今、目の前に起こっている現象はどんな意味?とか夢でこのようなものを見たんだけど、それを解釈したらこんな
神の存在、神仕組み、神のみ心、神光。生きとし生ける全てのものに、宿れる神の力と恵み。神の心に添わぬものなし。外るるなし。磨きて返さば、息吹き返さん。眠れし魂の底に沈みし、神の力は、気付きを待たる。揺り動かされ、声掛けられ、神を求むる心の訪(おとな)い。静けき中に、鳴りて響かん。神を訪ぬる、真の祈り。清らに澄みて、雲一つなき、寂(じゃく)たる境に冴え渡らん。神のみ光、神のみことば。心も体も汚れなく、浄めば、通じん、神への入り口。神の示さる道を進まば
あるてみすてんぷるの沙羅です。私たちは仏教的な観点から、徳を積む、とか布施をする、と言われると何か特別なことをしなければならないような気がします。これらは何も特別なことをすることは何もなく日々の生活の中でできることをすればいいだけのことです。例えば何かしていただいたらお礼を述べる、とか挨拶をするとか、細い道を歩いていて人と出会ったらスッとよけるとか。あるいは家を大切に扱う、とか。ドアを閉める時にバタン!と閉めていませんか?最後まで丁寧に手を添えて閉めていますか?
あるてみすてんぷるの沙羅です。今朝は7時前から皆さまが「お誕生日おめでとうございます!」のLINEを送ってくだいました。どうもありがとうございます!生きてるって感じです^^ケイシー流にいえば「昼と夜」を体験し、これからもそのようなことは確実にありますが霊の鍛錬という立場を取り乗り越えたいと思います^^感謝感謝。さて、今日はありがたいことに「親しき交わり」の課をさせていただいたのですが、誰との親しき交わりか?勿論、神様とです。私たちは自分に辛
スペクトルの月1日(ダリ)KIN89赤いスペクトルの月魔術のカメの日キンの書は私は清めるために溶かす流れを解き放ちながら解放のスペクトルの音で普遍的な水の処理を封印する私は自らの二重の力に導かれる浄めるために溶かす。赤い月のキーワードに「流れ」がある。水は流れることで腐らず常に新鮮で動きがある。敢えてダムみたいに水を溜めるのもよかろう。それでもメンテナンスのために放流したり、水を変えたり。要らなくなっているなら壊して流れ
あるてみすてんぷるの沙羅です。エドガー・ケイシーのリーディングに「自己が唯一の罪です。つまり、利己主義がそうです--そして、その他の全ての罪は、エゴという言葉をいろいろ修飾したものに過ぎません」というリーディングがあります。自己、要は利己主義。これが厄介でして、自己とあるように自分では自己の一部であるためになかなか気付けないままでいることが多いのです。自己耽溺・自己憐憫・自己卑下・自己欺瞞・自己嫌悪など自己が付くものは全て自分ありきの考え方に由来します。自分中
なれば、本日そなたに教えん。そなたのみ役、変わり目なれば。よくよく心し、心諌めよ。心引き締め、心強めよ。いよいよ辛き霊行なるらん。なれど、怠(なま)ける、怠るなく、これまで通り、書けばよし。素直に、謙虚に、心を開き、己の心に、想念に、自ずと浮かぶる思いを著せ。さにて伝わり、現れるなり。ことばに文字に、音の響きに。神のことばに秘めし力は、ことばを介し、文字介し、音に響きて、伝わり広がる。そなたの思いの位相高くば、神のことばも広がる早く、そなたの思いに汚れ多くば、ことばは響かず、濁り
あるてみすてんぷるの沙羅です。鶯がよく鳴いている箕面です^^最初は上手に鳴けなかったのが、最近は最後まで上手に鳴けるようになって「あ~、上手上手!」と言ってしまうところ^^;心に思ったら波動として伝わっているとは言いますが、どこで鳴いているか分からない鶯ちゃんにも伝わるのだろうか?などと考えてしまう今日この頃^^私たちは鶯の鳴き方の練習ではないけれど、日々の生活の中で目の前に起こる出来事についてどうしたら解決できるのかと考えます。その時にあまりにも辛い出来事です
あるてみすてんぷるの沙羅です。「スミレはたとえ一度として人に見られることなく枯れ萎れようとも、その美しさ、その優雅さをその造り主に捧げる。」というエドガー・ケイシーのリーディングがあります。私たちは最初は謙虚だったかもしれません。しかしひとたび知識を持ち始めると、自分を知って欲しいとか自分はすごい存在なのだと思い始め、自己賛美を始めます。また、私たちは肉の欲求に弱いのです。これは私たちが地上に降りてきた最初におかした行為によってなのですが、このことにより様々な邪なことを行う
全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)1059頁仏子よ、菩薩がこの地に住すれば、善観択三昧・善択義三昧・最勝慧三昧・分別義蔵三昧・如実分別義三昧・善住堅固根三昧・智慧神通門三昧・法界業三昧・如来勝利三昧・種々義蔵生死涅槃門三昧に入り、このような大智の神通門を具足する百千の三昧に入ってこの地を浄治する。菩薩は如上の三昧をえて、よく方便慧を治浄するが故に、大悲力の故に、二乗地を超過して、智慧地を観察することが出来る。仏子よ、菩薩がこの地に住すれば、よく無量の身業の無相の行を浄(き
神から人。神から人に、伝え、残し、さらに継がれてゆかれるべき、一つ一つのことの意味を、よくよく理解し、よくよく行い、よくよく行じて、顕せば、人の、この世の、行は進まん。行の進みて、精進昇華を許されば、あの世に戻りて後の行も、軽くもならん、楽にもなるらん。なれど、この世における行を積まねば、あの世における行はきつく、辛く苦しきものとなるなり。なれば人は、よくよく銘じ、肚(はら)に納めて、精進昇華を祈るべし。図るべし。進めるべし。さにて、本日我等の告げる、行の一つの霊行は、人の全ての
人の心は宇宙なり。広く無限に、可能なり。そこには神も、光もあるらん。神の栄光、神の守護、神の慈愛と、神のみ力。なれば、心の神に手を合わせよ。心の神に導かれよ。心の奥底、深きに眠らる、神の存在、み力を、甦らするが、霊行なり。人のみ役はそれぞれなり。それぞれ大切、不可欠なれば、そこに貴賤(きせん)や上下なし。神に使われ、働くを、願う気持ちのあらばよし。なれば、神は使って下さる。光と力と、守護を賜る。なれば、疑うことなく、ためらうなく、神を信じて、進むがよし。
次に伝えることの意味は、神の心の願いについて、祈りについて告げるなり。神は、人によくよく願わる。人が気付きて、神に仕え、神の心と力を返し、汚れを取りて、始めに戻し、素直で直き魂を、甦らせてお返しする日を。神の心を甦らせ、心の汚れを消し去りて、淨(きよ)き尊き魂を、心に戻す、遠き日を。ひたすら待たれる。望まれる。なれば、人の務めは明らかなり。神に感謝、そが全て。他に必要、求めるなし。心を浄める、そは感謝。感謝に勝(まさ)る報恩なし。なれば、難くあらざる。難