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「〜は度外視して」などという言葉がある。この「度」は程度を表し「外視」は目を向けないこと。すなわち、「無視」の意味で使われる。この言葉のモトを辿れば中国の故事成語に行き着く。この故事は、後漢成立の頃のこと。前漢が滅び、王莽による「新」が誕生し、新たな王朝の成立となったが、わずか数年でそれを打ち破ったのが劉秀。後漢の成立後、光武帝となったアノ皇帝。その時、まだ、中原あたりには反対勢力がいる。そこで、味方の将兵には敵軍を打ち破ろうと進言する者もいたが、そこで光武帝が語った言葉が「残
*6月7日エントリーの続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授と教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回のテーマは琉球の前近代史です。本日は、14世紀中国と中山王・察度のおはなし。あんみつ「先生、舜天王統、英祖王統を経た琉球は中山・北山・南山の三強に収斂されていくと、1350年に浦添按司(あじ)・察度(さつと,1321~1395)が中山の王位に就きました。彼の時代に特筆すべきは、琉球が中国との国交を開始し、国際デビューすることです」
「今日头条」の头条热榜(ヘッドラインホットリスト)2025年5月20日午前8時30分(日本時間)1位:安徽凤阳县鼓楼顶部坍塌官方通报安徽省鳳陽県の鼓楼閣の頂上が崩壊した。公式通知*明朝の太祖朱元璋の故郷↓↓↓*全中國最大安徽鳳陽鼓樓(2018/12/05)650年前に建てられた明代の古代建築である鳳陽鼓楼の瓦が滝のように剥がれ落ち、煙と埃がそこら中に舞い上がっています。*崩壊シーン↓↓↓YouTubeショート動画(1)https:/
今回初めて知ったのは拘置所で撮られる写真のことを”マグショット”と言うのだそうです。ウィキによれば被害者や捜査官による識別を可能にする為に法執行機関が人別帳を作成するのだそうですがそれにしてもすごい形相ですね、怖いです。この写真の表情が中国の”明”を建国した朱元璋に似ていて驚きました。朱元璋は江南の貧農出身ですが元朝末期に起きた紅巾の乱をきっかけに台頭し、権謀術数を巡らせて”明”の初代皇帝(=洪武帝)となりました。皇帝となった朱元璋はやがて人を信用出来なくなり粛清の限りを尽くしたようです。人は
昨日のブログでご紹介した『漢文の素養』第5章「中世の漢詩文」にとりあげられた、明の洪武帝と懐良(かねなが)親王とのすったもんだ(一応、公式文書のやり取りですが)は、『明史』巻322・外国3に残されています。明の第1代皇帝・洪武帝の姓名は朱元璋(1328~1398)といい、貧農の家に生まれて孤児となり、紅巾軍(元末期におこった宗教的農民反乱軍、紅色の頭巾をつけていた)に参加して頭角をあらわし、群雄を下して1368年明朝を建てました。懐良親王(1329~1383)は後醍醐天皇の皇子です
2018/10/02チャンネルくらら
中国(中華人民共和国)では全人代(全国人民代表大会)が終わりつつある。習近平による「刷新」と言う名の「粛清(殺害)人事」開始。習近平への忠誠をひたすら求める全人代議場。多民族国家を演出する一方で台湾を侵略する意志表明。突然、胡錦濤が議場からつまみ出される。「な、な、なんだ!俺さまを誰だと思ってるんだ!」「習近平、おのれ、謀(はか)ったな!」「さあ、なんのことですかな、胡錦濤同志。」「(えっ、何が起こってるんだ…)」「李克強、次はお前が殺されるんだぞ!」「(え
書くことが、すっかり遅くなりました王朝ノMessageを貰ってからもずっと小綬鶏が明の声明の声鳴いていたのに今も鳴いて知らせてくれたねお写真お借りします明初代皇帝洪武帝わたしの輪廻でありますあーなるほど天から降りてきたわたしにとって9.18という日は元年と呼ぶべき大切な日でもあった葉加瀬太郎エトピリカ【OFFICIAL】アコースティックサウンドの魅力をどこまでも追求した全曲、新録音による必聴盤!葉加瀬太郎『エトピリカ-BestAcoustic-』限定盤CD+
前回は「明朝が他律的儒教国家である」つまり、儒教の理想である皇帝の仁による政治というよりも、国家が都合の良い徳目を国民に厳しく押し付けて縛った国家であるという結論だけを紹介した。今回はそれよりも興味が湧く明を取り巻く国際環境、特に日本との関係である。明と言えば、鄭和の艦隊が有名であり、国際的な国家かと思いがちであるが、実は全くその逆、海禁と言って、いわば国営の朝貢貿易以外は一切認めない国家であった。明は王朝創設後まもなく各国に朝貢を促す使節を送った。国内の統一だけでなく、「
岩波新書のシリーズ中国の歴史の第4巻は明朝の興亡である。全部で5巻しかないシリーズの中で、1巻を1つの王朝だけに費やしたことについて、著者はあとがきで次のように言っている。「そもそも宋代以降の中国における3つの対抗軸、すなわち(1)中華と夷狄の抗争、(2)華北と江南の南北の対立、(3)草原を含む大陸中国と東南沿海の海洋中国の相剋、その3つが元末に交錯し中国社会を激しく揺さぶる、それに直面して対応を強いられたのが明朝であった。明初体制とは、混沌とした元末期の体制に対する1つの
(明)(アカデミア世界史浜島書店)(元の滅亡と明の建国と政治)中国では元末に紅巾の乱(1351〜66年の白蓮教などの宗教結社を中心とした農民反乱)をきっかけに群雄が蜂起した。反乱のなかで頭角をあらわした貧農出身の朱元璋は長江下流の穀倉地帯を支配して元を滅して明を建国し、南京(金陵)を都とした。朱元璋は洪武帝(太祖、在位1368〜98)として帝位についた。洪武帝は権力を中央に集中するために中書省を廃止し長官の丞相(じょうしょう)を廃止し、六部(礼・戸・吏・兵・刑・工)を皇帝
1398年6月24日に明の初代皇帝の洪武帝の朱元璋が亡くなりました。貧農の出身で、日本ならば豊臣秀吉のような出世をしました。同じ貧農の境遇から皇帝になった漢の高祖の劉邦を意識していたようです。朱元璋は人格者とは言えませんが、cleverであったようです。英語でcleverという言葉にはただ賢いというだけでなく、ずる賢いという意味合いもあります。朱元璋の残っている肖像画もどっしりとした人格者のように描いたものと上のような実物に似た肖像画があります。泰平の世ならば、人格者が良いですが、乱
さて、いまからここから。<今日のあらすじ>洪武帝の治世と三代目、永楽帝の対外政策について。この時同時多発的に世界の各地で、「光り輝く海がわたしを呼んでる〜」な、モアナみたいなのが広がっていました。洪武帝はやり手政治家だった話を書きましたね。ずっとずっと前、黄巾の乱のときはちょうど三国志のときでしたね、ずいぶん遡りますが、そこから隋、唐、と、いかに農民を手なづけるかだったんだよ、って話をしました。均田制というのもそのための大事な制度だった、と、おぼえてますでし
<今日のあらすじ>ゾロアスター教の流れを受けた教徒たちが農民とともに立ち上がり、反乱が起こります。その反乱を指導した朱元璋が明を起こします。いやはや、随分、中国が長い。この頃になると(10世紀〜)、各地文字が発達し、記録媒体が増えるので、残されている歴史が非常に多くなります。当然複雑になるし細かくなる。このあたりで過去、もう世界史ヤダーってなった人も多いはず。ま、わたしもそのひとりww前にゾロアスター教の話を書きました。えーと、どこだったか。ゾ
【問題】文章中の(a)に入れる反乱の名として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。宋代以降、弥勒菩薩が地上に降りて人々を救済するという白蓮教徒が広まり、現体制に対する革命の要素を持つ反乱が頻発する。元末には(a)が起こり、その中から頭角を現した人物が明朝を開いている。1.赤眉の乱2.黄巣の乱3.安史の乱4.紅巾の乱(センター試験世界史)あかずきんちゃん。正答4(紅巾の乱)14世紀、元は財政を浪費して財政難に陥りました。交鈔(こうしょう)を乱発してインフレを招き、さら
モンゴル民族による元王朝を倒して明を建国した、朱元璋。なるほど、明の朱元璋が=洪武帝(AD.1368)で、後漢の初代、劉秀が=光武帝(AD.25)ただの「武帝」は沢山いて、通常一番有名な前漢の孝武皇帝、劉徹(BC.145)を指す。ようやく、区別がつきました。朱元璋という人、実は全く知らなかったのだが、めちゃめちゃドラマな人生なのね。卑賤な農民から、皇帝に成り上がったのは漢の高祖劉邦と、この朱元璋だけで、幼い頃からの仲間と、良き軍師を得て勢力を伸ばす所も、劉邦そっくりだし、
中国でよく見かける、ひっくり返った『福』の字。『倒福』『倒』と『到』の発音が似ているので、『福』を『倒』して、『福が来る』というシャレの縁起物。①まぁ、『福は内!』というコトでございますな。家の中では、普通の『福』だったりもします。こっちの場合、『真的福来了!』(福がやって来たゼ!)という洒落になっていると、聞いたことがあります。