ブログ記事19件
TOP-神社・仏閣-青森県-弘前市-橋雲寺(きょううんじ)神社仏閣めぐりで青森県弘前市の「橋雲寺」を訪れた。山号・寺名愛宕山橋雲寺宗派真言宗智山派御本尊勝軍地蔵菩薩所在地青森県弘前市愛宕字山下63Google地図緯度,経度40°37'38.9"N140°24'19.1"E40.627482,140.405293創建年開基御真言おんかかかびさんまえいそわか御詠歌参拝日2025年(令和07年)04月28日・弘法大
TOP-神社・仏閣-青森県-弘前市-弘前寺(こうぜんじ)神社仏閣めぐりで青森県弘前市の「弘前寺」を訪れた。山号・寺名成田山弘前寺宗派真言宗智山派御本尊不動明王所在地青森県弘前市常盤坂3-4-1Google地図緯度,経度40°35'41.8"N140°26'27.6"E40.594934,140.441011創建年昭和23年(1948年)開基御真言のうまくさんまんだばざらだんせんだまかろしゃだそわたやうんたらたかんま
TOP-神社・仏閣-青森県-弘前市-不動寺(ふどうじ)神社仏閣めぐりで青森県弘前市の「不動寺」を訪れた。山号・寺名鷹揚山不動寺宗派真言宗醍醐派御本尊不動明王所在地青森県弘前市茂森新町4-3-11Google地図緯度,経度40°35'39.5"N140°26'56.0"E40.594315,140.448900創建年昭和41年(1966年)開基(開山)晃教和尚御真言のうまくさんまんだばざらだんせんだまかろしゃだそわたやう
TOP-神社・仏閣-青森県-弘前市-聖心寺(せいしんじ)神社仏閣めぐりで青森県弘前市の「聖心寺」を訪れた。山号・寺名五色山聖心寺宗派真言宗智山派御本尊大日如来所在地青森県弘前市百沢字東岩木山3056Google地図緯度,経度40°41'35.3"N140°21'15.6"E40.693124,140.354325創建年昭和35年(1960年)開基成田聖心御真言おんあびらうんけんばざらだとばん御詠歌参拝日2025年(
津軽弘法大師霊場1.最勝院弘前市銅谷町632.大王寺弘前市新鍛冶町953.法光院弘前市城東中央4丁目4-104.加福不動寺弘前市茂森新町4丁目3-115.弘前寺弘前市常盤町3丁目4-16.久渡寺弘前市坂本山元17.覚應院弘前市湯口字一ノ安田95-18.橋雲寺弘前市大字愛宕山下639.求聞寺弘前市大字百沢字寺沢291
青森県弘前市にあります最勝院です。昨年十月、彼岸花の時期に参拝しました。新仁王門です。鐘楼・最勝院平和の鐘です。戦争の供出により姿を消しましたが、昭和三十一年(1956)に時の商工会が中心となり境内に復元されました。水屋に鎮座している、水屋龍神(バロダ龍王)さまと善鬼さま。金剛山光明寺最勝院、本堂です。宗派真言宗智山派ご本尊金剛界大日如来札所本尊猫突不動尊(東北三十六不動尊霊場)東北三十六不動尊霊場第十五番札所津軽
青森県青森市にあります青龍寺です。昨年十月、紅葉の時期に参拝しました。本堂へ。全仏山青龍寺、金堂(本堂)です。宗派真言宗易行派本山ご本尊胎蔵界大日如来東北三十六不動尊霊場第十八番札所津軽龍神霊場由緒大正三年(1914)、織田隆弘大和尚は青森県弘前市に生まれます。昭和十六年(1941)、東京四ツ谷・金鶏山眞成院の住職を拝命しますが、東京空襲で堂宇が焼失しました。その為に昭和二十三年(1948)、青森県青森市茶屋町に高野山青森別
青森県弘前市にあります最勝院です。昨年十月に参拝しました。新仁王門です。鐘楼・最勝院平和の鐘です。戦争の供出により姿を消しましたが、昭和三十一年(1956)に時の商工会が中心となり境内に復元されました。水屋に鎮座している、水屋龍神(バロダ龍王)さまと善鬼さま。金剛山光明寺最勝院、本堂です。宗派真言宗智山派ご本尊金剛界大日如来札所本尊猫突不動尊(東北三十六不動尊霊場)東北三十六不動尊霊場第十五番札所津軽弘法大師霊場
どもども(・∀・)ノ☆りおたん@歩く歩行者です!今回の凸りおは、、、弘前市相馬地区にある行峯山覚応院に行ってみたいと思います(^ω^)※この辺。えー。コチラは『津軽七福神』の寿老人です!長寿担当のわりかしマイナーな神様ですねwそして。『津軽弘法大師霊場』の第七番札所です!また、かつては修験道の寺院であり今では真言宗醍醐派の寺院である、と。更には『浪切不動』を御本尊としていて弘前藩の祈願所であったといいます。
青森県青森市にあります青龍寺です。昨年十一月に参拝しました。昨年落慶した山門です。門の中には大森昭夫仏師の四天王が祀られています。アニメ風で物腰が柔らか。山門入口の扁額は『虚住』、出口は『実帰』。『虚住実帰』(虚しく往きて満ちて帰る)弘法大師が入唐された時、何も持たず身一つで恵果和尚の青龍寺に往かれました。帰りには密教の奥義や曼荼羅、経典、仏具など、精神的・物理的に満ち足りて帰ってこられた事を表す言葉です。
どもども(・∀・)ノ☆りおたん@歩く歩行者です!今回の凸りおは、、、岩木山麓にある五色山聖心寺に行ってみたいと思います(^ω^)えー。コチラは津軽弘法大師霊場の第十番札所なんですね。ちょっと立ち寄ってみるのもいいんじゃないでしょうか。そんなワケで。早速凸していきましょう!レッツゴー👊ここから登っていきます。ん?コレは、、、マジであるの( ̄▽ ̄;)?ありましたヽ(`▽´)/ほう。参拝順のマップですか。とても親切ですね(^ω^)①本堂②先代のお墓③不
どもども(・∀・)ノ☆りおたん@歩く歩行者です!今回の凸りおは、、、弘前市にある最勝院五重塔に行ってみたいと思います(^ω^)えー。五重塔は弘前市の市街地では弘前城に次いで有名な観光名所だと思いますが。今回は紅葉の様子を見て来るだけの簡単な凸とさせて頂きます(^ω^)そんなワケで。早速凸していきましょう!レッツゴー👊ビミョーに小雨がちらつく中、市役所行ったついでに来てみました。ホントは黒石市か大鰐町辺りにでも凸しようと思っていたんですが。雨が降ると気力がなくな
どもども(・∀・)ノ☆りおたん@歩く歩行者です!今回の凸りおは、、、津軽弘法大師霊場の第五番札所、成田山弘前寺に行ってみたいと思います(^ω^)えー。津軽三十三観音霊場も途中なんですが今回、津軽二十三弘法大師霊場というモノに遭遇することになりました。両方とも年内クリアはたぶんムリなので来年のワタクシに期待しますwそんなワケで。早速凸していきましょう!レッツゴー👊常盤坂は弘前市民には“焼き場”の裏とかそんな感じに認知されていると思います。それだとあまりいい印象が
青森県青森市にあります青龍寺です。先月、桜の時期に参拝しました。建設中だった中門は完成、六月二十日に落慶大法要が行われる予定です。全仏山青龍寺、金堂(本堂)です。宗派真言宗易行派本山ご本尊胎蔵界大日如来東北三十六不動尊霊場第十八番札所津軽龍神霊場由緒大正三年(1914)、織田隆弘大和尚は青森県弘前市に生まれます。昭和十六年(1941)、東京四ツ谷・金鶏山眞成院の住職を拝命しますが、東京空襲で堂宇が焼失しました。その為に昭和
青森県弘前市にあります最勝院です。先月、四月中旬に参拝しました。新仁王門です。桜の時期のみ、参拝が有料でした。鐘楼、最勝院平和の鐘です。戦争の供出により姿を消しましたが、昭和三十一年(1956)に時の商工会が中心となり境内に復元されました。水屋龍神(バロダ龍王)さまと善鬼さま。金剛山光明寺最勝院、本堂です。宗派真言宗智山派ご本尊金剛界大日如来札所本尊猫突不動尊(東北三十六不動尊霊場)東北三十六不動尊霊場
青森県弘前市にあります最勝院です。昨年の十月に参拝しました。金剛山光明寺最勝院、本堂です。宗派真言宗智山派ご本尊金剛界大日如来札所本尊猫突不動尊(東北三十六不動尊霊場)東北三十六不動尊霊場第十五番札所津軽弘法大師霊場第一番札所北国八十八ヵ所霊場第五十九番札所津軽八十八ヵ所霊場第四十九番札所卯年一代守護尊文殊菩薩霊場由緒天文元年(1532)、弘信上人が堀越城外・萩野の地に三宇の伽藍を創建、最勝院を開山します。(以前より弘信上人は
青森県大鰐町にあります大圓寺です。昨年の十月に参拝しました。神岡山大圓寺、大日堂(本堂)です。宗派高野山真言宗ご本尊国指定文化財の寺伝大日如来坐像(阿弥陀如来坐像なのですが、大日如来として信仰されています)津軽八十八ヵ所霊場第六十一番札所津軽弘法大師霊場第二十二番札所未・申年生まれ守り一代本尊東北三十六不動尊霊場第十四番札所札所本尊厄除不動尊三十六童子師子光童子由緒天平十三年(741)、聖武天皇が全国六十六ヵ所に建立した国分寺の
青森県青森市にあります青龍寺です。昨年の九月に参拝しました。建設中だった中門は完成、中に奉安する四天王待ちです。令和三年六月二十日、落慶大法要の予定です。本堂へ。全仏山青龍寺、金堂(本堂)です。宗派真言宗易行派本山ご本尊胎蔵界大日如来由緒大正三年(1914)、織田隆弘大和尚は青森県弘前市に生まれます。昭和十六年(1941)、東京四ツ谷・金鶏山眞成院の住職を拝命しますが、東京空襲で堂宇が焼失しました。その為に昭和二十三年
今回の浅虫散策ラストは、相方の知り合いも参拝に来たらしい【浅虫高野山陸奥護國寺】を訪問した。そして早速長い石段が、、、今連休はマジで太もも地獄だわ。途中にアジサイが咲いていたけど、よくよく見ると周り一面アジサイで、春先に来ればものすごく綺麗な風景が広がってそうだ。石段を登るともう少し坂があり、浅虫の海を見渡すことができた、絶景。不動明王のわきを通ってご本堂へ向かう。ところが、どう
青森県青森市にあります青龍寺です。昨年の九月に参拝しました。建設中だった山門です。本堂へ。全仏山青龍寺、金堂(本堂)です。宗派真言宗易行派本山ご本尊胎蔵界大日如来由緒大正三年(1914)、織田隆弘大和尚は青森県弘前市に生まれます。昭和十六年(1941)、東京四ツ谷・金鶏山眞成院の住職を拝命しますが、東京空襲で堂宇が焼失しました。その為に昭和二十三年(1948)、青森県青森市茶屋町に高野山青森別院を建立。境内に保育園、
TOP-神社・仏閣-霊場めぐり-北海道・東北エリア-弘法大師津軽二十三ヶ所霊場弘法大師の入定から1150年目の御遠忌にあたる昭和59年(1984年)に開創。同時に津軽弘法大師霊場会(現真言宗津軽仏教会)も設立された。1光明寺最勝院弘前市大字銅屋町632大王寺弘前市新鍜冶町953法光院弘前市城東中央4-4-104不動寺弘前市茂森新町4-3-115弘前寺弘前市常盤坂3-4-16観音院久渡寺弘前市弘前市坂元字山元17覚応院弘前市大字湯口字一ノ
次は第9番求聞寺だ。岩木山に向かう道、隣にある一宮岩木山神社が目印になる。この寺は津軽三十三観音の第3番霊場にもなっているので、今回2回目の参拝になる。津軽三十三観音つながりで言えば、久渡寺も同じだ。看板が出ているが、細い道を入っていくので、ちょっと不安になる。さすがに高度があるので、路面には雪が積もっている。先ほどの橋雲寺と同じ、坂道を通るルートになるがここはいい感じで圧雪路面になっていたので少々急な坂でも難なく上がることにできた。小高い山の上なので、ちょっと階段を
12月に入って、青森もにも本格的な冬の足音が聞こえてきた。この週末は、青森・・・主に弘前を散策してきたが、私が訪れた日は丁度寒気が過ぎかけたタイミングだったので往復ともに飛行機の欠航の心配はなく快適だった。4日は午後の便がほぼ欠航になったらしく心配だったが、この時期、雪はまず大丈夫だが強風になると欠航になる青森空港散策計画には運も見方にしないといけない。さすが青森市内は、除雪した雪が積もっている。大通りは問題ないが、1つ中に入ると除雪が行き届かない道があり走行には注意が必要だ。
青森県青森市にあります青龍寺です。全仏山青龍寺、金堂(本堂)です。宗派真言宗易行派本山ご本尊胎蔵界大日如来由緒大正三年(1914)、織田隆弘大和尚は青森県弘前市に生まれます。昭和十六年(1941)、東京四ツ谷・金鶏山眞成院の住職を拝命しますが、東京空襲で堂宇が焼失しました。その為に昭和二十三年(1948)、青森県青森市茶屋町に高野山青森別院を建立。境内に保育園、診療所、ユースホステルを併設、福祉事業や青少年育成に注力します。昭和四十六年(1971
十二月一,二日に弘前で開催された、お寺体観博覧会(テラハク)に行って来ました。主催は津軽弘法大師霊場真言宗津軽仏教会です。到着は声明ライブが終わる頃、ライブが終了してから展示物を見学しました。護摩祈祷の内陣再現です。宗派真言宗ご本尊弘法大師内陣参拝後は津軽弘法大師霊場全二十三ヵ寺と、高野山のお砂踏みをしました。テラハクの風景
青森県弘前市にあります求聞寺です。岩木山神社参拝後、求聞寺に向かいました。岩木山求聞寺、本堂です。宗派真言宗智山派ご本尊虚空蔵菩薩、千手観世音菩薩津軽弘法大師霊場第九番札所津軽三十三観音霊場第三番札所津軽八十八ヵ所霊場第六十六番札所津軽七福神霊場大黒天札所丑、寅年生まれの一代様由緒寛永二年(1625)、津軽二代藩主・信枚公が津軽家と領民の安泰を祈願して、求聞寺法の荒行をしました。(求聞寺法の荒行は真言宗の中でも、最も厳しい秘
青森県五所川原市にあります大善院です。成田山大善院、本堂です。宗派真言宗国分寺派ご本尊不動明王津軽弘法大師霊場第十三番札所津軽八十八ヵ所霊場第八十七番札所三薬師霊場由緒かつては南津軽郡浅瀬石高賀野に創建、高賀山大善院正法寺と称していました。慶長二年(1597)、浅瀬石城が津軽為信公により落城、寺は堀越に移され津軽藩の祈願寺となります。慶長十六年(1611)、最勝院を塔頭として弘前城鬼門の田町へ、十二ヵ寺の一つとして移りました。明
青森県弘前市にあります求聞寺です。岩木山求聞寺、本堂です。宗派真言宗智山派ご本尊虚空蔵菩薩、千手観世音菩薩津軽弘法大師霊場第九番札所津軽三十三観音霊場第三番札所津軽八十八ヵ所霊場第六十六番札所津軽七福神霊場大黒天札所丑、寅年生まれの一代様由緒寛永二年(1625)、津軽二代藩主・信枚公が津軽家と領民の安泰を祈願して、求聞寺法の荒行をしました。(求聞寺法の荒行は真言宗の中でも、最も厳しい秘法とされます)寛永六年(1629)、念願
青森県弘前市にあります橋雲寺です。愛宕山橋雲寺、本堂です。宗派真言宗智山派ご本尊勝軍地蔵尊(愛宕大権現)、十一面観世音菩薩津軽弘法大師霊場第八番札所津軽八十八ヵ所霊場第六十五番札所辰年、へび年生まれの一代様由緒慶長六年(1601)、津軽藩祖為信公が関ヶ原の戦いで、徳川家康公に付き大垣城を攻めます。この時に向こうで祀られていた愛宕様に戦勝を祈願しました。御利益で勝利を得たので、寺僧に乞い勝軍地蔵尊を譲り受けます。最勝院第五世・眼尊法院に相談し