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昨夜、参加した『平川ねぷたまつり』の大トリの山車津軽家の武将「北信愛」の勇猛さ、老獪さがビビッドに描かれており、実に魅入るビジュアルに仕上げられており、カッコイイそして、スーパーヘビー級といえる山車のデカさといい、動きといい、さらには、“ヤーヤードー”の連呼といい、まさにド迫力の祭りであったこちらの山車の行進とともに私も職場の仲間達とともにタクトを振るう方の掛け声にレスポンスしながら1時間以上、平川市の街を闊歩した詳しくは後ほど、別記事にて
今日は三男と三人の女子を三男佐吉関ヶ原合戦時、三成は居城の佐和山城の留守を、兄の正澄と父の正継に託し、三男佐吉も一緒でした。関ヶ原敗北後、佐和山城は東軍の攻撃を受けます。石田軍は善戦するものの、多勢に無勢。正澄は自分の命と引き換えに城兵の命を救うよう求め、正澄の臣・津田清幽が交渉して、家康の了解を得ました。津田は家康の元家臣です。ところが開城準備中に突然、約束を破って田中吉政、小早川秀秋軍が城内に乱入、正継は「内府も念を入れることよ」とひと言もらし、正
禅林街の一番奥(正確には左折のクランクの奥に斎場がある)長勝寺の外、禅林広場の右奥に忠霊塔が建っています。この日は中で何かされてたみたいで、近くには行きませんでしたが。大平山長勝寺弘前市西茂森1-23-8津軽家の菩提寺で種里から大浦、弘前へ移された寺院です。山門。嘉元鐘。少しの間ぼやけた写真が続きます…蒼龍窟中へは入れますが、念のため中は撮影辞めておきました。奥が本堂ですが、入口は…外から拝むかと思ってたら、通りかか
2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初日は「プロローグ」で「天守」についてお話をしました。『<北から南へ「天守」シリーズ>プロローグ』本日から、『北から南へ「天守」シリーズ』をお届けしようと思います。まずは「プロローグ」から。「天守」については、3年ほど前に、現存、復元、復興、模擬をグルー…ameblo.jp昨日2日目からは、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を北海道を皮切りにお届けしています。今回は、現存、復元、復興、模擬の「天
2021年9月8日おやじの百寺巡礼≪NO3≫長勝寺〈ちょうしょうじ〉青森県弘前市青森県弘前市に着いたのは午後1時半、駅前からタクシーで禅林街へ向かいました。入口の黒門が迎えてくれました。この先の長い杉並木の参道の両脇に曹洞宗寺院が連なっています。禅林街という名前の通りの街です。杉並木の最奥、正面に長勝寺の三門(山門)がそびえ建っています。参道に沿って両側に曹洞宗寺院が三十三ヶ寺並ぶ様はとても壮観です。入母屋造り・とち葺きの壮大な三
【独自】皇族方のワクチン接種始まる…宮内庁、国民と同じ接種順位で実施の方針6/1(火)11:49配信配信よりワクチン接種のため、皇居に入られる常陸宮妃華子さま(1日午前、皇居・乾門で)=富永健太郎撮影皇室の方々の新型コロナウイルスのワクチン接種が1日午前、始まった。宮内庁は、皇族方の接種について国民と同じ接種順位で行う方針を示している。【動画】昭和史の天皇…対米戦「負けたら徹底的に負ける」企画院総裁鈴木貞一現在、国民の接種対象となっている65歳
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【問題】津軽家において家老にまで上り詰めた大道寺直英とは、もとはどの大名の家臣だったか?【選択肢】有馬家長宗我部家北条家安東家尼子家相馬家【正解】北条家【解説】大道寺直英は大道寺政繁の養子で、北条家の家臣であった。主家滅亡後は徳川家に仕え、後に請われて津軽家へ転仕、同家において家老職にまで上り詰めた。
東北の地に北の台地にこのような石垣づくりの立派なお城があります。行ってきたのは、ちょうど桜の季節、花見の時期に弘前城に行ければ最高です。青森県にある江戸時代の2つの勢力は西の「津軽氏」と東の「南部氏」ですが、青森県内の南部氏の居城のある八戸城は土塁でできたお城です。いわば青森県内にある唯一の石垣づくりのお城です。その後は南部氏は岩手県盛岡市に盛岡城を構築しましたが、盛岡城は石垣づくりのお城です。津軽氏と南部氏江戸時代を通じて江戸城で顔を合わせても挨拶をしない大名として有名でした。他
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をするシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。本日は、「弘前城(前編)」(青森県弘前市)をお届けします。御三階と赤い下乗橋
城陽で梅「城州白」の収穫期大玉たわわ、陽光受けて輝き47NEWS京都府内最大の梅産地、城陽市青谷地域で、特産の品種「城州白(じょうしゅうはく)」が収穫期を迎えている。農家は丸々と育った黄色い実の摘み取りに追われて...光信の足跡食でしのぶ「種里城弁当」開発/白神自然学校47NEWS...校(永井雄人代表理事)の農家レストランが、津軽家の始祖と敬われる大浦光信の種里入り530年を記念し「種里城弁当」を開発した。赤石川が育んだ「金アユ.米子城跡の湊山球場整備三の丸広
弘前藩祖・光信公御廟所の柵再建へ47NEWS代々の弘前藩主が津軽家の始祖と敬った大浦光信公の墓所「御廟所(ごびょうしょ)」(青森県鯵ケ沢町種里)の柵が30年ぶりに再建されることになった。老朽化が...●大浦氏仙台・新種サクラは「秋保足軽紅重」地元住民投票で命名河北新報野尻地区がかつて藩境警備に当たった仙台藩の足軽の村であり、花弁が濃い紅色で、6~8枚の「八重咲き」が交じっていることなどにちなんだ。全国に発信しよう...人気ゲームアプリ『アズールレーン』より、重桜に所属
スカイツリーのある押上から丸太乗りで有名な木場迄6㎞ほどを、横川が流れています。其の中で、最初の押上から錦糸町までの1㎞ほどが、大横川親水公園という広くて長い公園です。その公園の隣りに、津軽稲荷神社が鎮座されます。JR総武本線:錦糸町駅から北西へ100mのところです。鳥居をくぐると右に手水舎。そんな人居ないだろうと思ったけど、居るから書いているのだろうなあ。1960年代にドラマの悪人が付けてた赤いマフラーで睨みつけてきます、怖
この本はブロガーさんがとり上げていた。葉室麟の小説であり、外れのない本として手にした。裏表紙関ケ原の戦から十年後、三成の娘・辰姫が津軽家に嫁ぐ。藩主の信牧と睦まじい日々を送るも、その三年後に家康の養女・満天姫が正室として当主のもとへ。辰姫は上野国大舘へ移るが、のちの藩主となる長男を産む――ふたりの姫による戦国時代の名残のような戦さを描く表題作ほか、乱世の終焉を描く短編も収録。あらすじをたどるような筆の勢いである。とんとんとんと話が展開する。満天姫は徳川の血を引く者、辰
2018年10月20日の弘前散策の続き。「長勝寺」の続き。長勝寺(その1)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12575315133.html本堂を出て、左側に回って…「津軽家之墓」と刻まれた墓石がありました。ここ「長勝寺」は、津軽家の菩提寺ですからね。大きな石碑もあって…。こちらも戒名が刻まれているので、墓石のようですが、長い戒名なので、津軽家の方かも知れません。祖先と諸精霊の供
2018年10月20日の弘前散策の続き。「禅林街」を回った後は、一番奥にある「長勝寺」に向かいました。禅林街(禅林三十三ヶ寺)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12563812704.html「梅林寺」の隣、「禅林街」のまっすぐに道の奥、正面に「長勝寺」があります。門をくぐり、左手には手水所。正面には、おお~!立派だこと!1629年建立の三門。国の重要文化財に指定されていますからね(^^)
【山口県下関市の長府毛利邸】毛利元敏公(長府藩最後の藩主)が東京から長府に帰住し建てた邸宅です(明治36年完成)。明治天皇が宿泊されたこともありますまた、津軽家に嫁がれ常陸宮華子妃殿下の御生母となられた久子様(元敏公の孫)もこの屋敷で幼少時代を過ごされた(パンフレットより)早くも梅が満開を迎えようとしていましたメジロを見つけてシャッターを押す!(中ほどに小さく…^^)【生け花】静かで落ち着いた雰囲気の中で生け花を鑑賞させてもらいました明治天皇御宿泊の間…「降る雨
お印は石楠花。婚約の日に。お妃教育。嫁ぐ日に、ご両親と家族に挨拶する華子さん。若い頃は可愛らしい雰囲気の方だったのですね。姑である故・香淳皇后は長男の嫁である美智子さま(当時は皇太子妃)より次男の嫁である華子さまを可愛がったというが(私が伝え聞いた話では。やはり学習院出身だからか!?)。
意外や、石田三成の三人の息子と三人の娘は、関ヶ原の負け戦のあと、誰も殺されていません。それどころか、津軽の殿様は三成の娘の子孫です。三成の息子も津軽藩に仕えて、現代まで子孫は続いています。幕府を憚ってこっそり隠れて、というイメージとも違うようです。三成の三女・辰姫は、秀吉の死後、高台院(北政所寧々さん)の養女となります。関ヶ原で家康が勝ったのははっきり言って高台院のお陰ですから、その養女を殺すなんてことは、いくら謀反人・三成の実子でも、絶対にできません。辰姫は、高台院の側近・孝蔵主(このひと
1972年WHOの内部資料で「ワクチンの形をした生物兵器の開発の必要性」が書かれていました。1.生まれた赤ちゃんに予防接種をしておき、体内の免疫系をあらかじめ弱めておく。2.その後の各種ワクチン、毎年のインフルエンザワクチンなどで血中にさまざまなウィルスを植え付けておく。3.今回の新型インフルエンザワクチンのようにスクアレンを含んだ免疫補助剤(アジュバンド)で接種後に免疫を暴走させる。https://note.mu/sakazaki_dc/n/na12d50a1c9a3
目黒雅叙園で開催されている、百段雛まつり2019青森・秋田・山形ひな紀行を観に行って来ました。写真撮影は禁止だけど、何部屋か有る展示室のうち「酒田雛街道と傘福」の部屋は撮影OK。それで何枚か撮影。傘福は数が沢山でなかなか華やか。東京都の有形文化財で有る百段階段で結ばれた各部屋が展示室として使用されている。ちなみに、百段階段の雅叙園の説明は以下。「百段階段」とは通称で、ホテル雅叙園東京の前身である目黒雅叙園3号館にあたり、1935(昭和10)年に建てられた当館で現存する唯一の木造
火曜日から青森県内の新年挨拶回りに出掛けてます。得意先もさることながら、家族の平穏無事な生活が送れるよう祈念してまわります。最初は、弘前市の禅林街にある長勝寺。曹洞宗の津軽家最初の菩提寺、日光東照宮と並び称される江戸時代初期の代表的な建造物。禅林街全体がひっそりとしてました。岩木山の麓にある津軽国一之宮岩木山神社いわきやま神社諸説はあるものの、780年に岩木山山頂に社殿を造営したのが起源。何度来ても、この朱色の楼門の素晴らしさに目を奪われる。主祭神大国主神
先日雨のしょぼ降る中、友に連れられ「高岡の森の刀剣展」に行きました。それも県外から来た友人夫婦に誘われて。雨だったのでパンフレットもよれよれ。歴史的な古文書が主な展示物かと思い、少々氣が重かった私は、展示室に入るなりびっくり😲勿論弘前の街の地図や公共事業の取り組みなど、文書や絵図はありました。今回のメインイベントは、津軽家に伝わる刀剣の展示でした。刀剣を鑑賞しているうちに、顔がピリピリしてきました。なんだろうと思っていると、今度は皮膚が突っ張るような感じが。はぁ〜〜〜わぁ〜〜〜、これが
脱置1“歩﹁..,'.番匙·和野内番所跡野内番所は、盛岡(南部)藩に対する番所として、秋田藩に対する碇ヶ関、大間越ととちに津軽三関と呼ばれたところである。成立の年代は元和年間といわれているが、はっきりしていない?貞享四年の野内村検地帳に「屋敷、弐拾四問弐拾問壱反四畝拾弐步御番所..「采女様虽匙弐拾八問.弐拾間壱反八畝弐拾歩卻番所と記録されている。このことは弘前·黒石の両津軽家で警固していたということである通行者数は、時代や季節によって多少汶あるが.藩
今日10/20は、昨日に引き続き、青森県の弘前市に出撃!弘前も何年ぶりかな~?思い出の地だしな~(笑)ということで、弘前駅の観光案内所でレンタサイクルを借りて、弘前散策、いや、弘前サイクリングにレッツゴー!まずは、国の重要文化財の五重塔がある「最勝院」に…いや~見事な五重塔だこと!お次は「栄螺堂」。朱が見事な六角堂で、これはまたスゴいな~♪続いて、津軽藩主の津軽家の菩提寺「長勝寺」。山門もまた見事!国の重要文化財ですもんね。それから、弘前城に
2日目は、まず最初に弘南鉄道に乗って「田舎館村田んぼアート」を見て来たよ!数種の稲の苗を使って田植えをして、巨大な絵や文字を浮かび上がらせるもので、今年は第1会場は「ローマの休日」で、第2会場は「手塚治虫」がテーマだったよv(*''-^*)-☆田んぼアートを見た後は、また弘前に戻って市内の名勝地をぶらぶら歩きながら見て回ったよ!1.最勝院五重塔ー本州最北の国指定重要文化財の五重塔で、東北随一の美しさと言われる塔だよ!2.禅林街ー1610年に2代藩主が弘前城の南西の砦として、津軽一円から
◆先日の青森、弘前まで行ってきました。◆金剛山光明寺景勝院(真言宗智山派)◆景勝院五重の塔○津軽藩4代藩主信政が、初代の為信以来、幾度かの戦で戦死した敵味方の将兵の供養のために建立(3代藩主・信義が明暦2年に着工し、寛文7年(1667)4代藩主・信政の時代に完成)したもので、江戸時代に建てられた五重塔では建築物にしては相輪が長く、全国で一番美しい形の五重塔として知られているそうです。◆紅葉の始まりですね◆やはり東北青森ですね◆弘前ねぷたまつりも終わっていて、観光客も少ないです