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こんばんは、mmm(まーママ)です。5月26日(日)道の駅なかとさで、おはようございます。こちらは、道の駅の横にある子どもの遊具とドッグラン。予定よりちょっと早起きして、中土佐町の海岸を散策に、「ふるさと海岸」へ。気になったのは、海沿いに建つ、津波避難タワー(純平タワー)高知県高岡郡中土佐町久礼6307高知県の沿岸部では津波タワーをたくさん見かけましたが、この津波タワーは、平時でも展望台として一般開放され
4月15日(月)道議会公明党(阿知良団長、荒当議員、中村議員)として高知県黒潮町にある津波避難タワーを視察調査しました。黒潮町といえば、南海トラフ地震で国内最大津波高34.4mの予想値が出た町です。役場の防災課長から、当時の様子をリアルに教えていただきました。『犠牲者ゼロをめざす黒潮町の地震・津波対策』最大震度→「7」予想津波→34.4m津波到達時間→「2分」町民からは、あきらめに似た声、避難放棄者を多く生み出すような危機感が広がったとのことです。国の想定では、人口12,000
いすみ市夷隅川左岸河口部の岬町江場土地区に津波避難タワーが完成しました。2階建ての鉄骨造屋上は、海抜10・3メートル、床面積118㎡で約100人を収容2階部分は、備蓄倉庫、休憩室、トイレ、更衣室、発電機などを設置ソーラー照明灯で夜間も避難者を誘導。総工費は2億9172万円建設までの調査、検討など、詳しくは、いすみ市津波避難施設整備計画(令和3年5月)に記載されています。https://www.city.isumi.lg.jp/material/files/group/
今年の2月下旬に「兵香高の旅」と称して、1泊2日で西日本の各地を巡った様子を紹介します。「兵香高の旅」は2日目の昼下り。記事の前半では高知県東部「安芸市(あきし)」を改めて紹介。その後は山城の「安芸城」を登城します。🏯高知県東部・安芸市を紹介前回記事で「ちりめん丼」などを頂いた「安芸市」を改めて紹介。市の中心部は土佐湾に面しており、今後発生が予見されている南海トラフ巨大地震の際には、最大13mの津波が到達する予想があります。そのため海岸沿いの各所に「津
利尻山雪崩「ざらめ雪」の上に積雪で発生の可能性調査チーム利尻山雪崩「ざらめ雪」の上に積雪で発生の可能性調査チーム|毎日新聞利尻山(標高1721メートル)で3日に表層雪崩が発生し、スノーボードなどで滑っていた男女4人が死傷した事故で、日本雪氷学会道支部雪氷災害調査チームは11日、現地調査結果(速報)を公表した。雪崩は幅130メートル、長さ700メートル、標高差340メートルの比較的大きな規模で、2月中旬の暖かさで溶けてmainichi.jpアメリカ東部の街が“水浸し”ブラジル
代襲相続により、相続権復活なんて、これはとんでもない事態になりました。祖父が倒れて以来、49年ですよ、ばかばかしい、私の父が亡くなったのが、平成18年、相続放棄をしましたから、この時点で、私の相続権は完全消滅しています。つまり、相続関係者は、私抜きで、いくらでも相続問題を片づけることができたわけです。ところが、相変わらず放置した。そして、平成30年、叔母が亡くなったことで、私の相続権が復活。つまるところ、父が亡くなった平成18年から叔母が亡くなる平成30年まで12年間は、私には相続
中土佐へ津波避難タワー双名島久礼大正町市場道の駅なかとさ国産アボカドだ高いっ鰹のなめろう天気になるな仁井田米ジュースを購入しましたゆずごこち、しそごこち、みかぽんお寿司を買いましたイトヨリとイカお魚最高やなぁ
この間スーパーの駐車場からのウォーキング途中にある津波避難タワーに登ったのだけど、もっと海岸近くにタワーがありました。TikTokで知った(笑)。海岸をウォーキングしている時は松林に隠れていたせいか、全く気付かなかった。で、今日はちょっと風が強いのだけれど高所恐怖症克服の為にも登ってみました。ここはぐるぐると回りながら登っていくせいか、この間の所よりあまり怖くはなかったかも。でも1番上の黄色のとこまで登ったらやっぱり柵につかまらないと怖くて立っていられない。残念、富士山は雲で良く見え
きょうは、曇り時々晴れ。あしたは雨でしょう。きょうの尾鷲の最高気温は16.9℃(最低気温は10.2℃)。全国トップは沖縄県の鏡原で26.0℃。三重トップは紀北町の長島で18.1℃。ただいまの尾鷲の気温は11.2℃。『きょうのことば』【臨機応変(りんきおうへん)】~~その場に当たり適切な行動~~「機に臨(のぞ)みて変に応ず」と読む。その場に当たって、変化に対応した適切な行動をとる。時と場合を見
にほんブログ村12/3(日)は朝から孫2号のサッカー練習試合練習試合は1,2年生対象なので用事は無いのに孫1号もついてきてイラん事ばっかりシテました因みに嫁さんは家で家事サッカーを始めて半年近く経ち孫たちは若干上達はしてますがマダマダ3人ではま寿しでお昼をとり南国市立スポーツセンターへ南国市立スポーツセンターは昨年末に完成した施設が色々津波避難タワーや遊具、広場トイレもメッサキレー第63回南国市美術展覧会児童の部に孫たちの絵と硬筆が展示されてるそうなので
2023/11/03~052泊3日でドライブ旅行してきたお話の続きです2023/11/03(金)室戸岬から西に向かいました道の駅なんかに寄りながら海岸線を進みました遠くまでドライブしてきた初日だけあって、すぐに日が暮れてきました日が沈んじゃう!どこか夕日を見る良い所はないかな改修中の道の駅大山に寄りましたなんとか見れましたが楽しめたのはつかの間数分お日様は見る見るうちに沈んでしまいました日が沈む太平洋と夕焼けの赤い空を堪能できました夕日が沈むのを観るために時間を取るのは
11月5日は「津波防災の日」最近の小学生は学校でみんなやってるからご存じ「稲むらの火」から制定されました。私も読み聞かせで、「稲むらの火」何回か読んでます。昔は教科書にも載っていたそうです。私の住む地元は愛知県の中でも、唯一津波で壊滅する地区とされていて、津波避難タワーが県内で一番多い地区。名古屋市や豊橋市も危ないけど、そちらは都会だから避難するビルがいっぱいあるけど、そういうの全然で、今4棟で今後10棟できる予定だそうです。ほぼほぼ総工費に1棟2億円かかっているそうで、国が1
昨日は日曜日いつもの時間にいつもの仲間といつものコースでラウンドをラウンドを楽しんできたが、ひとり病欠で3サムで少し寂しくなった。お天気は未明の雨も天気予報通りに上がって清々しい秋晴れで絶好のゴルフ日和。結果は91点と、あと少しで80台。残念!その余の時間は地震発生のメカニズムのポンチ絵の修正作業で暇つぶし。今まで納得できなかったマグマ溜まりでの熱解離現象で溜まる酸素と水素の状態が先日も書いたように超臨界状態であるらしいので、これをポンチ絵で説明しようと四苦八苦。地震は岩手県
高知の海岸沿いで多数見かけた防災施設。南海トラフ地震に備え、県内に100以上あるそう。山の方への道には山上へと逃げるための「避難路」の看板が。実際の非難に役立つタワーでもあるが、これがあることで常に非常時について意識せざるを得ない環境となっている。そう考えると、多くの人とインフラが集まってる東京って意識が希薄?
親知らずの周りが定期的に炎症を起こすので、抜きたいんだけど、かかりつけの歯医者さんは「神経がすぐそばを通っているので僕は抜けない」と・・・歯科大付属を紹介していただきました。先週初診で診てもらったら、「神経が歯の根元にあたっているから、抜いたら唇がしびれる後遺症が残るかも・・・」なんて言われてビビったので、CTを撮ってもらうことにしました。今日がその抜歯の日・・・雲一つない青空、日差しがささりました・・暑い💦CTでは神経は近くを寄り添ってるだけだった・・・よかった😅
震災後に整備の9m津波避難タワー、国の最大16m想定で避難場所として使えず9/2(土最大想定は、被災地の復興にも暗い影を落とす。岩手県陸前高田市は震災後、市街地を10メートルかさ上げし、数十~百数十年に一度の津波を想定した防潮堤(高さ12・5メートル)を整備した。しかし、県が昨年公表した最大想定はそれを上回り、浸水域は震災時の13平方キロより広い15平方キロに及んだ。人口は震災前より5000人以上減り、かさ上げ地には空き地も目立つ。市の担当者は「対策しても浸水するとなれば、街が空洞化す
今日はもう帰りです・・・。ビジネスホテルで朝食をとるのは珍しいのですがこんな感じの和定食でした、ちなみに洋食も選べます。夕飯の時は非常に賑やかでしたが、朝は入った時は自分のみで、あとから2人ほど入ってきました。どちらさなんも顔なじみらしく(長期宿泊?)昨夜はこなかったねえとかお話されておりました。9時過ぎの列車ですが、少し早めにホテルを出てプラプラしながら駅前に向かいます。というのもまじかで津波避難タワーを観察したかったからです。出来たばかりのタワーなんですね、それに人が上っている
在来線の特急はやはり良いですねー、高知を定刻に発車し、乗車率は約80%。わずか2両編成のミニ特急です。今回の旅では1両か2両の編成で本当にローカル線の旅でした(笑)無人駅が多く、乗り降りも結構あり車掌さんは大忙しです。もし清算するお客さんいたら、遅れるの必至ですねえ。中高生の利用も多く、途中では小学生が3人乗ってきたのも驚きました。なんか近鉄の特急の様な手軽なイメージが沸いてきました。さて路線は途中から風光明媚な場所を進んでいきます。トンネルが多く、その合間に海がドバっと見えます
今月、約35年ぶりに高知県に行ってきました。航空会社はJAL派(TDA→JAS→JAL)なんですが、高知に行くには乗り継ぎをせねばならず、今回は久しぶりにANAに搭乗しました。まあ飛行機に乗るのも最近緊張しており、ANAはスマホアプリで乗るという荒業です。ですから早めに保安検査場に入り、アプリで無事に発券、検査場も通過してヤレヤレです。朝早いので事前にアップルパンを買っておりコーヒーのみ購入し朝飯にします。そしてゲートで再びスマホをかざし、ここも無事に通過。ANAはここで大きく座席番
全国各地で地震が頻発、そしてジメジメ長雨🌧️マイナカードに他人の医療情報が書き込まれる💢冴えないニュース…どんよりした気分が続いています。今日も「また雨か」と思ったら、急に雲が流れてお散歩日和漁港を徒歩でぐるっと回って釣り人の釣果を見ながらお散歩すると気分も晴れてきましたここは津波避難タワーのお陰で安心して海辺を徘徊できますw(おわり)
広報いすみ5月号より防災情報についてご紹介します。まずは、2023年の重点事業ともなっている津波避難タワー。いすみ市、江場土興和地区に整備されます。いすみ市津波避難施設整備計画については、市のHPに掲載されています。https://www.city.isumi.lg.jp/material/files/group/14/tunamihinansisetuseibikeikaku.pdfいすみ市防災メールに登録し活用したり、5月27日(土)には、いすみ市防災フ
焼津に行った時の話です。焼津みなとまつりに行ったのですが、その後焼津神社のほうに歩いていきました。途中で見つけた神社。ちょっとお詣りしました。お社。狛犬様が変。半魚人か???ま、それは置いといて。境内社。天白稲荷大明神だそうです。ちなみに、横に見える石碑は以前ご紹介した、『焼津の耕地整理記念碑』先程、焼津神社に行ったことを述べましたが、焼津港から焼津神社へ向かう途中、須賀神社という神社がありま
五年前に行った西伊豆木負(きしょう)の農産物センター前にある津波避難タワーの上からの富士山です沼津市西浦になります西浦みかんの産地です。最寄り駅は伊豆箱根鉄道の伊豆長岡になりますがバスは伊豆三津シーパラダイスまででここまで来るのは沼津駅から(国道414号線→県道)の海沿いの路線です
食事をした渚の交流館の隣に変な形のタワーを発見津波避難タワーでした。330人収容できるんですね。78段ほどの階段を上がると広いフロアーがあり災害用の毛布などが備蓄してありました。タワーから見た風景です。屋上にも出ることができ写真を撮りました。今日は荒れ模様でした。回廊から見えた景色です。東日本大震災から東海地方も防災の意識が以前にも増して高まり海岸沿いは対策がされていました。
https://youtu.be/6_rDv5tSnLo2023/03/20参院予算委員会塩田博昭参院議員20日、参院予算委員会で、塩田博昭参院議員は、「津波避難タワー」の整備状況、公共交通機関における障がい者割引の実施、下水サーベイランスの取り組み強化などの質問を行いました。#交通#防災#インフラ◆チャンネル登録はこちら↓https://www.youtube.com/c/Newkomeito_komei◆...youtu.be
有れば、新月に〘東京大地震〙来る筈(.❛ᴗ❛.)停電=安全停止型×ブラックアウトに備えよう!(.❛ᴗ❛.)
18日、午前10時、一色町千間地区に完成した津波避難タワーの竣工式に出席しました。一色地区、特に東部地区については海が近く、また、海抜0メートル地帯も多くあり、大地震後の津波からの避難場所も見当たらない状況で、津波避難タワーや命山の設置を望む声が多くあり、私も地元議員の一人として、過去に一般質問等を繰り返してきました。今回完成した津波避難タワーは、収容可能人数200人、避難フロアまでの高さは約4.6メートルです。津波避難タワーは作って終わりではありません。ここから場所を知ってもらうた
す11時55分、最御崎寺を出て、25番、神照寺を目指し、室戸スカイラインを下ります🚶♀️とにかく、良いお天気🤗12時15分、国道に出ましたバスに乗せてもらって、お楽しみ(キンメ丼)を目指しますお店は、港の近くにありましたが、道路の端は、車でいっぱい🚙🚙🚗🚙🚗、待ってる人は、店の前、中にもいっぱい仕方がないので、近くの食堂で、日替わりランチ😢昼食後、25番神照寺は、目の前‼️、だったので先にお参り🙏、することに…津寺(つでら)とも、呼ばれているそう長い石
11日、2011年3月11日に発生した東日本大震災から今年で12年経ちました。被災地をはじめ、全国各地で追悼行事が行われました。午後2時46分、一分間の黙祷。私はあの時、旧一色町役場内にいました。部長との意見交換中に長い横揺れ(震度3程度)を感じ、正副議長室で議長と議会事務局長と3人でテレビを見て最初の惨状を知りました。町内の同報無線から響く、高台へ避難しろ、との機械的な音声と不気味な繰り返し鳴るサイレンを覚えています。その時は、近くにいた下校中の小学生たちに家の2階か、親御さん