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三重県の県庁所在地でもある津市(人口約27万5000人)。三重の最大都市は四日市市(同30万5000人、人口3位以下は鈴鹿市、松阪市、桑名市)ですが、「動」の四日市に対し「静」の津という感じで、風情があっていいですね。三重県は、四日市と松阪に競輪場がありますが、この津には競艇場(ボートレース場)があります。伊勢湾に面した津競艇場に行くと、貝殻模様のドーム型の施設と大時計が正門で見て取れ、全国24の競艇場の中でも、特に個性的な玄関口となっています(写真
津城も何回か来てるんだけど、城郭めぐりスタンプもここなので、高山神社へ城郭めぐりスタンプと高山神社の御朱印ゲット津城もさっと見学して、津市観光協会津駅前観光案内所で御城印ゲットです。
この日最後の城は、津城🏯津城は、織田信長の弟、信包(のぶかね)が、安濃津の地に元亀2年(1571年)から築城を開始し、天正8年(1580年)に五層の天守を建てて完成したそうです。現在の津城跡は、その城郭を藤堂高虎が慶長16年(1611年)に大改修したもので、残念ながら建物は明治維新後に全て取り壊され、本丸と西の丸の石垣と郭が残り、内堀も北と西に半分程に狭められてしまったとのことです。ところで、信長が浅井長政を滅ぼした際、この城へ妹の市とその娘である茶々、初、江を信包が保護したとの説があると
朝、ゴミを出す。そのまま、ワールドコーヒーさんでモーニング。今日の予定を決める。父ちゃんの希望鰻を食すと、ワタクシの希望100名城スタンプを押すの両方を叶えるために向かったのは、京都東インター。新名神から伊勢道に入り、津市に向かう。京都からは一時間半もあれば到着…のはずやったのに、なかなかの渋滞。工事渋滞ですな。で、津城のスタンプは高山寺の入り口左側に置いてあります。着いたのは12時半ごろ。スタンプの通り、石垣が素晴らしい。で、見学もそこそこにチェックしておいた鰻屋さ
只今、「石・石塁・石垣シリーズ」は。「①②-(3)打込み接・乱積み」を展開している写真をお届けしていて、今回は三重「伊勢・伊賀」にあるお城の中でそれが見られるものを紹介します。「野面積み」の分類時にも記載しましたが、「切込み接」が導入された初期の頃の石の加工具合が、どのくらい加工されているのか見わけが付かず「野面積み」のようにも見えてどちらに分類すべきか迷う場合もありましたので、私の独断と偏見で分類したケースもありますが悪しからずご了解ください。「打込み接(はぎ)・乱積み」は、積み石の接
遺構に観る熱き歴史と絶景ドライブ(三重・和歌山2泊3日)まずは、「津城」(三重)の城盗りこんにちは続・日本100名城城盗り日記の投稿です…。「続・日本100名城」の城盗り(スタンプ収集)を2018年4月から開始し、21城の城盗りを5ヶ月で達成しました。いままであまり知られていない山城も多く、体力、気力が必要な城盗りですが山頂の本丸(主郭)跡からの絶景を楽しんでいます。(「日本100名城」は、有名な城、観光地の城、現存遺構の城等々、認知度が高
久々の趣味のYouTube更新しました(^^)三重旅3日目は津観音→津城→高山神社→城山稲荷藤堂高虎の続100名城津城は本丸がちょっと変わっていました続きはYouTubeで↓
ブログは「石・石塁・石垣シリーズ」をスタートしていますので、どうぞご覧ください。前回ブログからは、先日ピックアップした切口による分類の下記表から「①②-(1)野面積み・乱積み」を使用しているお城の例を日本の北から順次掲載しています。本日は「中部地方(伊勢)」のお城の中で「野面積み・乱積み」を導入している例をお届けします。「野面積み・乱積み」は、自然石を殆ど加工することなく積上げる手法ですので、排水性は良いですが高くは積上げることが出来ません。石と石との間は隙間があくので「間詰石(まづめ
津城に行ってきました🏯雨の中ゆっくり散策!藤堂高虎像が以外と大きかった😉
今日は、津城や伊賀上野城、亀山城でライトアップブルー世界自閉症啓発デーのために青くライトアップされる日でした❗津城にオバサンタさんと見に行ってきました。少し雨が降っていましたが桜も咲いていてライトアップも綺麗でした✨綺麗でした~ミニ龍王ちゃんもお供に📷️今年も来れてよかった✨
先日の三重行ですが、霧山城→田丸城ときて、お次も続日本100名城の津城へと向かいます。津城は、その名の通り、三重県の県庁所在地・津市にあります。城の沿革としては、永禄年間に細野藤光が小規模な安濃津城を築城、その後織田信包が拡充、藤堂高虎が大改修したという流れのようです。(前回の津城への訪問記事は→①・②)(今までに訪問した東海地方のお城は→こちら)場所的には、津市の中心部にあり、津市役所や津警察署に囲まれた場所にあります。続日本100名城のスタンプは、城跡の南西側
こんにちワムシなんなん雲はあるけどめっちゃええ天気やん三重県津市は風もなく太陽はSUNSUNと庭で日向ぼっこしながら書いてます先に着弾物のご紹介〜1月29日のインスタLIVEでこの頃はまだカツアゲLIVE違った?確か18番だった覚えてます✨D’sメダカさんのミニストラップタモが当たりました〜着弾致しました〜お忙しい中ありがとうございました速攻嫁の物になっちゃいましたステッカーまでありがとうございますかっこいい〜午前中は久しく行ってなかった津城跡の探索に行ってき
熱田伊勢初詣ウオーク、2.日目。四日市から歩いたゴールは津城です。続日本100名城に選定されています。城跡は、お城公園として整備されてます。三重隅櫓です。石垣?に上がることができました。お堀を見下ろせます。本丸跡、天守台跡、藤堂高虎の像。日本庭園、入徳門、お堀。藤堂高虎が祭神の、高山神社が隣接されてます。こちらに続日本100名城のスタンプが設置されてます。2日目のウオーク↓『熱田伊勢初詣ウオーク2日目四日市~』2022年1月9日熱田伊勢初詣ウオーク2日目に2
さてさて…………【結城神社】にて、この日の我々のミッションは達成したが、時計は15時。まだもう少し時間はあるって事で、まだ訪れたことのない場所をと我々が続いて到着したのは…………【津城跡(お城公園)】三重県津市丸之内5−1別名を【安濃津城】とも呼称される。『続日本100名城』にも選定されている。【津城】は、津市街の中心部に位置する。北は安濃川、南は岩田川に挟まれ、これらを天然の大外堀としていた。江戸時代初期に築城の名手藤堂高虎により、近代城郭として大改修され、津藩の藩庁となった
こんにちワムシ三重県津市は良い天気で大学駅伝日和でしたよ🏃♀️🏃♀️🏃♂️🏃♂️💨センターパレスでの集団接種まで時間あったので水換え決行2箇所だけできましたafter駐車場なんで斜めは仕方ないです昔から居る松井ヒレ長ですかっこいいなぁ芸術的オスメスわからんわ黒天河ご老体背鰭ないからなんか寂しそうそうこうしてたら時間になり接種会場のセンターパレスに行きました駅伝の為23号線横断出来ないと聞いてたので反対側の津市お城公園駐車場に停めて歩く事に津にもお
三重県津市にある津城跡は、近鉄津新町駅より約700m東にある藤堂家の家紋「藤堂蔦」1枚200円御城印は、津駅前の津市観光案内所で販売している三重隅櫓三重隅櫓を下から藤堂高虎像お城公園の中にある藤堂高虎は1611年に大改修を行い、北側の石垣を高く積みなおした本丸北東の石垣より本丸北西の石垣本丸北西の石垣より最寄り駅の津新町駅近くにある肉屋さんの定食日替わりランチハンバーグ
津市観光の二つ目は津城の城主でもあった藤堂高虎ですね!有名な藤堂高虎公像ですね!ちょっとアップ!マンガでも予習済みでしたがカッコいい、かつ力強い雰囲気が漂いますさらに高虎公を祀っている高山神社(こうざんじんじゃ)も最後は、藤堂高虎公の遺訓意味は…「寝室を出るときから、今日は死ぬ番であると心に決めよ。そのような覚悟があれば、物事に動じることはないであろう。」なるほど!参考になります!
久しぶりの旅!今回は津市〜鈴鹿サーキットです(°▽°)まず、今回は津市編…そして津城跡です!さらになかなか風情がある跡地ですねー最後は、外観的な写真を
続日本100名城を巡る旅も今回を含めあと3回となりましたラストスパート頑張ります💨まずは津城🏯津駅が近いのかなと思っていたのですが、津新町駅の方が近いです。徒歩15分程で到着🚶♀️西の丸角櫓(玉櫓)台がまずは見えてきましたよ。西の丸は低い石垣となっており、かつてはこの上に土塀が張り巡らされてました。石垣下部の犬走は近年のものとなっております。慶長16年藤堂高虎は津城の改築に取り掛かり、そのひとつとして本丸の北と東を拡張し、石垣を高く積み上げました。先程の西の丸の石垣より高いです。
「お城」の「天守台シリーズ」第34弾は、「津城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いてお
津城(別称:安濃津城)つじょう創設年代・・・元亀年間(1570頃)創設者・・・・・長野信兼・藤堂高虎形態・・・・・・・平城遺構・・・・・・・本丸・西の丸・天守台・堀・石垣本丸・模擬三重櫓模擬三重櫓本丸内堀埋め門模擬三重櫓西の丸庭園西の丸枡形門同伊賀櫓台石垣内堀・石垣北多聞櫓台石垣戌亥櫓台石垣略史織田信長は伊勢平定を目論み長野城主長野氏一族と対
2020年4月10日の三重県津市散策の続き。「水の守護・西嶋八兵衛像」「津藩藩校有造館跡」を見学した後は、「津城跡」に向かいました。西嶋八兵衛像・藩校有造館跡のレポ『西嶋八兵衛像と、津藩藩校有造館跡と~三重県津市の史跡・街並』2020年4月10日の三重県津市散策の続き。「津藩主久居藩主藤堂家歴代墓苑」である「寒松院」をお参りした後は、「津城跡」に向かいました。寒松院藤堂家墓…ameblo.jp「津藩藩校有造館跡」から路地を進むと、「津城跡」に到着です
津城は以前訪問済みなので、登城せず、スタンプ設置場所の高山神社へ久しぶりです。スタンプと御朱印をいただきました。続いて御城印を入手するため、津駅前観光案内所へ移動御城印御城印帳津のゆるキャラ観光協会のスタンプ盛りだくさんの観光案内所でしたが、一番気になったのは津の七福神巡り「伊勢の津七福神巡り」というらしい。今度、松阪に出張したら寄ろうかな( ̄∇ ̄;)ハッハッハッ
前回のスゲー城、田丸城からの続きです。この日は帰省中の長男と一緒に行動。長男、帰省してきた時に花粉症がひどく出ており、「(花粉がたくさん飛んでいるから)山城だけはやめてくれ」というので、またまた平城に行きました遠い地でかかりつけ医が見つけられず、薬も飲んでないそうです。次の目的地へ向かう前に昼食をとったのですが、以前行った霧山城の時も思った事があります。三重県の方とお話すると語尾が上がる話し方をされるのですが、これは方言?京都寄りの方言なのでしょうか?語尾だけなら話は通じますが、以前県外出
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2016年〜2021年)【城選+】[三重県の城]〜5選〜【城選+】[三重県の城]〜5選〜[撮影日]1.《赤木城》2020/06/162.《上野城(伊賀上野城)》2019/11/192021/02/163.《北畠氏館》2018/06/304.《津城》2016/05/125.《松坂城》2019/01/11[撮影者]バイソン[BGM]縁側(writtenbysiroimu)[Twitter...youtu.beチャンネル登録はこち
今回から、「全国の“三重櫓”を巡る」をテーマで、「復元・復興・模擬」の「三重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南にかけてお届けしたいと思います。現存「三重櫓」は、現存「天守」と同数の12基が今なお雄姿を見せて建っています。それについては、下記URLでもありますように既に紹介させていただいていますので、またご覧ください。現存「三重櫓」12基などを紹介しています↓各方向から見た現存三重櫓の顔・姿|シロスキーのお城紀行シロスキーさんのブログテーマ、「各方
先週の「お城好きZOOM会~諸説あり」お題は、『馬出し』図面上も、実見して撮影などしてもカッコいいパーツだけに、ぼくもプレゼンしようと史料を漁ったのですが…定義が揺れている!「馬出し」とはこういうものだ~というしっかりした説明をしているものがないのです。2018年の中世城郭研究会セミナーのシンポジウムが「馬出を考える_定義と分布_」だったのですが、資料を見ても定義についてまともに書かれていないのです。まあ思い返してもそういった議論はなかったと記憶していますが。で、まあ、
それでは、主郭・内堀に参りましょう。また地図を貼りますね。-地図-伊賀口門から入城して、埋められていない南内堀を見て、美しい折れに感心しながら、北に移動します。-南内堀西部--西内堀南部・折れ--内堀北西隅-北内堀には張り出し部分があります。ここに戌亥三重櫓がありました。-北内堀北西隅--北内堀・戌亥三重櫓-主郭は北辺縁に限らず、全周が多聞櫓で囲まれていました。それについての看板が南部の小さな広場にあります。-北多
では、実際の城を見ていきましょう。先ずは現地案内板の地図から。鳥羽城と同じく、現在の道路と照らし合わせてくれています。-地図-近鉄津新町駅から東に向かうと、津餃子を食べれる台湾料理屋があります。その先に外堀南西隅があり、中島口門が構えられています。-南西外堀--外堀南西隅--中島口門-暫くの間、道は堀と同じ進路をとって東に走り、途中で北方向に湾曲します。この南堀の外部には武家屋敷が広がっていたようです。-南外堀--武家屋敷--外堀
皆様こんばんは。今週も宜しくお願い致します。今週は前回の続きです。ここからは津城です。安濃津城とも呼ばれています。この城は伊勢湾に面した平野部に築かれた平城です。北に安濃川、南に岩田川が流れていて、防衛面にも優れています。元々この地は、坊津・博多津と並ぶ日本三津でした。ですが、明応七年の大地震で壊滅したそうです。因みに、余震で興福寺の地蔵堂が倒壊したそうです。-参考:興福寺-城の歴史ですが、長野氏一族である細野伊豆守藤光かその子の同名壱岐守藤敦が築いたと言われています。です