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津城跡の本丸跡は、13年半前に、当時放送されたドラマ『高校生レストラン』のモデル・舞台の地だった三重県多気郡多気町を訪れる前に立ち寄っていた。👉️ブログ『伊勢路をドライブ津城・多気など』今日は、一日、三重県内をぐるりとクルマで回った。三重県を旅しようと思ったきっかけは、NHKの次の朝ドラのヒロイン役に能年玲奈さんが決定したニュースを見て、昨年…ameblo.jp今回、津城跡の遺構の近くに出来た城下町テラス津まん中歴史資料館を訪れて城跡も久し振りに見に行きたくなって、ちょうど
2025年12月12日(金)津は日本一短い地名であり、城下町、宿場町として栄えた三重県の県庁所在地。人口約27万人で県内では四日市に次いで第2位、面積は県内第1位である。津駅。JR紀勢本線、近鉄名古屋線、伊勢鉄道の3社が乗り入れるので、駅付近が中心部かと思ったが、繁華街は2km以上離れたところいにある津城、津観音の周辺。津観音。大きな五重塔があり由緒ある寺院だった。なんと日本三大観音のひとつとのこと。かつては伊勢神宮への参拝の途中の立寄りスポットだった。津観音参道は伊勢街道になってい
(神の使いとして大切にされている神鶏)お伊勢参りを無事に終えてスライムにゃんの体調も良かったので、当初の予定通りもう少し遊んでから帰ることにいたしました。実はスライムにゃん、ママ、ばあばの三人は、ある目的を持って行動をしております(笑)ピアニストになる夢があるスライムにゃんは、普段から色々なホールで色々なピアノを弾くようにしております。北海道から沖縄まで各地で評価が頂けるステージに出場しております(コンクールやコンサートとは別)。そしてママとばあばは、その演奏を楽しむとともに名城巡りを
近鉄津新町駅TSUSHINMACHI🔴総合版(💯点満点)2025年3月現在①交通利便性6点②治安8点③買い物環境4点④飲食店6点⑤子育て環境8点⑥公共施設8点⑦観光スポット6点⑧家賃価格など8点⑨商店街・SC4点⑩防災1点合計59点🔴一人暮らし男性版合計58点※一人暮らし男性版は交通利便性と飲食店重視🔴一人暮らし女性版合計60点※一人暮らし女性版は交通利便性と治安重視
近鉄・JR津駅TSU🔴総合版(💯点満点)2025年3月現在①交通利便性8点②治安7点③買い物環境2点④飲食店7点⑤子育て環境7点⑥公共施設3点⑦観光スポット4点⑧家賃価格など8点⑨商店街・SC2点⑩防災2点合計50点🔴一人暮らし男性版合計55点※一人暮らし男性版は交通利便性と飲食店重視🔴一人暮らし女性版合計55点※一人暮らし女性版は交通利便性と治安重視🔴子育て世代版
今日参拝すれば良かったと思うほどの快晴☀️鳥羽別邸の朝食膳鳥羽市安楽島町産の「おかげ野菜」伊勢かぶせ茶レモネードで目覚めた!12月は南瓜のお粥答志島の釜揚げしらすと、大内山牛乳ぷりん津市・青山高原ファームの出汁巻き卵こんなに美味しく出汁巻作ってみたい!小鍋仕立ての具沢山のお味噌汁がつきましたテーブルに置いてあった鰹節は志摩「波切節」文政五年(1822)諸国鰹節番附表行司に志摩波切節とあります江戸時代は、鰹節も番付があり「志摩の波切節」は、伊勢神宮に奉納された神聖な鰹
あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしていきたいと思います。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。「塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノ
音のSNSClubhouseにてご縁をいただいた藤堂高虎殿❣️高虎殿のお陰で歴史が少し分かりお城にも興味を持つようになったアタクシです🤣大好きな高虎殿には【99番目の側室】という肩書きまで頂戴しましたもので一年に一度三重県の津城🏯まで逢いに行ってます今日はこれまたClubhouseにてご縁をいただきました殿の援軍のお一方とご一緒に殿にお城🏯を案内してもらいその後は美味しいうなぎとお団子🍡を食し身も心もお腹も満たされた1日でしたぁー😆
ありがたいことに、お客様から頂き物をすることがあるんですが、今日はその中の一部をご披露みなさまこんばんはエステティックサロン女性専門LotusLandと男性専門men'sLotusを経営している香月ですまず最初にこちらのチーズケーキなななんと、お客様の手作りなのですめちゃくちゃ、美味しかった以前もかぼちゃのパイを作ってくださったことがあるんですが、本当お料理上手でめちゃくちゃ美味しいんですスタッフみんなでペロリ私もあんなお母さんの元で育ちたかったそしてこち
◆高山神社◆高山神社は津城跡の隣にある、津市発展の礎を築かれた藤堂高虎公を祀る神社です。社名は、高虎公のおくり名である「高山居士」に由来しています。津市の商工業の守護神、市民の氏神として、現在も広く信仰を集めています。〇主なご祭神藤堂高虎公・木花佐久夜毘売命・大物主命・建速須佐之男命・大山祇命〇藤堂高虎公をご祭神とする高山神社は市民から『高山(こうざん)さん』と親しまれている。藩主ゆかりの兜を津城内に祀ったのがルーツ。明治10年(1877)一般人もお参りできるよう津公園内に社殿
9月26日、まず多気北畠氏城館跡を訪問し、そのあと津城に向かいます。JR名松線の一方の終点・伊勢奥津駅から、もう一方の終点・松阪駅まで、この路線を利用します。松阪駅に到着すると、JRで津駅に向かいました。駅前のホテルに荷物を下ろし、津城を目指します。津駅から津城までは若干の距離があるので、タクシーを利用しました。続100名城のスタンプは、津城に隣接する高山神社にあるとのことです。タクシーはちょうど①高山神社の前でわれわれを降ろしました。案内図上の案内図に沿って、まずは②を経由して④藤堂
津城(夜景)
9月25日から27日にかけて、2泊3日で三重県の5つのお城を訪問しました。訪問順に、伊賀上野城、松阪城、多気北畠氏城館、津城、田丸城です。25日に大阪で所用があったので、その所用を済ませ、まずは伊賀上野城に向かいます。大阪難波駅発の近鉄線に乗車します。伊賀神戸駅で伊賀鉄道に乗り換え、上野市駅で下車すると伊賀上野城の最寄りです。伊賀上野城を訪問し、伊賀鉄道で伊賀神戸駅に戻り、そこから近鉄線で松阪に向かいます。松阪駅で降り、松阪城を訪問しました。その日は松阪で宿泊です。26日は、松阪駅からJ
先週の日曜日は三重県の津市で行われたお城博士・千田嘉博先生(名古屋市立大学教授)の講演に参加してきました。主催は津市民の有志でつくる「津城復元の会」で、日頃は津城の復元に向けて、広く市民に津城の歴史や価値、復元の意義を伝える活動をしている会です。当面の目標は本丸北側にあった高さ約13mの戌亥櫓(いぬいやぐら)、丑寅(うしとら)櫓とそれらをつなぐ多門櫓(長さ90m)を木造復元するというもので、将来的には他の部分の復元も目指すとしています。津城では明治になって撮影された古写真が数枚現存する上
■所在地三重県津市丸之内本丸■遺構模擬櫓・石垣・堀・郭■城のタイプ平城■築城者織田信包・藤堂高虎津城は、江戸時代に築城の名手藤堂高虎が築城した平城です。戦国時代に織田信包(信長の弟)や豊臣家臣の富田氏による小規模な安濃津城がありましたが、関ヶ原の前哨戦で焼失してしまいました。慶長16年(1611)、戦後伊予今治より伊勢・伊賀22万石で転封となった藤堂高虎が輪郭式の近代城郭に大改修し、明治まで藤堂家の居城となり「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ」と呼ばれるように城下町は繁栄し
津城の本丸・西之丸・東之丸は広大な内堀に浮かぶ小島のように見えたことでしょうね🤗だから「水城」とも呼ばれてもいました丑寅櫓跡から北側の高石垣上を歩き戌亥櫓跡に向かうと建っていた多聞櫓の大きさを感じます🥰北多聞櫓台の上には幅約6m長さが約95mの多聞櫓が建っていたんです😳1885年に陸軍省に払い下げとなった本丸や櫓や多聞櫓などは全て取り壊され石垣だけが残りました😭高石垣と犬走りここに約13mの高さの戌亥櫓が建っていました戌亥櫓跡本丸と西之丸は高低差があります左側には
藤堂高虎が今治城主から津城へ移封となったのは1608年の事でした🤗外様大名だった高虎を強く信頼していた徳川家康は関ヶ原の戦いの後、豊臣秀頼を警戒して大坂城に近い場所に築城を高虎に命じたのかもしれません😃高虎は家康の意を汲んでかどうかは分かりませんが要の城として伊賀上野城を築城し、伊賀上野城が落城しても最後の砦として津城を高虎は想定して築城したようです😳本丸天守台の隅石の「算木積み」と「打込み接ぎ」の石垣高山神社社務所でスタンプを押して車を置かせていただきました😃社務所の女
この日は早朝家を出発して多気北畠氏城館田丸城松坂城そして津城🏯へやってきました三重隅櫓津市営お城の駐車場🅿️から歩いてすぐ城跡も登らなくていいお手軽は嬉しい😃こちらも藤堂高虎が城主であった高虎さんの銅像がありましたよお城巡りをしているとよく聞くお名前ですよね石垣〜埋門津城跡のお隣に高山神社⛩️がありますこちらは藤堂高虎さんを祀られています御朱印高山神社⛩️スタンプは
記事の追加・修正しました。前回の続きです。今回は大天守台下から二の丸です。下図⑮付近から天守台方向です。石垣が野面積なので織田信包の時代のものでしょう。Google地図です。⑮から⑯へ歩きます。津センターパレス地下1階の模型です。⑮から⑯方向に石段を下りた所です。石段の上が⑮です。振り返り見たところです。本丸に神社があったときの参道です。この付近は西内堀跡です。直進すると高虎を祀る高山神社ですが、高山神社は後回しにして、ここで右に進む
前回の続きです。今回は高虎銅像前から天守台・埋門・犬走り・南内堀跡です。下図Aから見た高虎銅像です。この付近に高虎が生前に家臣や家族に残した教えは、高山公(こうざんこう)遺訓として二百四ヶ条が残されています。この付近の石碑に刻まれた遺訓もその一つであり、「寝室を出るときから、今日は死に番であると心に決めよ。そのような覚悟があれば、物事に動じることは無いであろう」という意味だそうです。高虎遺訓石碑Google地図です。上図⑬付近から天守台方向です。手前
前回の続きです。今回は丑寅三重櫓下から藤堂高虎像前まで下図⑦付近から戌亥櫓跡方向です。多聞櫓の下なのですが、石垣が野ずら積なので、藤堂高虎以前の織田信包時代のものと思われます。Googleマップです。⑧付近に行くと⑧付近にある石碑です。土井聱牙(どいごうが、1818年~1880年)は、幕末・明治期の儒学者で。伊勢津藩の藩校有造館の督学でした。「資治通鑑」を校訂出版しています。『資治通鑑』(しじつがん)は、中国北宋の司馬光が1084年に完成した、編
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
前回の続きです。今回は東鉄門跡から丑寅三重櫓です。下図①から見た枡形虎口跡です。津センターパレス地下1階にある1/100の津城模型です。カメラを右に回すと丑寅櫓跡が見えます。この石垣の反対側は下図①の東側です。内堀と東の丸跡です。②に行くと上図②から⑥方向です。模擬櫓の下に解説板があります。東鉄門枡形解説板です。枡形外門の東黒門と内門の東鉄門から出来ています。火に強い鉄張りの門でした。東黒門を通り、右に曲がると東鉄門がありま
画像2枚と解説を追加しました。今回からは津藩藤堂家です。前回の伊賀上野城から津市に移動しました。移動中にゴッドレイが雲間から見えました。津は古くは安濃津と言われたので、安濃津城とも言います。津城を最初に造った人は、織田信長の弟:織田信包でした。当地の豪族である長野氏の婿養子となり、新しく津城を造りました。やはり義実家は居ずらいところがあったのでしょう。織田信包の肖像画です。信長の弟だけあって似ています。津城跡に赤い印を付けました。信包は安濃
武具の記事です。三重県津市の高山神社参拝の際、社務所に鎧がありましたので掲載。[高虎公の御尊父白雲斎公]鎧藤堂高虎公を祀りしてある高山神社(こうざん)の社務所に奉納でしょうか、鎧が展示されています。高虎公の御尊父である白雲斎公が所用していた鎧を基に製作された鎧が展示されております。鎧櫃に制作者の名前があり、見ると甲冑研の重鎮。薄紫色の上品な藤威が目をひきます。絵韋の不動明王が凄いんだけど、どうやって制作したのかなぁ。
四国4県で徳島には花火工場があります。蜂須賀藩政時代には渭津城西の丸西側に煙硝蔵があり現在はキョーエイスーパー三ツ合橋店が営業中
ドーミーイン津に泊まった夜、名物の夜鳴きそばを食べたあとは天然温泉大浴場へと足を運びます。大浴場にはサウナや水風呂、露天風呂まであってかなり設備が充実していて、肝心の温泉(弱アルカリ性単純温泉)もぬるめで夏にちょうどよいのです。浴場内を静かに流れるBGMがまた秀逸で、湯船で体を伸ばして天井を見上げていると、危うく寝落ちそうになるほどの気持ちよさでありました。これが「整う」ってやつか…と思ってたら、BGMはサウナブームの火付け役となったテレ東ドラマ『サ道』の音楽担当、「とくさし
第60代横綱・双葉黒と、「八百長」発言で娯楽紙を賑わせたプロレスラー北尾光司、そして謎の“スポーツ冒険家”こと北尾光司を生んだ三重県津市。人口約27万人。人口では四日市市(約30万人)の後塵を拝し、観光地としても伊勢神宮が鎮座する伊勢市や、鈴鹿サーキットを擁する鈴鹿市にハナを奪われがちなその地位は、県庁所在地としては少々微妙かもしれません。しかしこのまちはかつて津藩藤堂家32万石の城下であっただけでなく、さらに歴史を手繰ってみれば、今の私たちにとって注目すべき被災と復活の過程も埋もれてい
続日本100名城、津城へやって来ました。藤堂高虎が改修築城。藤堂高虎は、どれだけの城に関わってるんだ!?さすが築城の名人👏本丸と西の丸しか残っておらず、城内も公園になってしまってますが。やはりお堀がしっかり残っていると、こじんまりしていても見応えありますねえ。
都会の真ん中にある「津城」へきたこの辺の城あるあるな「東堂高虎公」けっこーデカい人やったみたいな略歴だけ見ると…秀吉に仕え→秀吉没後も家康に好かれ関ヶ原も上手く立ち回り加増されて戦国時代の武将にしては頭の回転の良い人なイメージが生まれた津城に関しては石垣のみで他に何も残されて無い様なので長居はしないでは続く