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プラトンの洞窟の比喩の話。。。洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」で、それを実体だと思い込んでいる。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。また彼は、イデアという言葉で、私達の肉眼に見える形ではなく、言ってみれば「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」に言及する。~(略)~プラ
プラトンの「洞窟の比喩」を初めて知ったのはゲイリー・レナードさんの「神の使者」だったかそれとも半田広宣さんの「シリウス革命2013」だったか思い出せないのですが「洞窟の比喩」って言葉が今朝閃いて分かり易く説明して下さっているブログ☟「洞窟の比喩」のストーリーを参考に改めて読んでみて思うのは洞窟も自縄自縛も背後の火も人形劇も洞窟に映る影に見とれているのも全部自我を信じている私の想いのなせる業であるってことでしょうか
https://nyabecch.blogspot.com/2019/07/4.htmlhttp://nyabecch.blog47.fc2.com/blog-entry-4145.html
先日の出張ヨーガ教室にて使用した、光の屈折とプラトンがイデア論を説明するための洞窟の比喩を統合した図解をご参照ください。光の屈折は、光源からの白色光をプリズムにて屈折することで七色の光線に分かれていきます。洞窟の比喩は、暗い洞窟の中で縛られ壁に向き合った人々は、影だけを見てそれを実体だと思い込んでしまう。この図解で言えば、神様とは光源であり、白色光は神の子となり、無智な考えがプリズムとなって世界という幻影を生み出しその影のひとつとなる登場人物が自分という実体だと夢想している、ということにな
貴方は全てに愛されている私たちは、思い込みの世界/受け取り方の世界で生きている。哲学者プラトンの書『国家』の中に、『洞窟の比喩』という有名なくだりがあります。要約すると、私たちは、洞窟の中で囚人のごとく手足を拘束されて洞窟の壁を見ている。後ろで看守が火の灯りの元、操り人形を動かしている。その影を見て、私たちはその世界を自身の人生で起きていること、真実と思い生きているが、それは事実ではない。後ろの看守がいる灯りの向こう、洞窟の入り口を出て、本当の太陽の光の元に本来の世
今日はどうやら帰りがけに何年も使ってきた象印のミニ魔法瓶をどこかで失くしてしまってきたらしい(ノд-。)クスン明日公園の中とロッカーを確認するけどあるといいなぁPMSでめっさ眠い中仏文学に続き哲学の試験の日程も移って来週同日に3科目の試験!あうあうあうあうあう試験日の夜はゆっくり寝れるね…さて!今日も哲学の授業でしてプラトンの洞窟の比喩ですところでなんですが皆さまはどうやって現実を現実と認識されていますかまーた馬鹿なことを~と思われるか
哲学の授業がエピクロス(ソクラテス&)プラトンの特に洞窟の比喩辺りなんですがワタシにはかなーーーーりスピリチュアルの原点(スタート地点?)という感じ例えば現実は本当の世界ではなくて真実の世界の影の世界・幻(マボロシ!)ここでいう真実の世界って目に見えない世界で魂の世界なのかなぁと思うなぜなら本来魂(みたいなもの)はなんでもすべて知っていて現実社会というところで教育を受けるのは新しいことを学ぶのではなくて思い出すという話なのですヨ※想起
まなゆい×カタカムナレポ第4弾!!今回のカタカムナのお話の中で、すご〜くコーフンした部分です!!(*´꒳`*)なぜならば!ここには、とても明確に「魂」の場所!が表示されているからです!!( ̄^ ̄)ゞ円の中央にあるのが…陰・表・肉体・物質(みえる)そしてその円の外側にある円が…陽・裏・魂・精神(みえない)つまり…内側に、肉体…外側に、魂…これと同じ!!「あの世」の本当のしくみサアラ池川明著大和出版p60-61魂って、肉体の内側にあるイメージでしたが
悟りは涅槃、あるいは菩提、真如、解脱といわれます。英語ではEnlightenment.やNirvanaが使われます。悟りは宗教の最高の境地であると言われます。確かに悟りは人間の体験する最高の境地だと思いますが、悟りは宗教や信仰とはまた異なるものだと私は考えています。私は自分自身が悟りの体験をしてみて、悟りは宗教や信仰のような人間的なカテゴリーから、遥かに超絶したものだと思います。悟りが体験であるのに、宗教や信仰は(以下、宗教に統一します)人間特有の言語的認識です。言語的認識は実体験で
「世の中は鏡にうつるかげにあれやあるにもあらずなきにもあらず」世の中というものは、鏡に映る映像だろうか、存在するものでもないし、存在しないものでもない。プラトンの「洞窟の比喩」は、私たちが見ている世の中・世界は、洞窟に松明で映された影に過ぎないと言う。私たちは、地上の景色・本当の世界を知らないと言う。洞窟から人々を連れ出し、真実の世界を見せるのが哲学者である。私は、自ら学ぶことも指すだろうと思う。努力によって、自らの力で洞窟を抜け出し、本当の世界を見る者もいる筈だ。寧ろ、この方が大事だろう
Howhappyareyou?ベストセラーらしいんですが、読まれた方いらっしゃいますか?上下巻あってね、読みたいけど大作なんですよー。^^;NLPのメタプログラムで言えば“全体型”傾向の高い私は“詳細”に知ることよりもまずザックリと著者の言いたいことが知りたくてTEDを見る(^ε^)♪ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?|TEDTALK彼の語る人間の頭の中のストーリー、イマジネーションはプラトンが洞窟の比喩を使って語る影絵と同じ意味か
2017年2月17日(金)これも、「世界は仮想現実だ〜」のつづきといえば、つづき。思いついたことやら、疑問やら、書いておこうと思います。イデアのことから、プラトンのこと、いろいろ調べて読んでみました。ふと思ったのは、フィボナッチ螺旋のイデアが黄金螺旋であるように、私たちのイデアはいわゆる「ハイヤーセルフ」なんだろうな。ってこと。プラトンの「洞窟の比喩」で(私が思うに)、影絵が私たちの物質界、影をつくりだしている実在が「イデア」、それらが見える原因である火(すべてのイデアの根拠)が
20代前半の頃、プラトンにハマっていた時期がありました。きっかけは飲み友達のBくんがプラトン好きで、そんな彼の影響で私も当時はいろいろと読み漁りました。プラトンってご存知ですよね?ソクラテスの弟子でアリストテレスの先生。プラトンって本名じゃないんですよ。本名は『アリストクレス』。体格が立派で肩幅が広かったため、レスリングの師匠に『プラトン』(←幅広いという意味)というニックネームをつけられ、以後それが定着したと言われています。初期のプラトンは、敬虔とか勇気といった古代ギリシャの伝統
昨日、とある高校生に教えてもらったプラトンの『洞窟の比喩』って話。ある囚人が洞窟の牢に閉じ込められていた。牢は、外に出られないように、堆く壁が築かれていて、外の様子は直接見ることはできない。牢の外では火がたかれていて、火の光が洞窟の中を照らして、何かが火の前を通れば、牢の中の土壁に影が映る。囚人は、壁があるせいで外の様子を直接見ることはできず、牢の中の壁に移った影でしか外の様子を見ることができない。我々もこれと同じように、その実体そのものを見ることができず、
こんにちは。フラワーエッセンスセンターロライマの渡辺です。ブログにお越しいただきありがとうございます。昨日のブログで、烏瓜ローションの作り方をご紹介いたしました。◆昨日のブログ>>烏瓜ローションそれで、烏瓜のお花の写真がなかったので、掲載していませんでしたが、烏瓜をくださった方が、ブログをお読みくださって、烏瓜のお写真をくださいましたので、掲載させていただきますね。とても美しいお花だと思いませんか?夜に映える純白の白。レースのような花びら。
オプジーボにとって、後々にまで「オプジーボの失敗」と語り継がれるだろう事態が起こった。オプジーボの製薬特許を持つ小野薬品工業の海外提携企業、米国のブリストル・マイヤーズスクイブの行った、全肺がんの85%を占める、非小細胞肺がんの米国内治験が失敗に終ったのだ。つまり思ったような効果が得られなかったというわけである。この事態を受けて両社の株価はともに急落し、小野薬品工業の株価は時価総額4000億円を失ったという。私は株式投資などには興味がないので、それら洞窟の壁に写る影のような群像は、お好き
夕方、敷地内に道をつくる土木作業を終えて、疲労困憊の家路。西日を背に受けて、私の前に私の影が伸びる。それは私という実在の影、でも実在が質量を持った影なのかも・・・・。疲れているのでどうでもいい。影の話は「洞窟の比喩」として「国家」の中に出てくる。「パイドロス」だかに登場する馬車の話も印象深い。プラトンは、なかなか比喩の名人だったのだなと思う。歩きながら、私は発見した。急いでも、影を追い越すことはできないのだ、と。あたりまえである。
【立体内観法とは】立体的(空間、時間、物質)に心を観察し動きや状態を捕らえて自己理解を深め再生していく内観法です。【何故心を観察するのか】デルポイのアポロン神殿の門に刻まれた古代ギリシャの2つの格言『汝自身を知れ』『度を越すなかれ』やプラトンの洞窟の比喩について聞いたり仏像が半眼で何を見ているのか不思議に感じたことはないでしょうか?霧の中に言語化できない重要な秘密の鍵が薄っすら見えるが手を伸ばそうとすると消えてしまうもどかしさがあります。しかし忙しい日常に忘れ去った微かな記憶は、生の苦し