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友人と洛陽参りをする予定だったので、天候は関係なく。一人だと見えなかったものが、二人なら見えます。まず、法性寺。となりの隣から東福寺に行きました。やはり紅葉の季節がいいですね。広いわ。一華院とても手入れの、行き届いたキレイなお寺です。椿がもう少し。勝林寺非公開のお寺と聞いていたのですが、お参りは出来ました。御朱印がかわいい。なぜ阪神タイガース?毘沙門天繋がりだそうで。法音院桜の御朱印がありました。新善光寺少し奥まったところにあるので、私らだけでした。お庭が素
加筆修正しました。朝から雨。最高気温予想は昨日と同じ13度。昨日と同じくらいならそんなに寒くないかな?もう3月末だし冬コートはやめておこうっと。。。がアカンかった。めっちゃ寒いし!🥶の日でした。この時期の服装は難しい。。。今日は京都は東山区の御寺泉涌寺(みてらせんにゅうじ)へ。思っていたよりもずっと広いお寺でした。例えるならば…コンビニに来たつもりが地下から高層階まであるデパートだった😳的な。門をくぐったら敷地内に、色
今回は京都府京都市東山区の法音院境内に鎮座します三社明神です。春日、八幡、天照大神が祀られてます。法音院山門法音院本堂三社明神御朱印いただきました。
法音院(ほうおんいん)は、真言宗泉涌寺派のお寺で、総本山泉涌寺の塔頭。本尊は不空羂索観音です。鎌倉時代末期の1326年、無人如導によって泉涌寺山内に創建されましたが、応仁の乱により荒廃しました。江戸時代1664年と1665年に江戸幕府や旗本である本多正貫夫妻に支援され、覚雲西堂の手により現在地に再建されました。以後、本多正貫の子孫である駿河国田中藩主本多家の京都における菩提寺となりました。境内には正貫が建立した徳川家康に仕えた父本多正重の石碑が、正貫夫妻やその家臣たちの墓とともに本多山より移さ
次の洛陽三十三所観音霊場二十五番札所はに…泉涌寺にあるんですここは…泉涌寺に行った時に参拝させて頂きました法音院【ほうおんいん】法音院は嘉暦元年(1326)に無人如導によって創建されたと伝わります。創建初期の詳しい由緒は不明だが、応仁の乱(1467〜1477)で焼失した後再建され、天正年間(1573〜1592)には朱印地の存在を示した記録が残っています。江戸時代初期の泉涌寺再興に伴い、法音院も寛文五年(1665)に幕府、本多正貫夫妻の援助を受けた覚雲西堂によって現在地
ご訪問くださりありがとうございます。とっても嬉しいです。4月9日(日曜日)泉涌寺(京都府京都市東山区泉涌寺山内町27)と山内寺院へいきました。創建当初は仙遊寺と称していたが、伽藍が建立されてからは境内の涌き水にちなんで泉涌寺と改められました。また観音堂にある楊貴妃観音像は唐の楊貴妃をモデルにしたといわれ、鮮やかな彩色を放っています。(京都観光案内より)大門、泉涌寺水屋形仏殿、舎利殿、楊貴妃観音堂三尊仏、楊貴妃観音像(パンフレットからお借りしました。)今熊野観音寺弘法大師が十一
京都の紅葉記事つづけます。紅葉で人気の東福寺のすぐ近く、いつも静かな泉涌寺雨の中、そんな泉涌寺の塔頭をし~っとりまわります。即成院法音院戒光寺善能寺
鎌倉時代末期にあたる1326年(嘉暦元年)に無人如導宗師によって泉涌寺山内に創建されるが、室町期応仁文明の大乱により当院も兵災焼亡の憂目に会います。江戸時代の初期・寛文四~五年(1664~1665)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂の手により現在の地に再建されました。不空羂索観音がある本堂は、英照皇太后(孝明天皇の女御)の御大葬の御須屋を賜ったものになります。大書院は伏見城の御殿の遺構ともされています。☆鎮守社『三社明神』☆ので、春日明神を中心に八幡大菩薩
フレッシュネスバーガーで3種類のハンバーガーを食べて京都の法音院へ写仏を初体験虚空蔵菩薩生まれ年の仏様を写仏しましたその後法音院へ周辺の寺院をまわって青おにぎりヘお米が残りわずかだったのでおにぎり1個ずつと味噌汁を頂きました楽しい週末でした
泉山七福神(せんざんしちふくじん)は、泉涌寺山内の七ケ所の塔頭である。泉山七福神めぐりは、昭和二十六年(1951年)より毎年成人の日に開催され、新春恒例の行事になっている。七福神の信仰は、室町時代に京都で始まったとされており、正月に参詣すると福があるとされており、日本全国に広まっていった。第1番:即成院ーー福禄寿(長寿、幸福)第2番:戒光寺ーー弁財天(商売繁盛、芸能上達)第3番:今熊野観音寺ーー恵比寿(商業繁栄、海運守護)第4番:来迎院ーー布袋尊(知足福、家業繁
洛陽三十三所観音霊場第二十五番札所は法音院です。真言宗泉涌寺派(鎌倉時代末の嘉暦元年(1326)無人如導宗師によって創建。その後、兵火により焼亡するも、江戸時代初期寛文四・五年(1664・1665)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得て再建。駿州田中の城主本多家の菩提寺で本尊は不空羂索観音。現在の本堂は英照皇太后御大葬の御須屋を賜ったものである。〉三十三霊場で唯一の不空羂索観音さまを祀っています。親しみやすい御顔です羂索は投げ縄のことで、全ての人を救う象徴といわれています。
前回の戒光寺に程近い泉涌寺塔頭寺院。泉涌寺塔頭法音院駒札法音院(真言宗泉涌寺派)鎌倉時代末期嘉暦元年(1326年)無人如導宗師によって創建されるが、室町期応仁の乱により当院も兵災焼亡。その後、江戸初期寛文五年(1665年)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂師の手により再建される。書院は伏見桃山城の遺構の一部である。現在の本堂は英照皇太后(孝明天皇女御)御大葬の御須屋(御陵の上に設けた仮屋)を賜ったもので本尊は不空羂索観音。一面三眼八臂
今回のリブログは…、この方戒光寺の次は法音院。戒光寺のすぐ向かい側です。法音院は泉涌寺の塔頭の一つでして、鎌倉時代に創建されています。応仁の乱で全焼しましたが、江戸時代に再建されて今に至っています。山門から入りますと正面に納経所。右手に行きますと、本堂と鎮守社があります。おっ!不空羂索観音?珍しっ!ん!?鹿?鎮守社の春日三社明神。ここにも鹿。鎮守社に春日大明神が祀られてまして、その本地仏として本堂に不空羂索観音が祀られているようです。なるほど🤔
泉山七福神巡りを体験京都駅を9時にスタート泉涌寺道から御門に上がっていきます①福禄寿(即成院)最初は御門の左側手前の即成院の福禄寿神を参拝②戎光寺(弁財天)次は御門をくぐり少し先の戎光寺の弁財天神を参拝③恵比寿(観音寺)続いて今熊野を目指し左折、観音寺内の恵比寿様を参拝④布袋尊(来迎院)観音寺を出て左折、来迎院の布袋尊を参拝⑤大黒天(雲龍院)泉涌寺を経由その先を左折、雲龍院の大黒様を参拝⑥毘沙門天(悲田院)雲龍院で折返し、参道を戻り途中を左折、悲田院の毘沙
こんばんは今日は、泉山七福神巡り三回目、善能寺・瀬尾神社について書いてる2017年1月13日のブログをリブログします。みんなの回答を見る悲田院で毘沙門天・法音院で寿老人の御朱印いただきました。縁起物と御朱印のみ、写真あります。時間無くて、建物などは撮れませんでしたまた、ゆっくり行ってみたいです。これで、七福神全ての御朱印が揃いました。泉山七福神巡りのいいところは、都七福神の様にあちこちの寺社に行かなくても七福神巡りが出来る事です。善能寺は、この時は閉まってましたが、確か
この日は朝から洛陽三十三所霊場巡りのため少しでも回れるだけまわろうと東福寺周辺からスタートちらっと境内を見てから今日も良いお天気だぁさっそく1カ寺め洛陽三十三所第二十一番所法性寺インターホンを鳴らすと中から御盆を持ったご婦人が〰(笑)しばらく雑談しその御盆の上に御朱印帳と納経料を納め待つこと約10分御朱印を書いて頂きましたこのあと洛陽三十三所第二十五番札所法音院こちらでもしばらく雑談直線いろいろお話し出来るのは凄い嬉しくありがたい法音院のあとは西国三十
バスで移動して次は歩き回り、坂道、山道コース9時到着勝林寺さんここはだいたい閉まっているので扉の前から電話。、数珠の一種類入荷待ち。彼と対にして作れないと意味がないので…今回は残念します。紅葉で有名な東福寺へサクサク本堂へ…次は山道登ります雲龍院お庭がきれいなとこですもちろん、本堂でのお参りは必須。そして少し下って法音院さんこちらもインターフォン鳴らして下げ渡しいただきました。次もバス移動です。
嵐山のお寺の紅葉を先にアップしたので、少し間が空きました。11月23日の記事からの続きです。『泉山七福花めぐり』と称して、泉涌寺の山内寺院に展示された生け花を鑑賞しながら七福神にお参りする企画がありました。福禄寿の即成院に続いては、寿老人の法音院です。門をくぐると、いきなり鹿の石像が目にとまります。寿老人はいつも牝の鹿を従えているからだそうです。本
いいお天気で紅葉もまだなので←人少なめ京都に行ってきました。東福寺辺りの洛陽をまわる予定でね東福寺は紅葉まだだというのに相変わらずの人気です。わたしは周りをウロウロしただけ中に入っていません(笑)京阪東福寺駅からいちばん近い洛陽21番の法性寺へ行って玄関のブザーを押したら腰の曲がったおばあさんが不機嫌そうに庭?の方から出てきた。わたしに「大きなマスクしてるからどこの悪い人かと思った」おいおい「お参りしたいのですが」「できません」何故に⁈洛陽21番なのに
東福寺を楽しんだ後は泉涌寺まで歩きます。細い路地を通り抜けて…20分ぐらいらしい。(Googleマップによれば)その途中には、清水焼の窯元がありました。面白い瓦の塀には、小さな鳥居も。路地裏散策も面白いですよね。時間があれば清水焼の窯も覗いて見たかったな。東福寺から路地を15分ほど歩くと、泉涌寺の総門が見えてきました。案内図をみたら、泉涌寺も広いやないかい。東福寺もかなり広かったけど…泉涌寺も負けず劣らず。仕方ない。先を急ぎます。総門を抜けてからは登り道で、その途中にも
戒光寺を出て、気持ちを切り替えてイザ!!泉山七福神巡りへGO!本当は、一番札所の即成院からスタートするべきなのですが『順番は気にしなくても大丈夫ですよ~』と言う優しい言葉に甘えましてまずは、お向かいに有る法音院(ほうおんいん)山門歴史を感じる寺標山門から中に入ってすぐに泉山七福神の寿老人堂お堂の前には可愛いバンビちゃん・・・・・春日神社あっそうか寿老人って鹿さんといつも一緒でしたねなんて思いながら・・奥の本堂に行く途中に朱塗りの綺麗なお社を発見
寺社No.1350御朱印No.916泉涌寺法音院京都府京都市東山区真言宗泉涌寺派洛陽観音25番、泉涌寺七福神寿老人2008年11月22日京都七福神は、泉涌寺七福神のこと
今日は友人達5人で泉涌寺へバスを泉涌寺道で降りて、参道を登り始めます。10分ほど坂を登ると総門に着きます。ここから先は泉涌寺の境内。すごく広いです。この道沿いに沢山の塔頭があります。この総門の左手前に、即成院があります。中が公開されているようなので、入ってみることにしました。庭の手入れが行き届いていて、本当に気持ちがいいです。ご本尊の阿弥陀如来と二十五菩薩観光ガイドブックよりお借りしました。ちょうど季節限定の御朱印を、書いていただけるとの事でした。それがこちらで
寺社No.1350御朱印No.917泉涌寺法音院京都府京都市東山区真言宗泉涌寺派洛陽観音25番、泉涌寺七福神寿老人2008年11月22日
泉山七福神巡り7番です。
毎年成人の日に行われている泉山七福神巡り。泉山七福神巡りでは即成院(福禄寿)・戒光寺(弁財天)・観音寺(恵比寿神)・来迎院(布袋尊)・雲龍院(大黒天)・悲田院(毘沙門天)・法音院(寿老人)の七福神に番外である新善光寺・楊貴妃観音堂を加えた九福神を巡ります。泉涌寺エリアでは比較的入口に近い場所にある法音院は第7番寿老人になります。一度は七福人プラスアルファを巡って縁起物を授かるのもいいかもしれません。(2019/1/14訪問撮影)◇法音院(泉涌寺塔頭)の公式サイト◇http:
1月14日毎年成人の日に京都市東山区の泉涌寺山内で泉山七福巡りが行われていますので行って来ました。福笹も色紙も有りますが、御朱印だけを頂いて廻りました。以前自作した招き猫小判柄の御朱印帳を使いました。(右)1番即成院『福禄寿』と(左)2番戒光寺『弁財天』の御朱印。(右)3番今熊野観音寺『恵比寿神』と(左)4番来迎院『布袋尊』の御朱印。(右)5番雲龍院『大黒天』と(左)6番悲田院『毘沙門天』の御朱印。(右)7番法音院『寿老人』と(左)番外楊貴妃観音堂『楊貴妃観音』の御朱印。(左)番
まだまだ続く東福寺周辺。雲龍院に行きました。ちなみに泉涌寺は未だに参拝してません。椿・灯籠・楓・松。四つの景色が綺麗に並びます。本当に色紙のような…風景画になるんですね…お庭なのに。悟りの窓。私が悟りましたのは「秋っていいよね、過ごしやすいわ」です。お馬鹿でごめんなさい。法音院です。右→六道珍皇寺(前記事のもの)左→雲龍院右→法音院左→法輪寺(八坂の塔)。次の記事にて。こちらは即成院。即成院のもの。はじめての参拝。カラフル御朱印です。那須与一とご縁があるだけに絵馬が的当て
こちらは毘沙門堂勝林寺にて。この日は確か年二回のご開帳(正月と秋)の期間です。秋の特別拝観!圧巻の毘沙門天…!今まで気付かなかった(*´∀`)♪時期限定のもの。左下は23日~25日の限定。二種ありまして各150体。こちらは東福寺の秋限定のもの。文字がスタンプ300円。筆書き500円。こちらは筆書きです。(前々からスタンプは頂いておりましたので贅沢にも筆書きを…!)
では先程の続きです東福寺~泉涌寺へ《勝林寺》(毘沙門天)座禅や写経を体験出来るようです《戒光寺》(弁財天)木造のお釈迦様日本一だそうですそして《泉涌寺》境内へ《楊貴妃観音堂》足を踏み入れたとたんとても良い香が…甘いけれどスッキリしている《仏殿》目的の涅槃図着いた時ちょうどお経を読まれていて御焼香させて頂きましたそして《舎利殿》でスタッフの方々が細かい説明をしてくださり先程の涅槃図のネコの話をしてくださりひとつ賢くなりました境内をあちこち散策してたらこ