ブログ記事2件
今ならまだ引き返せる仁和寺前ホテル建設計画桐田勝子(世界文化遺産仁和寺の環境を考える会共同代表)日本国民、京都市民・・・みんな大人し過ぎる!ホテル建設の真の目的を見抜かないで反対運動をやったところで計画を止めることは出来ません。暴挙が進行する本当の理由を考えないと同じ悲劇が今後も繰り返されます。沖縄の首里城は火を噴き、その後うやむやです。火を放ちたくなるほどムカついた男の存在が想像されます。失敗に終わったガスステーション計画(仁和寺も狙われて
約20年間にわたり米田良三氏の原稿の書籍化に全力投球してまいりました。その間、○○人の方々に手作り本を御購入いただき、励ましの言葉も頂きましたが、素人の仕事振りにガッカリされた方もいらっしゃったかもしれません。出版社が請けたがらない仕事をアマチュアが引き受けたのですから限界はありました。が、出来栄えには満足しています。英訳版とか倭国年表など今後に就いてはアイディアはありますが老化との戦いが待っています。さらにパワーがあれば勉強会なども楽しいでし
ここ暫く「米田建築史学シリーズ」のアナウンスをしていないせいか、申し込みが途絶えています。在庫あと10セット強です。よろしかったらAB&JCPRESSのHPからお入り下さい。様々な理由で米田建築史学は分かりにくいとの定評があり、かなり教養がある人でも手こずっているようです(教養が邪魔をする?)。本来在った国が歴史上全く消えてしまう、ということが皆さんどうしても理解できないようです。百済は歴史上存在しているのに、交流相手(九州
10年以上前、米田良三氏の『法隆寺は移築された』の一読者に過ぎない私が氏の新原稿を本の形にまとめる作業を(全くのボランティアとして)請け負って今日に至りました。建築学的センスをそなえた理系の歴史ファンが、今思うと赤面モノの未熟な冊子を購入し応援して下さいました。その都度ベストを尽くし、自信をもって販売し、直後にミスを発見して落ち込む、といった繰り返しでしたが、ほぼ恥ずかしくないレベルに達したと判断し、4冊を全集の形で装丁しファンの期待に応えたいと考えています。
奈良県の法隆寺と同じ瓦が滋賀県の蜂屋遺跡から出土した。それも670年の焼失前後の瓦が揃って出土していた。この事実が示唆することは、奈良から滋賀の近くに瓦製造の窯元があったこと、蜂屋遺跡にあったはずの寺院は法隆寺若草伽藍跡の瓦と法隆寺西院伽藍の瓦と夫々同じもので覆ったことになる。これに対し、トンデモ説の九州王朝説の中の一説の「九州の太宰府の現在の観世音寺の場所にあったとされる寺院の建物を飛鳥に移築した」とすると、この旧寺院の瓦を丸々、法隆寺に移したことが考えられる。もしも、このトンデモ説が正し
斑鳩の法隆寺は670年に全焼し、再建された事が判明している。再建された寺の用材は669年から古いものは594年伐採のものがある。すなわち、別の古い寺から移築された事を示唆する。斑鳩の法隆寺これに対して、太宰府の観世音寺は661年から683年の間に創建され、完成は746年と遅れた。瓦は7世紀に遡る。完成までに、663年の白村江の戦いと敗戦後の地元負担、678年の筑紫地震、684年の白鳳地震があり、建設途中に各種災難に襲われた確率が極めて高く建設が遅れた。太宰府の観世音寺それで話題になってい