ブログ記事2,303件
主人の仕事と義母の実家のお墓参りで長野へ行ってきました🚗途中、霧ヶ峰高原へ真っ青なとっても綺麗な空でした1日目の夜、善光寺へご挨拶駐車場から本堂までの道のりは暗くて怖かったのですが本堂の灯りが見えてきたら怖くなくなりました2日目は、主人に善光寺の山門まで送ってもらい義母とお詣りさせていただきました大勧進にあるお寺カフェで薬膳ホットコーラをいただきました❣️生姜も添えてあり、体の中はポカポカになりました善光寺は浄土宗のお寺で法然様のお寺と思っていたのですが間違え
前回からの続き(3月7日のこと)です茶臼山から近くにある霊場で他で頂いてる場所があったので、そちらへ向かいました一心寺住所・大阪府大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69御本尊・阿弥陀如来HP・一心寺一心寺|お骨佛の寺・納骨とおせがきの寺一心寺一心寺|お骨佛の寺・納骨とおせがきの寺一心寺www.isshinji.or.jp札所・法然上人二十五霊場(第7番)大阪新四十八願所阿弥陀巡礼(第39番)歴史など文治元(1185)年、当時四天王寺の管長だった慈円の招きで、法然
今日は、旧盆の日。朝6時頃から足羽山にある墓地にお墓参り、お掃除。帰宅途中に、柴田勝家公とお市の方のお墓詣り。先月新暦のお盆には、百島のお墓参りとお掃除。お墓参りは何気なく好きです。もう50年以上昔、18歳の時、上京した際にまず最初に訪ねたのは、雑司ヶ谷にある夏目漱石のお墓、それと泉岳寺の赤穂四十七浪士のお墓、線香の煙でむんむんとしていました。その後は、様々のお墓詣。それでは、今日は傍楽(はたらく)良い仕事の話。10数年前、京都にある仏教大学で社会
勝尾寺23番/西国三十三所26.07/25sat.08:00-17:25(西梅田発着)総持寺から、茨木IC.を潜り国道171号線を西にモノレール沿いに北、左折して茨木能勢線を勝尾寺に上る応頂山勝尾寺仁王門大阪メトロ、北大阪急行電鉄箕面萱野駅から勝尾寺行きバスで、参拝者増加弁天池から石段を上って上方に、多宝塔左に、一願不動尊左に折れ右回りに、奉納勝ちダルマのならぶ石段を上り、厄払荒神堂右手に、本堂を望んで鎮守堂開山堂子守観世音菩薩像大師堂堂内を、四
京都・黒谷に佇む金戒光明寺にある大方丈内部からのレポート最終回です。この寺院の大方丈には、訪れる者の視線を一瞬で奪う、金地に躍動する虎が描かれた「虎の間」があります。金戒光明寺は会津藩・松平容保が京都守護職として本陣を置いた寺院です。虎の間は、方丈の中でも客人を迎えるための部屋として使われました。幕末期には、諸藩の使者や幕府の役人が出入りし、寺院でありながら政治的な交渉の場としての役割を担っていた空間です。こちらは、「松の間」です。この部屋は、大方丈の中でも中位の格式を
鉢と土を購入。チューリップとムスカリを植えました。去年の10月頃の話なので、すでにチューリップもムスカリも枯れてしまいましたが。常念寺は淀にある。各地に様々な跡地がある。今は全く面影がないが、当時は人の往来が多かったのです。現在の淀は常に土木工事をしているからか、大型トラックがやたらと目につく。あまり訪れたいとは思えないところです。淀川付近は長閑だとは思いますが。かつては、ここに港があった。皇室に納める穀物を蓄える倉庫があったことから、納所(のうそ)と呼ばれるようになったらしい
平重衡と法然上人平重衡は一の谷の合戦で源氏に敗れ捕虜となった。彼は自害も差し違えもせず、生の道を選んだ。平清盛の五男としては恥ずべき行為に思われる。何故、彼は名誉の死より屈辱の生を選んだのか?重衡は南都焼討の功労者だった。東大寺・興福寺を焼討した張本人だった。そのため京の都を見せしめとして引き回された時は僧侶や人民からツバを吐かれ石を投げ付けられた。重衡は屈辱の行進の際に思う所があった。彼は過去の罪業を心から悔いていた。皆から蔑まれれば罪業が少しでも償われるものと信じた。そして鎌倉へその
静岡県御前崎市に位置する、桜ヶ池の龍神様に、御挨拶させていただきました。駐車場に車を停めて、桜ヶ池に向かう鳥居ですが・・・これは形だけ鳥居を模したもので、鳥居ではありません。桜ヶ池は、《おひつ納め》の神事で知られていて、湖畔には池宮神社が御鎮座しています。池宮神社は、いつもは神様が不在で、拝殿で、御挨拶する時だけ、桜ヶ池の龍神様が、神殿にお入りになります。湖畔から眺める桜ヶ池です。おひつ納めの神事は、高層、皇円阿闍梨様
死後592日の今朝も、高野山奥之院お大師様御廟参拝でしゅ。高野山奥之院前、今空晴れ。(実時間8時前)今気温。夏日の車内温度と湿度でしゅ。ボクも手水舎でお清め。手を洗った水や、口をすすいだ水を、手水盤の中に吐く、超不潔なドアホバカボケカスクズゴミ(大抵高齢者)がいるので、出てる水から直接取ります。こうやくん、今日も来たよ。ボクも参道を、てちてち。浄土真宗宗祖親鸞聖人に挨拶。英霊殿に感謝一礼、高野山が、生ゴミ以下、ゴキブリ以下、蛆虫以下、💩以下の人間の最
死後591日の今朝も、高野山奥之院お大師様御廟参拝でしゅ。高野山奥之院前、今空晴れ。(実時間11時前)今気温夏日。夏日の車内温度と湿度でしゅ。ボクも手水舎でお清め。手を洗った水や、口をすすいだ水を、手水盤の中に吐く、超不潔なドアホバカボケカスクズゴミ(大抵高齢者)がいるので、出てる水から直接取ります。こうやくん、2日ぶりに来たよ。ボクも参道を、てちてち。英霊殿に感謝一礼、高野山が、生ゴミ以下、ゴキブリ以下、蛆虫以下、💩以下の人間の最底辺、アホバカボケ
時刻は14時になるので、そろそろ津山方面へ戻ることにしました。でも、あと一ヵ所ぐらいは何処かに立寄りたいと考えていました。にほんブログ村ブログ村のランキングに参加しています。上のバナーをクリックすると、現在のランキングを見られたりします。一日一回バナーをクリックして頂けると、ブログを続ける気力が生まれます。(^-^)岡山ICからは、国道53号線を走りました。旭川を眺めながら北上して、道の駅の看板を見つけたので駐車場に車を停めました。道の駅くめなんです。やけに静かな道の駅
一心寺の歴史は、文治元年(1185年)に浄土宗の宗祖である法然上人が、この地に草庵を結んだことから始まります。当時、この地は大阪湾に沈む美しい夕日を一望できる高台でした。法然上人は、西の空に沈む夕日を見つめながら、その向こう側にある「西方極楽浄土」を心に思い描く「日想観(にっそうかん)」という修業を行いました。このとき、当時の最高権力者であった後白河法皇が法然上人のもとを訪れ、共に一晩中念仏を唱え続けたという格式高い歴史が、一心寺の原点です。慶長5年(1600年)、播州の僧侶であった本誉存(ほ
京阪奈国宝まつり1872025年6月13日平安の終わりから鎌倉のはじまり。世の中はゴタゴタ続きで、人々は「もう悟りなんて無理ちゃうか…」と肩を落としていた時代に、すっと現れたのが法然上人やったんよね。比叡山でガチガチの修行を積んだ上人は、ある日ふと気づくんですわ。「いや、これ…普通の人にはハードすぎへん?」と。そこで出会ったのが善導大師の教え。“南無阿弥陀仏と唱えれば救われる”このシンプルで力強いメッセージに、法然さんは雷に打たれたみたいに感動してんねん。「これや!これこそ
善知識に会うこともなかなか難しい、しかし教えることもまたなかなか難しい、よく聞くこともなかなか分かりそうで分からない。親鸞聖人がこういう嘆きを出しておられるのが「親鸞一人がためなりけり」というお言葉の中に「如何に説いてみても語ってみても、本当には皆わかってもらえない」という気持ちがあるのではないかと金子先生は言っておられる。自分一人というところに返って来ざるをえない。どうともできない自分自身である。そのなかでこの阿弥陀仏の十八願を受け取るということはな
京阪奈国宝まつり1862025年6月13日展示された「法然上人絵伝」は巻八と巻十六。長い人生ドラマの中でも、今回はいよいよクライマックスに近づく重要な場面です。まずは巻八。ここでは、流罪となっていた土佐から赦免され、京都へ戻った法然上人の晩年が描かれています。年齢を重ね、病床に伏すようになっても、法然上人は「もう今日は休みます」とは言いません。弟子たちが集まれば、最後まで念仏の教えを語り続けます。そのお姿は、「人生、最後の最後まで現役です」という言葉がぴったり。そして迎える最
日曜日はどこか遠くに写真撮りに行きたいと考えてましたがひまわりとか少し早い。しかも西向いても東向いても道は混んでいる。比較的マシなのは奈良方向。過去のブログを見返すと5年前の海の日3連休に橿原市の藤原京跡のはす池に写真撮りに来てました。ということで自宅から1時間ちょっと走って朝9時に到着。奈良はやや曇っていましたが、花はいっぱい今朝の読売新聞に見頃~と記事にされてたので見物人もいっぱいでも蓮の花が密集しているのを撮りたかったので賑やかで満足前回は後ろの山を背景に写真撮っ
京都にある、金戒光明寺を紹介するシリーズです。前回に続いて、大方丈内を紹介します。大方丈の庭に面した部屋の入口には、「白川禅房」と書かれた額があります。揮毫者の北白川宮載仁親王(きたしらかわのみやことひとしんのう)は、明治〜大正期の皇族です。北白川宮家の当主で、武人としても知られるており、書にも優れ、京都の寺院に多くの筆跡を残した人物です。「白川禅房」は、法然上人が比叡山を下りて最初に草庵を結んだ場所であることを意味します。「白川禅房」とは、金戒光明寺の“はじまり
京阪奈国宝まつり185(2025年6月13日)入口付近は人がギュッと詰まってて、「ここが本日のメイン会場ですわ!」みたいな勢いなんですが、そこをスルスルッと人込みをかき分けて奥へ進むと、急に空気がゆるんで“あ、ここからが本番やな”という感じになります。最終コーナーでは前期展示の「一遍聖絵」が終了して、かわりに「法然上人絵伝」がドーンと登場。これがまたサイズ感からして別格で、知恩院所蔵の「法然上人行状絵図」なんて、1巻の高さが約32.7cm、全長は約14m。14m、もうほぼ廊
親鸞「教行信証」顕浄土真実教行信証が、NHKテレビの「100分で名著」、現在放送されています。宗教学者で教育者の釈徹宗先生がテキストと解説をしておられます。100分de名著|NHKオンデマンド一度は読みたいと思いながらも、手に取ることをためらったり、途中で挫折してしまったりする古今東西の“名著”。この番組では難解な1冊の名著を、25分×4回の100分で読み解いていく。プレゼン上手なゲストによるわかりやすい解説に加え、アニメーション、イメージ映像、朗読などなど、あの手この手を駆使し
先の2つの御文に限らず親鸞聖人は善導大師と全く同じお言葉を使われて全く違ったことを教えられているように思えるところが他にも多数見られます大心海化現の善導と聖人が絶賛されている善導大師が「一字一言、加減すべからず一つ経法の如くすべし」大自信で書き遺されたお言葉を親鸞聖人は平然と読み替え意味も全く変えてしまっておられるようにおもわれます聖人が「騙されて地獄に堕ちてもさらに後悔しない」とまで尊崇なされた法然上人に対しても「背師自立」と疑謗破滅を受けられるのも無理
今日の東京都心は梅雨の薄曇りでした。何とか雨は降らずとも、湿度はムシ~っと全開です。今日も蒸し暑い一日となりましたさて、今日は私のお手次寺の盂蘭盆会に行って参りました。お寺の掲示板です。浄土真宗の盂蘭盆会のお飾りです。左右のお飾りは、切子灯篭(きりことうろう)と言います。お参りの後は、法話を聞きましょう。今日の御講師は、静岡県伊東市寶專寺の遠山泰範師です。※青字が遠山師の言葉の要約です。<本日のご讃題(
アップ遅くなりましたが、死後571日の今朝も、高野山奥之院お大師様御廟参拝でしゅ。高野山奥之院前、今空晴れ。(実時間7時半すぎ)朝は涼しい気温。車内温度と湿度でしゅ。ボクも手水舎でお清め。手を洗った水や、口をすすいだ水を、手水盤の中に吐くアホバカボケカスクズゴミがいるので、出てる水から直接取ります。こうやくん、今朝も来たよ。ボクも参道を、てちてち。英霊殿に感謝一礼、高野山が、生ゴミ以下、ゴキブリ以下、蛆虫以下、💩以下の人間の最底辺、アホバカボケカスクズ生ゴ
イの国探検隊ファンの皆様こんにちは今日も妄想で、かつてあったとされるイの国を探検だ!松尾芭蕉さんの詠んだ句を妄想で勝手に訳します。気分が悪くなる方がいらっしゃる可能性があります。石つぶてなどは投げないでください。美味しいからといって、エサなどを勝手に与えないでください。野生でなくなります。換気で少し開いた窓を開けて室内に入ります。水屋の戸を開けて、隠してある饅頭を食べます。当たり前ですが、その後、戸は閉めません。なんなら、う
おはようございます昨日、朝7時にローラの散歩から帰ってきて、私は汗だくで室温をみたら28.3度湿度56%何度になったらエアコンを付けたらいいのかな~と思ってAIさんに室温を写真に撮って見せて聞いてみたら『ただちにエアコンをつけてください!!』って怒られちゃいました室温も湿度もエアコンを付ける基準値を超しています!!だってだめですねぇ、やっぱり年取ると、私は外に出てて汗をかいたけどあまり家の中が暑いと思わなかったけどこれだと犬猫もろとも熱中症になってしまう可能性
法輪寺から法然寺にやって来ました。法然上人の19番札所です。保育園が併設されてました。平日行くと、園児と鉢合わせするやつ🤣こちらは山門。下調べした所、法然寺は観光寺院ではないのでご予約くださいという事で、天龍寺にいた時に電話しておきました。ピンポンして、予約した旨を伝えますと、本堂を開けてくださいました。この法然寺なんですが、鎌倉時代に蓮生という僧により建立されています。蓮生という僧は、源平の戦いで活躍した熊谷直実という武将なんですが、一ノ谷の戦いで自分の息子と同じくらいの1
京都国立博物館清風会知恩院ツアーの続きです。巨大な御影堂(国宝)の後ろにある集会堂(重要文化財)。御本尊は鎌倉時代に仏師快慶の工房で作成された玉眼入りの阿弥陀仏で、知恩院に迎えられたのは何と今年に入ってから!造立から約800年総本山知恩院に安置源智上人造立阿弥陀如来立像遷座法要を厳修|浄土宗【公式サイト】4月9日、総本山知恩院(伊藤唯眞猊下=京都市東山区)で、「源智上人造立阿弥陀如来立像遷座法要」を浄土宗と総本jodo.or.jp特別公開中の集会堂の本尊、源智上人造
6月29日、京都国立博物館清風会が主催する知恩院ツアーに参加しました。#京都国立博物館の#清風会で#知恩院訪問。現存最古の建物、勢至堂(1530年、千姫の位牌安置)の改修工事現場を見学。敷地の元所有者が隣の青蓮院だったためか、創建時の内装は天台宗スタイルと判明。#法然上人一周忌に快慶工房で制作された阿弥陀如来が、時を経て2026年春に集会堂(1635年)本尊に㊗️pic.twitter.com/0RcrWAil1q—Sally_Osaka(@osaka654)June29
岡山津山の旅行記が途中に入ってしまいましたが、2026/4月の大阪旅行の最後の記事になります。この旅行の最大目的が法然上人二十五霊場の報恩講寺へのお参りでしたこちらは参拝の事前の電話予約が必須なのですが数日前にならないと可否が分からないので、先に旅行を組んで日が近づいてから一か八かお電話して可ならお参りとなります。いちどそれを試みたら「難しい」とのお返事で、せっかくなので旅行はそのまま挙行して別なところを回りました。今回も直前にお電話したら「日曜日なら」ということで、二泊三日の最終日で
歎異、この題目の信心の異なる、それを最初に掲げて実例として親鸞ご在生時代のことを一番はじめに出しておられる。一番最後に唯円の自分の現在に同じ問題があると。お釈迦さんから七高僧をずーっと通ってきて、日本に来て源信僧都、法然上人のお心を受け取って親鸞自身のご信心のところまできておられる。みんなその受け取った者の中に生かされている。もらった世界の中にずーっとひと繋がりに、インドから日本まで同じ一つの心の中に生かされてきたのだと。往生の信
先日夫と行った京都滞在旅4日目です美しい青もみじを求めて紅葉で有名なスポット何処へ行こうカナ?やはりもみじの永観堂でしょうと市バス🚌で南禅寺永観堂道下車永観堂の総門が見えてきましたもう此処から青もみじ永観堂さんの正式名称は聖衆来迎山ショウジュライコウザン無量寿院ムリョウジュイン禅林寺ゼンリンジ863年創建清和天皇より禅林寺の勅額を賜う浄土宗西山セイザン禅林寺派法然上人(源空)様開山※頂いたパンフレットの写真です受付して大玄関を