ブログ記事400件
沼田の歌の歌詞を紹介したいという話を聞いて、それならと、写真入りでご紹介します。沼田の街を歩いていると、運が良ければ、何処からともなく流れてくるメロディーを聞けますよー沼田の歌1番2番写真はお借りしました。うれしきは・・・・・3番写真はお借りしました。写真はお借りしました。4番沼田の歌作詞:西沢
最後に画像を1枚追加しましたので再UPしています。前回の続きです。今回は本丸から捨曲輪です。天守跡付近には信之と小松姫の石像があります。真田信之と妻の小松姫の石像です。小松姫のエピソード解説板です。イラストは戦国無双4のものです。関ヶ原の戦いでは真田昌幸・幸村父子は敵方になったので、小松姫は昌幸・幸村が沼田城に来た時に、城に入城させませんでした。中に入れると沼田城が奪われるのではないかと考えて、入城させませんでした。しかし、小松姫は近くの正覚寺ま来
前回の続きです。今回は本丸2です。下図F付近からの眺望です。城や城下町が河岸段丘の上にあり、鉄道が通るときに段丘の上まで70m程もあり、鉄道は段丘の下に設けられました。眺望解説板です。現代と1644年頃の重ね図です。本丸の下に水の手曲輪があります。この曲輪が本丸より低いので、水が確保できたため、水源を守るための曲輪です。水の手曲輪に降りる道です。水の手曲輪です。赤い線に沿ってさらに下りると行き止まりになっています。下図G付近に戻
画像を3枚追加して再UPしました。前回の続きです。今回は本丸1です。下図J付近に久米民之助の銅像があります。久米民之助の解説板です。沼田藩土岐家家臣の家に生まれて、明治9年に現在の東大に入学して、卒業後に事業で成功して、荒れ果てた沼田城址を購入して、公園にするため、グラウンドやテニスコートを造成しますが、このために沼田城の遺跡をさらに破壊したようです。遺跡の保存という考えが無い時代でした。頂いたパンフレットより引用E付近から英霊殿方向は
明けましておめでとうございます。本年もよろしく。前回の続きです。今回は沼田公園入口から本丸へです。下図A付近から沼田公園入口Bの冠木門が見えています。現在と1644年頃の重ね地図で、上が北です。AからBに歩きます右側が前橋法務局沼田支所のビルです。遺言書保管の広告ポスターがあります。2023年がウサギ年であるためか、ウサギに似た耳のカンガルーですね。さらに歩くと復元計画があるのでしょう。左のほうを見ると道の左側は断崖です
沼田公園図を追加して再UPしました。前回の続きです。今回は大手門跡から本丸前までです。下図①付近にある大手門跡の沼田小学校校門です。冠木門になっています。大手門跡①が右下にあります。赤い線に沿う登城路は無くなっていますが、①から順に見ていくと沼田小学校の校門です。入って左側に大手門跡があります。大手門跡です。解説板です。②のところに行くと上図②付近から溜門方向です。Googleストリートビューより前面の家の裏付近が溜門です。
沼田城模型追加で再UPしました。今回から沼田城(続日本100名城)の紹介です。今回は沼田城の歴史です。沼田市は群馬県の北部に位置し、四方を山に囲まれた盆地を中心として、利根川や薄根川周辺には非常に高い河岸段丘が発達しています。現地ポスターより河岸段丘の上と下で、標高差が80mもある台地の上に築かれた城下町です。沼田公園のある崖上の台地に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏の12代万鬼斎顕泰(ばんきさいあきやす)で、天文元年(1
テーマ:続日本100名城沼田城続日本100名城再攻略です2022年9月2日8月1日から頒布開始!「真田街道六城攻城記念御城印」を入手せよ!長野県上田市・長野市・群馬県沼田市・みなかみ町・東吾妻町・高山村では、令和2年8月1日から真田氏ゆかりの上田城・松代城・沼田城・名胡桃城・岩櫃城・中山城の六城の御城印を提示された方を対象に、真田街道六城攻城記念御城印の頒布を行います。この沼田城で4城目ですそれではスタート14:08沼田市観光案内所
沼田城(群馬県沼田市)の御城印です。上州沼田真田の里天空の城下町沼田城築城主・沼田顕泰築城年・1532年主な改修者・真田信幸主な城主・沼田氏、本庄秀綱、猪俣邦憲、真田氏続日本100名城
群馬県沼田市のマンホールカードです。沼田城沼田市観光案内所にて。
116沼田城(群馬県沼田市)の、続日本100名城スタンプです。沼田市観光案内所にて。
道の駅川場田園プラザから、車で30分弱…。今回最後の目的地は、沼田公園(沼田城跡)まずは、沼田市観光案内所へ…。こちらで、🌸マンホールカード続日本100名城スタンプ御城印🏯を。そして公園内へと…。鐘楼天文元年(1532)築城🏯真田信之が五層の天守閣を築きました🏯石垣・石段沼田城御殿桜🌸こちらが御殿桜🌸公園には動物たちも。🐇🐇🐇うさぎ🦚🦚🦚くじゃく北関東の要衝、沼田城。真田信之と小松姫の、像。真田信之の正室である小松姫は本多忠勝の娘で、徳川家康(もし
🏯沼田城に典型的な崖城、真田信幸が支配した城。城跡内には、鐘楼や旧生方家住宅(重要文化財)が🌈
<3月27日>群馬県沼田市の街歩きで訪れた「沼田城址」。本丸の先端まで行って、戻って来ました。現在地は真ん丸の池の前です。「小松姫(稲姫)伝説」の立て札がありました。関ヶ原の戦いで東西に分かれた真田家。西軍についた昌幸・幸村が「孫の顔を見たい」と信之の妻「小松姫」が留守を守る沼田城に立ち寄ったそうですが、「敵味方になった以上、義父といえども城には入れられない」と断り、あとから、休息中の正覚寺へ連れて行ったという逸話です。立て札の先に大きな石碑が見えました。
この投稿をInstagramで見る庭野剛治(@niwano_history)がシェアした投稿
<3月27日>群馬県沼田市の街歩きで訪れた「沼田城跡」。城内にはあちこちに、こうした立て札が立てられています。「沼田の歴史物語」として「沼田城の金箔瓦」の説明でした。そして発掘調査中の現場もあります。「本丸堀発掘調査」が今でも行われていました。堀跡からは様々な瓦が出土しているようです。これだけ整備されているのに、今なお発掘調査が進んでいるという沼田城跡の奥深さを垣間見た感じでした。
<3月27日>群馬県沼田市の街歩きで訪れた「沼田城跡」。本丸の奥に小さな祠を見つけて行ってみました。ちょうど「五層の天守閣」があったあたりの場所です。社殿内は立ち入り禁止でした。社殿前からの眺めです。「上野國沼田城絵図」があります。「現在地」はちょうど本丸の真ん前あたりです。神社前に並ぶ二人の石像。「真田信之」と「小松姫」の像でした。
☆(1)上田真田氏と徳川氏信綱寺(しんこうじ)黒門今春、「善光寺」は、コロナ禍でも650万人の参拝者を迎えた「御開帳」、江戸時代、その長野市地区10万石を治めたのが、上田藩から領地代えとなった初代松代(まつしろ)藩主「真田信幸(のぶゆき)」、以降、現在も真田家当主は健在で、先週実施された”松代入部400年祭”(1622~)のパレード馬上で挨拶している。その「真田氏」と「善光寺」は、「真田10万
群馬県沼田市の「沼田城址」沼田城は、かつて上野国利根郡(現:群馬県沼田市)にあった日本の城です。1976年、沼田市指定史跡。複数の守護城に囲まれた堅城。沼田氏の居城として建築され、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田氏の沼田領支配の拠点となった。2017年、続日本100名城(138番)に選定されました。沼田市観光案内所こちらにて武将印、御城印を販売しています。武将印と御城印だけで多数の種類があり、それもほとんどが月
<3月27日>群馬県沼田市の街歩きで「沼田城跡」に来ました。展望台から見事な「河岸段丘」を楽しみ、振り返ると「鐘楼」があります。三層になっている珍しい形の鐘楼で、中に入れるのかも知れません。真田の藩主時代に造られたもので、その後度々の変遷を経て、本丸跡に復元されたものです。真田の時代の沼田城の鳥瞰図がありました。立派な天守閣を持つ、大きな城だったことが分かります。「沼田城関係史年表」には、16世紀から明治維新に至るまでのこの城の歴史が紹介されていました。
<3月27日>群馬県沼田市での街歩き。「河岸段丘」の底のあたりに位置するJR沼田駅から、再び車で移動します。駅から街の中心部に向かう道路のかなりの傾斜の上り坂。「段丘崖」の上に街並みが作られていることが分かります。信号を左へ。駅前の信号を左折して坂を上って行くと鳥居が見えて来ました。「榛名神社」です。坂道を登り切ったところにあるのが「沼田城址」。「真田の里沼田」のアーチをくぐります。駐車場に車を停めて、城跡を歩くことにしました。高台にあるので見晴らしのい
■所在地群馬県沼田市西倉内町■遺構石垣・堀・郭■城のタイプ平山城■築城者沼田顕泰・猪俣邦憲・真田信幸沼田城は、天文元年(1532)沼田万鬼斎顕泰によって築かれました。その後、天正8年(1580)、武田勝頼の武将、真田昌幸が入城しました。天正18年(1590)に昌幸の嫡子信幸が沼田領2万7千石の城主となり、城を整備して慶長年間に五層の天守閣を建造しました。以後、本家の松代藩の分領として次男の真田信政が沼田を存続しましたが、天和元年(1681)に真田氏5代目、信利が徳川幕府に領地
2022年8月27日参拝沼田城址🏯へ榛名神社さんから歩いて行きましたが勾配がきつい💧🇺🇦ウクライナ人道支援特別御城印と8月限定御城印を購入。
休日に単身部屋で籠るのがしんどい当方。今日は思いきって街道歩きではない遠方へのお出かけをしてきました。始発電車に乗ってやってきたのは上越線の沼田駅。6月に上田へ行ったのと、過日真田一族の小説を再読したことから、先だってから真田の史跡を訪ねてみたいと思っておりました。まずは行くのに手間がかかるものから手を付けようかと思い、本日始発電車に乗ってやってきたのはJR上越線の沼田駅。真田家の上州での本拠地沼田城址へ向かいます。沼田は日本で一番美しい河岸段丘の町とのこと。利根川に近
17世紀頃築。1864年(元禄元年)大修理をはじめとして数回の改築・増築を経て現代に至ります。長い土間がありあくまで広いです素敵な看板ですねお邪魔しました
こんにちは、めいですお元気ですか田んぼアートを見た帰りはイケメンに会いに沼田城へ三浦春馬君に見える真田幸村大河ドラマそのまんま草刈正雄さんの真田昌幸そのまんま東さん、宮崎県知事選に出るそうですね。私、東さんの講演会に行ったことあるのよお話、面白かった・・頑張ってほしいなまるで城田優の真田信之小松姫は・・西野七瀬ちゃんかな本人の甲冑などから割り出した体型の真田信
三連休の二日目〜前回の本レビューを書いた『北天蒼星』ですが、この物語の中に、沼田や猿ヶ京や厩橋など、山越えて群馬に入ったところにあった上杉の城が出てきて、歴史探訪したくなりました。本日はグンマの旅。こんなパンフレットをもらった。「まえばし歴史散策ガイドブック」イラストはどこかで見た絵柄だと思ったら、『お前はまだグンマを知らない』の井田ヒロトさん。この人の書くイラストはグンマ愛が溢れているのですが、不気味だよな…まず、前橋の前に沼田。新潟県からト
「石・石塁・石垣シリーズ」は、私が登城した全国の「野面積み」の「乱積み」と「布積み」を導入しているお城をお届けしてきました。只今は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を展開している写真をお届けしていますので、どうぞご覧ください。「野面積み」の分類時にも記載しましたが、「切込み接」が導入された初期の頃の石の加工具合が、どのくらい加工されているのか見わけが付かず「野面積み」のようにも見えてどちらに分類すべきか迷う場合もありましたので、私の独断と偏見で分類したケースもありますが悪しからずご了