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考える子どもを育てようと言う一方で、考える余裕を与えないという矛盾は、なんだろう?もちろん、自ら考え行動し、自分の言動に責任をもつことのできるような子どもを育てることが、教師の最も重要な仕事である。しかし、クラスの中には、あらゆる課題から逃げて、あわよくばタブレットでゲームや動画を見ていることで、授業時間を過ごそうとする子どももいる。タブレットの導入は、大きなメリットと、デメリットを運んできた。道具は、有効活用させねばならないし、マナーやルールも守らねばならない。さて、そういった、課題
嘘をついているのではないか、あるいは、二重人格ではないかと、子どもの言動から本当の気持ちを読み取れないことがある。例えば、腕を掴まれただけでも異常に痛いと叫ぶ、シャワーの水の刺激さえ痛いという。そういった場合は、感覚過敏が原因で、確かに痛いのだろうと共感すべきである。教師の中には、それすらも理解できずに、「痛いはずがない。嘘をつくな」と指導する者もいる。それは考え直してほしい。しかし、問題は感覚過敏のことではなく、平然と嘘をついたり、作り話をしたりする子どもである。人は誕生後に道徳性
子どもたちとの信頼関係を築くことは、教師の最も大切な仕事だ。信頼関係ができさえすれば、前回までにいろいろと話したような教育的技術は二の次となる。つまり、教師が不器用だったり知識が乏しかったりということが理由で、子どもにふさわしい支援ができないとしても、信頼関係で乗り切れるということなのだ。人と人との関係は、それだけ強い!しかし、最近の教師の様子を見ていると、物理的にも(感染症対策のいきすぎもある)、精神的にも距離が遠い。例えば、すぐにキレる子どもに対して、当たり障りなく関わりたいという
以前、やろうとしてもやれない子どもたちの肝臓には、見えないレベルでの不具合が存在するかもしれないという話をした。その際、内臓の一部は、言動を促す作用や衝動性を抑える機能に関わっている可能性があると示唆した。そして、内臓を温めることも効果的であり、「ひまし油湿布」の解説書には、ADHDにも効果を発揮するという一文があることを紹介した。実のところ、私はひまし油湿布の愛好家である。疲労や熱中症、排泄機能の回復などに、大きな効果があるからだ。大人でも子どもでも、多少面倒ではあるが、ぜひ試してほ
最近、あちこちのクラスの授業を見ていると、45分間しゃべり続ける教師が多いことに驚かされる。ついでに言えば、黒板に文字を書き続ける。「となりのトトロ」で描かれたような授業風景は、昭和を彷彿とさせる古い時代のものだ。新しい授業のあり方が示されてから10年以上も経つのに(いや、それ以上の年月かも)、何も変わっていない。ベテランならまだしも、若手でも同様だ。教師は、自分が受けた授業を真似る傾向にあるから、致し方ないとはいえるが、勉強不足である。(あくまで私が見た教師像なので、熱心に学んでいる
先日、こんなことがあった。1年生のときに学生ボランてジアで来ていた学生が、久しぶりにやってきたのだ。「2年生になったんだから、甘えて抱っこしようとしてもしないでね」私は、学生の顔を見るなり頼んだ。実は、2年生の中に、愛着障害と思われる子どもがいる。だから、1年生のときには、誰彼構わず抱っこをせがんだ。しかし、最近になって気持ちが安定してきたので、赤ちゃん返りのようなことはさせたくなかった。学生は、「分かりました」といって、距離を置いた姿勢でかかわっていた
以前、思考には2種類あると話した。ひとつは、情報を鵜呑みにするような思考。もうひとつは、情報を組み立てて、新たな思考内容を創り出していく思考。(過去に同様の思考内容が存在していたとしても、自分から気付き、考え出すことができればよい)そして、私たちは、後者の思考ができるようになることを目指すべきであり、自ら考える子どもを育てることが必要だと伝えてきた。さて、余談になるが、昨日はある企業の方から事業内容に関するアドバイスを求められた。もちろん、教育に関係するものである。その話の中で、相
小学校の教師は、似たような対応をしがちである。子どもがイライラする、こだわってフリーズする、ワガママを通そうと泣き叫ぶ…。そんなときには、優しく言い聞かせようとする教師が多いのだ。そうでなければ、怒鳴り声を上げて制しようとする。はっきり言って、どちらも効果的とはいえない。むしろ、放っておいた方がいい。ただ、君を気にかけているよと、時々様子を見る、声をかける。最近、さらに効果的だと感じるのは、波動の異なる教師が対応する方法。例えば、いきなり登場して、「さあ、片付けるよー」と大声で言
人は誕生にあたって肉体を得る。だが、その肉体は遺伝やカルマなどに影響されるので、自分の理想とはいえないかもしれない。容姿の美醜について言っているのではなく、機能性に関してのことだ。アクセルやブレーキに不具合があり、思うように動かないとか、情報を得るための機器が未熟だとか、そういうことは誰にでもあるだろう。では、その不具合や未熟さを一生抱えるのかというと、そうではない。子どもには成長・発達という、強い味方があるからだ。身体を自分の理想(自分の使命を果たすための肉体)へと作り替える時期は
「やろうとしてもやれない」子どもたちの、どこに原因があるのかについて考えてきた。子ども自身に課題がある場合には、それをよく見極め、適切な支援をしていく必要がある。ただ、子どもではなく、教師に課題があることもあるので、気をつけなければならない。しかも、教師に自覚がないと、子どもの欠点にばかり目がいきがちだ。若手ならまだしも、ベテランの教師に、「あなたの授業がつまらないから、子どもの気持ちが乗らないんですよ」などと伝えられる人はいないだろう。管理職とて言葉を選ぶ。他人から指摘される前に、
「やらない」ように見えて、実は「やれない」子どもたちがいる。その原因のひとつが、内臓などの微妙な不具合にあるとシュタイナーは言っている。しかし、医学のシロウトであり、西洋医学では解明できないレベルでの不具合を、私が改善させていくことは難しい。ただ、「ひまし油湿布」などを使って臓器を温めることも効果的かもしれないという話をしてきた。もうひとつ考えられる原因は、子どもの学力が低いために、授業の内容が把握できないということである。「学力」という漠然とした表現を使ったが、そこには「聞き取る力
やろうとしているのに、やれないことがある。疲れたとき、嫌なことがあって気が乗らないとき…。しかし、たまにやってくる無気力な様子とは異なり、日常的にやれない子どももいる。「やらない」のではなく、「やれない」私もそんな子どもだったし、大人になっても苦しんだ。私自身の原因は、微かな体調の不具合と、それによるエネルギー不足であったと思う。実際、10年ほど前からカイロプラクティックの施術で体調が良くなり、他にもさまざまな対応をした結果、若いころより身体が動く。では、一般的に行動に移せない原因
吐くほど学ぶことを経験した教師は、どれくらいいるのだろうか?医師や教師などの、専門的な知識や技能を必要とされる仕事に就こうと思うなら、それが他人の命や成長・人生にかかわるものならなおさらのこと、吐くほど勉強することをお勧めしたい。理由は他人を助けるからということだけではない。自分の自信になるからだ。同僚たちの姿を見ていると、不安が高いために他の人たちのアドバイスを求めることがある。独りよがりではなく、組織として知恵を集めることは必要だ。我流で突っ走るのも危険だから。しかし、自分の考
泣き叫ぶばかりか暴言を吐き、自分の思いを通そうとするためには手段を選ばないレッド。出会ったころは、どうかかわればいいのか、途方に暮れていた。それに加えて困ったことがあった。私は2学期からの代替教員として入ったので、以前からかかわっていた教職員はそれぞれの考え方を私に伝えようとしてきたからだ。レッドが泣き叫ぶと、「さくらこ先生がレッドに付いてください。他の子どもは私が見ています」と、親切な申し出を受けることもあった。しかし、担任して間もないのに、他の大勢の子どもたちを放ってはおけない。
レッドと出会ったころ、正に赤く燃え上がる炎をイメージした。自分の思い通りにするために、泣き叫ぶ、暴力を振るう。(殴る、蹴るなどは教師に向けられていた)また、授業中であっても、不安なことがあれば離席して話しかける。「どうしても、今、こうしてほしい」もっとも頻繁に要求してきたことは、「○○(友達)に謝ってほしい」悪く言えば、因縁を付けているようなものだった。相手が謝るまで文句を言い続けるため、授業はかなりの頻度で中断させられた。泣き声は凄まじく、学校中に響き渡り、校庭で泣いているときに
私たちの身体を車に喩えた図を、以前にも投稿しました。それに加筆してお伝えしたいと思います。私たちは誕生とともに、肉体に宿ります。この「私たち」と表現しているのは、自我と感情や衝動などを司るアストラル体と呼ばれるものの融合された部分です。仮に「魂」と呼ぶことにしましょう。その肉体は、単なる物質ではなく、エーテル体を纏うことによって生命を得、記憶や習慣などを身に付ける機能をもつようになるのです。魂(自我+アストラル体)⬇️からだ(肉体+エーテル体)さて、
前回、自我が考え、判断し、実行したことは、アストラル体に反映されて感情となり、技能となっていくこと、それが繰り返し行われることで習慣化し、能力となり良心となってエーテル体に反映されていくこと、その影響が肉体に及ぶという話をしました。さて、気になるのは、私たちの記憶はどこにしまわれているのかということです。一般的には、脳にしまわれているということになるのでしょうか?脳の中に、膨大な文字や映像がしまわれているという証明は聞いたことがありませんが、可視的なことしか信じ
以前にもお話ししたことがあるのですが、私たちの体は4つの要素からできています。まず、肉体は鉱物と素材を同じにしています。しかし、鉱物に命はありません。そこで、命を吹き込むためのエーテル体が存在します。それを植物と共有しています。感覚をもったり感情をもったりする要素を、動物と共有しています。この部分をアストラル体と呼びます。そして、人間独自の部分を自我と呼びます。実は、数十年の間、私は体がこの4つの要素から成ることだけで満足していました。しかし、この4
カルマとは、「過去世での行為が、自分に返ってくる」という因果応報の法則とされます。これは、輪廻転生という考え方に基づいているものですが、前世で人に対して悪い行いをした報いが、今世で現れるといった意味をもちます。シュタイナーは、何かしらの障害のある子どもたちを教育する際、「この子は、発達や発育に課題があるから仕方ない」といった否定的な先入観をもつべきではなく、その子どもの魂のあり方を純粋な目で観察すべきだと言っています。それは、前世において天才ともいわれるような人生を送った人が、
前回、発達に偏りがある子どもたちの教育をするにあたっては、いわば正常といわれる子どもの成長の仕方や教育のあり方を、詳しく知っておく必要があることをお話ししました。実は個性というのは、対局があってこその違いなのです。走るのが速い子どもがいるから、自分は遅い。文字の書き方が丁寧な子どもがいるから、乱雑であるといわれる。素早く処理できる子どもがいるから、処理能力が遅いといわれる。こういった例を挙げればキリがありません。しかし、「いわば正常といわれる子ども」というのは、
「治療教育講義」の初めには、実はこんな文章が書かれています。「発育が不十分な子どもたちを教育する人は誰でも、いわゆる健常な子どもの教育をあらかじめ実際に深く学んでいなければなりません」この意味はとても深いと思われますが、まず私の解釈をご紹介しましょう。例えば特別な支援教育を行う学級や学校、あるい支援教室やフリースクールでは、通常学級で行われている教育との塩梅を考える必要があるという意味です。通常学級で行われている指導が大筋であるとすれば、その内容をどれぐらい割愛してい
プロフィールでもご紹介しましたが、今後、R.シュタイナーの「治療教育講義」に沿って、具体的な解説を連載していこうと考えています。ただ、これは私にとっても挑戦です。シュタイナーの書籍や講演録を読み続けてきたとはいえ、全てに関して熟知しているとはいえませんし、不明な点も多いからです。ですから、もっと知りたいという点がありましたら、遠慮なくご質問ください。できる限りお答えしていこうと思います。さて、私は学生時代に卒論のためにシュタイナーの研究を始めました。ですから、「治療
◉7/10(土曜日)のソフィア教育芸術講座は「障害のある子、困難を持つ子に対して」がテーマです。アタマでの意味伝達だけではなく、美しい響きやリズム、発声する時の喉や口の運動・・それらを夢みるやわらかな心と連動させ、体を動かすことが、発達障害を持つ子どもたちにとって「コトバの世界を開くための」有効な架け橋となります。心をまっすぐに保つ言葉や、きれいなイメージの詩、リズミカルな音や、音のカタチをオイリュトミーで体の動きにしていきます。そうすることで困難を持つ人に対し
オイリュトミーを考案したシュタイナー自身は、どんな体験を通して、独特の教育法を編み出したのでしょうか。●若きシュタイナーと障害児エルンストとの出会いシュタイナー教育のベースは、若きシュタイナー自身が、障害児に教えた体験が元になっています。「教育は治療である」とシュタイナーが語っているのは、そのような体験に裏付けされているからなのです。シュタイナーは23歳の時に(1884年)、ウィーンのシュペヒト家に家庭教師として住み込み、末っ子のエルンスト少年(当時十歳)を指導しました。少
次回6/14(日曜日)のソフィア教育芸術研究会は「障害のある子、困難を持つ子に対して」がテーマです。講座では、実際に私自身が、これまで障害を持つ人とのオイリュトミーの時間に経験したことや、体験したことから得た指導のヒントについて具体的にお話し、お伝えしたいと思います。私がオイリュトミストとして最初に出会ったのは、障害を持つ子どもたち、困難を抱える人たちでした。幼児や知的障害を持つ人は、意味よりも、豊かな響きとリズムの世界に生きています。それはイノチとカラダを動かす「動きの言
ホメオパスふみえのブログ今日は「治療教育講義」の日(9時半〜12時半スカイプ配信)この本はシュタイナーの著作ですが私たちはホメオパシーも同時に学んでいるのでこの本を使って実際の治療症例なども話しながら解説していますこの頃は我が子がおかしいんじゃないか?と関係機関に出向いて検査をして療育といわれるものを受けるのにも2ヶ月待ちというような状況になる程親はみな、自分の子が大丈夫か?と心配なのだと思いますホメオパシーの治療では全く違ったアプローチをし
ホメオパスふみえのブログ世の中にあることをどれだけはっきり認識しているか全くもって怪しいもんだ今日は朝講義はもつれた糸のような混線状態になったので解説をすっぱり諦めて、ひとまず棚に上げ次へ行きましたいいのです今わからんことはわからんままでもいいのです多少気持ち悪いやろうけれどそれは今だけでちょっと経ったらスッキリわかります時期じゃなかっただけですから今日は、諦めましょ今日は治