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昼の部から居続けの歌舞伎座。團菊祭五月大歌舞伎は、「四千両小判梅葉」でキリです。江戸城内の御金蔵から四千両が盗まれた、実際の事件を取り上げた黙阿弥の世話物。憎めないワルが特徴のピカレスクものでなく、とにかく写実に徹しているのが特徴。これがなぜ、團菊祭?それは、五世から当代までの菊五郎と、二世松緑が演じてきたからです。その主人公は、無宿入墨の富蔵。四谷見附のお堀端で、おでんと燗酒を商いながら、腹に一物ありそう。初役の当代松緑によると、悪党でも肚の座った人物とか。確かに、た
長くなりそうなので、とっとと進めましょう。上手の手から水が漏る?四代圓生の不手際とは?お熊の亭主伝三郎は死んだのか?釜ヶ淵ってどこよ?前回は1と2をお送りしまして、今回は3です。釜ヶ淵ってどこよ?今回は時系列を逆にたどりましょう。まずは六代圓生からです。圓生は当初「釜ヶ淵」で演じてました円生全集にも「ところも名代の釜が淵」とあります。しかし後に「ところも名代の蟹谷淵(かにやふち)」としました。この経緯について圓生百席の覚え書きに詳しいです。場所の
恋しい人を待ちわびて何時しかまどろみ、ひとり涙で袖を濡らすという内容で、芝居(*)の挿入唄です。歌沢節(*)から採り入れ、鐘の音や村雨を織り込みゆったり情緒纏綿たる小唄となっています。★お聴き頂けます⇒待ちわびて(お浦新三)(小唄備忘録500番その179)田﨑義明(小唄と三味線)恋しい人を待ちわびて何時しかまどろみ、ひとり涙で袖を濡らすという内容で、芝居(*)の挿入唄です。歌沢節(*)から採り入れ、鐘の音や村雨を織り込みゆったり情緒纏綿たる小唄となっています。解説:唄の意味は、
【飛行船の日】1916年(大正5年)1月22日、陸軍の飛行船「雄飛(ゆうひ)号」が、所沢と大阪間の長距離飛行を成功させた。所沢には、この初飛行を記念して作られた「雄飛焼」というお菓子がある。【カレーの日】1982年(昭和57年)1月22日、全国の小中学校で給食にカレーが出た。日本人が初めてカレーに出合ったのは1863年。幕府の遣欧使節に随行した三宅秀清の日誌には「飯の上ヘ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻きまわして手づかみで食す」。カレーライスらしい。【ジャズ
以前飾ってあった富士山の緞帳一階楽屋口横のロビーに飾ってあると知りまして行ってみました。エレベーターの上全体を撮るには端にずーっと寄って写しました。七階のグランドロビー水槽の金魚向かいのビルから見えるの誰~だ?。エレベーター乗り場近くに飾ってある壽於輔人形中が入れ換えて有りました。型抜き人形蹲と燈籠歌舞伎作家河竹黙阿弥の庭にあったものだそうです。下から見上げた歌舞伎タワーです。今年は何度かこちらに来ましたがジリジリ暑くて長い時間いられませんでした。流石に今日は
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます秋の歌舞伎座屋上庭園日差しや影の深さ長さに秋を感じます好みな日和でしたすっっっっごいお気に入りな雰囲気で撮影できたのに指が映り込む残念写真(笑)供養にここに掲載しちゃいます新派の子『新版糸桜』観た後だとより黙阿弥の石灯籠の味わいが増したような今日も素敵で無敵な一日となりますようにでは、また
こんにちは「知らざあー言ってきかせやしょう・・・」歌舞伎の演目「白浪五人男」(正式には『青砥稿花紅彩画』)に出てくる弁天小僧の台詞の一部です。昨今はわかりませんが、かつて日本中で知らない人はいない名セリフのひとつでした。作者は幕末から明治にかけて一世を風靡した戯作者=河竹黙阿弥です。日本橋の生まれ、若くして芝居などの本を読み漁り、親から勘当されるほどの放蕩ぶりが伝わります。人の紹介で五代目鶴屋南北に弟子入りし、8年後に二代目河竹新七を襲名します。抜群の記憶力があり、読んだ書物を憶えて
太袛の句「梅の実も~」を冒頭に置き、初夏の季節感を丁寧に並べた小唄で、「尾上」(五代目菊五郎:俳名は梅幸)、「皐月」「時鳥」(登場人物名)と、巧妙に芝居「御所五郎蔵」を匂わせています(解説参照)。★お聴き頂けます⇒梅の実(小唄備忘録500番その169)田﨑義明(小唄と三味線)太袛の句「梅の実も~」を冒頭に置き、初夏の季節感を丁寧に並べた小唄で、「尾上」(五代目菊五郎:俳名は梅幸)、「皐月」「時鳥」(登場人物名)と、巧妙に芝居「御所五郎蔵」を匂わせていますが(解説参照)、ここでは初夏の
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます昨日は日本橋公会堂演劇ユニット新派の子河竹黙阿弥没後130年新編糸桜行ってきました😊Instagramで拡散しやすいサイズで配布してくれた画像たち↓斎藤雅文さんが河竹登志夫さんの小説【作者の家】を原作に父・河竹黙阿弥の作品を守り抜いた娘・河竹糸を波乃久里子さんに当て書きした作品。今回は原作の関東大震災の場面を脚本に追加しての上演だそうです。(今年で関東大震災100年だからかな)河竹糸の養子となり河竹黙阿弥の家と
黄昏時にお出かけ水天宮駅水槽を覗きます。ハロウィン仕様何時も楽しみに覗いています。到着しました日本橋劇場河竹黙阿弥の娘お糸波乃久里子河竹家の養子繁俊尾上菊之丞繁蔵の妻おみつ元宝塚の大和悠河さん河竹家に嫁いでくるおみつの花嫁姿美しかったですね。お芝居は再演なのですね。開演すると浄曲と邦楽囃子の生演奏舞台も展開も良かったですね。お糸さんは生涯独身を貫いた方血の繋がらない母と息子と嫁との物語河竹黙阿弥の世界とてもリアルに時代背景が描かれてました。二日間の公演
名作歌舞伎「三人吉三」を新解釈!ワルをよりカッコよく見せる絶妙なせりふ回しの秘密はラップにあり!俳優・板橋駿谷が特技のラップで解説、大久保さんとのラップ対決も!6月に博多座で上演された「三人吉三」。人気の秘けつは主人公三人のワルの魅力と、それを最大限に引き立てるセリフ回し。河竹黙阿弥による七五調のセリフの心地よさは、現代の若者たちが好む音楽ジャンル「ラップ」のそれに通じる。俳優・板橋駿谷扮する「ラップ番長」がDJとともにワルの魅力や「三人吉三」の
「明日は明日の風が吹く」。この言葉は、ことわざとして知られるので、多くの方が知ってると思う。私が知ってるということは、多くの方が知っているということを意味すると。この言葉は、今では、ことわざとして定着しているが、では、その背景ググってみた。明治期の歌舞伎脚本家河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)が残した言葉と言われているが、『風とともに去りぬ』が出典という説もある。また、昭和時代の講談や落語の言い回しを由来とする説もあるようである。さて、先のことを案じずに、成
国立劇場大劇場で歌舞伎公演を見終えて、伝統芸能情報館で開催中の『芸能資料展』に行きました。10月26日(木)まで。国立演芸場の演芸資料展示室は、10月22日(日)まで。国立劇場が所蔵しているものを、展示。国立劇場が建て替えとなるので、その『お別れ』の展示。やはり、文楽関係に、目がいきます。文楽人形の、『かしら』。江戸時代のもの。2代目桐竹紋十郎(1900~1970)の、舞台下駄。彼の舞台は、映像でしか知りません。もう少し、彼が長く生きていてくれれば。こちらが、もう少し早く生
【秀山祭九月大歌舞伎・夜の部へ】今月は二世中村吉右衛門さんの三回忌追善公演。「菅原伝授手習鑑〜車引」「連獅子」「1本刀土俵入」。相変わらず「連獅子」で泣いてしまう私。河竹黙阿弥作品の中でも本当に大好きな長唄の舞踊名作!尾上丑之助くん、天晴れ天晴れ。今日は「車引」で梅王丸をした中村歌昇さんが私的にピカイチでした。怒りが固まった火の玉みたい。錦絵から抜け出たような見事な姿。凄かった!!花道横の3列目で汗ダクで演じる役者さん達を観劇した後、私がどっと疲れました(笑)。幕間の緞帳の見事な満月が、
5月23日(火)、團菊祭五月大歌舞伎の夜の部。最後の演目は、『梅雨小袖昔八丈』。通称が『髪結新三』。1873(明治6)年6月の中村座での初演。河竹黙阿弥作。5代目尾上菊五郎が新三を演じ。6代目の菊五郎も演じ。今の菊五郎も演じ。そして、菊之助。2018年に、国立劇場で演じて、今回が二度目の新三。「今年は河竹黙阿弥の没後130年、5代目菊五郎の没後120年、初演から150年という年で、幕開きに演目の全体像をご説明する解説がつきます。」(『筋書』の『花競木挽賑』尾上菊之助の言葉)最
5月16日(火)、国立劇場で、前進座公演『魚屋宗五郎』『風薫隼町賑』を見ました。『魚屋宗五郎』。本名題を『新皿屋鋪月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』。『播州皿屋敷』が下敷きとなっています。河竹黙阿弥の作。1883(明治16)年5月、市村座初演。「河竹黙阿弥作『新皿屋鋪月雨暈』から二場を独立させた作品。『弁天堂の場』と『魚屋内の場』で構成するのが前進座上演の特徴。中村翫右衛門、梅之助が得意とし、今日まで上演870回を数えます。」(チラシ)この作品、歌舞伎でも、よく上演されます。
チケットを頂いたので歌舞伎座へ行ってきました。知り合いの方に差し上げようと思ったんだけど…。いる?…って言われたのが一昨日で、チケット受け取ったのが昨日で、そんで今日だからね…。急に言われても無理だぁね。オイラ一人で行ってきました。前から5列目のちょうど真ん中。スゲェ見やすい。花道見るにはちょっと首痛くなったけど。こんな前でイベント見たの、数年前に行った杉山清貴&オメガトライブのコンサート以来だぁね。どちらも招待券。んん…、何か申し訳ない気持ちになるな…。いやぁ、面白かった。三
千秋楽間際の明治座と歌舞伎座に、弾丸観戦で行ってきました。まずは、明治座の昼の部、「大杯觴酒戦強者」(おおさかづきしゅせんのつわもの)です。講談の「馬場の大杯」を基に、初世・左團次のために黙阿弥が書き下ろした作品。とにかく、呑むわ、呑むわ、注ぐわ、注ぐわ、喋るわ、喋るわ。で、また、呑むわ、呑むわ。うーい。内藤紀伊守の屋敷に招かれた井伊直孝。この人が大酒のみで、相手がいないので機嫌が悪い。そこに呼ばれたのが、足軽ながら近習に仕立てられた、才助。ここから、酒豪争いの始まり。
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございます明治座創業150周年記念壽祝桜四月大歌舞伎昼の部おかわり・おかわり・半分だけおかわり(具合が悪くなった以外で途中で抜けるのはじめてのこと)(個人的千穐楽むかえたつもりだったのだけど……あはは😅)(でも、本当にこれで、自分的千穐楽です)天井桟敷の上手見切れ席義太夫の響きの聴こえ方は好みじゃない。花道がよく見える。音の聴こえは私には重要。でもこの位置だからこそ見えやすいもの、聴こえやすいもの、ありました。義経千本桜〜鳥居前
こんにちは観劇は出来ない通りがかりにて今日の雨☔の歌舞伎座と雨☔の歌舞伎座屋上庭園太陽みたいなの見えてますが雨しっかり降ってました鳳凰祭新緑が眩しい黙阿弥さんの石燈籠初代の左團次さんと黙阿弥さんどんな会話したり関係だったんだろうなと思いながらお芝居の御礼を伝えてきました。(石燈籠に言っても伝わらないんじゃないかとか思っちゃだめ😂)行けなくても通えなくてもあっちもこっちも応援しまくりですでは、また!
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございますアメブロメンテナンスで昨夜更新するはずが寝落ちして出来なかった記事です🌸今回のメンテナンスで気づいたよ!私はアメブロが無いと落ち着かないよ!!!さて国立劇場で観劇のあとは(感想まとめ中!)紀尾井ホール(小ホール)に行き浮世絵で楽しむ邦楽大谷コレクション2江戸最後の大作者が描き出した人生のリアルとは河竹黙阿弥の世界行ってきました。チラシと会場配布のパンフレット(中に冊子入り)渡辺保先生と杵屋巳太郎さんが実業家・大谷米
さて、その後文化・文政期、歌舞伎専門の作家が現れた。瀬川如皇、河竹黙阿弥、鶴屋南北などがそうで鶴屋南北は「生世話」という作風(市井の底辺の人々の生活を描く)を得意とした。河竹黙阿弥は「白浪物」という盗賊が活躍する物語(雲霧仁左衛門みたいなかんじか?)を得意としたらしい。ただその頃天保の改革によって江戸三座(中村座、市村座、森田座)が日本橋から郊外の浅草に移転させられて、逆風に晒されることとなっていったそうだ。続く
2月24日(金)、第1部に続いて、第2部を見ました。最初の演目が、『女車引』。『菅原伝授手習鑑』の『車引』、その登場人物を女性に見立てて。松王丸、梅王丸、桜丸を、それぞれの女房に。千代を、魁春。春を、雀右衛門。八重を、七之助。「衣裳や小道具、鳴物などで『車引』の趣向を用いますが、一方で兄弟の争いという原作の深刻な状況を除いて、終始明るく陽気な雰囲気に溢れた作品となっています。」(『筋書』の『解説とみどころ』)ただ、こうした『趣向』に、あまりおもしろさを見い出せずにいます。で
2月24日(金)、歌舞伎座で、二月大歌舞伎の、第1部を見ました。河竹黙阿弥の『三人吉三巴白浪』。安政7(1860)1月、市村座での初演。その時の外題は、『三人吉三廓初買』。7幕物の、世話狂言。ただ、この題名と関わる、木屋文里と、吉原の遊女一重との物語は、ほとんど、上演されません。序幕大川端庚申塚の場二幕目第一場巣鴨吉祥院本堂の場第二場裏手墓地の場第三場元の吉祥院本堂の場大詰本郷火の見櫓の場「和尚吉三、お坊吉三、お嬢吉三と同じ『吉三』の名を持つ三人
ヤッホ~!帆足由美です。今回のブログは、昨日観てまいりました歌舞伎座第一部の感想を。歌舞伎座新開場二月大歌舞伎第一部『三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)』絵看板の写真、みごとに私が映り込んでる・・・(;^_^A第一部は、今年没後130年の名作者、河竹黙阿弥の「白浪物」の名作『三人吉三巴白浪』。「白浪物」とは、盗賊が活躍するお芝居です。節分の夜更け
今朝の横浜の空、どんよりと重い雨雲に覆われています。午前中は晴れ間があるのでしょうが、午後はにわか雨の予報です。さて昨日はこの季節にしては随分と暖かい中、午前中にJRで都内に出掛けました。行き先は歌舞伎座、「二月大歌舞伎」の第一部の観劇です。演目はお馴染みの「三人吉三巴白浪(さんにんきちざともえのしらなみ)」。「大川端」だけの上演もありますが、二幕目と大詰本郷火の見櫓の場まで、木阿弥の名作のほぼ通し上演。松緑の和尚吉三、愛之助のお坊吉三、七之助のお嬢吉三、それぞれの配役での上演は複数回観てお
第一部に続けての、第二部。14時15分開演。最初の演目は、『壽恵方曽我』。『曽我の仇討ち』。曽我十郎祐成と、五郎時致の兄弟による、仇討ち。父河津祐康が、所領争いがもとで、一族の工藤祐経に討たれてしまい。18年後の、建久4(1193)年5月28日、富士の裾野で、兄弟が祐経を討ち果たした事件。それを題材とした多くの作品。能にも、人形浄瑠璃にも、そして、歌舞伎にも。特に歌舞伎では、18世紀から、正月の興行は、曽我狂言で幕をあけることに。それだけに、おびただしい数の曽我狂言があります
1月16日(月)、『壽初春大歌舞伎』第一部を見ました。三部制に戻って、その第一部。最初の演目は、『卯春歌舞伎草紙』。『うどしのはるかぶきぞうし』と読みます。竹柴徳太朗の脚本。藤間勘十郎の振付。「都で名声を得た阿国が故郷に錦を飾り、村人と共に踊ることになり、阿国の一座の者と村人が稽古をしている場面から始まります。そこへかぶき者の佐渡嶋の左源太と右源太が現れ、皆の所望に応じて披露する踊りが最初のみどころ。ここへ村長が迎えにやって来て、阿国と山三の許へ向うように促します。場面が変わり、
ヤッホ~!帆足由美です。今月は本当に歌舞伎をよく観た月でした。昨日はそのフィナーレ。歌舞伎座の第三部を堪能してまいりました。歌舞伎座新開場十周年『壽初春大歌舞伎』第三部今月の歌舞伎座は、今年、没後130年を迎える歌舞伎の大人気作家、河竹黙阿弥の作品が各部で上演されています。新年早々、黙阿弥ならではの七五調の流麗な台詞回しに気分がよくなっている次第ですが、第三部の演目がこちら。『通し狂言十六
先週、何年ぶりだろう?初春大歌舞伎の第一部を見に行ってきた。新年の歌舞伎座の雰囲気は大好き。新年の艶やかさ満載でウキウキする(笑)気持ちにも余裕ができる。一幕目は絵巻もののような華やかで美しい歌舞伎踊り。どこ見てもワクワクしてしまう。見たいところがいっぱいで目が泳いでしまった…しかし、、、残念なことにめでたい焼きは今月も食べられなかった。歌舞伎座ではこれが私の観劇のお供なのに(笑)二幕目は『弁天娘女男白波』今年は河竹黙阿弥の没後140年。ちょうど今日、1月22日がご命日。