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歴史検定を受検するのに日本史の人物事典をみていたら、深掘りしたい人物発見❗️伊東潤さんの「江戸を造った男」歴史小説です。読書マラソン14冊目江戸時代の商人の史実をもとに書かれた小説。現代にこんなリーダーシップが取れる上司や管理職がいたら…とそんな事考えながらの読書タイムになりました名は「河村瑞賢」プロフィールは江戸時代、伊勢の貧しい家に生まれ、江戸に働きにでて、のちに材木商に。1657年の明暦の大火時、誰よりも早く、材木が必要になると考えつき、瑞賢は一人、危ない
■盆明けの「江戸前の野菜」の話昔は野菜が苦手で、大分苦労しました。特に小学校の給食では。「全部食べ終わるまで、そのままでいなさい!」のように言われて、野菜の残った食器を机に置いたまま午後の授業に突入したこともしばしば。強情でしたから。今にして思えば、給食のおばさん方(田舎の学校だったのもあり、近所の方が学校内の調理室で給食を作ってくれていました)には、ご迷惑をお掛けしただろうと思えます。ごめんなさい。それほど苦手だった野菜で
野田城周辺散策の跡はまっすぐに南下し大阪中央卸売市場に向かいます。歩いているとまたまた素敵な下町の路地がありましたここをまっすぐ抜けると市場に出ますが入り口には少し回り込まないといけません。そして市場内に突入して飲食店があるエリアに向かう…市場の飲食店は閉まるのが早いのでけっこうギリギリの時間だったお寿司屋さんや中華料理屋さんなどがあります。お寿司屋さんで鰻丼を食べた😊😊茶碗蒸し・赤だし付きで¥2500くらいだったかなぁ久々にちょっと贅沢した。うまかった。鰻重はもう少し高かったなぁ…ボ
(東京都豊島区池袋)最近、なぜかどの句会も人が増えて来て嬉しい限りなのだが、唯一、池袋の谷端川句会だけ人数が減少している。今日はなんと6人…、かつては10数人いたのに実に寂しい。いい作家が多く、レベルが高い句会だけに残念だ。こういう句会に参加してくれれば、刺激を受けてすぐに上達すると思うのである。担当の荘司さんが50代の若さで急逝されてしまったのも大きい。この句会はみらい館大明というNPOが運営していて、募集などもNPOが定期的に豊島区の区報などに掲載してくれていた。以前は
2025年3月24日(月)第4,601話こんばんは素敵な1日を過ごされましたか?今夜もいつものように1杯1日を振り返りながら自分を癒してくださいませ種を蒔かなければ永遠に芽吹かないこの本をご存知でしょうか?「江戸を造った男」徳川家康じゃないの?とかちょっと詳しい人なら太田道灌じゃないの?とツッコミが入りそうですがこの本曰く河村瑞賢江戸時代の政商です政商を調べると政府つま
今まで一番感謝していることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう良い事、悪い事ありましたが、全てにサンキューです特に悪い事は生きて行く上で、後々の自分に降りかかるマズイ事をかわせる知恵を、養う事ができました✨二十代後半から、誰にでも言い返す様になってしまった…はいツーリングに行って来ました🏍️場所は…三重県の度会(わたらい)、南伊勢にある…河村瑞賢(かわむらずいけん)公園の、河津桜を見に行きました🏍️朝5時半スタート🏍️高速に乗り、休憩入れつつ8時前
華やかなりし。河津桜の花の色。このピンクは、たくさんはいらない。10数本あれば十分。ソメイヨシノの、そう、白いピンクの花吹雪の、桜花が待ってるから。舞って散って花吹雪。4月になったら、どこへ見に行こうかな。河津桜は前座のような気がしてならない。昨日、河村瑞賢公園へ行った。正確には連れってもらった。河村瑞賢、知りませんでした。小説「江戸を造った男」読んでません。その生誕の地、南伊勢。小高い山のお寺に
今日からお休みだから、朝ゆっくりしてやる!と意気込んでいたのに、目覚ましを切るの忘れて起こされましたちょっと、悔しい…そこで、思い切って起きて朝から読書📖左は漫画、私と同じアシスタント業務の先輩から貸していただきました明治初期の日本を冒険した英国人女性探検家イザベラ・バードさんの話です私は近代は全然わからないので、このかたのことも、描かれていることもほとんど知らなかったことばかり昨夜から6巻読了してます(お借りしたのは11巻)右は小説、正職員の方からお借りしました江戸明暦の
新潟駅→特急いなほ号2h→酒田駅2km2008年11月開業2024年3月15日リューアルオープン山形鶴岡産石臼挽き小麦粉(月山の粉雪)使用のパンと北海道よつ葉乳業のバター太田舟二シェフMichelTramaやパリStellaMaris(吉野建氏)→山根紳作氏一緒(2021.10.26参照)庄内産鯵ビネガーマリネと桃🍑マロウ(ウスベニアオイ)の花黒バイ貝・原木椎茸・ニンニクバターの竹炭コロッケ、パセリのピュレと粉山形産雪若丸と雲丹玉蜀黍のリゾットコンテチーズ、道産
さらに伝説の義経を追う。『蝦夷志』は、日本最初の本格的な蝦夷地の地誌で新井白石(1657〜1725)が1720(享保5)年に作成したものだ。白石はこの書に、アイヌ人が義経をまつり、これをオキクルミと呼んで神として崇めていると書いている。彼はこの書にもうひとつ重要なことを書き残している。蝦夷地の西部の地名に弁慶岬というのがある。一説によると、義経はここから北海を越えて去った。彼はどこへ去ったのか。伝説の義経が、蝦夷地から大陸にわたるルートは3つの説があるという。まず、日本海側の
何だか猛暑日続きで全く実感がないが、9月である。先週、帰宅したときに靴下に黒い物体がくっついていて、ギャーッカナブン…と思ったら、コオロギでした秋の虫の声は聞こえてきているから、ゆっくり季節は巡っているんだけど、五郎さんのおっしゃるとおり、今年は夕方にツクツクボウシの声を聞いていないなあ実は8月の最終週が夏休みだったので、運転免許の更新に行ってきました。近くの警察署だと即日交付じゃないので、免許センターまで。バスを乗り継ぐけど、何とか1時間以内で行けるし。…どういうわ
前回の記事で、今回の瀬戸内旅行で、日本の歴史の重要な本質に気づいたことを示唆した。これについて、同じく気づいた自分自身の歴史観へのバイアスについてもセットで、前後半2部構成で書いてみる。瀬戸内旅行は、車・船便・電車・高速バス・徒歩タクシーの組合せで、大雑把に、1日目呉→(とびしま街道経由)岡村港→(船便経由)今治港→日帰りでトンボ帰りし、岡村港→呉→広島2日目広島→宮島・厳島神社→広島市街→(高速バス)出雲3日目出雲大社→松江市内・宍道湖4日目(早朝のみ)出雲市街となっ
新川地区を探索中越前掘児童公園にやってきたこの辺りにかって越前福井藩中屋敷がありぐるりと(三方を)堀囲われていたため、通称「越前堀」といわれたそうです堀の護岸は石積で、積荷の小舟が通れるようになっていたそうですが関東大震災の後、大部分が埋め立てられ残っていた部分も戦後、完全に埋め立てられたそうですやがて、永代通りの新川一丁目交差点付近へ交差点脇に、「河村瑞賢屋敷跡」の案内河村瑞賢は伊勢国の農家の生まれ、江戸に出て材木商人となり明暦3年(1657年)の大火の際に
山形県の一皿が完成。かなりてまひまかかったモノになりました。山形県は日本三大急流のひとつである最上川が流れています。その流れの激しさに、江戸時代の俳人である松尾芭蕉が、「おくのほそ道」で「五月雨(さみだれ)をあつめてはやし最上川」と詠んでいます。その最上川の上流部に位置する米沢盆地で飼育された米沢牛。米沢牛はブランド牛で値がはりました。(笑)米沢牛、山形牛と山形県はブランド牛の産地になります。最上川の下流に広がる庄内平野でとれたお米、はえぬき。はえぬきは
こんにちは。三連休のど真ん中、皆さま如何お過ごしでしょうか?私はいつもと同様、祝祭日は関係ない稼働ですので、いつもと同じペースでやっとります、ハイ。今回は戦国の御仁でもなければ、武人ともいえないお方でございますが、どうぞご容赦くださいませ。では、よろしくお願いします。河村瑞賢(河村瑞賢公園)河村瑞賢さんは江戸時代初期の豪商。元和の生まれですので、家康さん没後すぐにご生誕という感じでしょうか。土木工事や材木屋で財を成し、その後、幕府の公共事業に携わることになったそうです。特に海運
今年は河村瑞賢が日本海、瀬戸内海を経て大阪に至る航路を擁立して350年の年に当たるという。演歌界の大御所五木ひろしさんが北前船という新曲を北前船寄港地フォーラムin秋田で発表という酒田市民の私にとって喜ばしいニュースがyahooニュースを見てたら書かれていました。北前船や河村瑞賢と言えば日和山公園(酒田市)に河村瑞賢の銅像が、そして、北前船(日和丸)の模型が酒田にとっても、北前船は、きってもきれない縁なのである。でも、青森県鯵ヶ沢、深浦、野辺地に行くには、秋田を通らないといけな
一昨日妹と4時間ほど夜中に電話してましておかげさまで寝坊してリハビリをサボりました病院にお休みの電話してまた寝てしまいまして英会話レッスンにギリギリセーフで駆け込みその後エステ行って爆睡しましたおはようございます〜〜〜どんだけ寝るんだって話です昨日はアメ限記事を挟んでしまって〜クイズの答えが遅くなってしまってすみませんでした春色ピンクといえば〜桜かな〜って感じで〜〜あの鯛のオブジェは三重県のものだってわかっちゃうと〜この時期咲く桜といえば〜河津桜ってこと
岡田将生“聖地”は伊勢神宮「パワーをいただける」(オリコン)-Yahoo!ニュースYahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN俳優の岡田将生が28日、都内で行われた映画『聖地X』完成披露試写会に登壇した。タイトルにちなみ、自身の“聖地”を聞かれた岡田は毎年、参拝している「伊勢...こころのふるさと伊勢の思い出募集-時事ドットコム時事ドットコム公益社団法人伊勢市観光協会].あなたの記憶の中の伊勢はどんな姿でしょうか?<下へ続く>.伊勢旅行リピーターの方の伊勢の思
本日発売の週刊大衆。日本史ミステリー捜査隊は、江戸時代の商人で航路開拓者の河村瑞賢の特集です。原作/跡部蛮挿絵/萩山明日香次回の掲載は、10月11日(月)です。日本史ミステリー捜査隊をよろしくお願いします。
日和山公園にやって来ました。「日和山公園」は、古くから「酒田」のシンボル公園として親しまれています。「酒田湊」に出入りした船頭衆がここから日和を見て出航の判断をしたことから、「日和山」と呼ばれました。桜の名所でもあり、毎年4月中旬には「酒田日和山桜まつり」が開催され、ソメイヨシノなど約400本の桜が咲き誇り、夜はボンボリでのライトアップも行われます。園内には、日本最古級の「木造六角灯台」や「方角石」、往時活躍した「千石船」などがあり、港町の風情を醸し出して
『近畿の地質的景観』第2回<上町台地>上町台地は大阪平野を南北に伸びる丘陵地・台地である。縄文~室町時代の上町台地周辺は、埋め立ても少なく自然の土砂の堆積で遠浅になっていきました。江戸時代から大地の西側が、埋め立てや安治川治水、大和川すげ替えなどの土木工事が盛んになりました。・「梅田」:大阪駅界隈の大阪の顔。何故,「うめだ」と言う名前?⇒浅瀬を埋め立てたので「埋めた」→「うめだ」。・「大坂城」:大阪のど真ん中の城。何故,本願寺や大坂城がここにあったの?⇒北東西が遠浅の海や湖で囲まれ
●オススメ本『江戸を造った男』こんにちは!変革メンタルコーチKAORIです。→初めての方はブログ総合目次へどうぞ♪あなたの隠れている魅力度がわかる「ブラックテスト」はこちら歴史小説を久しぶりに読みました。そんなに期待していなかったのですが、けっこう分厚い本ですが、感動しながら、一気に読んじゃいました^^この本です♪歴史小説の大家、伊東潤氏による『江戸を造った男』という歴史小説。
6月28日月曜日~その514時半から16時まで四度寝。首のストレッチ。四股10回。体重67・5キロ。飲料は、Coop's毎日続けるカルシウム、のむヨーグルト、GREENDAKARAすっきりしたトマト、松谷化学希少糖含有シロップレアシュガースウィートを加えたアメリカン珈琲。八千蜜屋国産純粋蜂蜜を口に含む。HDDをチェック。(写真)CD-BOX『河内家菊水丸大全集新聞詠み&古典ネタ三十五席十枚組』DISC9~1.「元禄繚乱大石書き損じ掛け軸」2.「伊勢侠客伝神戸長吉」3.「河
6月20日日曜日~その7(写真)CDシングル『豪商河村瑞賢物語』河内家菊水丸(H11年6月10日ロックレコード)をモニター。レコーディングは、5月19日八尾市文化会館プリズム練習室。★外題・153★小品・73★まくら唄・21★ご当地音頭・2★河内音頭以外の歌・24★甚句・2★カラオケ・22★カバー・5
満開の海津大崎の桜。雨模様で観光客も少なく、ゆっくりと楽しめた。4月4日日曜日。予報が的中して小雨が降っている。9時10分家族の見送りを背に、宿泊したルポゼマキノを出発。孫たちは子供の王国が楽しかったようで、午前中はそこで遊ぶという。マキノは8日目にマキノサニービーチ高木浜まで歩いているので、2kmほど重複するが、12時には皆と合流する大浦園地に着くことが出来そうだ。マキノ町は合併されて現在は高島市となっているが、町名として残されている。もともとは、昭和30年(1955)海津、剣
幕府は1年後、今度は出羽国最上郡の直轄地からの御城米の回漕を依頼した。江戸に遁ぶには津軽海峡を経由して東廻り航路を使えば距離は短くなるが難所か多く、安定輸送は困難なため、日本海を西に進む航路を検討した。瑞賢は本州の西端・下関を経由する海路を検討。最上郡から日本海側の出羽国酒田(山形県酒田市)に運び、ここを起点に佐渡島、能登半島、但馬国(兵庫県北部)と日本海を西進し、下関へ。ここから瀬戸内海に入り大坂に届けた。江戸へは大坂から紀伊半島を回って、太平洋を西進し下田を経て入った。江戸まで約3
大阪平野は大小の河川が流れ込み、古来、水害に悩まされてきた。そこで江戸時代前期、治水事茉を展開し、大坂の水害防止に貢献したことで知られるのが江戸の豪商で土木家の河村瑞賢だ。冶水工事で生まれた新たな水路は、船運に貢献し、商都・大坂の発展を支えた。瑞賢は本州の大半をカバーする航路を初めて開発し、物流を飛躍的に砿大することにも貢献しており、その多彩な活動から、国土開発の先駆者だったといえそうだ。「琵琶湖に端を発する淀川は上流から流出する土砂が滞留して、川底が高くなって氾濫する。淀川が海に注ぐとこ
これからは江戸よ。まだうすひげも生えないような13歳の若者は、伊勢国東宮村の故郷をあとにした。貧農の子だったというが、長男だったので口減らしに家を出たのではない。父がこの子の才智を見込んで、次男に家を守らせることにし、江戸に向かわせたという。時に徳川家光の治世である。名を十右衛門といった。十右衛門は江戸へ出て、車力になった。車力とは、大八車を牽いて米俵やあらゆる物資を運ぶ労働者である。いまならさしずめ軽トラの運転手といったところだろう。しかし、この車力生活は細々としたもので、あ
3月6日土曜日~その8(写真)続いて聴いたのは、浪曲カセットテープ『河村瑞賢翁立志伝』真山一郎(H元年キングレコード)です。(写真)H元年6月18日、真山師匠が河村瑞賢生誕地の三重県度会郡南島町の体育館で開催の『第八回河村瑞賢顕彰祭』で此の外題をご披露された際の広報なんとう7月号掲載記事。(写真)それから10年後、伊勢音頭保存会畑嘉也会長を通じて没後三百年記念事業の一環として河内音頭版『豪商河村瑞賢物語』の制作依頼を受けて、ロックレコードよりシングルCDでの発売が決定。レコーディ