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言わずと知れた現存12天守のひとつ市街地から見上げると思った以上の威圧感生まれた場所から最も近い現存天守なのに58年、城好きになってからも46年かかっちまった石垣も各年代の各種をみることができます。総石垣でないのは丘自体が急斜面だからなのでせふ。あんど予土国境の城として室町期から元和まで存続していた…だってさ!此処も落ち着くわぁ〜石垣が出土したという情報だったが……うん、ドンマイまあこれだけの範囲をほぼ全面発掘し、成果を表示していることはスバラシイの極みです。
TOP-名所・旧跡-愛媛県-北宇和郡松野町-河後森城(かごもりじょう)「続日本100名城」めぐりで愛媛県北宇和郡松野町の「河後森城」を訪れた。城名河後森城愛媛県北宇和郡松野町富岡Google地図緯度,経度33.225068,132.708330別名河後森城、川後森城城郭構造山城天守構造有り、後に宇和島城月見櫓へ転用築城年代【伝】建久7年(1196年)築城主渡辺氏、(主な改修者)伊達氏主要城主渡辺氏、戸田勝隆、桑折氏廃城年元和元
11月の三連休急遽おとぉが学生時代過ごした愛媛県松山市でプチ同窓会があるという事で旅行をかねて行ってきました(私は同窓会に参加してません)この日2つ目のお城は河後森城(かごもりじょう)続日本100名城です中世の山城跡⛰️駐車場🅿️にパンフレットがありますので登城前に頂くといいです📖道中こんな感じです登りやすく足元は整備されていますステッキ持ってゆっくり登って15分くらいかな?西第十曲輪こちらにスタンプあります本郭か
河後森城のページ-松野町公式ホームページwww.town.matsuno.ehime.jp発掘調査!河後森城-松野町公式ホームページwww.town.matsuno.ehime.jp河後森城(続日本100名城)|日本100名城ガイドwww.100finecastles.comナビに従って、愛媛県北宇和郡松野町の河後森城跡駐車場に着きました。すでに、数台停まっていました。谷間にあり、案外広い駐車場でホッとしましたが、陽が沈むまでに登城しなければと
山城の河後森城跡を登城後、いつものように天然温泉に浸かりにいきました。近くに『森の国ぽっぽ温泉』が、JR松丸駅にありました。森の国ぽっぽ温泉poppoonsen.com駅前河後森城跡を下って、JR松丸駅方面に向かって移動するときの町並みは、愛知県でいう豊川市の赤坂宿のような風情。または、有松宿。写真を撮りたかったんですが、電池切れすれすれで。昭和の風情そのものが温存されていてとても貴重だと思いましたが、もうあと数年で様変わりしてしまうかも。日野正平さんの『
さて三日目は愛媛宇和島までロングドラブ現存の宇和島城は以前攻城済みなんで今回は伊予と土佐の境にある河後森城です。山城あるある登城口から攻めます3つの川に囲まれた河後森城ですが、築城年代は不明だそうです。1500年後半期には機能してたとか井戸。要所要所に地元小学生がストリートビューを作成してます虎口。掘立柱建物でスタンプを頂きました。中にも小学生作成の説明ボードがずらりとちと分かりにくいですが堀切です。本郭。土塁の山城なんですが右側に石垣もありました眺めは最高です。古城居所跡。
令和7年(2025年)2月11日㈫建国記念の日㈷「令和7年2月中旬の旅」1日目はJR四国・予土線の松丸駅から歩くこと1km、続日本100名城に選定されている河後森城跡に来ました。※この記事の続きです。『令和7年2月中旬の旅⑤河後森城跡へ行った(前編)』令和7年(2025年)2月11日㈫建国記念の日㈷「令和7年2月中旬の旅」1日目は四国フリーきっぷを使用。宇和島から上り下り予土線に乗り松丸で下車。…ameblo.jp※河後森城(かごもりじょう)愛媛県北宇和郡松
令和7年(2025年)2月11日㈫建国記念の日㈷「令和7年2月中旬の旅」1日目は四国フリーきっぷを使用。宇和島から上り下り予土線に乗り松丸で下車。4018D宇和島1415発江川崎行きは松丸1502着愛媛県内は数日前に降雪、ホームに残る雪※この記事の続きです。『令和7年2月中旬の旅④宇和島〜松丸』令和7年(2025年)2月11日㈫建国記念の日㈷「令和7年2月中旬の旅」1日目は四国フリーきっぷを使用。下り予讃線に乗り宇和島に来ました。松山から…ameb
昨日は妻が休暇を取り、また西予市の妻の実家へ。先日やり残したことがありましたのでまた行きました。その前に帰り道のピースポ伊予店でトレーニング。筋トレだけです。アブドミナルチェストプレスレッグエクステンションレッグカールアダクターアブダクター懸垂で終了。西予市に行く前に、ちょっと足を延ばして松野町へ。道の駅で妻が買い物などしている間、私は河後森(かごもり)城に行くことに。川の向こうの山が河後森城この川は四万十川の支流で
昨年11月、書店に並ぶ「歴史群像」12月号を手に取りました。表紙を飾るのは「トラック基地の壊滅」の記事。書いているのは、「宮永忠将のミリタリー放談」を配信するミリタリーライターの宮永忠将さんです。華々しい艦隊決戦が起きたわけでもない「トラック空襲」は、調べても油断していた日本海軍がアメリカ太平洋艦隊によって一大拠点のトラック諸島を壊滅させられたといったことくらいしか分からないこともあり、書籍化した記事を読むのは初めてでした。歴史群像2024年12月号[雑誌]Amazon(アマ
毎年のように訪れて、あたかも定点観測の様相を呈している感のある河後森城ですが、2024年2月の四国旅でもしっかり旅程に組み込みました。しかも河後森城を最優先に、雨がちな旅程の中で数少ない「曇り」の日を選んでの訪城。井戸からはたくさんの蛙さんの声が(やばいくらいに)聞こえ、馬屋には今も紙のお馬さんが健在・・・っていうのか?(笑)木製の構築物の中には傷みが激しくなったものもあり、最も整備された西第十曲輪から山上の曲輪群へと接続していた木の階段は通行禁止になっていました。ここは別途
2024.09.27夏の間、暑さに負けてなかなか行けなかった続100名城めぐり。秋の彼岸も越えれば涼しくなるだろうと9月27〜28日で愛媛県の河後森(かごもり)城と高知県の岡豊(おこう)城2城を巡る旅を計画。中部国際空港から朝一の便で松山に飛び、予讃線の特急「宇和海」に乗って宇和島に到着したのが正午近く。お城の最寄駅は予土線の「松丸」駅だが、あいにく乗継が悪いため、路線バスで松丸駅に向かう。到着は12:50。駅には河後森城のジオラマが展示されている。この城は藤堂高虎や伊達秀宗の付家老
宇和島市のマンホールカードをいただき、観光をしたりランチを食べました。『宇和島市のマンホールカード〜きさいや市場でランチ(24.7.28)』西予市卯之町で観光をしたりマンホールカードをいただきました。『西予市のマンホールカードに43番札所明石寺(24.7.28)』1日目は松山市で宿泊し、2日目は松…ameblo.jp宇和島駅に戻りました。予土線三兄弟の顔出しパネルがホビートレインには乗ったことあります『0系新幹線そっくりな鉄道ホビートレイン(2016.12.25)♪』去年1
うるう年の逆打ち遍路はご利益が3倍あるといわれる四国八十八ヶ所を、夫婦で車中泊しながら3/26~4/15の21日間かけて巡礼し、ついでに日本100名城、続日本100名城、道の駅、温泉に寄りました。1日目(3/26)は、岡山県の自宅から瀬戸大橋経由で四国へ渡り、香川県の道の駅「ながお」で車中泊2~6日目は、香川県(涅槃の道場)の88番→66番札所(23ヶ所)と愛媛県(菩提の道場)の65番札所(1ヶ所)参拝、日本100名城の高松城と丸亀城の見学7日目は、愛媛県(菩提の道場)の64番→60番
もう4月を迎えるというのに・・・。伊予国の初日の出今年の城初めは伊予国「河後森城」からです。「続日本100名城」になります。南予も冬の朝は寒い。「河後森城」の縄張りを確認し、朝駆けをします城の築城の年代は不明ですが、主に天文後期から永禄期、天正期(1500年代後半頃)にかけて機能していました。当地域は当時、伊予(現愛媛県)と土佐(現高知県)の国境地帯にあって、黒土郷河原渕領(くろつちごうかわらぶちりょう)と呼ばれていました。永禄期の城主としては、河原渕教忠(かわ
▲河後森城跡(かごもりじょうあと山城)愛媛県北宇和郡松野町松丸汗だく💦▲案内マップ車は風呂ヶ谷駐車場まで入れます大型バスも駐車可城の築城の年代は不明ですが主に天文後期から永禄期天正期(1500年代後半頃)にかけて機能していました伊達秀宗が宇和島藩を創立した際に付家老の桑折氏が居城した城です四万十川の支流広見川その支流の堀切川・鰯川の三つの川に囲まれた独立丘陵上にあって最高所の本郭を中心として山の稜線部には馬蹄形に曲輪(くるわ:平地)が展開しています▲真っ
続日本100名城愛媛2城城盗り&道の駅・美景巡りドライブ④こんにちは四国・愛媛のドライブ3日目は、いい天気です。城盗り日和かな~河後森城へ行くまでに、道の駅を4ヶ所巡りしてスタンプと切符を収集します。(道の駅については次に投稿予定)国道から県道を走行していると、ガードレールに河後森城への矢印標識を見つけ、指示通り脇道に・・・。脇道にも河後森城への標識があり、わかりやすく順調に登城口の駐車場に着くことが出来ました。▼県道8号から脇道に
⭐️河後森城(愛媛県北宇和郡松野町松丸)西第十曲輪🍀全城制覇まであと33‼︎
前回↓の続きです。(大洲城)『愛媛の旅2023③(大洲城)』前回↓の続きです。(大洲神社参拝♪〜盤泉荘)『愛媛の旅2023②(大洲神社)』前回↓の続きです。(みきゃんパーク梅津寺)『愛媛の旅2023①(みきゃんパーク梅…ameblo.jp大洲城→河後森城に移動。移動中、雨が降ったり止んだり、、場所に寄っては大雨(;゚Д゚)!河後森城跡案内マップ☆駐車場に着いた時は、小雨?雨の中での登城スタートです。先ずはスタンプ設置場所である西第十曲輪に向かいます。(続日本100名城)ついさっ
全国お城の「石・石垣シリーズ」もいよいよ最終コーナーとなってきました。『「石」の使われ方』において只今は、「石積み(石塁・石列)」が見られるお城をご紹介しています。本日は、「四国地方③」(四国地方は③まであります)で「引田城」は「続日本100名城」です。「石積み(石塁・石列)」は、「石垣」とは区別して分類していますが、この区別は見た目ではなかなか難しいと思っています。というのも、「石垣」は石を積み上げていきますが、その際に石の裏側に「裏込石(栗石)」や「土」を入れて排水を良くす
朝食スープやフルーツが美味しかったです大洲城🏯大洲城はキャッスルステイが出来るんです1日城主🏯1泊2日2食付きで2名で110万円お城好きなパパを泊まらせてあげたいけど絶対無理だわ…宇和島城🏯2種類の積み方の石垣道の駅みなとオアシスうわじまきさいや広場パパがまたじゃこ天を食べたがったので寄りました河後森城🏯地元小学生達の説明案内板が良かったです高知城🏯山内一豊公像板垣退助像山内一豊の妻・千代像サウスブリーズホテル高知海月🏨お部屋シングルルーム、大浴場は小さめでし
大善寺から河後森城跡に移動です。85km1時間半に移動です。初めはこの河後森城跡を見落としていたんですがGoogleマップで再発見して行っています。ここを後から来ようとするとえらい目に遭うところでした。城の歴史城の築城の年代は不明ですが、主に天文後期から永禄期、天正期(1500年代後半頃)にかけて機能していました。当地域は当時、伊予(現愛媛県)と土佐(現高知県)の国境地帯にあって、黒土郷河原渕領(くろつちごうかわらぶちりょう)と呼ばれていました。永禄期の城主としては、河原渕教忠(かわらぶ
朝、宇和島を出発して出向いたのは河後森城跡天守はなく遺構のみの城跡となります。元々あった天守は宇和島城の櫓に転用されたようです周囲を四万十川の支流広見川、鰯川に囲まれた丘陵の上にあり、馬蹄型の城跡は自然をそのまま活かした縄張りです。伊予と土佐の国境にあることもあり一条氏と長宗我部氏とが幾度と戦闘を繰り広げたところでもありますあいにくの小雨で登山道もぬかるみ、行軍にはなかなか苦労させられました(笑)御城印は松丸駅近くの芝不器男記念館で購入出来ます疲れた兵を癒やすべく松丸
先日(10/18)、芝不器男記念館と河後森城資料館に行きました。(=^x^=)
先日(10/18)、続日本100名城の河後森城に行きました!(=^x^=)
シリーズ「2022秋_いよ旅」はいよいよ最終回。1泊旅の物語は短いものですね。前回ランチを頂いた、宇和島の市街地からクルマで30分ほど移動。愛媛県南部の「松野町(まつのちょう)」までやって来たよ。四万十川の支流の一つである広見川の中流域に位置し、森林が全面積の84%を占め、国立公園「滑床渓谷」を有している町。広見川の橋の上から、これから訪問する山城、「河後森城(かごもりじょう)」の方向にカメラを向けてみた。「河後森城」の風呂ヶ谷駐車場が見えてきたよ。駐車場近くの案内マップを確認
愛媛県城巡り二日目続き宇和島で宇和島城と鯛飯をいただきエネルギー充填して向かったのがJR松丸駅。そこから歩いて向かったのが河後森城愛媛県北宇和郡松野町松丸続日本100名城戦国末期には西園寺十五将の渡辺教忠が城主でしたが家臣の芝源三郎に追放される。その後四国征伐してきた小早川隆景に追放される。藤堂高虎、戸田勝隆を経て伊達秀宗家老の桑折氏の居城となるが一国一城令で廃城に。現存は曲輪、土塁などが残ってます。歩いて20分風呂ケ谷駐車場。ここから時計回りで登っていきます西十曲輪ここから
筆者がここ10年くらい積極的にお城巡りを行えるようになった背景には、筆者が単身で全国各地に飛び出していくのを笑顔で送り出してくれたり、ともすればお城一色になりがちな夫婦旅に「まーハイキングだし」と割り切ってついてきてくれる嫁の存在があまりにも大きいのですが、そんな嫁のお気に入り三大山城が向羽黒山城、新高山城、そして河後森城なのだそうです。曰く「訪れて気持ちがよいお城」ということのようですが、お城という場所が持つ独特の空気感というのは誠に微妙で、戦があったという記録もないのになんとなく澱んでいるよ
おはようございます、たけちです。あっという間に6月最終週の土曜日、みなさん、いかが過ごされますか?たけちは、今日は京セラ美術館でポンペイ展を見に行ってきますさて、今日は続100名城河後森城を紹介します。『四国は遥かなり(その3河後森城)』おはようございます、たけちです。微妙に降りそうで降らない空を見上げる日曜の朝、みなさん、いかがお過ごしになりますか?今日は、いい天気になるそうなので、たけ…ameblo.jp【井戸跡】河後森城は中世山城で1196年に築城と伝わ
おはようございます、たけちです。微妙に降りそうで降らない空を見上げる日曜の朝、みなさん、いかがお過ごしになりますか?今日は、いい天気になるそうなので、たけちは、午前中運動して、午後はゴロゴロしますさて、今日は、「四国は遥かなり」その3、宇和島城への登城を終えたたけち、次の目的地の続100名城河後森城を目指します。『四国は遥かなり(その1宇和島までの長い道のり)』おはようございます、たけちです。6月最初の日曜日、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?昨日、たけちは、神戸市の「