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ゆのです近鉄大阪線の長距離急行に乗車しています(2024年3月19日撮影)電車は布施駅を出発近鉄大阪線は大阪上本町駅が起点で近鉄奈良線が布施駅を起点としていますが、近鉄奈良線は大阪難波駅発着となっており、大阪上本町から布施は近鉄大阪線と扱っていますね八尾市内に入り、駅周辺は栄えているんですが急行はスピードを上げています電車は近鉄八尾駅を通過名鉄ならこの駅は急行はおろか特急や快速特急が停車するレベルですが、近鉄電車の遠近分離方針はこの駅を通過してしまいますなお準急は近鉄八尾、河
※今回の写真は私のではありません私のとあるお友達が、この暑い中、大阪へ旅をしてきたとのことで、今回はその提供して頂いた写真を。私が行ったことがない場所なので、詳細はグーグルマップでの確認とお友達から情報を教えてもらいました。正確には、大阪府柏原市にある、とある寺院へ行きましたとさ。近鉄大阪線の河内国分駅(急行以下の列車が停車)を降りたそうで。※この記事はワケあって予告なしに非公開にする可能性がありますまずこの建物は、『神慈秀明会玉手山支部』という所みたいです。
大阪線は、高安-恩智間で13時41分頃に発生した交通事故に伴う警察による現場検証のため、大阪上本町~河内国分間の上下線で運転を見合わせています。現在のところ運転再開の見込みはたっておりません。
社民党の朝の宣伝は、近鉄河内国分駅前で行いました。宣伝の訴えは、①秋の国会の旧統一教会による救済法の成立と与野党を超えた動き、②柏原市議会12月議会の報告、③来年に向けた取り組みです。救済法案は、参議院議員選挙後の国会で社民党と立憲民主党、日本維新の会の3党がすでに共同で議員提案で提出していることを明らかにした上で、内閣の法案も不十分ながら提出されて、共産党とれいわ新選組を除く賛成多数で内閣提出の法案が成立したことを述べました。私は、救済法が旧統一教会から被害を受けている信者や元信者の
近鉄河内国分駅西側の国分西商店街主催のおいなーれ国分が、3年ぶりに再開しました。おいなーれ国分は、11月のはじめから19日まで同商店街のQRコードのポイントを一番集めた方の発表すると同時に駅前付近の駐車スペースで販売のためです。近所の市民が、3年ぶりの開催に賑わいました。
5月2日月曜日、以前から気になっていた、玉手山を走りにいきました。近鉄ではなく、JR大和路線で、高井田駅までやってきました。その方が、乗り換え回数も少なくて。電車賃が安いんやろがっそ、そういう意見もあります。スタートは、10時20分。ハリキッて、いきましょう!ハリキッて、駅の階段を下りましてからの。ハリキッた、スタートです。いつもの、ポンコツアル中じじぃにしか、見えんけどなっ以前にも、ご紹介していますように。高井田駅前ロータリー横には、病払いの神様がおられます。もちろん、
ここ数日、めっちゃくそ寝ましたどんだけ寝るねんってぐらい昨日なんか、モルちゃんのお世話する時間以外ず~っと寝てましたお仕事休みだったのにどこにも出かけなかった・・。でも、そんな日が有っても良いよねって思ったお陰様で首、寝違えましたこんにちは味醂です{記事ストック有ってよかったwwさて、今回は国分神社を出てテクテクと河内国分駅まで戻り、反対方面へ12号線って歩行者には余り優しくない所が多いので車に気をつけながら途中、山手の細い道を上がっていくと見えましたコチラが
寒い季節は何だかんだと理由をつけては家から出なくなりがちですよねでも、外を歩いていると雲の晴れ間の暖かさに幸せを感じたり出来るのでやっぱり引き込もってばかりいないで出かけようおはようございます味醂です{ささやかな幸せ🍀むかしむか~しは大きな寺院が有ったらしい柏原市。その名残りからか、石垣が沢山あって古い建物も多くて・・長閑で風は冷たいけれど穏やかでそんな建物の屋根には猫ちゃんが日向ぼっこあっ気づかれたです{ゴメン邪魔した💦で、ふと見るとその建物が歴史的建造物だっ
天湯川田神社は、宿奈川田(すくなかわた)神社から北西へ300mのところに鎮座されます。青いマークは天湯川田神社緑のSマークは宿奈川田神社地図で見ると高井田公園の中に鎮座されているのですが、公園といってもいわゆる「公園」の姿はなく、丘があるだけです。途中まで登ると踊り場的な平地があり、左に折れて再び登ります。鳥居の真下に白鳥の像がありました。なんで参道の真ん中に白鳥の像が置かれているのだ
近鉄大阪線:河内国分駅からの眺め。駅舎。河内国分駅から東へ1.5㎞のところに、河内国国分寺跡(青いマーク)があります。宿奈川田神社は、JR高井田駅のすぐ前に鎮座されています。駅から北へ300mのところに大和川が流れています。大和川の源流は桜井市貝ヶ平山で、上流部は初瀬川と呼ばれます。長谷川です。住んでいるところのすぐ近くを流れる川を、遠く離れた大阪府柏原市で眺めるというのは、やあ、久しぶり!みたいな、なんだか奇妙な感じがします。大
まいどおおきに!いつもの一日遅れのブログ更新どす(^^ゞ昨夜はパソコンデスクの前で寝てたzzz・・・気がついたら夜中で慌てて布団に入ったわ(^^ゞ余談やけど、浅田真央ちゃんがCMしてる”エアーウィーヴ”を2週間ほど前いっちゃん安いやつをネット通販で購入した寝心地が全然ちゃうねん!布団の上に重ねるように置いてるんよ7年保証やし、長い目で見たら安いかな?話が逸れたけど、動画のアップロード中に寝た日曜日っていつも遅い目覚めなんやけどいつも通りに6時起床で朝食7時台のバスに乗
今日から11月、2021年も残り2ケ月となりました。10月に入って急に朝晩が冷え込み、秋だなぁなんて思っていたら、また日中は暖かいというより「暑い」と感じる日もあったりで、これもラニーニャ現象の前触れなんでしょうか?さて前回ブログでは、生駒山系縦走南コース13kmを走り終えて、西信貴鋼索線(通称西信貴ケーブル)の高安山駅より信貴山口駅まで、ケーブルカーで下山しました。西信貴ケーブルの開業は1930年、こちらのケーブルカーも負けずと劣らず90年の歴史を誇ってい
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目。この日の最後の踏ん張りで頑張るしかない。東海道を歩いていて一番辛かったのが沼津市に入ってからです。直線の10キロ。ほとんど何もなく、ひたすら歩くだけ。写真を撮るところが有れば、歩きながらも休息をとる、というスタンスでのぞめるのですが、とにかく神社や遺構が無く直線で先が見え、この辺りで、眠りながら歩く!方法を覚えました。眠りながらといっても、20~30歩を目をつぶりながら、休息しなが
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目富士川の支流になるのかな?この地が源平合戦の地でした。源氏方が富士川を越え、平家方に攻めよせる時、驚いた水鳥が飛び立ち、平家方も奇襲されると慌てて逃げだした。というのが通説のように記載されています。現在は研究も進み、異なった見解も有るようです。平家が追討にこの富士川辺りまで赴いたのは、現在の山梨県・甲斐源氏である武田信義の追悼であったとのこと。平家の対岸に布陣していたのは実際は
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目。富士川を渡ります。当然此処にも江戸時代には橋が架かっていなかったようです。①橋を渡るころには富士山が全て雲に覆われました。②橋を渡りますが、富士川の大きさが橋幅だけで分かるかと思います。③趣味で渓流釣りもしますので、堰堤も気になります。渓流魚が遡上できる魚道も有ります。アユ?アマゴ?ヤマメ?どの渓流魚用の魚道だろうか?④吉原地区。結構名前は錦絵などで知っていましたが、完全に都会化された感
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目。富士市に入ります。9日目は市が変わるので歩いているという実感がします。この辺りが一番気温が上がる正午から午後2時辺りで一番辛い時間帯でした。富士山を拝んで体力の回復を願う次第。気持ちの問題ですが。①橋の下は高速道路。富士市に入ります。②少し下りになります。自転車になられたお母さんに「富士さんが見えますか」とお聞きすると、「ほら、そこに」と。③富士山が見えているのが分かりますか
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目。蒲原市の到達しました。京都から、どれぐらい歩いただろうか。気温が上がっりペースダウンしているのが自分自身でも分かりました。①記憶が曖昧です。明治時代の建築だったと。医院として開設。いわゆる洋風模擬建築。内覧は大丈夫のようでしたがコロナの関係で、万が一の迷惑もかけられないので入らず。②御殿道。秀忠・家光だけでなく、おそらく家康も此処を通過したことでしょう。③この地に、駿河侵攻で武田信
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目。さった峠を下り、由比の町に到達しました。海沿いにあり、潮の匂い。漁師街からか、魚の香りも。①街道沿いに残る旧家。小池邸。②なるほど。漁師街ですね。桜海老は例年、ニュースで見ているかも。③振り返って。さつた峠を越えてきたんだなと。④陣屋跡。⑤大きな亀がいて、少しビックリ。⑥陣屋。門。⑦陣屋敷地内。⑧由比正雪、生誕の地。陣屋前が由比正雪の生誕地でした。江戸幕府、三代将軍・徳川家光が亡く
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目。薩埵峠の頂上で、少し休憩。眺めを楽しみました。見えませんが。①本来なら此処から富士山が。実際は富士山が拝められない日を選びましたが。②③海の眺めは良かったのですが。④自撮り⑤本来ならこの眺望。薩埵峠に有る写真から。⑥・⑤と比較。此処へまた行きたいと思います。⑦東側に降り、江戸を目指す旅が続きます。-------------------------------------------
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道、江戸まで9日目。薩埵峠。峠らしい道に入りました。あまり此処を歩かれる方も少ないのではないかと思います。反対斜面下は自動車で上がれますので。①案内板②墓地の中を通り、少し薄暗いですが峠道が始まりました。③下に墓地があります。夜の通過だと怖かった。④江戸時代には、この道は、倍以上あった可能性があります。東海道を人が通らなくなり、道を地元の農家さんなどに払い下げた所があると聞いたことが有ります。
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目。薩埵峠の登り口辺りまで到達しました。宇津ノ谷でお会いした方に情報を頂いておりましたが、富士山の眺めで有名な薩埵峠。しかし、50キロ進まないといけませんので、曇りの日を選び、太陽の日差しを避けて通過しなければ、気温が上がり動けなくなってしまいます。ですが、少しでも富士山が眺められれば・・・・・①本当にいよいよ薩埵峠へ②上りが始まりました。住宅地もなくなります。③東海道の目印④
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目(2)。興津。奥津川に到達しました。この川にも橋がなかったようです。①上に乗っている方は、お相撲さんだと記載されていたと思います。普段は川底はあまり深くないようです。②現在の興津川。参勤交代では、何度となく川を渡らなければならず、③川越遺跡説明板。此処も川底の深さにより料金が違っていました。④いよいよ、東海道の難所の一つ、薩埵峠へと向かいます。⑤薩埵峠まで2,3キロの地点。まだまだ平地でしたが
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)宗像神社です。東海道を歩いて初めての宗像神社です。少し寄り道ですが、参拝させて頂きました。宗像神社と言えば女性の神様を祀る神社で、船・航海の安全?を祈願する神社という印象を持つ知識しか有りません。ウィキを参考・見てみますと、宗像三女神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)を祭神としており、全国各地に同名の神社が存在している。との記載が。静岡の興津・清水辺りですので、海への航海・航路・中継地点として大
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道9日目。(1)静岡駅から少し東の草薙駅まで到達しており、朝3時頃に出立。江尻・清水周辺に到着しました。子供の頃の記憶では、江尻と言えばクジラの町であったとニュースで見た記憶があります。参勤交代の宿となる本陣も有り、この地は、東に薩埵峠を控え江戸時代には賑わった街であろうと想像がつきます。①東海道の由来が記載されているようですが文字が霞み読みきれません。②カッパ伝説が有るようです③リアルで少
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道、江戸まで徒歩で。8日目(8回目)その12安倍川まで到着。安倍川餅の安倍川だと初めて知りました。正面に富士山。静岡の方や関東の方には馴染みの富士山になるかと思いますが、大阪住みですので富士山を見ると必ずと言っていいほど写真を撮ってしまいます。①安倍川。この川にも橋が架かっていなかったようです。②静岡駅に到着。子ども像が徳川家康。もう一人は今川義元。幼少時代、人質として駿府城で過ごした苦
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道、江戸まで徒歩で。8日目(8回目)その11宇津ノ谷峠。金谷宿、大井川から20キロ歩いてからの峠越え。この後、静岡府中、駿府城まで20キロ。行程の中間に位置するところに宇津ノ谷峠の厳しさが有ります。①宇津ノ谷峠の模型が。下にある二つのトンネルが国道1号線。②決して、短縮する意図は有りませんが、明治時代に掘られたトンネルを通ってみました。インスタもしておりインスタ映えするかな~っと。③静岡県焼
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道、江戸まで徒歩で。8日目(8回目)その10この日は4時30分に金谷宿を出立し、大井川の渡河作戦、蓬莱橋への寄り道と少し時間がかかりましたが、9時40分に藤枝市に入りました。高校サッカーが強い印象です。①藤枝市も宿場町として賑わっていた事がこの看板だけで伺えます。②③藤枝市にある田中城。亀の甲羅のように外へ外へと城域が広がっていったのだと思います。街道から2キロ程外れるため、寄ることはで
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道、江戸まで徒歩で。8日目(8回目)その9蓬莱橋を渡りました。時代劇にも何度か撮影されたのかな?時代劇で水戸黄門が渡っているかも?そう言えば見たことが有るような?①明治12年架橋。②予想以上に長い!③橋のど真ん中。④振り返って、静岡市側を見ています。進行方向側ですので、最後まで渡らずに真ん中あたりを超え、引き返しました。⑤富士山が見えました。雲のない日は最高の撮影スポット⑥勝海舟銅像
こんにちは、アオイホームです(株式会社アクアコーポレーション)東海道、江戸まで徒歩で。8日目(8回目)その8ちょっと寄り道2。東海道からは少しズレますが、寄ってみたかった所、蓬莱橋へ。この橋は、江戸時代にはなく、勝海舟が橋建設に貢献したと有りました。江戸時代・徳川幕府から明治時代となり、徳川幕府・旧幕臣の領地が江戸から駿河、静岡県に領地替えとなりました。多くの幕臣が駿河へと移ってきたのですが、仕事先が無い。橋を建設することにより対岸の牧之原台地周辺を