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河内藤園行ってきました娘っち2号が河内藤園行こーよー言うので1週間前ぐらいから河内藤園のインスタで開花情報チェック、天気予報チェックをしてて日曜日に行こうと決め河内藤園のHPから14:00~16:00を予約500円×2名のチケット購入渋滞覚悟で出発🚙💨✨全然混んでなかった駐車場入る時にちょっとだけ渋滞。1番近い駐車場に停めれました車降りた瞬間から藤のいい匂い到着したらチケットのQRを店員さんに見せ当日料金1人1000円支払いいざ入園めっちゃ綺麗めっちゃいい匂い紫陽花
4月21日河内/枚岡公園曇後雨朝のうちは公園を散策する人も多かったが、しだいに人影がまばらになった。皆雨の降りだすことを心得ているのである。でも、新緑は雨に洗われてひときわ艶やか。風もなく、暖かく、大きな傘が邪魔にもならず、ひっそりとした雨の森を逍遥するのも、また乙なもの。
4月21日河内/枚岡公園曇後雨公園内の森は落葉樹の若葉がいっせいに萌え出し、鈍色の空に鮮やかな緑の光が満ちる。昼前には雨が降り出す予報だが、何カ所か屋根付きの休憩所もある。今日は公園内に留まってのんびり過ごそう。
今日は、龍王桜マラソン&ウォーキング大会でしたりゅん🌸朝からいい天気☀️暑いですりゅん💦2024龍王桜マラソン&ウォーキング大会前葉市長さんと📷️✨実行委員あいさつですりゅん🍀今年も演奏でノリノリ踊りましたりゅん🎶ワタシもよーい!ドン✨ですりゅん応援しますりゅん🌸入賞おめでとうございますりゅん🌸ちょっと暑くてバテてりゅん💦10㎞マラソン入賞おめでとうございますりゅん🍀三重のひいおばあちゃんねるのひいおばあちゃんは、ウォーキングに参加されていましたりゅん✨お疲れさまでしたり
3月31日河内/教興寺から信貴山道を辿る曇前回この谷筋を辿ったときはまだ冬枯れの森だったが(※)、今日はもう落葉樹の芽吹きが始まり、なかに早くも満開の山桜も交じっていた。いかにも春の始まりらしい、ほのぼのとした色使いである。
3月31日河内/教興寺から信貴山道を辿る曇二週間前に信貴山道を辿った際、桜の木の多く植わった公園(※)を経由した。畿内の桜が開花した、という便りに、その公園の桜を見てから、また信貴山道を歩くことにした。まだ五分咲きだったが、春の訪れを感じるにはじゅうぶんだった。
3月24日河内/生駒山から枚岡公園へ下る曇時々雨細かい雨が降ったり止んだりの半日だった。大きな傘を片手に、差したり畳んだりして歩いた。すれ違うハイカーも皆、傘をストック代わりにしている。総じて登山道が広く緩やかな、生駒山ならではの装備である。
3月24日河内/石切から生駒山曇時々雨こぶしの谷この谷間の春の主役、コブシの花。昨年は四月初めに訪れて盛りを過ぎていたので、今年は少し早めに出向いた。が、まだ蕾硬く、花の開いた株はまったくなかった。咲き残った梅の花が、せめてもの慰めだった。
こんなやつがあります。河内を代表する企業100選。堺、泉州を代表する企業100選はもうすでにあるんですが、河内がまだだったみたい。河内を代表する企業100選河内を代表する企業100選トップMadeInLocalMadeInLocalは「地域がいま、面白い!」をコンセプトに、全国各地で活躍している企業を特集する「地域を代表する企業100選」をはじめ、様々な活動・取り組みをご紹介する地域総合情報サイトです。他では手に入らない伝統的な技術・地域文化を守る担い手・環境に配慮した経済活
2月29日河内/高尾山から近鉄堅下駅へ下る鐸比古鐸比売神社曇高尾山から麓にかけては縦横に遊歩道が整備されている。道沿いには桜の木が多く植えられ、春は華やかなことと思われた。そんな道を降りきったところに、また大楠を従えた神社があった。今日は大楠に始まり、大楠に終わる山歩きとなった。最後は境内にたむろする猫たちに見送られ、街区へ下った。
2月29日河内/高安山から高尾山へ曇高安山の南には広大な墓地が広がっている。河内国と大和国の境界稜線に沿って延々と並ぶ墓を見ていると、信貴山城から連続した山並みでもあることだし、戦国時代はこの辺り一帯も要塞だったのではないか、と思えた。が、後で調べてもそれらしき記述は見つからず、今のところ勝手な妄想のままである。
2月29日河内/近鉄高安駅から高安山へ曇高安城は白村江の戦いの後に唐の侵攻に備えて作られたというから、この山上に要塞が作られたのは千年以上前、ということになる。斜面を大きく掘削した跡が見えるこの道は、河内側から要塞に直登するメインルートだっただろうか。山上からは大阪平野が一望のもとである。
2月29日河内/近鉄高安駅から高安山へ教興寺曇楠は西日本一帯に見られるし、寺社に楠は付きものだが、河内国では立派な楠に出会う機会が特に多い印象がある。これまで紹介しただけでも、石神社、弘川寺、壺井八幡宮、玉祖神社‥‥。今日も歩き始めてすぐ、当てにもしていなかった大楠に出くわした。後で調べると、全国の都道府県で楠を市の木に指定しているのは大阪府が最多(※)。何かそれなりの理由があるのか、またゆっくり調べてみたい。
谷崎潤一郎記念館は私の家から歩いて15分くらいのところにある。谷崎は東京の日本橋生れで、神戸にうつり、船場・芦屋を舞台の「細雪」を書いた。先日読んだ「悪名」の作者今東光(コントウコウ)も横浜生まれで神戸で育っている。関西学院中学に通っていた。今(コン)は谷崎の弟子といわれている。谷崎は今を評価していたそうだ。谷崎は小説の作風が西洋化する中、郷土文学を考えていた。細雪はその結実だ。今は明治31年)1898)の生まれで、大正時代のころは川端康成などと作家活動をしていたが、昭和5年比叡山天
MATTCOSTA~SONGSWESING~20062月18日(日)。金剛山のあとここもひさびさ延羽の湯。あまり天気がよくありませんが、来週はずっと雨らしいので今のうちに梅を見に行きます。河内の近つ飛鳥美術館。ここも10年ぶりくらい。この建物見るたびにザ・フーのジャケット思い出します。梅の木あったかいな。いやいやお見事。以前はむき出しになった石室の石がゴロゴロしている丘をウロウロしたように覚えているの
関西弁(食べ物版)②明石家さんまさんたちのお陰もあって、大阪弁(関西弁)がメジャー(標準という意味ではないです)になりました。で、ちょいちょい取り上げられるんですが、大阪人(関西人)にとっては、違和感があることもしばしば。河内系の林住期さんの感覚で、感想を書きたいと思います。関西弁!意味が難しい「関西の方言」ランキング【食べ物編Part2】TOP10関西弁!意味が難しい「関西の方言」ランキング【食べ物編Part2】(1~4位)10,016人が選んだ関西弁!意味が難しい「
関西弁(食べ物版)①明石家さんまさんたちのお陰もあって、大阪弁(関西弁)がメジャー(標準という意味ではないです)になりました。で、ちょいちょい取り上げられるんですが、大阪人(関西人)にとっては、違和感があることもしばしば。河内系の林住期さんの感覚で、感想を書きたいと思います。関西弁!意味が難しい「関西の方言」ランキング【食べ物編】TOP10関西弁!意味が難しい「関西の方言」ランキング【食べ物編】(1~10位)10,683人が選んだ関西弁!意味が難しい「関西の方言」ランキ
私、江戸っ子しろしは大阪の南部の地理、歴史を知らない。司馬遼太郎の「街道を行く」を読んで、大阪の河内とならの大和を調べたくなった。先ず小説から入ることにした。司馬さんが尊敬して、引用もされていた「今東光」の「悪名」を読むことから始めた。明治・大正の時代の河内の親は「楠膏さんが強かったのは河内の百姓が強かったからだ」と、その子供に教えていたようだ。私は河内の産物としてブドウの記憶しかなかったが、良質の綿を栽培していたようだ。インド綿が安く輸入されると、それは次第にすたれて、それに携
皆の衆、息災か!熊本城おもてなし武将隊は加藤清正である。此れよりは、加藤清正の日記帳の時間じゃ!此度は大村喜前殿、南条元宅と共に河内町の『かわち冬まつり』へと出陣!祭りを大いに盛り上げて参った。ただでさえ風光明媚な此の地に、ご覧の通り幻想的な三千個もの灯籠!実に良き祭りと感じ入った次第。また元気な童が多いのも印象的じゃったな。此れからの肥後を支えて立つ者たちと考えると、誠に頼もしき限り。また来年も会う事が出来るのを楽しみにしておるぞ!それでは此れにて武録は終い。皆の者、熊本
1月28日河内/十三峠から楽音寺へ下る心合寺山(しおんじやま)古墳朝は敷地に入れなかった古墳(※)に立ち寄る。立派な前方後円墳で、その上からは大阪の都市部まで一望できた。気になっていた大樹は、桐の木だった。脇には、春に薄紫の花をびっしりと付けた写真があったが、個人的には今の季節の裸形の方が好ましく思われた。
1月28日河内/神立から十三峠へ曇玉祖神社から峠道に戻り、石仏の並ぶ山道にはいる。この道は麓の人たちの散歩コースのようで、いつ歩いても、次から次にお年寄りとすれ違う。途中にはかなりの急坂もあるのだが、苦もなく往来する様子には感心するばかりである。
1月28日河内/神立から十三峠へ玉祖神社曇入れ替わり立ち替わり詣でるお年寄りは皆顔見知りのようで、二言三言挨拶を交わしてはすれ違ってゆく。彼らにとってはこの大楠は見慣れたものなのだろう、何を撮っているのか、と不思議そうに訊ねられた。「朝早くならフクロウがこの樹に止まって鳴いてるけどね」それを撮るのなら分かるけど、と言いたげだった。
1月28日河内/神立から十三峠へ玉祖(たまのおや)神社曇河内側から十三峠越えは何度も歩いているが、少し脇に逸れた神社に楠の巨樹がある、と聞き、また出向いた。大楠は鳥居のすぐ脇に、圧倒的な存在感で聳えていた。嘆声をあげつつ見上げていると、そちこちでけたたましい鶏に鳴き声がする。辺りを見回すと、たくさんの鶏が放し飼いにされていた。神の使いの長鳴鳥だそうである。
1月28日河内/楽音寺から十三峠へ生駒山の西麓には川が少ないためかあちこちに溜池がある。ここも溜池か、と思ったがそうではなく、古墳の周濠だった。古墳の敷地にはいれるのは午前9時から、ということなので、帰りに寄ってみることにしよう。周濠に影を映す大木は何なのか。それもその時分かるだろう。
今東光の同名の小説を原作とした勝新太郎主演の映画。大阪の河内の暴れ者・八尾の朝吉(姓は村上)を主人公とする今東光の小説「悪名」は、1960年に「週刊朝日」に連載された。当時の新聞や雑誌に連載された小説の中で、常に最高の人気だったのがこの作品である。その後、大映で1961年に映画化され、主人公・朝吉を勝新太郎、弟分のモートルの貞を田宮二郎が演じた。このヒットを受け、シリーズ化され、全16作が製作された。今東光原作の映画の中でダントツの存在がこの「悪名」シリーズ
12月10日河内/楽音寺から十三峠へ曇11月半ばに同じコースを歩いたとき、この辺りはまだ青々としていた。あれからほぼひと月経って、今朝は紅葉の盛りを迎えていた。前回、色づけばこんなだろうか、と思い描いた光景を裏切らない、見事な彩りだった。
12月7日河内/慈光寺から枚岡公園へ下る曇昼には晴れると期待したが、結局麓に降りるまで空は暗いままだった。枚岡公園内の紅葉も盛りを過ぎ、やや色褪せた葉が冷たい空気の中に沈み込んでいた。
12月7日河内/生駒山興法寺から慈光寺へ曇慈光寺の楓はもう紅葉の見ごろを過ぎているとは思ったが、初冬の風情にも触れてみよう、と立ち寄った。赤く色づく楓の方が先に葉を落とすのだろうか。樹に残る葉は黄色が多く、地を飾る葉は赤が多かった。少し侘し気な境内の雰囲気も悪くなかった。
12月7日河内/生駒山こぶしの谷から興法寺へ曇天気は回復傾向の予報だったが雲は厚いまま。さっきは雨が降りだして傘まで出した。深い谷の縁に立つ山寺まで降りたところで雲間が開き、谷の向こうから薄陽が射してモミジを浮かび上がらせた。きらびやかな屏風絵を見るようなひとときを演出したあと、雲はすぐにまた太陽を覆い隠してしまった。
12月7日河内/近鉄石切から生駒山こぶしの谷曇一時雨この谷間には落葉樹の大木が多く、夏はむせ返るほどに緑が濃い(※)。その樹々がほぼ葉を落とし尽くしたこの季節、辺りは拍子抜けするくらいあっけらかんとしていた。奥の方でひと株だけ葉を残した楓がやけに鮮やかだった。