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今年はNHK放送100年の文字を目にする事が多かったけどこちらは私自身は無縁の代物ですが😅ましゃのHPを観て行って来ました〜予約制ですぐにチェックしたら土日は埋まってたけど平日の夕方は大丈夫だったのでその内その内と思ってる内にその内じゃ無くなる〜と改めてチェックしたら殆ど埋まっててこの為に休め無いので6時以降見たら22日しか無かったのですぐ予約して昨日夕方行って参りましたましゃは勿論カメラ好きなアーティストも多くライカ📷の名前位は知ってるでもそ
つい先日NHĶで『ベトナムのひびき』を見たベトナムの交響楽団を世界に羽ばたかせるヒューマンドラマベトナム戦争終結から50年か…今年初め頃はドクくんのドキュメンタリーもやっていたドクくんも中高年で、びっくり😲お母さんとはまだわだかまりがあるようだベトクンは分離手術後、脳腫瘍ですぐにお亡くなりになられた沢田教一一ノ瀬泰泰造写真展沢田教一と一ノ瀬泰造に迫る/30日から東京で特別展|文化・歴史|青森ニュース|Web東奥日本を代表する報道写真家、沢田教一(1936~70年、青森市出
横浜ランドマークタワーは放火魔に爆破されることもなく、無事に地上へ降り立ちました。辺りにはゴジラやモスラの姿も見当たりません。その日の「みなとみらい」界隈は、平和に時が過ぎていくようです。タワーのすぐそばに美術館がありました。「あそこへ行こう」と意見がまとまって、かんかん照りの外へ出ます。前日の時雨空とうってかわって、ジリジリと灼熱の太陽が地面を照りつけます。美術館の中は、予想通り冷房がガンガン効いて体が一気に冷えます。風邪をひきそう。昔は冷房病という言葉がありましたが、とんと
Scene109:Googlephotoは、写真技術として劣っている!Googleは、所詮IT企業である。写真という基本技術についての蓄積と考察が足りない。家電量販店で聞いたことだが、「美しい写真が撮れるので、GooglePhotに人気が集まり、通常のデジタルカメラの市場が縮小してしまった」と。私は見解が異なる。「GooglePhotoは役立たずのカス技術である。」私は必要に迫られてスマートフォン(アンドロイド)を購入して、いざ写真を撮ろうとシャッターを切ったが、「2回も続けてシ
ベトナム戦争が終わって4月30日で50年になりました。ベトナム戦争では、戦争の悲惨な現実を世界に伝えた日本人カメラマンたちがいました。先日、ある偶然から、沢田教一さんの人生をたどったドキュメンタリー「カメラマン・サワダの戦争〜5万枚のネガは何を語るのか」を見返しました。偶然を作ってくれたのは↓です。2ヶ月前の3月8日・9日、冨田麗香さんがメンバーの「原始神母」(ピンク・フロイドのトリビュートバンド)が日比谷野外音楽堂でライブを開きました。8日にゲスト出演したのがMR.JIM
こんにちは。癒しの書、美保じぞう己書道場です。東京、神奈川、埼玉で、お地蔵様の絵を中心に筆文字教室を開催中♬私に多大なる影響を与えたおじさんが亡くなったことは以前書きましたが、父がデイでいない日にこつこつ部屋の片付けに行っています。だけどデイに送り出すのが9:50。おじさんの家まで約1時間半(駅から遠いから15〜20分位歩くかさらにバスに乗るか)なので、着くのがいつもお昼位で滞在時間も短いからなかなか進まない昨日は、おじさんの家と同じ区内のやっち師範が手伝ってくれました。思い入れがない
(米国政府が発行した報道写真家・沢田教一さんの記者証)ベトナム・シンガポール・日本合作映画『その花は夜に咲く』(公開中)のアソシエイト・プロデューサー吉田佳代さんのお仕事に便乗して、2024年1月下旬から2週間、ベトナムを訪問しました。その時のベトナム紀行第8弾です。*************************************************ホーチミンを訪れたら、行かねばならぬ場所がもう一つ。ベトナム戦争史をまるっと収めた戦争証跡博物館。これが充実。(珍しく
青森('03.11.7)青森県観光物産館アスパムで、朝の青森市街を眺めよう。今後行く予定の八甲田丸、浅虫水族館との、3館共通入場券を買う(\1,600)。※当時曙K-1参戦発表の日に乗る寝台特急あけぼの(青森)ねぶたと津軽三味線と、青函連絡船・八甲田丸(青森)津軽海峡・冬景色の碑と県立郷土館とレトロゲーム(青森)展望台の高さは51メートル。市街地はもちろんのこと、前回来たときは夜だったからよく見えなかった、下北半島、津軽半島まで見渡せる。曇っていたので、今度は八甲
ベトナム戦争博物会へ行きました。米軍がベトナム戦争中に投下した爆弾の総量は780万トンとされ、第二次世界大戦の270万トンの3倍に当たります。この数字の評価は色々とあるようですが、異常に大量であることは間違いない。ベトナムが勝利したとは、信じがたいです。いろいろと考えさせられました。
2023.11.25旅行8日目No.4ホーチミンベンタイン市場から歩いてやってきたのは、ベトナム戦争証跡博物館。え!入場待ちの人がこんなに並んでるとは予想外だった。バスツアーで来る人もたくさん居たみたいだよ。入場料は40000ドン(約240円)ととても安い。外には戦車などがたくさん展示されている。後から知ったんだけど、ここは3階→2階→1階と見学する順路だったらしい。全く無視して逆から行っちゃったわこの辺りは、世界中の色々な国で行われたベト
コロナパンデミック以降ベトナムに暫く行けていないので、新しい旅行ブログが書けていない。そこで以前のフエ訪問を思い出して「ベトナム独立戦争に参加した日本人・フエ編」を書く。第一次及び第二次インドシナ戦史上、最も重要なフエベトナム中部のフエは世界的人気の観光地で、フエの建造物群が世界遺産になっており、ベトナムに訪れたことのある日本人のなかにもフエまで行かれた方は多いかと思う。しかし、フエのベトナム現代史における重要度は特筆もので、そこにベトナム独立に果たした旧日本軍人の事績と、それがベトナ
テト攻勢沢田教一©️これが今まで見た中で一番惹かれる戦場写真(前の日本にはおそらく無かった)からのプライベートライアン完全に一致プライベートライアンの音響、銃声の話もいずれ
青森県出身の沢田は、65年からベトナム戦争を撮影。その激しい戦火の中で、とある家族に遭遇する。子供たちを引き連れ川を渡って逃げる親子。その姿を沢田は、ライカのM2で撮影した。それが、のちにピューリッツァ―賞を受賞する「安全への逃避」という作品になる。この逃避には続きがあった。沢田は、ただ撮影したのではなく、その後に家族を助け出し、賞で頂いた36万から6万をその家族に写真とともに贈っているのである。彼の撮影した写真は、どれもリアルであり
そもそも元の世界とこちらの世界はほとんどの部分が同じなのに細部に相違があるのか?ーー以外、自分なりの考察ーーYouTubeを見ていて気づいたことがある。1900年前後の動画映像がたくさん残っている。カラーもあれば、さらに音声付きのものまであった。前の世界では動画はかろうじてあったが、カラーは終戦あたりで音声は、ほぼ無しだった。この一件から考えてみると、前と比較してこちらの世界は技術的な進歩が若干あり、その少しの進歩が前の世界とこちらの世界との差異を生んでいる気がする。狙撃でスコープの
一九七二年十月時点の駐サイゴン記者団について、毎日新聞の常駐記者だった古森義久は「六百人を越える大所帯となった。最も数が多いのはアメリカ、ついで日本、フランス。日本はサイゴン常駐記者の三十人に加えて、各社いずれも東京や香港、バンコクなどから応援を次々に投入して、大規模な取材態勢に膨張していた1」と書いている。各社が現地の報道機関、南ベトナム政府、さらに軍部の内部から情勢に精通する人たちを情報源として確保していたことは開高健、近藤紘一、牧久による著作からも窺えたりもするが、日本人記者と他国の記者
戦場カメラマン沢田教一の伝記「ライカでグッドバイ」を読んだ。ピュリッツァー賞をとった沢田教一はカンボジアで何者かに狙撃され死亡した。戦闘取材ではなく、自動車で移動中の出来事だった。*参照ライカでグッドバイ沢田教一の生き様を読んで危険を冒さなくては売れる戦場写真は撮れない、それは死と隣り合わせということを感じた。ベトナム戦争はかなり自由に従軍撮影し発表出来たので多くの傑作がいろいろな媒体に発表された。それがのちに反戦運動につながったのは当時のアメリカ軍には予想外だっ
今晩はなちですぬいアカにてぬいぐるみを新たにお迎えをしたのですが、ぬいちゃんのお名前の考えていたらふと戦場カメラマンの沢田教一さんと一ノ瀬泰造さんと酒井淑夫さんとロバート・キャパさんがボンヤリと浮かんだので、その方々のお名前を拝借させていただきました前にも呟いたのか忘れてしまいましたが、ぬいぐるみアカでも書いたのでコチラにも書かせていただきます高校の頃、英語の授業でベトナム戦争のについてやっていまして、元女子校だったのに戦争関連に物凄く力を入れて
(★)以前に紹介したこの本のときにも書いたが、中学生のときに写真展を見に行って以来、沢田さんの名前は俺に大きく響いている。文庫本にして写真集という手軽なもの、価格も価格なので購入決定。昭和60年に発売された同じく文庫本の写真集の改訂版とのこと。文章が横書きなので、左開きの本。戦場カメラマンとしても異常なほど最前線で撮影している。何枚も同じ場所から戦闘中の部隊を撮影していて、時間の経過とともに怪我人、死体が積みあがる。やはり本当に撮りたかったのは平和な子供たちだったようで、微笑む彼らは戦
おはようございますご訪問ありがとうございます( ̄▽ ̄)ロバート・キャパじゃございませんがちょっとピンぼけ原因は解りませんが、時々、焦点が合わなくなったりするビデオやポートレートのモードにしても戻らずレンズが汚れているわけでもない一度、カメラ設定をやめないとピントが合わないその後も撮影に協力してくれるラヴィたんと二度目にはギャラが発生しないので非協力的なジュニアさんそう言えば、誰かに貸したロバート・キャパの写真集と沢田教一の写
【Q17566】2016年にそのオリジナルのネガがピッツバーグ近郊の資料保管会社の倉庫でUPI通信の資料の中から発見された、ベトナム戦争中の1965年9月6日、ベトナム中部のロクチュアン村で爆撃から逃れ必死に川を渡る母子5人の姿を撮影しピュリッツァー賞を受賞した、報道写真家・沢田教一の代表作は何?【安全への逃避】【Q17567】「聳り立つ」の読み方は「そそりたつ」。では、「熱り立つ」の読み方は何?【いきりたつ】【Q17568】2018年に藤井聡太が独占したことでも話題となった将棋大賞の記
高井でございます。総選挙も終わり、いよいよ世の中の変化は加速度を増す気が致します。コロナは一段落を得ましたが、さて次は如何なる試練が人類を待ち受けているのでしょうか。天災であれ人災であれ、地球に暮らす人類という生き者は、運命共同体として災難在りきは、在る意味、宿命的なものなのでしょうか。一寸先は闇という言葉が有りますが、正にその通りだと思います。それだけに今、この時を明るく、笑顔で生きることは人間ならではの最良・最高の心力です。たとえ、艱難辛苦の中を歩んでいようともです!
🎞️カメラマンサワダの戦争5万カットのネガは何を語るか古本屋さんで見つけた彼の写真集はベトナム戦争の写真だ表に出ない写真を見たい!興味深く番組を見たネガ写真は紙面を飾ることなく膨大に処分されるが、沢田はネガをUPIから戻して奥さまの沢田サタさんに託していたhttps://www.nhk.jp/p/ts/DN23LL75QJ/episode/te/QGP5KYPVNM/「カメラマン・サワダの戦争〜5万カットのネガは何を語るか〜」特集-NHK世界に名を知られた報道カメラマ
私の好きな写真…戦場カメラマン、沢田教一氏によってベトナム戦争時に撮影された一枚。「ジャングルの朝タバコを吸う負傷兵」「ベトナム戦争後、NHKはここに写された一人のアメリカ兵のその後を追って、特集を組んだ。だが、これを見せられた国防総省の報道担当官は一言こう呟いた。「たぶん、この男を探そうとしても、見つからないだろう。彼の顔はすでに生きた人間のものではないような気がする」。そしてこの兵士の消息は、途中で部隊が編成変えされたこともあって、結局は、何も掴み切れないままに終わった。彼が所属してい
戦場の心模様を撮り続けたカメラマン沢田教一よく晴れたある日そうね…命削る仕事の妻は、夫への理解と覚悟がないと無理よね…そうでなきゃ命懸けの仕事は出来ない私は大丈夫よ、と思わせないとサタさんは11歳年上の姉さん女房だと知りました戦争にしても、戦場カメラマンにしても、送り出す側の気持ちは辛い…突然の銃声乱射され走るこれまで過酷な戦場でも一度も弾に当たることなくラッキーボーイ的な存在で知られていたのだけど…銃弾に倒れる34歳の若さで…何ひとつ悪いことをしていないのに
賞を獲った写真の家族を探しに…いい写真が撮れたのは、あなた達のお陰です、とミシンを手土産にが、怒りを買ってしまう自分はこれでいいのだろうか…思い悩む日々一度は戦場を離れ、デスクワークへシフトサタさんと平凡で穏やかな生活が始まる(JEEPが似合う)幸せそう西田さんと会って、話しているうちに再び戦場へ行き撮りたい、と気持ちの変化が…悩む、考える、どうする…(体の線が細い、腕も細い、この頃ホントにヒョロっとしてる)『戦場の作り出す人間模様』戦場へ行く決意をサタさんは
久しぶりに鑑賞しました前にも一度ブログに書いた記憶があります最後に奥様のサタさんの最近のインタビューを貼っておきますクランクアップの時の集合写真と思われます海外での撮影ですし、派手な爆破シーンもあり撮影はかなり大変だったのでは…戦場は観ていて怖かった凄くリアルだったから…この写真が大きな話題にサタさんは夫を支えたいと日本からベトナムへ妻を迎え、頭を撫でるシーン(2015年、仙台でのファンミでの頭ポンポンを思い出す…)←我ながらよく言えたものだ←今は絶対言えない新居で(甘~
安全への逃避と言う写真ご存知でしょうか?沢田教一さんという戦場カメラマンが撮った写真ですカメラマンなら受賞したい名誉な賞ピューリッツァー賞を受賞した写真沢田教一-Wikipediaja.m.wikipedia.orgそれを大沢たかおさんが演じた輝ける瞬間(とき)が日本映画であります、ケーブルテレビですこれです奥様役は財前直見さんですこのドラマ好きでまたみれるのが楽しみですベトナム戦争の戦場カメラマンですこの親子が川を渡って逃げる1枚の写真「安全への逃避」は
書名以上に目立つ青木冨貴子という著者名。アメリカ在住の代表的ジャーナリストとして、青木さんの名前は知っていた。沢田教一の名前は、もっとよく知っている。80年代半ば、俺が中学生だったときに、横浜高島屋での写真展を見に行って以来、ずっとその名は胸に刻まれている。本書が30才ほどと若かった青木さんのデビュー作らしい。沢田の育った青森での学生時代から、その死までを時代順に追う。高校では寺山修二と同級生。なんかいいよね、著名人同士が同級生っていうの。ああ俺の中高の同級生、誰か著名になってくれ!そ
この記事はスマホから投稿そして、この写真の説明文も見つけたので、それも添えて2年ほど前記事に.........ピューリッツァー賞の記事でしたぁ。友さんのご尊父がフォト愛好家でしたのでふとおもいだした写真について書いたの。トモちゃん元気にしてますかぁ?今日改めていいねをして下さった方がいたのでまたまた思い出してしまいましたぁ。で、回顧録あつ、その前にピューリッツァー賞とは↓↓↓コピペピュリツァー賞――。この賞を耳にしたことがある人は多いでしょう。しかし、こ
2019年夏休みの思い出ホーチミンに行ったら絶対行きたかったところ、戦争証跡博物館へ。ベトナム戦争について知ることができる博物館です。建物の入り口には平和の象徴、白いハトのイラスト。建物の外には戦車や戦闘機が展示されていて、間近で見ることができます。大きくてすごい迫力。たくさんの人が見学していました。建物の入り口のすぐ横に並べられていたのは爆弾。かなりの大きさ・・・。こんなに大きなものが空から降ってくるなんて・