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『沖縄「平和の礎」名前を読み上げる集い』では、沖縄県の慰霊の日に向けて戦没者の名前呼び上げ参加者を募集。戦没者の名前を読み上げる事で沖縄戦のみならず今も世界のどこかで行われている戦争の犠牲者一人ひとりの命に付いて考えることに繋がります。沖縄戦本日3月26日は沖縄の地上戦の開戦日です。1945年(昭和20年)3月26日は沖縄の地上戦が始まった日です。開戦という表現が正しいか分かりませんが、3月26日にアメリカ軍が慶良間列島に上陸。4月1日には延べ54万
2022.10.25東京国際映画祭にて劇場公開日2023年12月8日3時間近くの眞栄田郷敦さん、初主演の大作。戦争とは、幸せとはと、その答えを探す旅を、主人公の60年を通して描く作品。三部作構成になっていて、三部目があり、観客は救われその答えに触れる事ができます。また、第二部で、沖縄戦争の爪痕を訪ねる旅は印象的で中でも、壁一面に書かれた「沖縄戦争の絵」には驚かされました。Awichさん、尚玄さんも印象深く、見ごたえのある作品に仕上がっています。🔷彼方の閃光-
こんにちは、暇人たにやんです。「対馬丸」の語り部である平良啓子さんが6月29日に亡くなれました。88歳でした。太平洋戦争の敗戦が濃厚となった1944年7月、沖縄の学童たちが九州本土に強制的に避難することになりました。8月21日夕刻に学童疎開船である「対馬丸」が1600人あまりの学童、大人たちを乗せて長崎に向かうために沖縄・那覇港を出港しました。ところが、8月22日の夜に米軍の潜水艦「ボーフィン号」によって鹿児島県トカラ列島十島村悪石(あくせき)島沖で沈没
前回、前世鑑定をしたら父親に殺された娘でした。前世鑑定⑴:私は1200年前の悪い父親に殺された娘でした今回、霊能者さんが言うには「きつい前世だから今は知らないほうが良い」と、前世の私が言っていて隠して出てこない、とのことでした。しかし、話している中で、前世が2つ出てきました。●アメリカの黒人奴隷で亡くなった人●沖縄県民で戦争で亡くなった人殺されたみたいです。誰かを殺したから殺される、というわけではないです。連続して
知らなかった。「ウルトラマン」を作ったのは、南風原人(はえばるんちゅ)だったのね~!脚本家金城哲夫氏(1938年7月5日~1976年2月26日)は、沖縄県南風原町出身。ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブン等、円谷プロ初期の特撮テレビ番組のメインキャラクターとして大きな役割を果たした方です。半年ぶり、2度目の「南風原文化センター」訪問です。前回は予約をしていかなかったので見学することが出来なかった陸軍病院のガイド同行見学をお願いしました。旭橋のバスターミナ
泣ける映画となれば困ったもんだ(^_^;)たくさんありすぎる(笑)なので、以前記事にした中から選びましたhttps://ameblo.jp/fw-913/entry-12649882692.html『映画ライフイズビューティーフル(一部ネタバレ有り)』観終えました。昔観た再度、観るシリーズです。ホロコースト関連の映画ではなかなかなかった視点の映画。ホロコースト(ドイツ語:Holocaust、英語:The…ameblo.jpライフ・イズ・ビューティフ
沖縄で彼らは日本兵を捕虜として捕まえたけれど捕虜の体重は40キロで今にも死にそうだったその時捕虜が隠し持っていた手榴弾を取り出しピンを外そうとしたので反射的にもっていたピストルで捕虜の眉間を打ち抜いた日本人は本当に怖いと思った
カドーです7月に入りドンドン気温上昇傾向ですねちょっと夏バテ気味です…なぜかというと夏の沖縄に行ってきました想像を超えた湿気と直射日光の強さ蒸してるのに日光強いって…北海道とは10度以上は違いますしかも冷房がきついので出入りで体調を崩しそう…というかちょっと風邪気味ですそんな暑い中でしたが時間の合間を縫って行った場所があります。沖縄市にある「コザ」に行ってきました。元々は越來村(ごえくそん)という地名で1945年4月、沖縄戦で上陸したアメリカ軍が、同
ホテルのテレビのチャンネルを色々見ていたら、中国のニュース番組、韓国のドラマ、BBCが普通に入っていて、それぞれの国との近さを感じました。地元の沖縄のテレビ局の放送では、沖縄に関する政治、軍事のニュースが重点的に報道され、我が家の滞在中は沖縄の諸島ではアメリカ軍が上陸して集団自決が相次いだ時期ということで、慰霊の報道も多くされていました。生き残った人がインタビューに答えてらして、沖縄の子供達はこういう証言はテレビ以外でもそこここで耳にする機会があるだろうし、日本に友好的でない国との近さ、米軍
練馬のゆめりあホールで開催中の「ねりま沖縄映画祭2021」の『ドキュメンタリー沖縄戦』を観てきました見終わった後、しばらく放心状態でしたドキュメンタリーだから一切の誤魔化しも逃げもなくこれまで学んできた歴史はほんの一部でしかなく語られなかった、知らされなかった歴史がなんと多いことでしょう戦争体験者の多くはあまり語りたがらない人が多いと聞きます簡単に語れることではないですこの映画の証言者の方もさまざまな思いや苦悩の末語った言葉がスクリーン越しに伝わってきました年月が経
さとうきび畑1964年に寺島尚彦が歌手石井好子の伴奏者として本土復帰前の沖縄を訪問した際に摩文仁の丘を観光して着想した作品第二次世界大戦末期の沖縄戦で戦死した人々が眠る夏のさとうきび畑の風の音が繰り返される第二次世界大戦を通して沖縄の人々は日本で最も激しい地上戦を戦い抜いたその激戦沖縄戦を通して日米両国の無数の人々が敵味方殺し合いそして集団自決した事例も見られる数えきれないほど多くの戦死者自決者たちが今なお「さとうきび畑」の下に眠っている歌の主人公はひとりの
どうもこんにちは。チンネンです。わたしは前々からある施設に行こうと考えていますたが、つい先日行ってきました。沖縄県南部に建っていて家から近いこともあり行ってきました。それは、平和祈念公園です。那覇空港から車で25分ほどのところにあります。わたし自身広島の平和記念公園に行ったことがあるのでここがどのような場所であるかはある程度想像できました。が、実際に目の当たりにすると戦争がいかに悲惨なものであり今の生活がどれだけ恵まれているか改めて気づか
ランクAの下太平洋戦争中、八重山諸島(石垣島、波照間島など)において、日本軍の強制移住命令により、マラリア感染で3600人の沖縄住民が疎開死した。マラリア:熱帯、亜熱帯の病気マラリア原虫をもった蚊に刺されると発症。発熱、頭痛、嘔吐などを発症し、治療(キニーネなどの薬)をしないと重症化し、様々な合併症を併発して、死ぬ感染症。この戦争マラリアを、
寒い日が続いておりましたが、今日は太陽の元気な日となりました。本日は、12月に行う朗読劇「栄町ひめゆり会館」の稽古初日でした。「ひめゆりの歌」という作品は、映画や舞台では見たことがありましたが、あの名作を朗読劇にするとどうなるんだろうとワクワクしながらの初日でした。私がひめゆり学徒隊の存在をちゃんと知ることが出来たのは大学の従業で行った沖縄研修。ひめゆりの塔を現学した時でした。館内の壁が一部なく、豪と繋がっているところがありました。手すりの向こうに見えた壕の冷たい壁は今でも目に焼
どうも。毎日、酷暑いかがお過ごしでしょうか?最近の休みの日は、朝から掃除!バケツに水を張ってハッカ油を数滴爽やかな香りと共に雑巾がけをして汗だくになって、シャワーを浴びてエアコンの効いた部屋でまったり…って感じで過ごすことが多いです。ハッカ油は虫も寄って来ないのでオススメですよ汗だくと言えば翔ちゃんがりんごちゃんに頑張ってもらって獲得したハンズフリーの扇風機。あのあと、私も似たようなのを買って仕事で開店する前の準備のときに使っています。暑い所を走ってきて、そのまま
視察2日目。午前中は那覇市役所にて災害対策と議会ICT化の勉強会。さすが日本一台風が接近する県だけあって細かな対策が練られており大変に参考になりました。午後はひめゆり平和祈念資料館。その後一期生の鯨井・杉本先生と3人で沖縄平和記念公園へ。沖縄戦争の意味、当時の日本の戦況、戦争の悲惨・残酷さを改めて実感しました。今期から一緒になった杉本先生は元社会科の先生なのでガイドいらずです😊あまり歴史に詳しくないところもあるので今後は杉本先生の門下生となり勉強していきます😊
よっ👋😊夜中に喉が渇いて下に降りたら花が起きていたちょうどかいかいしていて花を見てこんな話せなくても生きてるんだもんなぁ生命あるんだもんなぁと花に語りかけていたらおばちゃんがおトイレで起きちゃってそれを聞いていたらしくそうだよ花だって生きてるんだよとそして花見ていつも言ってること本当可愛いなぁかっわいい顔してるなぁと犬でも猫でもハムスターでもその他動植物みんな生きてるんだもんなぁ犬も猫も多頭飼が増えて放置そしてやがて殺処分年間10000匹の犬や猫が人間の手
12:50ひめゆりの塔の隣りにある無料駐車場に到着隣りで売られてる献花用のお花を買いひめゆりの塔へ花を手向け平和を願った彼女達はどれほど無念だったろうと…ひめゆり学徒隊1945年3月24日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍した。しかしその後激しい戦闘が続き、5月25日には陸軍病院そのものが回復の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊
平和の詩「永遠に」1992年平良中3年・久貝菜奈さん沖縄慰霊の日に寄せて朝日新聞より本人大仲(旧姓久貝)菜奈さん(41)提供のもの平和の詩「永遠に」人間は、えらくなんかない。だから、意味のない戦いをしてしまう。人間は、強くなんかない。だから、すぐに武器をもってしまう。人間の殺しあいのせいで地球上の多くのものが、傷つき痛めつけられてしまう風に揺れるさとうきびも木蔭(こかげ)を作ってくれるがじゅまるの木も青い海で泳ぎまわる熱帯魚も庭でじゃれあう犬達(た
こんにちは!釜ちゃんこと、釜津田修です。沖縄2日目は私がプランを立てて回ることに。まず向かった場所は、、ここ旧海軍司令部壕へ↑きゅうかいぐんしれいぶごうここは戦時中、この壕で作戦を練ったり兵士を治療したりと役割の大きい防空壕です。早速中に入ると、階段を下る下る。105段降りて行きました。中は少し涼しく、鍾乳洞のような感じでした。ホームページにもありますように、あの狭さに4000人は足の踏み場もないと思いました!医務室などがあり、わずか三畳ほどしかなかった。あまりにも狭い
3日目は朝早く飛行機✈に乗り沖縄本島へ移動の為、ホテルの朝食は食べれず😞早々にチェックアウト~8:10発の飛行機だったのですが、その前にレンタカーのガソリンを満タンにしてから車を返すのでスタンド来たら…ん?やってない💦ネットで営業時間調べたら7:30オープン。やばい💦かなり時間がギリ💦レンタカー会社へ行ってみたら…ん?えっ?8:00オープン…💧ちょっと落ち着こう…8:10発の飛行機だよね…完全にアウトやん😱😱😱💦当初の予定ではガソリン入れて車を返してレンタカー会社に空港まで
↑島バナナ↑赤瓦の屋根と家を守るシーサーたち沖縄の民家といえば、赤瓦の屋根の家をすぐ連想してしまいますよね~でも、この赤瓦の家、かつては身分の高い人々の家だったそう。その由緒正しき赤瓦の家も、激しい沖縄戦に晒され現存するのは、そんな戦渦をくぐりぬけたものだけ・・・そんな貴重な場所で、観光客の私達は普通に、お茶を頂けたりする。ここは、旧「比嘉家」築約129年で玉城村百名より移築。沖縄の稲作発祥地「受水走水」の地主の旧家ですおばぁがお茶菓子と、お茶を出してくれまし
2019/02/10(日)久高島→斎場御嶽→覚醒映画ウル→竜宮神の後は、本日ラストの旅。『平和祈念公園』へ。もう夕方だったので、じっくりと館内を見て回りはしなかったんだけど。感じるまま、園内を巡りました。このたくさんの石碑は、沖縄戦争で犠牲になった方、1人1人のお名前が刻まれていました。この戦争で亡くなった方は、米国側は1万2520人。日本側はその15倍、18万8136人が亡くなったとみられています。このうち沖縄県民全体では12万2千人以上、県民の4人に1人が亡くなった
前略、糸満市字摩文仁!(^ω^)この近辺は、多くの霊域!ちょっと空気が重苦しいです雨降る中、平和祈念公園へ行ってみました先ずは、入場券を購入しましょう♪魚雷とキャタピラ、当時の遺留品複数の修学旅行生と被ってしまいなかなか集中できませんでしたね(・・;)もっと集中して見学したかった高校によって質が左右されがち(笑)海外から日本全国都道府県の賛同者の方々名前が刻まれてますよ(╹◡╹)名誉!平和の碑やはり戦争はダメダメ👎ひめゆり女学徒隊の歴史は有名ですけどひめゆり隊以
昨日、1月22日は亡くなった父のお誕生日🎂父が50歳の時の子供だったので、この写真は、私が確か20歳だったから、父は70歳。。。亡くなったのは77歳だった。元阪神タイガースの選手、監督というあまりに偉大な父だったので、ほとんどまともに話したことがなかったかもなのです。父もシャイな人だったので、家では変な冗談ばかり言ってた(笑)沖縄戦争の最前線にいながらも生きて帰ってきた。心根の強い人だった。もっともっといろんな話をしたかった。朝起きて顔を洗う時、鏡を見ると、そこには毎朝父がい
昨日は、国立にある一橋祭に出向きましたマスコットキャラクターぽん吉向かって左側が、兼松講堂一橋大学また、国立のシンボルです。旧守衛所こんな面白い学生証が笑屋台がいっぱいそして、昭和20年沖縄戦争で生命尽きた青年たち…昭和17.18年卒業予定だった青年たちは繰り上げ卒業し、召集されそして、生きて帰って来れませんでした。幼い頃から優秀で、大きな夢を持って入学した東京商科大学予科。戦争のために使われる生命ではなかったはず…胸が痛くなる…苦しい時間でした。
第一世界大戦?(((*≧艸≦)ププッ👍ランボー?(((*≧艸≦)ププッ👍コマンドー?(((*≧艸≦)ププッ!👍天気予報?(ノ∀≦。)ノあはは❗………ヾ(≧∀≦*)ノ〃ワヒャハハハ!ミヤギ「沖縄戦争です❗💢💢💨ダニエルさん「ミヤギさんって戦争に行ったんだねぇ〰️〰️そこでも、空手?(((*≧艸≦)ププッ?(ノ∀≦。)ノあはは❗ミヤギ「Σ(ノ`Д´)ノダニエルさん❗❗戦争❗小銃❗❗空手❗❗…死んじゃう❗💢💢💨わかった?ダニエルさん「そんなの当たり前でしょ?
こんにちは東かがわ市美容室アウルです友達登録よろしくお願いします↓↓↓夏も終わりに近づき秋の気配を感じ出しました夏の終わりって事で私が体験した不思議な話を一つお話しましょう怖いの苦手な方はやめといてね♡笑笑あれはある年の11月摩訶不思議な友達Aちゃんとまたまた旅行に行く計画をたてたのである場所は沖縄に決まったが普通の観光よりも不思議な場所に行くのが好きなAちゃん実は夏に家族で沖縄行ったんだよねーあの時はさザッ観光地巡りだったから今回もしまいち
今ハクソー・リッジってゆう第二次世界大戦中の沖縄戦争の映画をみてるんだけど沖縄戦の悲惨さがすごい。そして日本兵の描かれ方がゾンビみたいで悲しい。「奴ら(日本兵)は死を恐れない」とか言われてるけど、本土上陸間近で、国土(沖縄)に上陸されてるんだから死に物狂いで戦うに決まってるじゃんね。日本が悪いだろうけど、日本人がバンバン死んでいくのはやはり悲しい…。そしてとんでもなくグロい足吹き飛んだり胃腸が出てたりとにかくグロい。
昨日は沖縄戦争終戦から73年。沖縄慰霊の日。唯一の地上戦になり、民間人含め約25万人の尊い命が犠牲になってしまいました。戦争の悲惨さと命の尊さを、この時期になるといつも思います。平和である事の有り難さ。女子学生が朗読した詩のように、平和である今を未来にしなければいけないと思います。戦争の無意味さ。いつまでも平和でありますように。