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今回の【駅】シリーズは、三重県志摩市北部、旧・磯部町の北寄り山あいに位置する近鉄志摩線の駅で、志摩半島東部の最高峰である青峰山(あおのみねさん。標高336m)への登山口の一つである、沓掛駅(くつかけえき。KutsukakeStation)です。駅名沓掛駅(M86)所在地三重県志摩市(旧・志摩郡磯部町)乗車可能路線近畿日本鉄道:志摩線隣の駅鳥羽方……五知駅賢島方……上之郷駅訪問・撮影時
岡崎、沓掛、京都駅東と、定期的(?)に移転する、京都市立芸大。10月の京都駅東への移転後、初めて行ってみました。ぎゅっと凝縮されたエリア、京都駅から近いのが便利。個性的なアート展が見られるギャラリーアクアも、堀川御池から移転しました。ただ今、自然、地球、宇宙から人間の関係を考察する、久門剛史のアートが展示中(撮影禁止)。光のインスタレーションが、繊細でありながらスケールの大きさを感じます。コンパクトな堀川御池から、高い天井と奥行きの深いスペースになりました。
こんばんは!最近2回ほど、JAFにお世話になってしまいました。その1は、4月21日の早朝、鈴鹿サーキットに行くときです。前日にガレージでごそごそしてたら、バッテリーが上がってしまいました。バッテリーは、4年と3ヶ月使用してます。そろそろ寿命かなと思ってたんですが、1日充電したんで大丈夫だろうと思って出掛けました。早朝6時に、自宅近くのカーピカランドで洗車をしました。そして、洗車が終ったので洗車機から出ようとしたら、じぇ、じぇ、エンジンかからん。とりあえず、洗車機からは出やんとあか
久津方神社丹後国丹波郡京都府京丹後市峰山町菅小字大門崎943-6(駐車は下部写真参照)■旧社格村社■祭神久津日方命「鱒留川」が「竹野川」に合流する直前、南岸畔に鎮座する社。市街地の北西部、古来よりの要衝だったようです。◎創建由緒等は伝わっていないようです。明治二年の「峯山旧記」という書には、「昔は川裾の由疫病除けの神であった」と記しており、旧社地は「南方字古川」であったとのこと。その旧社地という所について同書は、━━「大門先(だいもさき)」の地名も残っているし、神輿をのせ
踏査地:都営霊園踏査数:1軒姓:よみ:く.長野県上田市・(確認)くつかけ分類:地名・富山県黒部市沓掛.長野県小県郡青木村沓掛発祥分布:全国345軒/長野県上田市63軒/長野県小県郡青木村村松26軒ランキング:①村山・4580位/573軒②名字由来・4696位/2,300人家紋:丸に蔦地名:11市1町1村1.茨城県坂東市沓掛・くつかけ2.栃木県日光市沓掛・くつかけ江戸期〜明治22年の村名・沓掛村3.栃木県那須塩原市沓掛・くつかけ由来は、建久4
中山道を西から東へ歩く旅27日目となる6/18先週6/11に歩いた追分宿まで★からの続きです『中山道を歩く岩村田宿〜追分宿その2』中山道を西から東へ歩く旅26日目の6/11は、岩村田宿から追分宿までを歩きます小田井宿まで歩いた前回★の続き『中山道を歩く岩村田宿〜追分宿その1』中山…ameblo.jp今回は、信濃路の最後の宿、軽井沢宿までいよいよ長野県も終わりが近づいてきました朝、クルマでしなの鉄道の信濃追分駅まで途中の道の駅から見た浅間山前回は見る事が出来ませんで
東京から軽井沢を経由して長野方面に向かう信越線は、終戦前後も走っていたことは『心の糧』の中で書いた。(153ページ)東海道線に比べて、沿線には重要な軍事施設なども少なかったので、空襲も少なかったのではと筆者は考えている。先日紹介した芹沢光治良の『戦中戦後日記』でも上野と軽井沢の間を行き来する様子がしばしば登場する。写真の軽井沢旧駅舎は1910年に建てられたものを再整備。「戦争を体験した駅舎」と言えよう(筆者撮影)<1943年>7月28日記25日の午後には思い切って出発する。(沓掛へ
明治16年生まれの人が子供の頃、生えていたと言っていたのを聞いた覚えがある枝垂桜を観てきました。樹齢130年はあるのでは?・・・親木の子供かも?・・・でも樹齢100年位は?・・・一本で大きなシダレザクラです。
https://youtu.be/myiT2PF6_-U新庄剛志さんの車に…打球を当ててしまいました。弁償か?野球を極めし者…沓掛選手と新庄剛志さん…エンターテイナーすぎる。夢ある。新型のデュアルフラッシュ…いいバランスでした。詳細はこちらー↓http://asics.tv/dualflash_tstv2102チームベースボールTシャツhttps://store.shopping.yahoo.co.jp/k-conmar...youtu.be
◇台風10号の進路が危ぶまれるとのニュウスに、大阪はどうやら免れそうと安堵!でも、九州が危ない!被災地の熊本の無事を祈る。大阪市内は午前中は雨、午後からは青空ものぞき蒸し暑い。寝苦しい夜が続きそうです。◆山陰道を歩く1日目;その3は、樫原宿を後にして老ノ坂峠を目指します。道標を右に見て、道標の三宮神社へと向かう樫原秤谷交差点を142号線へ右折!これが無ければ、迷うところでした!地福寺を通り過ぎ、三宮神社横を抜け、京都市立大枝小学校
8月9日(日)晴れ娘「お魚、私も食べたかった・・・。」前回、嫁・母と舞鶴弾丸ツアーをしたのは土曜日で、娘は学校に行っていた。舞鶴お魚を食べようツアーの話を聞いてボタクサ文句を言っていた娘。今回は娘連れ、嫁連れ、母連れ、要は家族全員で舞鶴お魚ツアーに出かけることになった。道中の写真は嫁が取ってくれることに。そしたら。見事に「京都縦貫道トンネル案内」が出来上がった。やっぱり穴マニアである。早速ご覧いただこう。京都市右京区。沓掛イン
ラテン・ギリシャ文学の大学者から贈呈された本。後書きを見ると、私家版、限定十部、一億円の本があるらしい。まさかこの部分は酔って書いたわけではないだろう。令状を書こうとしたが、いただいた名刺も葉書もなぜか見つからない。このようによく、モノが見つからないときがある。家の中にあるはずなのに見つからない。座敷童が隠しているという人がいたり、いたずらな霊がいて隠すなどとも言われる。面白いのは、ある哲学者は、物体は、物理法則に反して、突然消えることがある、という法則を立てるべきだと書いている
最近、ピンポンできなくなったしパートもなくなったし家庭菜園や食べることばかり考えてしまってるせいか体重が増えて困ってますつまらない小さな悩みです。今日は、ピンポン先輩と京都市の西にある「沓掛山」にハイキングいって来ました「沓掛(くつかけ)」とは全国によくある地名で、「崩れる、欠ける」と言う意を持つ「災害地名」(水害、崩壊、地滑りなど、かつて起こった災害が地名に残されている)とも言われますが、旅人が峠越えの際、小休憩したとの意味にも解釈されます(くつを掛けて休む)。地名には正直な歴史が残
珍しいT字形石室を見学来月8日、岩橋千塚古墳群ガイドツアー/和歌山毎日新聞日本最大規模の群集墳である岩橋千塚古墳群(国特別史跡、和歌山市)の研究、保護に取り組んでいる県立紀伊風土記の丘は3月8日午後1時半から、古墳群内...川越で「桜を楽しむ会」地元シルバーの案内で古墳巡りYahoo!ニューステーマは「桜と菜の花と古墳巡り」。仙波の里、桜と菜の花を見ながら古墳を巡る。万葉遺跡「占肩の鹿見塚(うらかたのししみつか)」、芭蕉の句碑なども。新型肺炎、大阪府内自治体で苦渋のイ
京都市立芸大のギャラリーアクアに、行ってきました。展示は、二つ。まずは、芸大の歴史を振り返る作品展です。移転前の、今熊野時代の部屋から。作者も作品名もあえて見ずに、感性に任せて歩いてみます。漆工(塗装)専攻の時代との、副題の意味が分かってきます。今見ても新鮮。次に、移転後の沓掛時代の部屋です。場所は変わっても、精神は生きているよう。かばか、カバか、河馬なのか。斬新な作品がいっぱいです。「旧約聖書」とは、意味深な名前。ふう、2階で
寛政2年(1790年)師匠の二六庵竹阿が81歳で死去し、一茶は宗匠素丸の渭浜庵に戻った。翌寛政3年(1791年)、29歳の一茶は14年ぶりに故郷柏原に向かった。「業俳」と呼ばれるプロの俳諧師として生きる決意と自信を郷里の父に告げる旅だったが、その前に下総(現千葉県)の葛飾派の知己を巡り、餞別を集めて旅費を工面しなければならなかった。この時までに結ばれた上総、下総の葛飾派の同門俳人たちとの絆は、これ以後、一茶が江戸を去って故郷に帰る時まで、彼の江戸暮らしを支える物心両面の支援を彼に与え続けることに
お正月に楽しみたい酒を揃えてみました長野沓掛酒造互抑え純米吟醸原酒秋上がりアルコール分16度以上17度未満長野県産ひとごこち100%精米歩合55%、協会701号酵母仕込み水菅平水系日本酒度-2、酸度1.9、アミノ酸度1.1粕歩合31%、もろみ日数28日総原料米60万石、濾過・原酒・一火入杜氏:沓掛浩之氏薄濁りの優しい色合いの酒柔らかい米香と流れるような甘味で美味しいです喉越しにはぐっと切れがあり旨味たっぷりです大阪山
軽井沢へやってきました!「軽井沢銀座」と呼ばれているあのにぎやかな通りが実は中山道だった!神宮寺枝垂れ桜の古木が見事でした。軽井沢町観光協会の素敵な建物。この場所は、脇本陣でした。しかし人が多いなー誰もいなかった峠道との差がおしゃれに着飾った人たちがかわいいワンコ連れたりして、ソフトクリーム片手に楽しそうです。私はといえば、リュック背負って汗だくのスポーツウエア姿、化粧なんか汗で全部落ちちゃったもうちょっと旧街道としての軽井沢銀座を楽し
天文21(1552)年、詳細は不明だが、今川義元は尾張沓掛に攻め寄せて信長と戦い、今川方の松平家臣、植村出羽守氏明が討死したという。植村出羽守氏明は、天文4(1535)年、主君・松平清康が森山崩れで阿部正豊に暗殺された際、正豊をその場で斬っている。また、天文18(1549)年に次代の主君・松平広忠が岩松八弥に斬られた時も、氏明が岩松八弥の首を斬っているため、有名な武将だったようである。これは推測だが、この沓掛の戦いの際に、沓掛出身の鬼九郎が信長のために細作(諜報活動)を行って手
路線バス(高速バスを含む)だけを使って夫婦で西国三十三所を巡礼しています。【前回のおはなし】【最初から読む】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~JR東海道本線の向日町駅です。次の札所は丹波亀岡の二十一番穴太寺です。京都から亀岡へは国道9号を走るバスがありますので、その沿線に向かいます。向日町からだと、桂坂ニュータウン方面へ行くバスの路線が国道9号と交差しています。そこまで行ってみましょう。桂坂ニュータウンへは桂川駅からバスがたくさん出ています、その一部の
弊店・まちかど博物館『表具屋ギャラリー「一期一會」』が、みえのまんなか・まちかど博物館もりあげ隊機関紙「沓掛(くつかけ)」で紹介されました。<カラー刷り4頁の綺麗な機関紙です><内容は他の博物館の紹介やMieMu館長の挨拶、能面展示会の案内等>機関誌にはまちかど博物館を取り巻く現状と、これからに向けての思いなどが記されており、読み物としても楽しめるものになっています。弊店店頭にて一般のお客様にも広く配布させて頂いておりますので、お立ち寄りの際にはぜひお持ち帰りくださ
京都の郊外福知山へ福知山城は、天正8年(1580)ごろ、丹波平定に成功した明智光秀が丹波に築いた城洛西から9号線をゆっくり2時間でお城の駐車場へグリーンの向こうに望楼型天守閣この坂は膝をかばって昇りませんお太鼓橋が絵になる景色お濠からみたゆらのガーデンこの中のおいしい”焼肉ゆらの”で丹波牛昼食帰りは京都丹波高速道路でビューン1時間ちょっとやっぱり高速は帰りに限る
散歩道(沓掛)の風景をスケッチしました<br/>↓ランキング参加中。クリックして頂けると励みになります。<br/><ahref="http://art.blogmura.com/fukeiga/">にほんブログ村風景画</a><imgborder="0"alt="にほんブログ村風景画へ"src="http://art.blogmura.com/fukeiga/img/fukeiga88_31.gif"width="88"height="31"/><br/
以前、新聞記事をみて気になっていた横断歩道。那須塩原の沓掛地区にある、信号のない横断歩道。栃木県那須塩原市のJR那須塩原駅北方の新興住宅地にある交差点の横断歩道。地区住民が交差点への信号機設置を望んでいる一方で、警察側は信号機の設置に慎重な立場という記事でした。2017年(平成29年)1月25日(水曜日)下野新聞(しもつけしんぶん)県北・日光版P.18より児童に安全な通学路を那須塩原市のJR那須塩原駅北方に広がる新興住宅地で、沓掛地区などの住民が交差点への信号機設置を切
こんにちは!長泉ではダンボールを使った様々な遊びが流行っています!子供の数だけ楽しみ方があって楽しいですね♪アスルクラロ沼津は支援員の沓掛の今季初ゴールで見事勝利して昇格へ突き進んでおります!皆さん応援よろしくお願いします!秋山
立ち寄るところがあり、沓掛城跡に寄りました。駐車場は曲輪跡のようですが、堀を挟んだ本曲輪を見ると、土塁や土橋の跡がくっきり見えて、なかなかしっかりした城だったように思います。参考)keikostory2014年4月11日登城済み
碓氷峠をバスで登る前は、雨がざんざん降っていたのにバスで登るにつれ、外は暗い中にも雪景色、というのがわかります。軽井沢駅前は、雪でバリバリで、歩くのもままならない。お宿のアパホテルは、たしか駅から3分のはずなのに全然それらしきものが見つからない。足元がおぼつかない中をうろうろしていたら、「パ」だけが光っている建物を発見。ホテルという概念を捨てなければならないほど、低くて(3階建て)小さい建物であった。P様、隊長はシングルルーム、私とNさんがツイン。経費節約のためツインをとったが広い分快