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天平2(730)年行基開基の岩屋観音→備前岡山藩池田家藩祖の池田輝政は豊臣秀吉時代に三河吉田城主であり地元の岩屋観音を信心していた関係で池田綱政も多大な寄進をしたテイクアンドギヴ・ニーズ時代の上司白金高輪駅harunaを教えて頂きました前菜(写真無し)兵庫産蛍烏賊としめじのアヒージョ愛知産新玉葱の冷製スープ三河産黒鯛、バルサミコソース十勝池田町羊牧場BOYAFARMの羊レバーとハツのムニエルジュドヴィアンドとオイスターのソースピマン・デスペレットクレーム・ブリュレ
スイーツファンの皆さんこんちは。春ですなあ花見シーズンですなあ(~_~)花見に持って行きたいスイーツと言えば団子や饅頭!お茶が進みますなあ(^_^)てな訳で今回は「大手饅頭伊部屋」さん。お店は岡山市北区、創業は何と天保8年!180年余り続く老舗、備前岡山の藩主・池田綱政公もお茶会で寵愛したというスイーツがコチラ↓にん。大手まんぢゅう。原材料は砂糖(国内製造)、小豆(北海道産)、小麦粉、還元水飴、米、もち米。無駄な物は一切省いた、素材の良さが長年愛される理由だす。
~岡山城年表~1570年(元亀元)宇喜多直家が金光宗高を滅ぼし、石山城を奪い、のち住まう1590年(天正18)宇喜多秀家、岡山に本丸を構える1597年(慶長2)天守が完成1600年(慶長5)関ヶ原の戦い小早川秀秋が城主に1603年(慶長8)池田輝政の子、兄の池田利隆が後見する形で5歳の池田忠継が城主に。西ノ丸西手櫓などを増築1615年(元喜元)池田忠雄城主。廊下門、月見櫓、表書院などを増築1632年(寛永9)鳥取藩から池田光政が転封。以降、明治維新まで光政系池田氏1687年(貞享
↓天守が見えた下の段から見る本段の石垣の続き。本段は中の段よりも高い位置にあるため、東側の石垣は特に高くなっている、というわけ。北の方まで進むと、天守がチラリ。こちらからの角度だとちょいキツい。↓岡山城縄張図六十一雁木は、隠れた位置にあったのか。見落としてもうとる。本段には本段御殿が、中の段には表書院があった。↓岡山城かつての建造物↓鉄門を見返す下の段の奥、並木のある所には多門櫓があった。下の段手前にある真新しい建物は、供腰掛(ともこしかけ)を再現したもので、登城した者らが
毎日クソ暑い日が続いております尾張領。予報で39℃なんて数字がみられると外出が億劫になりますが、外仕事の方には本当に頭が下がります。今年のお盆は本が溜まってきたので読書でもして静かに過ごそうと目論んでおります。さていよいよ岡山城も終盤。天守閣の石垣。下の石垣は本物、天守のすぐ下あたりは天守を造る時に一部組み替えてますから色が違います。不等辺五角形の天守閣のため石垣も鈍角に開く鎬積(しのぎつみ)が多用されています。北側へ廻ると、小早川秀秋さんが拡張整備した跡が残ります
特別名勝岡山後楽園へ行ってきました。特別名勝というと、庭園の世界では国宝と同じ最高レベルの評価が、国から与えられているということですね。■パンフレット表紙■ミシュラン3つ星についてガイドブックミシュランは、レストランの評価をする赤本だけでなく、観光ガイドの緑の表紙のミシュラングリーンガイドを発行しています。それぞれの観光地や、街や美術館などをレストランと同じように星で評価。最高は3つ星。そのミシュランのグリーンガイドでも3つ星を与えられた観光地です。
岡山城の後は、日本三名園の後楽園へ池田綱政さんが造ったそうですえっ足湯って一瞬でも思った私をバカにして下さいぽくないですか?撮影してないですけど、右の方に上がらない!足つけない!って書いてありました当たり前あじさいと花菖蒲も綺麗に咲いてましたあじさいは、薄い色の方が好きです花葉の池に花咲いてるの見たかったです夏が見頃だそうです♪倉敷もでしたが、お城もこちらも白人の方が沢山いらっしゃいました子供の頃から近くまで何十回と来てたのに、日本三名園に行ってないなんて…ってずっと
花葉の池に映る延養亭と能舞台(左)岡山後楽園は、今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園。その子継政や歴代藩主の好みに応じて、手が加えられたが江戸時代の姿を大きく変えることなく現代に継承されている。花葉の池広い芝生地や池、築山、茶室などが建ち、園路や水路で結ばれ、歩きながら四季折々の景色を眺めるように工夫された回遊式庭園。沢の池:
岡山駅前の桃太郎像数十年ぶりに倉敷を訪ねて以来の岡山を旅した。旅の目的は初めての岡山後楽園と備中松山城に登城すること。後楽園正門前の広場この日は生憎の曇り空だったが、観光している間は雨に降られずに済んだ。岡山後楽園は思っていた以上に広大で驚いた。正門から入り、松林を抜けると芝地と園路、池のある光景が目の前に広がっていた。曇り空の下、芝もまだ
海の日は、弾丸で岡山後楽園へ。想像以上に美しい庭園で入った先から娘と3人、テンションが上がる女子。ステキな庭園を作った池田綱政のことが気になって気になって、帰り道で今さら検索。ますます興味が湧く。ゆくゆく大河の主役でお願いしたいぐらい見ごとな庭園に見惚れてしまった。https://www.touken-world.jp/tips/77459/そうして帰りは、飛行機見たくて岡山空港へ。行ったものの、便数少なく次の離着陸は1時間半後と涙。諦めて近くの五果苑でデザートタイム。もぎ
岡山歴史絵巻です🏯岡山城天守閣が大規模な改修を迎えるのを機に⛑⛏昨日から岡山シティミュージアムでは昨年度に続き岡山城収蔵品から優品を紹介する企画展が開催されております💫僕も一応、岡山県人なので今日は、岡山県史を勉強してきました📖✏️宇喜多直家、宇喜多秀家、小早川秀秋、池田光政、池田綱政ら岡山城を築いた5人の英傑たちと城下町の暮らしに焦点を当てた中々充実した内容でした🎌地元の歴史は意外と疎かにして知らない部分が多いので…💦たまには、こういった企画展に行くのもよいものです☝️
伝兵衛のぶらり街歩きシリーズ日本三名園「岡山後楽園」~JR岡山駅~先日の「須磨離宮公園」散策で、広い庭園に身も心も癒された伝兵衛は、早速次の庭園散策にお出掛けしました。今回は、JR山陽本線「岡山」駅で下車。商店街をぶらぶらと歩いて、「岡山後楽園」へ向かいました。昨年四月の岡山訪問は、岡山城だけを観覧して弾丸で帰ってしまったので、今回はその川向かいにある岡山後楽園散策を目的に訪れました。▼「岡山城弾丸見学」過去記事はこちらからご覧ください。https://ameblo.jp/
新幹線で東京から岡山に向かい9時過ぎに着いた。ホテルにチェックインするには早いので、ホテルにとりあえず荷物を預け、岡山後楽園に行った。後楽園に近いホテルを選んでおいたので徒歩で向かった。眼前の旭川の向こうの中州にある森が岡山後楽園だ。『岡山城』途中岡山城があったが、あいにく改修工事中だった。もちろんネットで確認済みで知っていた。城は戦前国宝だったが残念ながら空襲で焼けてしまい、今のものはおそらく鉄筋コンクリートだ。それにしても大きな立派な城だ。今回の旅行で一番見たいと思ってい
今年の初漫遊は岡山。*8年振り2度目羽田から岡山に飛び、10時に岡山駅前着。<旅の行程>1日目:岡山→津山2日目:津山→備前一宮・吉備津→倉敷3日目:倉吉→備中高梁→吹屋4日目:吹屋→備中高梁路面電車で岡山城方面へ向かいます。現在、岡山城は工事中の為、今回は岡山後楽園のみの散策です。*今年11月竣工予定◆岡山後楽園◆(国指定特別名勝)*入園料¥410元禄13年(1700)、二代岡山藩主・池田綱政が造営した大名庭園で、水戸偕楽園・金沢兼六園と並ぶ
東海道五十三次のひとつ、静岡県湖西市の白須賀宿は宝永四年(1707)の大地震の時、津波で宿場ごと流されてしまった歴史があります。その津波の時、戦国大名の池田輝政の子孫で岡山藩主・池田綱政が観音様のお告げで難を逃れたという逸話があります。今日はそんな東海道五十三次の白須賀宿(元白須賀)に残る法蔵寺のオハナシ。■宝蔵寺の場所の住所■湖西市白須賀5350−1>>宝蔵寺の場所の地図エピソードは次の通り。池田綱政は参勤交代の帰りに白須賀宿本陣に泊まっていました。夜中、枕元に観音様が立って、『
***ちょうど1週間前の先週末、葬り去った過去を蒸し返されるような事があってここのところ心が振り乱されていた。「どうして?」とは思うし腹はたつし、嫌な気持ちになるが不思議と涙は出ない。それならぐずぐず悩んだりせずに速やかに片付けようとおもう。家でじっとしていると余計なことを考えそうなので久しぶりに絵が見たくなり夢二郷土美術館へ。夢二郷土美術館はとても可愛らしい外観の建
***円山にある曹源寺の枝垂れ桜。昨日の夜に、ちょうど見頃らしいよと父親からのメッセージ。「今年は見逃したくないなぁ」とも。春は花見をしなければ、はじまらないよ!とばかりの両親に誘われて、雨が降り出す前の午前中にちょこっと桜を見に行ってきた。曹源寺は岡山市中区円山にある臨済宗妙心派の禅寺。岡山藩主池田家の菩提寺であり、開山は絶外和尚。
倉敷美観地区の次に訪れたのが今回の名所巡りの絶対優先場所に定めた金沢の兼六園、水戸の偕楽園とあわせて日本三名園と称されている岡山後楽園。岡山後楽園は、今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政が藩主の安らぎの場として作らせた庭園で、大正11年に名勝に指定され昭和27年には特別名勝に指定されています。後楽園正門今回が私としては日本三名園の初観賞となるので非常に楽しみではあるのですが、美観地区に長く滞在したことで後楽園に到着したのは午後3時前となり閉園まで2時間しかあ
前回はこちら正福寺の後、備中箕島駅から宇野線普通電車で早島駅、備前西市駅を訪問し、餃子の王将で昼食を食べた後、大元駅まで歩いて行き、そこから宇野線普通電車で岡山駅まで乗り、そこから岡山電気軌道で城下停留場で下車し、城下停留場の撮影の後、岡山後楽園に行きました。鶴見橋です。岡山後楽園の入口です。岡山後楽園西外園(暫軒・長屋跡)の説明板です。岡山県立博物館です。改修工事中で休館中でした。令和4年7月頃、再開予定です。正門です。池田綱政が築いた、安らぎの庭園「岡山後楽園」の説明板です。
平成30年5月5日の参拝です。岡山県岡山市中区沖元の沖田神社・道通宮さんに参拝⛩ここへ小学校の時歩いて遠足に来た記憶があります。その時白蛇を見たような‥‥自転車🚲でも行けるのですが、今回は兄に🚘で連れてきてもらいました。こちらは備前国藩主池田綱政の時代に、新しく開墾された沖新田の産土神として建立されました。干拓の時難航した工事に「おキタ」さんという女性が人柱になったというおきた姫神社(境内末社)があります⛩その干拓を指揮した津田永忠と池田綱政の末裔の方の名が玉垣に刻まれています。津
***前髪を短く切ったので視界が広い。今日のわたしはご機嫌だった。一日ごとに気分は変わる。どこをほっつき歩いてたかというと岡山城と後楽園。お昼ご飯の後に、思いつきで散歩。そんなに遠くない場所。なんて長閑な景色なんだろうと思う。岡山城に、旭川にボート。休日ののんびりしたムードが辺り一面に漂っている。いつもは外側を散策するくらいなのだが今日は連れに誘われて後楽園の中に入ってみようと。5月の芝生がいきいきと瑞々しく。後楽園のいいところは、周りが川に囲まれているせいか
お天気が変わりやすいですね吉備津彦神社写真提供:長谷川89年前の12月、失火により本殿と随神門以外の社殿・回廊を焼失した。現在見られる社殿は86年前に完成したものである。本殿・元禄10年(1697年)に岡山藩主の池田綱政による再建時のもの。桃太郎物語御祭神は、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)です。桃太郎としてヒーロー役で有名になっていると思います。第7代孝霊天皇の第三皇子で別名彦五十狭斧彦命(ひこいさせりひこのみこと)です。そのほか、孝元天皇、開化天皇、崇神天皇と
1月14日から二泊三日で岡山旅へ行ってきました(^^)思い出し日記にしばらくお付き合いください。一日目。『nidsand』さんでフルーツサンドを購入してレンタサイクルでキコキコ向かったのは『岡山後楽園』&『岡山城』♪後楽園側からの岡山城。川をどんぶらこどんぶらこと流れるのは…桃!!岡山が誇る名勝、『岡山後楽園』は日本三大名園の一つ。歴史は古く岡山藩主池田綱政公が家臣津田永忠に命じ1687年に着工、1700年に一応の完成。その後も、藩主の好みで少しづつ手が加えられたとのこと。三百年
和ろうてはりますか~岡山がだんだん身近に感じられてきたけんすけ福のかみでござるわたくしの狂言の師匠“島田洋海師”は京都の大蔵流茂山千五郎家の狂言師でござるが出身は岡山県は笠岡市でござって、同人としては珍しくお父上も狂言師でござるそのお父上は“田賀屋夙生師”でござって、先代の四世茂山千作師に師事され、現在は岡山を中心に狂言師として活動されてござる狂言を学び始めて三年半あまり、有り難いことに田賀屋先生の社中発表会である“鈿々の会”と先日の“阿智神社奉納狂言”は毎年参加
「岡山城」(岡山県岡山市)第四弾は、お城の東側を流れる旭川の対岸に位置する、大名庭園「後楽園」に訪れます。周知の通り、「後楽園」は日本三大大名庭園の一つで、水戸城の「偕楽園」、金沢城の「兼六園」と肩を並べます。後楽園内の沢の池に浮かぶ砂利島、中の島後楽園と旭川旭川は、宇喜多秀家時代に「岡山城」を築城する際に、掘削して流れを替えています。更に、お城の背後を固めるべく二代藩主池田綱政の時に、出城的な役割を持たせて造園を行いました。後楽園の中心に「唯心山」を置き、そこを中心に流水を
今日は、岡山藩主池田家の菩提寺、曹源寺にお参りしてきました。備前市吉永町の和意谷池田家墓所、和気郡和気町の津田永忠墓所と合わせて三点セットで、岡山藩主池田家墓所として平成10年(1998年)国の史跡として指定されています。⇒国史跡『岡山藩池田家墓所』を訪ねる(2017/12/13)⇒三石城址と津田永忠墓所を訪ねる(2017/12/15)================================岡山駅などから曹源寺までのバスも出ているのですが、本日は、あえて
平成29年(2017年)11月19日(日)、岡山城の見学を終えた私たちは、旭川に架かる月見橋を渡り、後楽園へと向かいました。◇後楽園後楽園は、入場券売り場が有るのが東側にある正門と、南側にある南門の2ヶ所なのですが、岡山城の天守からは、月見橋を渡って右に曲がり、少し歩くとすぐに南門があるので、私たちは南門から入ることにしました。後楽園は、岡山藩(池田家宗家)第2代藩主池田剛政が岡山郡代官津田永忠に命じて造営させた日本庭園で、金沢の兼六園、水戸の偕楽園と並んで、日本三名園に数え
古代エジプト王セティ1世の墓、原寸大で再現3Dプリンターでswissinfo.ch墓はエジプトのルクソールにあり、これまで見つかった王墓では過去最大。1817年にイタリア人探検家で考古学者のジョヴァンニ・バティスタ・ベルゾーニ氏が、ほぼ当時の姿のまま残っていたこの墓を発見した。しかし、その後200年の間に、墓は無計画な発掘作業や略奪、マナーの悪い観光客によって荒らされてきた。「太子道」日本遺産に再挑戦へ毎日放送奈良の法隆寺から伸びる2本の道。一つは聖徳太子生誕の地とされる太子町
岡山後楽園は、岡山藩2代藩主・池田綱政が1687年から13年かけて造営した元禄文化を代表する庭園で、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とあわせて日本三名園として知られています。この後楽園は面積13.3万㎡あり、藩主の居間である延養亭を中心とした池泉回遊式の庭園で、岡山城や周辺の山を借景としており、1952年に国の特別名勝に指定されました。造営当初は城の背後にあることから御後園と呼ばれていたが、1871年に園内を一般開放するにあたって後楽園に改