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『名歌名句辞典』(佐々木幸綱・復本一郎/三省堂)より選句池田澄子Ikeda-Sumikoじゃんけんで負けて蛍に生まれたの死と再生の輪廻転生、次に何の生きもので生まれるかは、じゃんけん勝負で決まっているか?そうかもしれない。さんざん魚のエサのしたゴカイやオキアミに生まれ変わるより、蛍のほうが良いかな?しかし、一週間、飲まず(?)食わずで光っていなければならないのはつらいかも。Inthecycleofreincarnation,deathandrebirth,
『名歌名句辞典』(佐々木幸綱・復本一郎/三省堂)より選句池田澄子Ikeda-Sumiko腐(いた)みつつ桃のかたちをしていたり桃を題材にしているのでなく、いわゆる『自虐ネタ』とみられる。なお、解説は、『腐っても桃は桃としての気品を失わない。自らの、そして女性の生き方の矜持のようでもある。』と、模範回答。Itisnotbasedonpeaches,butisconsideredaself-deprecatingjoke.Thecommentary
千葉県現代俳句協会創立45周年記念俳句大会にて池田澄子さんの講演を、聞きました。とても貴重なお話でした。2025年10月12日(日)13時会場:千葉市文化センター5階記念公演:池田澄子先生「三橋敏雄を師として」岩波新書小林恭二著「俳句という愉しみ」「俳句という遊び」をかなり昔読んでいて、俳句に惹かれて今に至りますけど、やはりその中の登場人物に惹かれたということだと思います。その中でやはり三橋敏雄の野武士のような面構え、態度、社会や他者への立ち位置に共感をおぼえていました。ここ
八月十五日は俳句の季語(親季語)では「終戦記念日」で、子季語としては、「敗戦忌」、「終戦の日」、「敗戦の日」、「八月十五日」などがあります。※出典:終戦記念日(しゅうせんきねんび)初秋–季語と歳時記あなたはどの季語がしっくりきますか。「増殖する俳句歳時記」にはこのような句があります。敗戦の前後の綺羅の米恋し三橋敏雄さんの句です。以下は清水哲男さんの鑑賞。マスコミなどでは、呑気に「終戦記念日」などと言う。なぜ、
朝ハンバーグ昼ハンバーグ昼花火長嶋有「酒俳句大賞」の選者長嶋有氏はご存知の通り芥川賞作家。正直、ボクは俳句は余技かと思っていた。ところが「東京マッハ」という句会を開催して。その句会は公開で、有料というのでびっくりした。有料の公開句会って快挙だ。その「東京マッハ」のメンバーが堀本裕樹氏、千野帽子氏、米光一成氏でゲストに池田澄子さん、川上弘美さんなど。ボクは千野帽子氏とは「青山俳句工場」というネット句会でご一緒したことがあって、「東京マッハ」は、長嶋有氏はホンモノの
今日は24節気の「立秋」ですが、今日も原爆関係の俳句を紹介させていただきます。口語体で面白い句を作る池田澄子さんの俳句に夾竹桃空気に毒があるんですって池田澄子があるが、この毒は放射能を指しているとのこと。夾竹桃には空気中の毒や不純物を吸いとる力があるらしい。他にもヒロシマの夾竹桃が咲きにけり西嶋あさ子夾竹桃語りつくして黙すのみ小坂誠子明日は原爆に関する詩を味わってみたい。
『銃後の俳句』山頭火には「銃後」と題した二十五句がある。昭和14年1月発行の第六折本句集「孤寒」に収録した自選句である。第一句は「層雲」昭和12年12月に「千人針」と題して掲載した五句の一句日ざかりの千人針の一針づつ前書に「街頭所見」とあるので、街角での即吟らしい。この即興性こそが俳句(俳諧)の真髄とも言える。山本健吉は俳句固有の方法として『挨拶』『滑稽』『即興』をあげているが、短歌にもある。有名な「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天橋立小式部内侍」は、母和泉式部の代理
タイトルは池田澄子さんの句です。氷片を見つめ見つめて失いぬこの句、どんなときに作られたと思いますか。氷片を「見つめ」に「見つめ」て、ああ遂に融けてしまいました、という句ですよね。どんな場面を想像しますか。場所はちょっとクラシックなカフェあたりと私は想像します。相手がいて、それは話好きの男性。テーブルには氷がいっぱい入ったグラスが置かれていて、澄子さんはそのグラスの向こうに男性を見ている。ほどよい距離。
行乞とは、僧が人家の門に立って経を読み、その見返りに米や銭を頂く修行である。大正15年1926年に観音堂を去ってから、一鉢一笠の行乞放浪の旅が本格化したが、その第一句は印象深い。分け入つても分け入つても青い山ちくま文庫山頭火句集版画小崎侃小崎侃が山頭火の俳句の世界を描いた木版画を通販で販売頂いたわずかばかりの糧に命を繋ぐ旅はそれなりに過酷であったろう。山頭火は木賃宿を「ぼくちん」と呼んでいたとか。仏教的に呉音で読めば「もくちん」と思われるが、不思議な漢音で読むとは屈折した複
体調崩したときに食べるものは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう風邪気味のたのしいのんべんだらりかな池田澄子マダムX美しく病む春の風邪高柳重信🥸🥸🥸小さい頃は風邪をひいたらモモの缶詰でしたが(笑)今は茶粥の話を読んだのでお粥な気分だったりする❢エンタメ小説「茶粥地蔵」amazonと楽天で無料配布開始いたしました。|ふじたごうらこ茶粥地蔵は、エンタメ小説で、ふじたごうらこの個人レーベル、スタジオ五百石発行、2冊目の電子書籍です。題名は「茶粥地蔵」
池田澄子の句「胃は此処に月は東京タワーの横」。胃の具合が悪いのか、体の内側に違和感を覚える。一方で夜空にかがやく月と東京タワーが目に見えている。内面の感覚と遠くの夜景、内と外が結びつけられ、日常の中で世界と自分の存在を再発見しているのかもしれないよね。
池田澄子の句「どっちみち梅雨の道へ出る地下道」。雨ふりの日はできたら地下道を通りたい。だから雨を避けたい人で混雑する。でも梅雨の街へまた出なくちゃいけないと思うと、何かやるせない気分になる。避けられない現実を突きつけられる、湿っぽい日の気持ちですよね。
池田澄子の句「はつ夏の空からお嫁さんのピアノ」。青空に誘われて庭に出ていると、開け放たれた二階の窓からピアノの音が聞こえてきた。住みなれたご近所はピアノの音などしたことはない。あそうか、お嫁さんが来たおうちで弾いてるのか、と気づくとほっこりした気持ちになるよね。
ベランダのネモフィラは、いったんおわって切り戻して様子見浜離宮(浜御殿)の藤(4月28日吟行)も終わっただろう聖路加病院旧館とつつじ(同じく)の躑躅も、もうすぐ終わり我が家のベランダでは今年初挑戦のジギタリスが日々上へ上へと花を咲かせていく5月1日は第一句会五句出しで先生の準特選は頂いたけど、全体の得点としては奮わず。てか、絶不調?例えばこんな零点句団結用意!中央メーデー生配信ちょうどメーデーの日だったからウケると思ったんだけどな~
明日は晴れるらしいけれど、今日は小雨模様。雨滴とともに桜しべ降っています。桜しべってこういうのです。👇(去年の写真)「だから何なの」って言わないで。「桜しべ降る」って季語なのです。桜をその終焉まで鑑賞する姿勢って、独特といえば独特ですよね。こういう感性が今のどんよりした世に(”どんより”は天気だけじゃない)、黒とでるのか白とでるのかようわからんのですが…。で、少しですが(あくまで、わたし的に)気分上向く話を。一つは俳句の話。池田澄子さんは尊敬する俳人です。
窓の会の常連でない方の参加も歓迎です。池田澄子さんなども参加されます。盛り上がりそうです。
椿咲くたび逢いたくなっちゃだめ池田澄子池田澄子句集『ゆく船』(ゆくふね)furansudo.ocnk.net2,860円商品を見る池田澄子さんのこの俳句を目にしたら、渥美二郎さんの♪椿咲く〜春なのに〜あなたは帰らない〜がリフレイン😅😅😅渥美二郎釜山港へ帰れ歌詞&動画視聴-歌ネット渥美二郎の「釜山港へ帰れ」動画視聴ページです。歌詞と動画を見ることができます。(歌いだし)つばき咲く春なのにあなたは歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。www.uta-
季語、ってものが身についていないので俳句は遠い存在だけど、池田澄子さんの俳句は好き。新聞で見つけた。今回のも好き。「生きるの大好き冬のはじめが春に似て」「寒ければ着重ね恋しければ逢う」池田澄子「池田澄子百句」(創風社出版)より澄子さんは、1936年生まれ👏人生の大先輩なのに俳句を読むとめちゃcute💕かわいい俳句が多い。今度図書館で句集借りてみようかな。
三橋敏雄の句集は2冊目。とはいえ、こちらは師弟関係にあった池田澄子さんセレクト。俳人が俳人のどのような句をえらぶのかを眺めるのもたのしい。俳人という顔ではなく、好きという1点に絞られるときのはずんだ心うちが感じられるからだ。じぶんの歌集や句集ですら出してもいないのに、こんなことを言うと100年早いと叱られてしまいそうだけど、わたしにはどちらかというと自分の歌集や句集より、ただそのへんに転がっているような一塊のファンとなって、すきな歌人や俳人の作品を自由に選び、ゆるされるなら気ままに感想を
第1回「ことばカフェ東京」は以下のように開店します。日時:2023年8月2日(水)14:00受付開始14:30開演場所:公益社団法人緑丘会緑丘会館東京都豊島区東池袋3丁目1番1号サンシャイン60(57階)*眼下に東京が広がります。参加費1000円懇親会費4000円(参加されない方は、参加費のみ)※窓の会常連でない方もどうぞ。テーマ:1、俳句を語ろう対談者・坪内稔典さん×池田澄子さん2、句会(全参加者で句会ライブ)
6月17日土曜日のお昼近く。根川緑道の流れに張り出した四阿でハヤの行列を眺めた後、今一度親水護岸の前を通って下流に向いました。流れに沿ってところどころに句碑が立っています。「初日さす松はむさし野に残る松」水原秋櫻子の作だそうです。新奥多摩街道のアンダーパスをくぐって根川緑道は続いています。下水処理場の北側を通って歩いて行くと、流れが広くなっている場所に出ました。《大池》という表示が目に止まりました。水面から茎を伸ばす水生植物。近寄ってみると、ぽつぽつと黄色い花
春風や言葉が声になり消ゆる池田澄子さんの句です。「増殖する俳句歳時記」より転載です。鑑賞(以下)は小笠原高志さん。句集や歳時記から気に入った句を見つけると、俳句手帖に書き記すようにしています。今回、池田澄子さんの句集「拝復」(ふらんす堂・2011)を拝読しているうちに、すでに23句を書き写しています。これはまだまだ増えそうです。なぜ、池田さんの句を書き写しているのかというと、句が気持ちいいからです。池田さんの五七五には、世界を浄化する装置のようなはたらきがあり、それが気持
河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の句、赤い椿白い椿と落ちにけりこの句はその昔、教科書に載っていたと思います。鑑賞がどのようなものか忘れましたが、句はしっかり憶えています。ネットでこの句の鑑賞を探してみると、今まさに椿が落ちているとする動画的に捉えるか、あるいは地面に散り敷いている紅白の対比(静止画)としてみるかで意見が分かれているそうです。どちらかというと後者だそうです。うん、多分後者でしょうね。動画とすると、その瞬間に立ち会うのは相当困難。教科書といえ
これは2021年2月22日のミモザの花。ということは、もうそろそろ咲くのかな。今年は寒かったのでもう少し先かもしれないな。ミモザを思ったのは昨日ミモザ句を取り上げられたブロガーさんがいらしたから。たくさんのミモザ句のなかには池田澄子さんの句もあり、それは、ゆらゆらの花のミモザとくらくらすいいですねぇ夢でもいいからご一緒にくらくらしてみたい。ということで、触発されて私も一句詠んでみました。幸福を「たとえば…」とかき花ミモザ「こういうのは俳句とは認めがたい、残念
今日は成人の日。自分が住む一宮市木曽川町の成人式は昨日だったようだ。図書館から帰る道すがら、木曽川中学校に向かうスーツ姿や振袖姿の若者を多く見かけた。成人年齢が18歳になったのだが、成人式を18歳の新成人を対象に行った自治体は3つしかないとのニュース。ほとんどは、これまで通り20歳若者を対象にしたとのこと。まあ、なかなか急に、18歳、というは自治体も大変そうだし。とにもかくにも、せっかくの振袖姿が映えるためにも、天気が良かったのは、なにより。で、俳人の池田澄子さんの冬の俳句がおぼろ
元旦から2日続けて、朝は雑煮を食べて、元旦は、娘と息子、家族4人でかみさんの実家へ行き、義母と一緒に、昼は「蟹の花」の豪勢な蟹づくしを食べて、夜は、回転寿司からのお持ち帰り、さらに、本日は、自分の実家へ行き、母親と兄貴の6人で、鰻のひつまぶしを食べに、何とも贅沢な正月を過ごしている。さて、いつもは、会社へ行く時には、朝5時に起き、在宅勤務の時は朝6時10分くらいに起きて、いずれも、7時ちょっと前から仕事開始、となるのだが、正月は、8時起き。単純に寝床に入る時間が遅いと言えばそれ
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」俳人、池田澄子さんの一句。録画してみるテレビ番組の1つ、プレパトの俳句コーナー。その俳句の先生、夏井いつきさんが著作の中で取り上げていた好きな俳人池田澄子さんの句である。過去に夏井先生の著作やプレパトでの俳句などなど、いろいろ見てきたが、この俳句は読んだ瞬間に衝撃が走った。蛍が、誰と会話しているのか?誰の思いなのか?もしかすると、植物と?もしかすると、川辺の花?もしかすると、てんとう虫?もしかすると、、、、じゃんけんで負けていたら、どうなっ
今回も溜まりました大雑把に書きますね🍎🍎🍎『思えば生まれた日以来、母と私は同じ年齢差で生きてきた。時には手本に、あるときは性格の違いに驚いたりしながら生き合ってきた。その人が突然、老人になったのだ』池田澄子さんの「本当は逢いたし」のなか(21頁)でこう書いているそこまで読んで私は立ち止まって自分の思いを探っているこういう気づきに「ふと」引き止められる誰にでもそんな思いに気づくことがあって容易に時に流してしまえない何かを掴もうとしてしまう九十二歳になる母親と
夕しぐれ一生一度の絶命にお約束では井上弘美さん著『読む力』・池田澄子の句の(その三)と銘打つところなのですが、いや、もう、このままご鑑賞くださいと申しあげたくなりました。掲句は池田澄子さん、お母様への追悼句です。母よ貴女の喪中の晦日蕎麦ですよなどの句と共にあるという。生物である人間が死ぬのはあたり前、って理屈では分かっているけれど、その死は、かけがえのない親の「一生に一度のこと」だったと、あらためて気づかされ、その重さに、潰れそうになり
死んでいて月下や居なくなれぬ蛇池田澄子以下、井上弘美さんによる鑑賞文です。〈蛇の悩み舌がヒラヒラ出てしまう〉〈穴に入る蛇の自愛やどうぞどうぞ〉など、『思ってます』には、「蛇」の句が数句登場する。どの句も作者ならではの発想と表現方法で書かれていて面白いが、掲出句は「蛇」の死を据えて鮮明だ。この句は、死んだ「蛇」が月光を浴びて、草むらに白く浮かび上がっているような光景を思わせる。「月下」の「蛇」が闇の中で発光しているような、幻想的で厳かな光景だ。生きていれば、するす