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1979年の今日は島根県出雲市体育館での大会でした。前半戦ラストルーシー&横田&堀(不明)池下&小峯&ゴメスセミ◯トミー(体固め)ビクトリア☓メインジャッキー&ナンシー(1-1)マミ&天神☓ナンシー(体固め)マミ◯◯ジャッキー(ブレーンバスター)天神☓△(両者リングアウト)△このほかはミミ、ちの、川上、高橋三奈、リオスの5人。シングル2試合が組まれていた可能性が高いです。第1試合でこのころ、若手の勝ち抜き戦が多く行われていたので、川上、髙橋にちのかミミが入っての勝ち抜き戦
池下の背中です。大阪でのナンシー&ルーシーとのタイトルマッチの中の1枚。小さな巨人というか、しっかり練習している身体つきですね。
1980年の今日はこんな大会でした。A班は沖縄、B班は小名浜。貴重な長谷部や萩原まりこの結果も載っております。この日のデイリーはやる気満々ですね。しかし、A班のメイン、転記でミスしており、たぶん、三本目横田がゴンザレスからとっているんだと思われます。基本僕はデイリーからノートに結果を転記する場合、左側に勝者を書くように当時はしていたので。伊藤(タランチェラ)が、背骨折りでかつところがすごいですね。なんかあの細い身体から想像がつきません。そして萩原まりこも大森と引き分けるとはやっぱ
今日はどんな大会だったか、をやろうかな?とノート開いていたらびっくらこきマロでした。みてください、なんだこのメインは(笑)もちろんブラックペアの前なのでこんなカードも当たり前ではあるけれど、ブラックペア以前の池下は会社に持ち上げられている感はまったくなく、ほとんどメインに登場しないんですよね。たぶん地味な選手という目で見ていたのではないでしょうか。しかし、実はテクニックもインサイドワークももった素晴らしい選手だったので阿蘇と組むことで一気に殻がやぶられて悪のトップにたつことになるんですが
1980年のこの日はどんな大会だったでしょうか??A班は宮城県の迫町??新聞から転記のため、町のなまえが間違っていたらごめんなさい。この日はメインしか記載がなく。ジャッキー&堀(2-1)デビル&ウエンディー◯堀(体固め)ウエンディー☓☓堀(体固め)デビル◯◯ジャッキー(脳天砕き)デビル☓B班は長浜しかノートに書いておらず、どこ?って感じです。何県の長浜なんだろ、、、、ナンシー&ルーシー(2-1)池下&サラサー☓ルーシー(回転エビ)池下◯◯ナンシー(体固め)サラサー☓◯ナンシ
先日デビュー記念日のときに、クレーン・ユウがSNSにあげた写真の1枚にタランチェラとのマスクウーマンズの1枚があったのだが。もちろん極悪の一枚だったり、新人王3位のときの写真だったりもあった中の一枚ではあるけれど。タランチェラのことをなかなか取り上げる方がいないなかでなんか新鮮でした、とっても。なかなか表にもでてきてくれないタランチェラ。みなみが今回でてきたように、なんかのタイミングででてきてほしいものです。仲良かったデビルともいまは連絡とっていないようなので、残るはミミでしょうか!?
ジャガーとの試合で微妙なカウントで負けたデビルが「こんな会社辞めてやる!」事件は前にも動画をあげて記事にしたことがありましたが、今発売中のGスピリッツに立野インタビュー後編がのっており、そこにレスラー側からみたことが書かれてました。最後のフォールに対してデビルは怒ったのでなく、途中でカウントとる場面でレフリーが肩がついているかの確認ばかりして一切カウントをとらなかったことに怒っていたようです。ということは負けたことがどうのこうのではなく、レフリーの公正なレスリングがやっていて感じ取れなかった
1980年の今日はどんな大会?をやろうと思ったら今日はやすみでした(笑)第二次ビックパワーシリーズが翌日から始まるのですが、そのシリーズでついに2班体制がスタートします。開幕の平塚(長与が急遽デビューした長与千種ほんとのデビューの日)と今日話題にしようと思ってる昭島大会を一班で興業おこない、6日から二班体制スタート。5日の昭島は前にも取り上げたと思いますが、師玉&伊藤(0-1)池下&ロメロ☓師玉(体固め)池下◯セミ謎なのですが、たぶんモンスターと横田のシングルだと思われます。メイ
中学二年コースに載ったふたつのペア。ふだんから仲いいの?という質問に、阿蘇が「仲いいわけない」と返答。ビューティも「控室が別だから」と。「口をきいくれって頼まれたってこっちから願い下げだね」は池下(笑)ジャッキー立ち上がって「なによ、そのいいかた、お互い様よ!先輩だと思って少し我慢してればいい気になって」だそうですが、池下は同期でありながら半年後輩です(笑)ネットでみつけたものなので2ページしかわかりませんが、まだ続きそうな感じですね。内容は、ほんとなんにも無いような、、、中学生向
池下と熊野の韓国遠征もなぞだらけでしたが、詳細がわかりました。1978年4月28日〜5月4日に韓国に遠征にいったそうです。向こうでは日本のタッグチャンピオンと紹介されていたそうですよ。実際にふたりがタッグチャンピオンになるには1年後なんですけどね(笑)自国でないとみんな適当な扱いになりますよね。まさか、WWWAタッグのベルトとかもっていって向こうで防衛戦とかやってないですよね?日本ではその時期ゴールデンの防衛戦はないから、借りていってもおかしくはない!?!?
池下といえばバックドロップ固め、バックスープレックス(当時はそう放送で言われてました(笑))フェイスバスター、頭突きとヒールでありながらいろんなテクニックをこなす小さな巨人ですが。卍もよくつかってましたよね。猪木のように大きい人がかけるより、池下、赤城、富士美のような小さい選手が大きい選手にタコのように巻き付く感じが、オクトバスホールドそのものですきでした。悪さもする、テクニックも一級品、うまい選手でしたね。
昨日に引き続き1979年の今日をあげてみます。堀(不明)小峯トミー&ヤングペア(1-0)池下&インディア&高橋◯トミー(体固め)高橋☓セミ△ビクトリア(時間切れ)ルーシー△メインジャッキー&ナンシー(1-2)モンスター&マミ△(両者リングアウト)△☓ナンシー(体固め)モンスター◯第1試合は堀と小峯だと思われる。堀の対戦ノートより。ただし、結果は不明。第二試合は鋤崎、赤城、ミミ、ちのが残っているのでたぶんラブリーvsシルバーなんではないでしょうか??あくまで憶測ですが。この
1979年の今日はどんな大会だったでしょうか??堀(??勝敗も不明)鋤崎真澄クイーン(1-1)ヤングペア△(両者リングアウト)△セミ◯ジャッキー(体固め)インディア☓メインゴールデン&ちの(1-2)ブラック&モンスター☓ちの(逆原爆固め)池下◯◯富士美(回転エビ)マミ☓☓ナンシー(脳天砕き)モンスター◯休憩前ラストは同期生対決。ヤングペアはクイーンエンジェルスに本当によく善戦していて、タッグリーグの準決勝では負けましたが何度も同期対決を引き分けており、クイーンにとってもち
ネット検索していたらこんなシールが売ってましたが、ソールドアウト。欲しかった(T_T)ビューティはなぜか私服。初代ブラックペアに後のゴールデンペア。そして赤城はガウンと水着とツーパターンあったかな?ビューティはこれ以外にふたりのいろんな◯いシールがありました。なんの付録だったのでしょ。ナンシーのオレンジ色の水着も懐かしいし、富士美のこのオーソドックスなリングシューズも懐かしい!ゴールデンペアのところだけでも手に入らないかな〜
3月16日(日)Scene2神戸:~Scene1よりつづく~立ち食い蕎麦屋で腹ごしらえ生田神社前を通り、チキンジョージへ関西地区のリーダー格であるスズ姐さんが積極声掛けし、トモの〝バンド〟ファイナルLIVEに大勢の仲間が集結こちらは、スティービー和田さん📯ナオちゃんはいつもSEXY兄弟分トモのファイナルステージを見つめるシン(いい奴だ)終演後、会場内での打ち上げにも参加トモ「川村の兄貴に来てもらえると思てなかったから、嬉しいわ」池下ユミさんの名前を聞きつけ、スティー
1977年の今日は石垣島での大会でした。前日に続いて2日連続。セミ◯赤城(あばら折り)ケーシーカー☓メインマキ&金子(2-1)池下&オリアーナ◯金子(逆さ押さえ込み)オリアーナ☓☓金子(人間風車)池下◯◯マキ(ビューティスペシャル)池下☓ちなみに前日は◯金子(逆さ押さえ込み)ケーシーカー☓セミ◯マキ(体固め)池下☓メイン赤城&富士美(1-1)阿蘇&オリアーナ☓富士美(体固め)阿蘇◯◯赤城(人間風車)オリアーナ☓△(両者リングアウト)△ジャッキーは前半戦で調整だ
画質悪いですが、、、池下より小さい阿蘇。あの迫力あるヒールをこの小さい身体で演じきったったすごすぎます!!しかもこの写真、うちまた?!?(笑)そこがまたかわいらしい阿蘇なのでした。
1977年にビューティから初代ブラックペアにタイトルが移動すると、その後ジャッキーとナンシーがペアを組み、王者につくのだが、実はマキと富士美が先に挑戦しているのだ。1977年7月12日札幌大会ブラックペア(2-1)マキ&富士美◯阿蘇(人間風車)富士美☓☓池下(サイドスープレックス)マキ◯◯池下(レフリーストップ)富士美☓この試合のラストは富士美の脱臼なんでしょうか??それとも別のところを怪我したのか、、、(知ってる方いらっしゃいますか?)翌日はメインしか記録がわからないため、富士美
1979年の今日はどんな大会だったでしょうか?きったない字でごめんなさい。小学生のときにとったメモを日ごとに高校の頃?だと思うのですが、、、書き直した1979年の戦績のノートです(笑)小学生や中学生の頃のほうがきれいにかいていたような(笑)日米対抗戦まっただなかの今日、トミーはレイラニカイニに勝利し、富士美はジュディマーチンと引き分け。ファンとしては悲しい引き分けでした。そしてセミはルーシーとちのという珍しいペア。しかし敗退。メインは横田を起用した六人タッグ。大会の最後はしっかりと
ジャッキーとナンシーがWWWAタッグを巻くと、阿蘇引退をうけてブラック軍団が結成され、ジャッキーのライバル池下と、ナンシーのライバルビクトリアのペアが誕生。正式なペアにはなっておらず、残念だけれど、意外とつよかったのだ。初タッグは1977年10月5日大分大会メインジャッキー&ナンシー(1-1)◯ジャッキー(体固め)富士美ナンシー(バックドロップ)池下◯△(両リン)△いきなり王者と引き分けこれは10月8日の前哨戦10月8日長崎大会メインWWWAタッグジャッキー&ナンシー(
極悪女王が流行っているようですね〜いいことです!が、ぼくは極悪女王ではなく自分が好きな全女すべてをブログにしていきたいので、旬な話題ではないかもしれませんが、ご了承ください。だって、検索すればだれもが極悪女王について語ったり、ユーチューブも流行りに乗ろうと必死に知らない人が語っていたり(笑)ぼくはそんなこんなで自分のすきなように全女愛を10年以上ブログで語らせていただいているので、今後もそのスタンスでいきますので、よろしくお願いします。というわけで、1978年の今日は!?めんどくさく
1981年の新春、2班体制が1月中旬から2月上旬まであったあとは横浜文体のすこしあとまで合同の興業が行われておりました。2大エースのジャッキーとナンシー。あれ?ルーシーが載ってないんですね。そして池下も文体前、1週間、試合をくまれずに休んでいたと、たしかテレビでちのが言ってたような、、、だからコンディション作りが大変だったと。ミミとの試合に向けて会社は嫌なことしますね。そしてミミより堀のほうがこの時点では会社の期待値は上。しかし、1ヶ月後にはタイトルホルダーはほぼ入れ替わり、この時点
ビューティとブラックペアの対戦から一枚。池下は三代目のマミと水着とシューズを揃えてペアっぽくすることはなかったけれど、阿蘇との初代ブラックペアは着るものからペアっぽく、何パターンかおそろいがあり、体型も似ていることから覆面を付けた試合などでは入れ替わり作戦なども成功しやすかったかも。阿蘇にとったら最初の会社からの猛プッシュ、極悪同盟ができたときのダンプとユウのように、このブラックペアにかけていたのかもしれませんね。背が小さいふたりですが、二人ともうまいからこそ大きなビューティ、ジャッキー&
ブラックペアの前のふたりのパンフの写真。池下、斜め前みてませんか??(笑)池下はまったくヒールっぽくないボーイッシュな女の子って感じだし、阿蘇は裏では怖いんだろうな、このお姉さん、って感じですが、ふたりとも女性らしくていい写真です。まさか1年後にヒールのブラックペアを立ち上げるなんて思ってもみない一枚ですね。
1978年のタッグリーグの開幕戦、全選手の入場セレモニーですが。ヤングペアから左側、ビューティ、クイーン、ゴールデンを中心とした写真が出回ることが多いですが、この写真はジャッキーを切ってまでもシルバーとブラックが載っていて貴重!しかしブラックの横にいるメキシカンペアはほぼみたことがなくて。ほんと全員が写った写真、どこかにないですかね〜。
先日大森ゆかりが池下ユミに会いにいってインスタに載せていたが、キャリアで5年離れており、ふたりの関係はそこまで深くないようにも思うが、実は大森が1981年には1月から5月までB班にレンタルされていたので当たることもたくさんあったのだ。そんなデビュー1年たってない大森と、引退間際の池下の対戦はどんなだったのか、調べてみた。大森がデビューしたのは1980年7月20日A班の苫小牧、伊藤と引き分け。あっ、伊藤って最初はA班だったんだといま気がついた(笑)大森はデビューした年はA班でメインにでるこ
1979年の10月、川崎での日米対抗戦決勝の日、ジャッキーがビッキーウィリアムスと戦い、優勝。またセミではナンシーがムーラのNWAに挑戦と外国人相手の大一番が並んだ大会だったが、トミーと池下で3位決定戦も行われていた。その中からの一枚。ジャイアントスウィングで追い込むが、逃げられて引き分けに。結局三位はふたりで仲良く?痛み分け。この日米対抗戦に関しては思うところがたっくさんありますが、またそれは後日に。この三位決定戦は日本人対決だけど、、、、ピストルだったのでしょうか??いや、違いま
1980年2月の大阪でのWWWA世界タッグからの一枚。リングではマミと、ナンシーかルーシーが戦っています。それを見守る池下。この人、小さいのに背中は大きく感じますよね。20そこそこの若い女の子なのにほんとにしっかりしたお姉さん的な方でしたね。このあとベルトを失うとは思ってなかったのか、それともガチンコではない試合だったのか、、、リングアウト決着で移動だったので、たぶんガチンコだったんだと思いますが。池下の背中をあげてみました(^^)
1978年の初春のチケットに載った一枚。池下がやっつけているのはだれだ!!ビューティっぽくはないし、富士美っぽくはない。となると赤城ナンシー横田小宮山冨高あたりでしょうか??玉岡は前座以外での試合の結果をデイリーでみたことないので、たぶん除外、、、漆原、鋤崎、塙、熊野、高橋はヒールに前年秋から組み込まれているので違う。となるとだれだ!赤城が可能性的に高いでしょうか??
アパッチという1977年に創刊された月刊誌に載ったブラックペア。ビューティ・ペアではなくブラックペアをとりあげるあたり、男の人をターゲットにした雑誌っぽいから納得?くたばれ!ビューティ・ペアという内容で3ページにわたり載ったようです。