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徳に勤むる者は、これを求めずして、財自から生ず西郷隆盛(1828年-1877年)西郷隆盛(さいごうたかもり、旧字体:西鄕隆󠄁盛󠄁、1828年1月23日(文政10年12月7日)-1877年(明治10年)9月24日)は、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人[1]。薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。西郷
徳川家の存続慶喜の助命江戸総攻撃の中止海舟ひとりが負わされた使命はあまりに重い。海舟は、さっそく嘆願書を四方に発信した。必死であったろう。自分の命のことではない。歴史の分岐点にいることを海舟は実感していたはずだ。日本の安危が自分にかかっている。海舟は、慶喜名義や徳川家名義で朝廷に嘆願書を送っているし、自分の名前でも越前松平家を通じて朝廷に働きかけている。海舟は海舟で、徳川家には至上の愛着があったはずだ。しかし、歴史の表舞台からは消えるしかない。愛する者の葬式の喪主のつもりだ
大政奉還などという芸当は、まっとうな人間ならまずできることではない。独公独橋独木公いずれも大政を奉還した最後の将軍・徳川慶喜のあだ名である。孤独の独、独断の独、独りよがりの独慶喜は、盟友や家臣や周囲に相談することなく独断で重要な決断を下す孤高の将軍だった。そもそも友などいたのだろうか。家臣に対しても配慮や思いやりが不思議なほどなかった。貴人、情けを知らず。百才あって一誠なし。などと酷評された。しかしそんな慶喜だからこそ、大政奉還を成し得たといえる。異常なまでの独断で果断
言葉が役に立たないときには、純粋に真摯な沈黙がしばしば人を説得するウィリアム・シェイクスピアウィリアム・シェイクスピア-Wikipediaja.wikipedia.org純粋に真摯な沈黙である事を相手に分からせるには普段から有能で多弁である事を知らしめる必要がある。「彼ほどの人物が、沈黙しているんだから・・・」って思わせないと説得は出来ないよね。なんとなくだけど。西郷さんとか上手そう。「江戸無血開城」は、最後は沈黙で決まった、とかあり
1日の終わりに哲学でアモールファティ(運命愛)を深めるひと時。令和哲学者Noh先生とチームで開催している令和哲学カフェ。物づくりはAIと3Dプリンターがやる時代。人間は何をすればいいのか。今年一年と来年の抱負を漢字一字で語る、自己紹介がありました。個性的でおもしろいく、元気が出ました。課題から目を背けるのではなく、正面突破していこう。「SAMURAIを哲学する」月曜日:宮本武蔵の冨沢亮太さん火曜日:新渡戸稲造の塩見典子さん水曜日:坂本龍馬の荒
せめて人前では「これでいいのだ」だけ|あんべさん♪(ameblo.jp)金もいらぬ名誉もいらぬ命もいらぬという人は始末に困るがこのような人でなければ艱難を共にして国家の大業を為し得られない西郷隆盛山岡鉄舟を評しての言葉これから日本を導く人は「このような人」が在って欲しいです
このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。リンクを貼はらせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)さて、御承知のように、徳川慶喜が謹慎していた上野・寛永寺には、江戸無血開城によって江戸の治安を統括する組織として認定されていた旧幕府勢力・彰義隊がありました。なお、母校の医学部の最寄り駅の一ひとつに、J.R.日暮里駅があります。
この記事は、11日に映画『ひまわり』を見た後に、大田区洗足池のほとりにある『勝海舟記念館』を訪ねた記録である。『【勝海舟記念館】洗足池周辺を散策前篇大昔、卒業した中学校』一昨日(11日)、東京・大森の『キネカ大森』という映画館で、映画『ひまわり』を見たことは既に書いた。『【映画『ひまわり』】ウクライナの『ウの字』も出てこない…ameblo.jp上記の『前篇』の続きだ。こういう形の建物がユニークであり、また低料金なのも魅力だ。ただし、もったいないことに、私が訪ねた日は『桜の季
豪華で精巧レトロひな人形松任ふるさと館-中日新聞中日新聞明治時代に銀行業で成功した吉田茂平(一八六六〜一九三六年)の邸宅を移築した白山市殿町の市施設「松任ふるさと館」で、吉田家ゆかりの豪華な...ウクライナ侵攻バレエ留学できない日本の若者の夢にも影響-NHK.JPNHK.JP大使館からの電話は「留学とか日本に帰る帰らないの話ではなく、生きるか死ぬかの話になってきています。ただちに帰国して下さい」という緊迫したものでした。歴史チップス2022年3月号侵攻味更新本日
ちょっとした歴史、100円書斎Love。江戸から学ぶ講演記録集弐台東区役所で手に入れました。「江戸から学ぶ講演記録集弐」江戸城無血開城の話とか、五重塔の話とか、なかなか面白い。西郷像のことについて、奥さんがこんな人じゃないと言ったのは顔ではなくて、服装がこんなだらしない恰好はしなかったということらしい。たしかに、奥さんにとっては大問題だったろう。しかし、作った側には西郷に親密だった弟の従道や従弟の大山なんてのもいたので、新し望まれる西郷像をクリエイトしたということなんだろう
<平成4年新春散歩>シリーズは今日が最終回となります。憩いの場でありパワースポットでもある洗足池の東岸は、幕末〜明治維新期の英傑=勝海舟に縁の地として、実は有名です。現在は大田区立大森第六中学校となっている敷地は、かつて勝海舟の別邸=洗足軒の跡地なのです。この直ぐ傍の池畔には、いにしえの時代に日蓮上人が袈裟をかけたという伝説がある"袈裟懸けの松"という名所もあります。洗足池東岸の中程の池畔に家族連れに人気の公園があります。その公園を緩やかに見下ろす所に、勝海舟
飫肥城跡に正月飾り|日南テレビ!(公式)日南テレビ!日南市の城下町、飫肥(おび)城跡にある大手門と豫章館に、江戸時代・旧飫肥藩主の伊東家から伝わる、門松としめ縄が飾られ、正月を迎える準備が12月17...クリスマスの伝統菓子「シュトーレン」が和菓子に!?『新江戸シュトーレン』を5日間限定で販売...PRTIMESホテルニューオータニ(東京)パティスリーSATSUKI『新江戸シュトーレン』https://www.newotani.co.jp/tokyo/restaura
両国小学校から両国公園へここ両国公園は「勝海舟誕生の地」にあたるそうです。勝海舟は文政6年(1823年)に、ここ両国公園(旧本所亀沢)の父、勝小吉の実家である男谷家に生まれ、幼名・通称は麟太郎。勝海舟の祖父にあたる、男谷平蔵が三男の小吉にも幕臣旗本株を買い、それが(無役40俵取の小普請組の)勝家で、小吉は勝家の当主となります。その後も男谷家に勝家を同居させていたため、男谷家の家で海舟は生まれましたそして7歳のころ、本所入江町(現在の緑)に引っ越したそうで海舟は幼少期
吾妻橋から隅田川を渡りアサヒビール本社前への北側・・・墨田区役所と東京スカイツリーその広場に立っているのは江戸幕末、三舟の1人勝海舟三舟については勝海舟(通称・麟太郎、名は義邦、安房、安芳とも)は、文政6年(1823年)、江戸本所亀沢町(墨田区両国四丁目付近)で、父小吉の実家男谷家に生まれたました。海舟は幕末明治の激動期に、長崎海軍伝習所に入門し、江戸に軍艦操練所が開設されると、長崎から江戸に戻り、軍艦操練所教授方頭取となりました実は頻繁に
茗荷谷駅近くに、春日通りと千川通りを結ぶ、約500mほどの、通称「播磨坂桜並木」「環三通り」「環状3号線」とも呼ばれている通りがあります。もともと「環状3号線」は東京市の関東大震災復興計画をもとに、第二次大戦後に東京都の戦災復興計画で決定されました。しかし資金難で、一部区間のみの開通となりした開通区間は通称として「環状3号線」と呼称されることもあるようですが・・・現在の外苑東通り・播磨坂・言問通り・三ツ目通りが計画の環状3号線に相当するそうですちなみに「播磨坂」の名
令和の御代の維新とは何か!明日八月十五日、靖國神社に祀られる英霊に参拝するにあたり、心に浮かんだことを記しておきたい。明治維新は、徳川慶喜の「大政奉還」(慶応三年十月十四日)を受けた「王政復古の大号令」(慶応三年十二月九日)が出発点である。この大号令は、黒船来航からの十五年間を「癸丑(嘉永六年)以来未曾有之國難」と位置づけ、「王政復古」が「国威挽回之御基」であるからこれから「神武創業之始二原キ(もとづき)」「各々・・・盡忠報國之誠ヲ以テ奉公致スベク候事」としている。ま
「広辞苑の罠」や「勝海舟の罠」が大きな話題となった水野靖夫さん(妙円寺の信行会でも講師をお務め下さいました)の新刊、「江戸無血開城」の真実が発売されました。歴史の真実が本当はどこにあるのか、探求するのはロマンがありますね。おすすめの作品です。定説の検証「江戸無血開城」の真実西郷隆盛と幕末の三舟山岡鉄舟・勝海舟・高橋泥舟|水野靖夫|本|通販|Amazon
やってくれましたね。ワクチン接種直後に60代男性死亡高知・南国市「因果関係不明」(毎日新聞)-Yahoo!ニュース高知県南国市が4日に実施した新型コロナウイルスのワクチン集団接種で、60代の男性がワクチン接種直後に会場内で倒れ、死亡していたことが分かった。市は「遺族が公表を望んでいない」として事実関係を明らかnews.yahoo.co.jp「接種直後に会場内で倒れ、救急車で搬送された際は心肺停止の状態で、病院で死亡が確認された」これはもう、即死と言っていいでしょう
少しばかり、山岡鉄舟に関する情報をお届けしたい。最近、昭和12年に春風館から刊行された『山岡鐵舟先生正傳おれの師匠』の文庫版が登場した。私はまだ見ていないけれど、ちくま学芸文庫から出ているようだ。手軽に文庫で読めるのはいいことだ。ただ、旧漢字旧仮名遣いにチャレンジしたいと思う方は、ぜひ古書をみつけて読んでみてほしい。古文書への入口になるからだ。また、『定説の検証「江戸無血開城」の真実』(水野靖夫著)が出た。過去の出来事を明らかにするために、あたかも裁判のように証拠の収集が必要なことがある
江戸無血開城・・・慶応4年(1868年)江戸幕府の本拠・江戸城が新政府東征軍に無血で明け渡された事件。東征軍参謀・西郷隆盛と幕臣・勝海舟の会見によって武力攻撃は直前に回避され、徳川慶喜の助命と徳川家の存続を条件に開城が行われた。(聖徳記念絵画館壁画「江戸開城談判」)(2018年大河ドラマ「西郷どん」より)お話しは変わりますが・・・前回の記事にも書きましたが、2月17日(水)に休暇をいただいたきました。東京都美術館で絵画鑑賞の後、新富町のとあるお寿司屋さんに行ってみ
久々にブログを書きます。今日,1月30日はボクが大好きな勝海舟の誕生日なのです。誕生日と言っても,これは旧暦のお話。勝海舟の誕生日は西暦では「1823年3月12日」ですが,これは江戸時代まで使われていた旧暦に換算すると「文久6年1月30日」にあたるのです。ちなみに,この年はペリー来航の30年前,大政奉還により江戸幕府が滅亡する44年前にあたります。勝海舟は幕府直参の御家人の家に長男として生まれています。あまり歴史に詳しくない人でも、長く続いた貧乏話や坂本龍馬との交流などは
みんなへつうしん12月1日(火)昨日,社会の歴史では,ついに日本最大の革命,「明治維新」の学習に入りました。何をもって〈最大の革命〉と呼ばれているのかは,これから勉強していくとわかっていきますが,昨日の問題は,「黒船が来たときに,多くの民衆はどんな様子だったか」を予想するところから。大砲をつんでいる船艦が,開国を迫っているわけですから,国をあげての一大事です。みんなの予想では,「戦う準備を始めた」とか,「オランダや中国
「非戦」の論理で慶勝が長州問題を穏便に処理しようとしたことを裏付けるような鳥取藩主の書状が残っています。それによりますと、「密策の上においての策略謀計も種々御座候」とあって、慶勝には深い考えと策略があったというのです。さらに慶応三年(1867)一二月九日の王政復古のクーデターで幕府が倒れ、その翌年正月早々、旧幕府軍が薩長の挑発に乗って鳥羽伏見(京都市)で敗れますと、慶勝は朝廷から「姦徒を誅戮し、諸侯を勤皇へと導け」という命令を受けます。まず彼は名古屋にもどり、藩内の佐
「歴史にifがある」江戸無血開城には、勝海舟と西郷隆盛の直談判によるだけではなく、山岡鉄舟や皇女和宮、天璋院篤姫らの陰ながらの大事な役割があった。もしも江戸が戦火にまみれて江戸城が焼き払われたならば、その後の明治政府のインフラが大きく遅れ日本の近代化の歩みも遅いものになったであろう。また、例えば、鳥羽伏見の戦いのとき徳川慶喜が大坂から江戸に敵前逃亡せずに、もしも旧幕府軍と新政府軍が戦い続けてしたとしたならば、イギリス、フランス、ロシアなどの列強国が虎視眈々と日本の領土を狙って、国防力に
今日は、梅雨空の合間の晴天に恵まれたので、大田区の洗足池に昨年オープンした大田区立勝海舟記念館に行ってきました。洗足池は勝海舟の別邸があったところで、ご夫妻の墓標も洗足池畔にあることから、何度か訪れたことはあるのですが、コロナ禍のなか、ようやく勝海舟記念館に行くことができました。勝海舟別邸があった場所は、現在、区立中学校になっています。勝海舟別邸の先に区立勝海舟記念館はあります。記念館は、勝海舟に関する図書を収集保存、公開することを目的に昭和8年に建てられた清明文庫を改修、増築した建物で
1888年7月19日に幕末の幕臣であった山岡鉄舟が亡くなりました。高橋泥舟、勝海舟とともに幕末の三舟と言われています。幕末の江戸城無血開城の時の西郷隆盛と勝海舟が会談をする前に山岡鉄舟は西郷隆盛に会い、話をまとめていました。江戸城の無血開城は、勝海舟だけでなく、幕府の様々なルートから交渉がされました。西郷隆盛は山岡鉄舟をこう評しています。「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。」幕末に江戸城が無血開城をして江戸の街が
昨日はオンラインレッスンでしたが、自宅に居ながらレッスンが受講できるのが魅力だと思います。あとはご注文があった譜面を作成しながらCDやハーモニカのご注文の対応など事務処理をしていました。話はガラっと変わりますが、あまり読書出来ていなかったのですが、司馬遼太郎さんの竜馬がゆくを読んでいます。歴史が好きな方は愛読されている本だと思います。坂本龍馬と言えば土佐藩出身で亀山社中(後の海援隊)の結成や江戸無血開城(江戸城明け渡し)の立役者、船中八策(諸説あり)などは多々あります。久しぶりに歴
「アマビエ」人気商品にコロナ退散にご利益?函館にも“出没”47NEWS疫病退散にご利益があるとされる江戸時代の妖怪で、新型コロナウイルスの感染が拡大する中、会員制交流サイト(SNS)などで...記事全文を読む❯...盛岡・桜山神社に「アマビエ」人形「長く展示しなくて済むように」願い込め盛岡経済新聞アマビエ」は、江戸時代に現在の熊本県に現れたといわれる妖怪。「もし病気が流行した時には、自分の姿を映して人々に見せるように」と伝えたことから、疫病を...今日は何の日