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ごきげんいかがですか気が付けば11月も最終日そして本日は上弦の月ということで本日の香りは「MOON」でございます満月もその名の通りに満たされた気持ちになりますが毎日同じ表情ではない月が私は大好きですこのお香は月光浴をしているような気持ちになりますあなた様にもお月様の美しくやわらかな光が降りそそいでいますようにお祈り申し上げますでは本日もどうぞよろしくお願いいたします第59番札所仏寶山西光院無量寺さんです住所は北区西ヶ原でござい
2022年1月22日参拝🚲調布市の常楽院さんへ参拝🙏江戸六阿弥陀の5番札所です。事前にお電話📞でお約束して伺いました。(御朱印頂く時は事前にお寺にお電話してご都合聞いて伺ってください。)オリジナルな獅子舞のイラストが可愛らしいです🥰来月の御朱印も楽しみにしております。
気分よく亀戸水神宮を出て次の目的地常光寺さんを目指します。スカイツリーがよく見えます。元がデカいのでかなり近くだと錯覚しますが約2.3㎞離れています。とはいえ徒歩で約30分なので、やっぱ近いですね。と見とれていたら常光寺さんの前でした。六阿弥陀道道標七福神めぐりのことを考えていたのでうっかり失念していました。そうだ、江戸六阿弥陀さんだった。曹洞宗寺院の常光寺は、西帰山と号します。常光寺は、江戸六阿弥陀巡礼6番目の霊場、江戸を出て最初の巡礼地として栄え、
亀戸石井神社から常光寺へ向かっています。以前アド街(テレ東)に登場した「さとうパン」の前を通ります。コッペパンと食パンのみというパン屋さんです。ジャム、バター、ピーナッツクリームというラインナップも、給食感満載です。目立つ看板も出てないし、完全に地元のお店って感じですね。常光寺の墓地の前にやって来ました。UR住宅とのコントラストがシュール。間には北十間川が流れています。山門が閉鎖されていて、「げっ庚申塔見れないか」と諦めかけたのですが、他に入口がないかを確かめるべく
天平年間に行基上人が開創と伝わる寳王山常樂院長福壽寺もともと東叡山寛永寺ノ門前三橋のあたりにあり江戸六阿弥陀様の第五番の巡礼場所として有名でしたが先の大戦の戦火によって焼失し調布にあった無住のお寺福増山延命院蓮蔵寺と合併する形で調布に天台宗福増山常楽院長福寿寺が誕生しましたその別院の阿弥陀堂が湯島にあります常楽院別院阿弥陀堂江戸名所図会江戸地図
もともと長福寺という名前の寺院だった真言宗豊山派佛寶山西光院無量寺は平安時代よりこの地にあったとされる古刹。9代徳川将軍家重の幼命が長福丸であり同じ名を避けるため無量寺にしたと伝わっています。泥棒が堂内に侵入した際に不動明王像の前で動けなくなったことから足止め不動といわれている。地蔵尊ことぶき地蔵尊山門中門残念な事に檀家や御朱印の方以外入山お断りだそうで今回はここまで以前は入ることは出来たんだけど最近マナーが悪いのかな?江戸名所図会の無量寺
江戸六阿弥陀の第1番の真言宗豊山派三縁山無量壽院西福寺は平安時代末期の豪族豊島清光が娘足立姫が亡くなったことを傷み菩提寺として創建した身代り地蔵参道のお地蔵さんこのお地蔵さんのお隣にはお馬塚があります(写真なし)お馬塚は民謡「よさこい節」の主人公「修行僧純信と鋳掛屋の娘お馬」の禁断の恋のものがたりのお馬の供養塔があります参道奉石橋の石現在の豊石橋(土橋から石橋に変ったときに村人が感謝してこの名が・・・)石仏たち六地蔵尊山門(四天王門)四天王天井絵龍本堂ご本尊:阿弥陀
令和三年性翁寺寺歴令和三年(仏歴2564年、西暦2021年)●性翁寺開創から1,295年目(神亀3年春(726年)、行基菩薩が足立姫菩提所として開創)●性翁寺開山から529年目(明応元年(1492年)、龍呑上人により一寺建立)●足立姫没後1,297回忌(神亀2年(725年)、足立之荘司宮城宰相の娘・足立姫が水死の難に遭う。江戸六阿弥陀伝説の主人公・足立姫墓所)●行基菩薩没後1,273回忌(本尊「木余り如来」(東京都指定文化財)は悲運の女性・足立姫を弔うため、
谷中から田端方面へ行くと空海が創建したと伝わる真言宗豊山派の宝珠山地蔵院与楽寺がある山門参道脇の石塔石仏弘法大師像境内水盤鐘楼堂本堂ご本尊:地蔵菩薩(伝空海こと弘法大師作)江戸時代にある夜に盗賊が与楽寺に侵入しようとしたところ寺より沢山の僧侶が現れ盗賊と対決し追出した(これらの僧がどこから来たのか分らなかったが)翌朝になって地蔵菩薩の足に泥がついてことから地蔵菩薩の化身が盗賊を追出したと信じられ信仰を得た為「賊除地蔵」と言われるようになった客殿霊堂護摩堂阿弥陀堂(江
仏法山無量寺むりょうじ■真言宗豊山派■御本尊:不動明王■東京都北区西ヶ原1-34-8■札所:御府内八十八箇所第59番、豊島八十八箇所第59番、江戸六阿弥陀第3番創建時期は不明ですが、平安時代後期には当地に寺院があり、鎌倉時代後期の板碑も多数残されています。江戸時代には幕府から朱印地を授かり六阿弥陀の札所として賑わい、徳川綱吉の母・桂昌院も参詣した記録があります。以前は長福寺と号していましたが、徳川家重の幼名と同名を憚って改名しました。御本尊の不動明王は、盗賊が忍び
宝珠山与楽寺よらくじ■真言宗豊山派■御本尊:地蔵菩薩■東京都北区田端1-25-1■札所:御府内八十八箇所第56番、江戸六阿弥陀第4番、豊島八十八箇所第56番、上野王子駒込辺三十三箇所観音霊場第21番空海によって創建されたと伝えられていますが詳細は不明です。行基が彫った六体の阿弥陀仏を、地元の足立長者が一帯の寺にそれぞれ祀り「我ら一切の者に安楽を与える」に因んで与楽寺と命名された、という言い伝えもあります。御本尊の地蔵菩薩は寺に入った盗賊を追い出したという伝説から
癒しの空間は突然に現れました。秋バラ咲く庭園のほど近くにそのお寺はあります。無量寺(佛寶寺西光院無量寺)真言宗豊山派ご本尊・・・不動明王竹林の参道を過ぎた先には、緑に包まれた境内。参拝者はひとりもいません。ご本尊の不動明王には、ひとつの言い伝えがあります。~江戸時代のある夜、無量寺に忍び込んだ盗賊が不動明王の前で足が動かなくなり、捕らえられた~という言い伝えから「足止め不動」と呼ばれています。静かなひと時が過ぎていき
【所在地】東京都北区西ケ原3丁目12−6【正式名】補陀山昌林寺【宗派】曹洞宗【御本尊】聖観世音菩薩【HP】なし【電話】03-3910-2645木余りの件が解決しましたが江戸六阿弥陀には更に『木残り』がありました。御朱印には『末木観世音菩薩』と書かれていますが行基が六阿弥陀を刻んだ同じ木の末木から聖観世音菩薩を刻み祀ったのが当寺との事です。また、御朱印に『西国5番』とありますが、上野王子駒込辺三十三観音霊場
【所在地】東京都足立区扇2丁目19−3【正式名】龍燈山貞香院性翁寺【宗派】浄土宗【御本尊】阿弥陀如来【HP】http://www.kiamari.or.jp/【電話】03-3890-0967江戸六阿弥陀と言うこと名から六カ寺で終わりかと思いきや、『木余り』の寺がありました。HPによれば、六阿弥陀の起源となる悲運の足立姫の菩提を弔いために行基が六体の阿弥陀仏を刻み六カ寺が建立されたわけですが余りの木でもう一体
【所在地】東京都江東区亀戸4丁目48−3【正式名】西帰山常光寺【宗派】曹洞宗【御本尊】阿弥陀如来【HP】http://joukou.sakura.ne.jp/【電話】03-3681-7023第六番佛体をめぐりしまいしかめいどや六しん南無や阿弥陀仏当寺の名の由来は、『未来は常に光明を放つ身を得させる』ということから、常光寺と名付けられたとの事です。HPによれば、当寺の建立は737年で154
【所在地】東京都調布市西つつじヶ丘四丁目9-1【正式名】福増山長福寿寺常楽院【宗派】天台宗【御本尊】阿弥陀如来【HP】http://jorakuin.blue.coocan.jp/【電話】042‐484‐0900第五番陀くさんにとなへしくちのこの下谷五ともなしにひらくれんだい当寺の名の由来は、『常に一家和楽の福徳を授ける』ということから、常楽院と名付けられたとされています。当初は
【所在地】東京都北区田端1丁目25−1【正式名】宝珠山地蔵院与楽寺【宗派】真言宗豊山派【御本尊】地蔵菩薩【HP】なし【電話】03-3821-0976第四番弥なが今此世でたねをまけたばた四かも佛花にみのるうれしさ当寺の名の由来は、『我ら一切のものに安楽を与える』ということから、与楽寺と名付けたとされています。寺伝によれば、当寺の創建時期は不明なものの空海によって創建されたとの事です
【所在地】東京都北区西ケ原1丁目34−8【正式名】佛寶山西光院無量寺【宗派】真言宗豊山派【御本尊】不動明王像【HP】なし【電話】03-3910-2840第三番阿りがたや阿弥陀の浄土にしがはら三がいしゅしゃうのこるものなし当寺の名の由来は福寿無量に諸願を成就させるということから、無量寺と名付けたとされています。また、当寺は以前記事にした御府内88カ所霊場の59番札所となっており、本尊の
【所在地】東京都足立区江北2丁目4−3【正式名】宮城山円明院恵明寺【宗派】真言宗(単立)【御本尊】阿弥陀如来【HP】なし【電話】03-3890-0897第二番無がなへはみのりのふねでこすぬまた二たび元の道へ無かわん寺の名の由来は、『家内安全・息災延命の利益を授ける』ということから、延命寺と名付けたとされています。もともとの江戸六阿弥陀の2番は延命寺でしたが明治時代に恵明寺が吸収
【所在地】東京都北区豊島2-14-1【正式名】三縁山無量壽院西福寺【宗派】真言宗豊山派【御本尊】阿弥陀如来【HP】なし【電話】03-3911-2266江戸六阿弥陀とは、娘の死を悲しんだ長者が行基菩薩に阿弥陀仏の製作を依頼し、行基菩薩が一夜のうちに一本の木から刻みあげた六体を安置するために六か所の寺を建立したとの言い伝えによります。江戸の時代には人々が春秋のお彼岸に巡礼を行ったとされています。第一番
さて、江戸六阿弥陀めぐりの最後を飾るのは『末木観音堂』とも称されるこちらの寺院です江戸六阿弥陀3番霊場の無量寺はすぐ近くです順番通りにお詣りしたので、また戻る形になりましたJR上中里駅または地下鉄南北線西ヶ原駅から徒歩で10分ほどです♪『補陀山昌林寺』曹洞宗寺院ご本尊聖観音(末木観音)創建奈良時代江戸六阿弥陀木残北豊島三十三ヶ所霊場19番上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場5番昌林寺のご本尊ですが、行基菩薩が彫った六体の阿弥陀如来(江戸六阿弥陀)を彫った余り木で「木
今日・明日と江戸六阿弥陀の残りの2寺の記事となります今日は通称『木余り寺』のご紹介です日暮里舎人ライナーの扇大橋駅で降り、歩くこと10分ちょっとですあら♪予想外に近代的『龍燈山貞香院性翁寺』浄土宗寺院ご本尊阿弥陀如来坐像(木余り如来)創建神亀3年(726)行基菩薩開基足立庄司宮城宰相開山正誉龍呑和尚江戸六阿弥陀木余り荒綾八十八ヶ所霊場47番札所性翁寺には、行基菩薩が彫った六体の阿弥陀如来(江戸六阿弥陀)を彫った余り木で作られたという『木余り如来』が安
未来は常に光明を放つ身を得させる寺院仏体を尋ね来たりし亀戸や六身南無や阿弥陀仏江東区亀戸にある寺院です『西帰山常光寺』曹洞宗寺院ご本尊阿弥陀如来像創建天平9年(737)開山行基菩薩開基豊島の冠者江戸六阿弥陀6番亀戸七福神寿老人常光寺は、江戸を出て最初の巡礼地として栄え、「新編武蔵風土記稿」に“本尊六阿弥陀行基の作にして長六寸許、脇立に観音勢至を安す、これを六阿弥陀第6番目にして、春秋彼岸は殊に参詣のもの多い”と記載されています。☆無量寿塔☆寿老人堂亀戸七
常に一家和楽の福徳を授ける寺院調布市つつじが丘にある寺院です『福増山常楽院』天台宗寺院ご本尊阿弥陀如来像創建寛天平勝宝年中(749〜757)開山行基菩薩中興慈覚大師江戸六阿弥陀5番常楽院は江戸時代には、宝王山常楽院長福寿寺と号していました。上野不忍池の近くにあり、深大寺の末寺だったといいます。ご本尊の阿弥陀如来は江戸六阿弥陀の一つとして、数多くの参詣を集めました。第二次世界大戦後にこの地にあった連倉寺を合併。福増山常楽院と改号しこの地へ移転しました。旧地であ
我ら一切の者に安楽を与える寺院「賊除地蔵」でも知られています『宝珠山地蔵院藇(与)楽寺』真言宗豊山派寺院ご本尊地蔵菩薩開山空海江戸六阿弥陀4番御府内八十八ヶ所霊場56番札所豊島八十八ヶ所霊場56番札所上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場21番札所与楽寺の創建年は不詳ですが、弘法大師が寺院をこの地に建立したのが始まりといい、慶安元年(1648)には寺領20石の御朱印状を拝領、京都仁和寺の関東末寺の取締役寺を務めていたといわれます。弘法大師作と伝わるご本尊の地蔵菩薩様
福寿無量に諸願を成就させる寺院“足止め不動”としても親しまれています『佛寶山西光院無量寺』真言宗豊山派寺院ご本尊不動明王像江戸六阿弥陀3番豊島八十八ヶ所霊場59番札所上野王子駒込辺三十三ヶ所霊場観音霊場札所3番札所無量寺の創建年代は不詳ですが、無量寺の池から14世紀頃の板碑が多数確認されているそうで、鎌倉時代〜室町時代にかけての創建では、といわれています。慶安元年(1648)、江戸幕府より寺領8石橋に5斗余の御朱印状を拝領、9代将軍徳川家重の幼名である長福丸と同名である
江戸六阿弥陀2番霊場家内安全・息災延命の御利益を授ける寺院『宮城山円明院恵明寺えみょうじ』真言宗単立寺院ご本尊木造阿弥陀如来像江戸六阿弥陀2番荒川辺八十八ヶ所霊場21.23.24.25.26.27番札所荒綾八十八ヶ所霊場54番札所恵明寺の創建年代は不詳ですが、慶安元年に寺領20石の御朱印状を拝領、末寺11ヵ寺を擁する中本寺格の寺院でした。明治維新後に延命寺を合寺し、延命寺が管理していた阿弥陀堂の“江戸六阿弥陀佛2番”を恵明寺へ移設。長い間、ご本尊は不動明王でしたがこ
今日から『江戸六阿弥陀詣で』の記事となります元々は春秋のお彼岸に、女性が歩いてお詣りするものだったそうな現在は都内の北区〜足立区〜江東区に点在しており、8ヶ寺を順番通りに巡りますと、電車やバスを利用しても一日ではかなり難しいですこの日は6番霊場と木余り・木残りのお寺は時間切れでお詣りできず、昨日何とか時間を作ってお詣りしてきた次第です(^^;;さて♪まずは1番霊場からご紹介します『三緑山無量壽院西福寺』真言宗豊山派寺院ご本尊阿弥陀如来中興僧宥海江戸六阿弥陀巡礼1番目
3月20日の春分の日、「江戸六阿弥陀」にお詣りしてきました江戸六阿弥陀詣でとは、江戸時代に人々が春秋のお彼岸に、行基菩薩の作と伝えられる六体の阿弥陀仏を巡拝したものです。特に女人を導く如来といわれます。ということで、江戸時代にちなんで私もお彼岸にお詣りしてみましたちなみに「六」とは六字名号(南無阿弥陀仏)にちなむ数で、六体の阿弥陀像は同じ一本の木から彫られたものと考えられています。〜江戸六阿弥陀由来〜聖武天皇の御代(奈良時代)、武蔵国足立郡(現在の足立区)の地に、従二位藤原政成(宮城
[2013/04/13(月):晴れ]無量寺(江戸六阿弥陀:三番)SonyVario-SonnarT*DT16-80mmF3.5-4.5ZA(SAL1680Z)引き続き、無量寺です。SonyVario-SonnarT*DT16-80mmF3.5-4.5ZA(SAL1680Z)本堂の前では、二匹のタヌキが出迎えてくれます。左右に牡丹が咲いていて綺麗です。※4/13時点です。SonyVario-SonnarT*DT16-80mmF3.5-4.5Z