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恒例の江戸東京野菜コンシェルジュ協会と江戸ソバリエ協会が共同主催し、総本家更科堀井麻布十番本店で季節毎(年4回予定)に行われている『四季(秋)の会』に参加しました。今回も江戸時代からの江戸の食文化を学びつつ、江戸蕎麦と旬の江戸東京野菜ほかの共演を楽しみました。この会は毎回、旬の江戸東京野菜などから料理研究家林幸子先生(江戸ソバリエ協会理事)がレシピを考案され、そのレシピに基づき、更科堀井が調理する形式となっています。参加者は、林先生が主宰するアトリエ・グー、江戸ソバリエ
恒例の江戸東京野菜コンシェルジュ協会と江戸ソバリエ協会が共同主催し、総本家更科堀井麻布十番本店で季節毎(年4回予定)に行われている『四季(春)の会』に参加しました。今回も江戸時代からの江戸の食文化を学びつつ、江戸蕎麦と旬の江戸東京野菜ほかの共演を楽しみました。この会は毎回、旬の江戸東京野菜などから料理研究家林幸子先生(江戸ソバリエ協会理事)がレシピを考案され、そのレシピに基づき、更科堀井が調理する形式となっています。参加者は、林先生が主宰するアトリエ・グー、江戸ソバリエ
先ずは、当日(2023年11月6日)のダイジェスト動画をご覧ください。今回も江戸東京野菜コンシェルジュ協会と江戸ソバリエ協会が共同主催し、総本家更科堀井麻布十番本店で季節毎(年4回予定)に行われている『四季(秋)の会』に参加しました。今回も江戸時代からの江戸の食文化を学びつつ、江戸蕎麦と旬の江戸東京野菜の共演を楽しみました。この会は毎回、旬の江戸東京野菜から料理研究家林幸子先生(江戸ソバリエ協会理事)がレシピを考案され、そのレシピに基づき、更科堀井が調理する形式となってい
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください今回は、平日の昼下がりに近くの商業施設にある店を訪れました。通し営業は、良いですね。玉川高島屋S・Cの東館の地下にある九つ井(ここのついど)玉川店は、鎌倉の築100年の古民家をそっくり移築したという商業施設の地下とは思えぬ和の空間です。やや薄暗い入口の暖簾を潜り、地下に降りていきます。店内は、民芸調に統一され、まさにS・Cの雑踏から迷い込んだ異空間です。特に平日の昼下がり、ゆったりとした時間が流れて居ます。この店の本店は横浜市栄区
訪問ダイジェスト動画をご覧ください。久々に麻布十番を訪れました。その訳は?江戸東京野菜コンシェルジュ協会と江戸ソバリエ協会が共同主催し、総本家更科堀井麻布十番本店で季節毎(年4回予定)に行われている『四季(春)の会』に参加しました。今回も江戸時代からの江戸の食文化を学びつつ、江戸蕎麦と旬の江戸東京野菜の共演を楽しみました。この会は毎回、旬の江戸東京野菜から料理研究家林幸子先生(江戸ソバリエ協会理事)がレシピを考案され、そのレシピに基づき、更科堀井が調理する形式となってい
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。「布常の辛汁か辛汁の布常か」といわれる名の知れたお店。『布恒更科大森本店』も私にとって季節毎には必ず訪問する、居心地の良いお蕎麦屋さんの一軒です。そのお店は、JR京浜東北線大森駅から徒歩10分ぐらいのところにあります。京浜急行大森海岸駅の方が近い(徒歩5分)ですね。ランチのお客さんの終わりごろを狙ってのいつもの訪問です。入り口に近い右の4人席に座りました。そば茶。いつもながら品書きを見るのが楽しみです。つまみに天種(天ぷら単品)『あられ(小柱
蕎麦前(そばまえ)とは、そばを食べる前に飲む酒を言います。江戸時代の宝暦七年(1757年)版の滑稽本(滑稽味を主眼とし、題材を日常一般の庶民生活に求めたもの)『評判龍美野子(ひょうばんたつのみやこ)』の中に『先づそば前に一っぱい致そう。のめる肴ニ、三種頼む』とあります。(蕎麦の事典より)私にとって居心地の良いお蕎麦屋さんをご紹介します。先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。私のお薦めするお蕎麦屋さん第一回は『室町砂場』です。蕎麦前から江戸蕎麦の伝統を堪能できます。東京メト
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。平日の午後1時過ぎ、前々から気になっていた九段下駅直ぐの小路にある『手打ちそば膳』を訪れました。九段下駅から徒歩2分ぐらいでしょうか。外から見た感じは、小料理屋さんのようです。店内にはカウンター席はなく、コロナ禍、真ん中をアクリル板で仕切った四人掛けのテーブル席がメインです。先ずはそば茶でのどを潤します。先ずはランチメニューを確認します。下段にある中盛り(約1.2倍)200円が珍しいですね。同行者は、穴子天ぷら(温)を注文しました。かけ十
宜しければ訪問ダイジェストをご覧ください。銀座の気になる店の一つ「銀座真田本店」(GINZASIXにも支店あり)を平日の昼下がりに妻と訪れ、ランチを楽しみました。店は銀座4丁目交差点近くのすずらん通りにあります。長野県のアンテナショップ(1~2階)のあるビルの3階です。『銀座真田』は2014年10月にオープンしました。長野のアンテナショップの3階に林の中の一軒家をイメージし、「信州の食材の味を活かした和食と選りすぐりの地酒の調和を楽しんで頂きたい!」という思いから始まったお店だそうです
先ずは当日のダイジェスト動画をご覧ください。江戸東京野菜コンシェルジュ協会と江戸ソバリエ協会が共同主催し、総本家更科堀井麻布十番本店で季節毎(年に4回)に行われている『四季の会』の今回は秋の会に参加しました。今回も江戸時代からの江戸の食文化を学びつつ、江戸蕎麦と旬の江戸東京野菜の共演を楽しませて頂きました。この会は毎回、旬の江戸東京野菜などから料理研究家林幸子先生(江戸ソバリエ協会理事)がレシピを考案され、そのレシピに基づき、更科堀井が調理する形式となっています。※因
先ずは、動画にて訪問ダイジェストをご覧ください。その日は、朝からお蕎麦の気分、思い浮かんだのは浅草で蕎麦前から、午前中に用事も終わり、既に目的の店に向かって歩いています。今回は、浅草にある営業時間(11:30〜16:00の昼営業のみ、売り切れ次第終了)的になかなかハードルの高い店を訪れます。その店は地下鉄浅草駅の駒形橋方面出口から橋を渡って高速高架下の信号をL字に渡ったところ(徒歩約5分)にあります。吾妻橋やぶそば。かんだやぶそばで働いていた店主が1984(昭和59)年に開業した人気
先ずは訪問ダイジェスト動画をご覧ください。今回は、久々に木鉢會(きばちかい)の加盟店でJR新大久保駅前にある『百人町近江家』を訪れました。因みに百人町という町名は、この地が江戸時代『鉄炮組百人同心』の居住場所だったことに由来します。『鉄炮組百人同心』とは幕府直轄の鉄砲部隊のことで、平時には江戸城の警備につき、将軍家が寛永寺や日光東照宮に参詣するときには警護の任につきました。同心が100名配属されたので、『百人組』とされたとのことです。百人町近江家は、今年で創業123年、1899年(
先ずは訪問ダイジェスト動画をご覧ください。今回は江戸蕎麦めぐり番外編として都内で2番目に古い『町中華』を訪れました。その店は、メインの銀座中央通りより、少し離れた昭和通り近くにあります。この地は昔『木挽町(こびきちょう)』(こ挽き職人が多く住んだところから)という名前でした。また江戸時代の劇場街で、現在も歌舞伎座が近くにあります。大正時代(1912~1926年)に屋台の支那蕎麦から始め昭和4(1929)年、この地に店を構えた東京で2番目に古い町中華の名店『萬福(まんぷく)』です。創業
お蕎麦屋さんは江戸から地方に広まったと言われます。その東京の老舗お蕎麦屋さんについて今回は明治時代に始まり今でも営業している店を創業順に並べました。以下をご覧ください。➀1869(明治2)年創業室町砂場中央区日本橋➁1869(明治2)年~1878年創業川むら荒川区西日暮里➂1872(明治5)年創業虎ノ門大坂屋砂場港区西新橋④1872(明治5)年創業神田浅野屋千代田区内神田⑤1880(明治13)年創業かんだやぶそば千代田区神田淡路
先ずは訪問ダイジェスト動画をご覧ください。江戸・東京の老舗お蕎麦屋さんめぐりも楽しいですよ。砂置き場にあったから『砂場(店名はもともとは俗称)』『砂場』は現在の大阪を起源とする老舗のお蕎麦屋さんです。名前の由来は、大坂城築城の際の資材置き場だった砂場近くに店があったことが始まりとされています。店の入り口横です。周りは虎ノ門ヒルズなどのオフィスビルばかり、そのビル群に囲まれるように店があります。昼時でしたが運よく先着は4名ほど、すぐに順番が来ました。平日の昼時で混んできているので、
先ずは訪問ダイジェスト動画をご覧ください。神保町での用事を済ませ、久々、『かんだやぶそば』を訪れました。(因みに『藪そば』は幕末の頃、東京・根津の団子坂にあった「蔦屋」が発祥。『蔦屋』は藪に囲まれていたことから、俗称『藪そば』と呼ばれており、それがいつしか店名になったと言われています。その『蔦屋』が廃業して以降、その暖簾を受け継いだのが今回訪問した『かんだやぶそば』で、藪の本家として現在に至ります。江戸っ子は正式な屋号より俗称で呼ぶことで親しみを感じていたようです。午後3時過ぎ、運よく並ば
先ずは当日のダイジェスト動画をご覧ください。江戸東京野菜コンシェルジュ協会と江戸ソバリエ協会が共同主催し、総本家更科堀井麻布十番本店で季節毎(年に4回)に行われている『四季の会』の(初)夏の会に(コロナ渦の為、春ではなく初夏となりました)参加しました。今回も江戸時代からの食文化を学びつつ、江戸蕎麦と旬の江戸東京野菜の共演を楽しみました。この会は毎回、旬の江戸東京野菜から料理研究家林幸子先生(江戸ソバリエ協会理事)がレシピを考案され、そのレシピに基づき、料理は更科堀井が用意する
創業50年超の老舗名店。でもサーファーの店主の料理は常に革新的。
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。老舗『かんだやぶそば』の直系である日本橋浜町にある創業明治37(1904)年の『浜町薮そば』を訪れました。この店には、『かんだやぶそば』にはない丼物や変わりそばがあります。『明治座』が近くに見えます。店は石張り壁のビルの1階です。少し奥まったところに入口があります。暖簾には『浜町薮そば』の文字。夜は、がらっと雰囲気が変わるのでしょうね。大好きな通し営業の店✖平日の昼下がり✖『お好きなところにどうぞ』の声✖そして寛げる店内真ん中の四人席を一人で
宜しければ訪問ダイジェストをご覧ください。今は昔、私は大学時代から10年弱、神楽坂に住んでいました。東京での好きな街の一つです。今でも、適宜用を作り、この町を訪れています。「毘沙門天善國寺」の門前町として発展してきた神楽坂は、他にはない空気感をいつも漂わせているように私には思えます。今回はそんな場所にある、本格的なとんかつと手打ち蕎麦を食べさせてくれる店「神楽坂山せみ」に平日の昼下がりに訪れました。今回も「神楽坂駅」で降りました。というのは、いつもながら神楽坂駅近くの赤城神社に
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。今回も何とも言えない居心地の良さがある名店を訪問します。最寄り駅はJR大森、私には通いなれた店の一軒、少なくとも季節毎には訪れます。駅から徒歩約10分ぐらいでしょうか。因みに今回訪れる『大井布恒更科』は、布恒更科(ぬのつねさらしな)詳しくは投稿をご覧ください。shinagawa-kanko.or.jp『洋食入船』洋食入舟詳しくは投稿をご覧ください。shinagawa-kanko.or.jp『とんかつ丸一』とんかつ丸一(大森
訪問ダイジェストをご覧ください。今回は、番外編として東京ラーメン発祥の店、今は無き『浅草来々軒』(全国の来々軒の始まりの店で、浅草➡八重洲で昭和51(1976)年まで続いたが後継者がなく閉店)の暖簾分けで『浅草来々軒』の初代料理長が昭和8(1933)年に独立オープンさせた『祐天寺来々軒(大森で開業その後祐天寺へ)』を訪れ、オープン当初からの変らぬ品々『元祖東京ラーメン』『天津飯』『シュウマイ』を食しました。先ずは『天津飯』(1,000円税込)かに玉は中国が発祥の料理だが、天津飯は『浅草
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。今回は、アメ横の飲食店で最も長い歴史を誇る蕎麦の名店『上野藪そば』を訪れました。店はJR山手線上野駅から徒歩2分のところにあります。(JR上野駅の目の前にある上野マルイの裏手の角)歳末の昼下がりでしたが、通常感じるアメ横の賑わいは、この時だけかも知れませんがそれほど感じられませんでした。人気店ですので並ぶのを覚悟してきましたが、運よく並ばずに直ぐに入れました。『上野藪そば』は本家「かんだやぶそば」が暖簾分けした1号店。『藪蕎麦御三家』
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。今回は大森にあるお蕎麦屋さんを訪れました。最寄り駅はJR京浜東北線大森駅、そこから徒歩6分です。今回訪問した『いさ美(び)庵』です。この店は同じ大森の人気のお蕎麦屋さん『そ満蔵』の店主から教えてもらいました。江戸前の大森は、勝手な話、町自体地味ですが飲食店のレベルは高いと思います。実は昔、3年ほどこの町の某自動車メーカーの本社のあるビルの別棟に会社の出先機関がありそこに勤務していた事があります。故に昼も夜もこの辺の名物的な鮨、天ぷ
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。江戸東京野菜コンシェルジュ協会と江戸ソバリエ協会が共同主催し、総本家更科堀井麻布十番本店で季節毎、年に4回行われていた『四季の会』が1年10か月ぶりに再開されました。その再開第1回目の会に参加でき、蕎麦と江戸東京野菜の旬との共演を楽しみつつ江戸からの食文化を学ぶ機会を今回も頂きました。この会は、毎回旬の江戸東京野菜から料理研究家林幸子先生がレシピを考案され、そのレシピに基づき、その料理を更科堀井が用意する形式になっています。参加者は、
先ずは、訪問ダイジェストをご覧ください。今回、平日の昼下がりに訪れたのは、神宮前の古民家風の佇まいを見せるお蕎麦屋さんです。前々から何となくですが訪問したいお蕎麦屋さんのリストに挙げていた店の一軒です。東京メトロ表参道駅(A2)から徒歩6分のところにその店はあります。その古民家風の風情ある佇まいを見せるお蕎麦屋さん『手打ち蕎麦と懐石しろう』を訪れました。平日の昼下がりでしたが店内は、昼食を取られる人たち、20~30代とおぼしき女性たちでにぎわっていました。私は空いていた1階
先ずは、訪問ダイジェストをご覧ください。今回は、会合があった九段の帰り、勝手知ったる飯田橋駅周辺を散策?、昭和感満載の町のお蕎麦屋さんでちょっとの間、蕎麦前から楽しみました。昨年7月12日に飯田橋駅が新しくなりました。ここのホームの停車する列車との間に最大で33cmほどの隙間と約20cmの段差があり怖かった記憶があります。年間10件ほどの転落事故が発生していたようで、それが解消できて良かったですね。『蕎麦処神田尾張屋飯田橋店』は、その駅の西口ではなく水道橋駅がわの東口を出たお
今回訪問したのは田園調布にある『兵隊家(へいたいや)』です。祝日の昼下がりに訪問しました。この店は田園調布の街と同時期に産声をあげた創業98年の地元密着の飲食店、冷たい蕎麦から温かい蕎麦、丼ものや定食もありと品数も豊富な典型的な街のお蕎麦屋さんです。お蕎麦屋さんには珍しい『兵隊家(へいたいや)』という名前は創業者が近衛連隊の軍人だったことに由来します。先ずは、訪問ダイジェストをご覧ください。(江戸)東京のお蕎麦屋さんには色々な成り立ちや形態があってその一つ一つが興味深く、
先ずは訪問ダイジェストをご覧ください。『江戸そば』と言う言葉が生まれた江戸時代後期より『江戸そば』の多くは小麦粉2割、そば粉8割の『二八そば』でした。秋は江戸っ子にとって待ちに待った『新そば』の季節。江戸っ子は8月から11月にかけて収穫されたばかりの『新そば』を珍重してきました。その『新そば』の魅力はフレッシュな香り、穀物のほんのりとした甘さ、そしてほんの一瞬だけの鮮やかな緑色です。江戸っ子はその『新そば』のはかなさを『粋』に感じ、競って手繰(たぐ)りました。現在、
先ずはお店訪問ダイジェストをご覧ください。今回は、「白いカレーうどん」で有名となった「初代(しょだい)恵比寿店」の姉妹店、「溝の口店」を訪れました。因みに溝の口駅周辺には、近くにもう1軒姉妹店としてうどんと串揚げの「路じ本店」もあり、また同じ田園都市線鷺沼駅周辺にも「初代鷺沼店」があります。多摩川を越え川崎へ、実は恵比寿へいくより我が家から近く、急行でしたら1駅、手打ち蕎麦と創作和食の摘みついても評判の店と聞いており、前々から行くつもりでおりました。この日、溝の口の近所でこまごまとした用事も