ブログ記事23件
ViewthispostonInstagramApostsharedbySAHATyogaたえ(@sahat.yoga_tae)
ViewthispostonInstagramApostsharedbySAHATyogaたえ(@sahat.yoga_tae)ViewthispostonInstagramApostsharedbySAHATyogaたえ(@sahat.yoga_tae)
3日目は敦賀に移動し、大谷吉継ゆかりの場所を幾つか周りました。💐来迎寺来迎寺山門は、敦賀城の中門を移築したもの。関ヶ原の戦いの前に、大谷吉継が来迎寺に預けたと言われる腰高障子があるそうですが、時間的に閉まっていて見られませんでした。💐真願寺かつて敦賀城があった場所。関ヶ原の戦いで大谷吉継が自刃すると、敦賀城は福井藩の支城となり1616年に一国一城令により廃城となりました。今は城跡は全くありませんが、境内に敦賀城礎石だけが残っています。敦賀城礎石真願寺周辺には水路が伸びていますが
妙顕寺から歩く事…5分永賞寺へその前にかつては東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、敦賀は「日本でも有数の鉄道と港の町」でした1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体、「銀河鉄道999」のブロンズ像18体の計28体のモニュメントを敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置したんやってごく一部を・・・少年星野哲郎未来の地球では機械人間が生身の
訪問日:2023/11/23【場所】福井県敦賀市【築城年】1583年【築城者・改修者】蜂屋頼隆、大谷吉継【城郭様式】平城【主な城主】蜂屋頼隆、大谷吉継【見所】①案内碑②礎石③移築現存門【廃城年】1516年【御城印の有無・販売場所】キトテノワ(カフェ)【アクセス】JR敦賀駅【駐車場情報】【周辺観光施設】金ヶ崎城、気比神宮、気比の松原、みなとつるが山車会館、市立博物館羽柴秀吉公の家臣であった鉢屋頼隆公によって三層の天守を持つ城が築城されましたが、頼隆公は九州平定中に病
こんばんワニ~☆昨日の小松遠征は自宅から名神高速→北陸道でした最近はこういった道中において休憩がてらSAやPAに立ち寄るのが楽しみでして昨日は杉津(すいづ)PAにて若狭湾の風景を堪能しました↑は松尾芭蕉翁の句碑でありますそして一旦敦賀ICで降り、永賞寺へ尊敬する戦国武将であり、敦賀城主でもあった我らが大谷吉継公の供養塔があると聞いては素通りできないキッチリ御参りさせて頂きました近くには敦賀港等見所があり、合わせて訪問したかったところですが日曜による混雑で駐車
2019年9月14日(土曜日)福井県敦賀市にある永賞寺(えいしょうじ)にて敦賀城主大谷吉継公の法要が行われました。今年は、敦賀市公認キャラクターよっしーが来てくれたんですよーよっしー沿道でお出迎えなんというサプライズ~しかしながら他の鉄馬はマッハ??で通り過ぎるあやしきテルテル坊主に見て見ぬふり(笑)法要の方は例年通り厳かに執り行われました。写真撮影許可いただいております。毎年思うのですが心あたたまるお
ひかるさんからの大谷吉継公を偲ぶ会(法要)に関する情報ですぞ~(・∀・)/越前兵、今年もお参りさせていただきます(。-人-。)
2018大谷吉継を偲ぶ会9/1518:30(または19:00)開始※我が家の大谷吉継公グッズ(´∀`)場所→永賞寺福井県敦賀市栄新町11-20永らくブログ放置しておりましたが大谷吉継公への熱は冷めておりません^^;大谷吉継公の法要日時を永賞寺さんに確認したのでお知らせです。時間は18:30か19:00でどちらかまだ未確定だそうです。18:30前にスタンバイしまっせ!(・ิω・ิ)今年は大河影響もないし、大谷吉継の研究者である外岡先生も奈良大学に行かれたので、参
翌日は福井から足を伸ばして敦賀市へ向かいました。まずは私が行きたかった金ケ崎宮です。ここは何と言っても信長や秀吉や家康が揃って北陸征伐を目指した戦いの舞台の場所です。この金ケ崎宮では縁結びの他に、お市の方が兄の信長に袋のねずみになりそうだと知らせた両縛りの小豆袋をかたどったお守りが難関突破の御利益があるとして人気です。真相は分かりかねますが思わず買ってしまいました。やや山道を上がったところが金ケ崎古戦場です。浅井長政の裏切りで窮地に陥った際に、秀吉が殿(しんがり)を勤めて信長を岐阜まで逃
永賞寺御朱印御朱印は「如是」「ありのまま」という意味だそうです。1547年(天文16年)に開かれたの始まりと伝えられています。当時は寺運が隆盛し塔頭4院、末寺3ヶ寺を要した大寺でしたが、その後、規模を縮小し荒廃しました。豊臣秀吉の家臣・大谷吉継は戦国時代(1467-1573)豊臣秀吉の臣下です。1589年敦賀城主となり、敦賀の城下町整備など敦賀の基礎を築いていました。当初は天台宗の寺院でしたが、1591年に現在地に大谷吉継が自らの菩提寺として武山栄文禅師を招いて再興し
友情に厚い武将の大谷吉継の供養塔がある永賞寺何気に歩いててあ~ナニコレ(これがフリーウォークの醍醐味^^)吉継の供養塔は、関ヶ原の合戦の9年後この寺に建立されたものだと書かれてあった。お寺の中にも大谷吉継の写真が思わずパチリ関ヶ原での敗戦以前、吉継は敦賀城主だったというので福井にゆかりありのだろうとしみじみ歩いて思った。石田三成が家康に戦いを挑んだ時勝利はないと思った。三成に留めさせようとしたのにその意志は固くて、その三成のために
敦賀市内の小さなお寺を二か所お参りしたのでご報告します。誓法山金前寺こんぜんじ■高野山真言宗■御本尊:十一面観音(袴掛観音)■福井県敦賀市金ケ崎町1-4■札所:北陸三十三ヵ所観音霊場・特番、若狭三十三ヶ所観音霊場・第2番、若越新四国八十八箇所・第4番金前寺は736年に聖武天皇の勅願により泰澄が開山しました。泰澄は下賜された金光明経を金櫃に納めて山に埋めたため、山は金ヶ崎、寺は金前寺と名付けられました。気比神宮の奥の院として往時は隆盛を極めました。度々の兵火で灰燼に帰し、現在の本
圓通山永賞寺(えいしょうじ)宗派曹洞宗本尊釈迦如来敦賀藩主大谷吉継の菩提寺だよ門鐘楼本堂御朱印
福井市から敦賀市へ。ここからは、大谷吉継旅!着いたらお腹ぺこぺこで、ソースカツ丼のヨーロッパ軒へ!なんかレトロな外観(笑)洋食メニューもおいしそうです(´¬`)頼んだミックス丼(豚カツ、チキンカツ、メンチカツ)、おいしいけどえらいお腹いっぱい…ご飯は残しました、すみません近くのお菓子屋さん「紅屋」さん、昔来た時「吉継ゼリー(日本酒ゼリー)」があったのだけど、今は作ってないそう。残念敦賀市立博物館。元銀行のレトロな建物。3年の修復工事をして、去年リニューアルオープンし
ただ今、旦那はんの実家に帰省しています。旦那はんの実家は敦賀なのですが最近、『真田丸』を観てこの敦賀を大谷吉継さまが治めてらしたと知り今日は朝から、菩提寺である永賞寺へ行ってきました。(『真田丸』では片岡愛之助さんが演じています)ここにある供養塔に手を合わせてきました。大谷吉継さまは、あの関ヶ原の戦いで西軍につき藤堂高虎と激突し善戦しますが小早川秀秋らの裏切りによる横槍をまともに受け隊は壊滅。馬上で切腹したとも言われています。この後は、敦賀市立博物館で特別展として「大谷吉
片岡愛之助さんスペシャルトークショーその②の続き名残惜しいスペシャルトークショー会場を後にし、ラブ友さん達を永賞寺へお連れいたしました大谷吉継の供養塔があるお寺です。トークショーの前に、愛之助さんもお参りに来ておりました。残り香は…ナイ←変態かΣ(-∀-;)足跡は…←もうやめとけ笑山車会館や敦賀市博物館、永賞寺などで、ニアミスではありますが愛之助さんと吉継巡りを共有出来たこと、本当に嬉しく思います。名残惜しいですが、ラブ友さん達とはお別れで、駅やホテルにお送りいたしました。同じ思
永賞寺に参りました吉継様の供養塔で御座います
またまた敦賀に行ってまいりました今回は大谷吉継巡りじゃなくて(笑)、毎年恒例の原子力の科学館『あっとほうむ』が目的ですすっごい楽しくて、夏休みに2、3回行くのが恒例です見た目は昭和な古い建物ですが…夏休みは様々な楽しいイベントが行われていて、チビ達は夏になると「あっとほうむ行こう~」と言い出します車停めるところがないぐらい人がいっぱいでしたまずはもちろん?カブトムシ。小屋の中にカブトムシが大量にいて、自由に触れます家でもたくさんカブトムシ飼ってるのに、小屋から出てこない昆虫オタク
敦賀散策その①みなとつるが山車会館と片岡愛之助さんトークショー情報の続き山車会館のすぐお隣。旧大和田銀行の建物を利用した、敦賀市博物館へ入場料は、山車会館、博物館共通券で大人500円です子どもは無料。それぞれだと300円だったかな~←うろ覚え笑すごく雰囲気のある建物です前記事でも書きましたが、創始者の大和田荘七氏は、大和田伸也さん、大和田漠さん兄弟のご先祖様ですすごい銀行っぽい←銀行やったっちゅうねん↓これとか…『半沢直樹』の東京中央銀行の頭取がいそうな場所的な…笑展示物の中に