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市川雷蔵眠狂四郎シリーズ眠狂四郎殺法帖(1963年11月2日公開)監督:田中徳三眠狂四郎勝負(1964年1月9日公開)監督:三隅研次眠狂四郎円月斬り(1964年5月23日公開)監督:安田公義眠狂四郎女妖剣(1964年10月17日公開)監督:池広一夫眠狂四郎炎情剣(1965年1月13日公開)監督:三隅研次眠狂四郎魔性剣(1965年5月1日公開)監督:安田公義眠狂四郎多情剣(1966年3月12日公開)監督:井上昭眠狂四郎無頼剣(1966年11月9日公開)監督:三隅研次眠狂四郎無頼
日曜日。ていうか気が付くともう12月、大寒...早い、早すぎるよ、時の流れが。秋もあったのかなかったのか分からないうちに、何だかんだで寒い冬になってきたので、ウチでもようやくこたつ布団を出して冬仕様に。こたつ...ああ、またこの季節独特の「ダラダラ」の温床を用意してしまった。ただ今日はそれほど寒くもなく、しかもそのこたつ布団を用意するだけで少し汗が...何だか本末転倒だけど、冬支度、冬支度。という訳で映画を。...っとその前に、実は今年の春
鳥を飼ったことある?▼本日限定!ブログスタンプオカメインコが我が家に居ます…※隣りはムスメさんから預かったセキセイインコ「文鳥の日」日付けは「て(10)に(2)し(4)あわせ」の語呂合わせこの時期に「手乗り文鳥」のヒナが出回るんだそうです。文鳥の原産国はインドネシア🇮🇩でジュウシマツ、セキセイインコと共に人気の高い飼鳥だそうです。(ヨメさんはセキセイインコ派かな?…)「暗黒の木曜日」1929年(昭和4年)のこの日の木曜日、アメリカ🇺🇸ニューヨーク・ウォール街の株式取引所で株価が
1988年野球殿堂特別表彰に永田雅一氏が選出された。早かったのか?遅かったのか?しかし、パ・リーグ初代総裁となり、東京スタジアムを建設し長い間、プロ野球界運営にいた人物としてはやっと野球殿堂入りしたという感想だ。野球選手に個性が無くなった。」という話がいつの時代にも出てくるが、それは個性という価値観が、時代とともに変わっているからだと思う。それでも、時代を超えた個性を持った人物はいた。1934年にベーブルースが来日し、それをきっかけに現在のプロ野球ができた。
1950(昭和25)年毎日オリオンズでプロ野球のキャリアをスタートした西本幸雄は1960(昭和35)年、監督となり(大毎)オリオンズを10年ぶりにパ・リーグ優勝を飾り、日本シリーズに臨んだが、三原脩監督率いる大洋ホエールズにまさかの全て1点差の4連敗・・・。日本シリーズの采配に口を出した個性の塊永田雅一オーナーとぶつかり、「売り言葉に買い言葉」で辞任してしまった。(毎日時代の西本幸雄)西本幸雄は実直の人だ。根回し的なことや、政治的な駆け引きが得意な指導者ではない。派
1970(昭和45)年10月7日はロッテオリオンズがパ・リーグを制した日です。前年(1969年)の同じ日、球界に激震がおそった。「黒い霧事件」である。西鉄の永易投手が公式戦で敗退行為をしたと報じられ、西鉄ライオンズは崩壊し、近鉄、東映も西鉄ほどでもないが選手や関係者が黒い霧に呑まれていった。そんな中、1970年のロッテオリオンズの戦力は変わらず、投手陣は、成田25勝8敗、木樽21勝10敗、小山16勝11敗と安定した活躍完投試合が59試合もあった。打撃陣はアルトマン.31
『ヒロシマ・モナムール』旧日本語題名『二十四時間の情事』フランス語現題HIROSHIMAMONAMOUR(ヒロシマナムール)映画トーキー90分白黒1959年5月18日フランスカンヌ国際映画祭上映昭和三十四年(1959年)六月十二日フランス映画祭上映製作国フランス日本国製作言語フランス語日本語製作会社パテ・オーバーシーズ大映製作サミー・アルフォンアナトール・ドーマン永田雅一脚本マルグリット・デュラス音楽ジョルジュ・ドルリュ―
『地獄門』LaPortedel’enferGateofHell映画トーキー88分カラー昭和二十八年(1953年)十月三十一日日本封切製作国日本製作言語日本語製作会社大映京都配給大映企画永田雅一原作菊池寛(『袈裟と盛遠』)脚本衣笠貞之助撮影杉山公平宮川一夫照明加藤庄之現像東洋現像所美術監督伊藤喜朔色彩指導和田三造技術指導碧川道夫音楽芥川也寸志演奏関西交響楽団舞楽跡見昌雄筝曲中能島慶子琵琶安
1988年野球殿堂特別表彰に永田雅一氏が選出された。早かったのか?遅かったのか?しかし、パ・リーグ初代総裁となり、東京スタジアムを建設し長い間、プロ野球界運営にいた人物としてはやっと野球殿堂入りしたという感想だ。野球選手に個性が無くなった。」という話がいつの時代にも出てくるが、それは個性という価値観が、時代とともに変わっているからだと思う。それでも、時代を超えた個性を持った人物はいた。1934年にベーブルースが来日して85年となる。、それをきっかけに現在のプロ
1950(昭和25)年毎日オリオンズでプロ野球のキャリアをスタートした西本幸雄は1960(昭和35)年、監督となり(大毎)オリオンズを10年ぶりにパ・リーグ優勝を飾り、日本シリーズに臨んだが、三原脩監督率いる大洋ホエールズにまさかの全て1点差の4連敗・・・。日本シリーズの采配に口を出した個性の塊永田雅一オーナーとぶつかり、「売り言葉に買い言葉」で辞任してしまった。西本幸雄は実直の人だ。根回し的なことや、政治的な駆け引きが得意な指導者ではない。派手で狂言回しのような永田
今日(6/26)はただ単にそう言う風な気分であったからと言う誠に単純な理由からYouTubeに於いて大映の映画の予告篇をつらつらと鑑賞をしていた。吉村公三郎監督作品『夜の河』(1956)『女の勲章』(1962)三隅研次監督作品『桃太郎侍』(1957)『釈迦』(1961)『座頭市物語』(1962)『斬る』(1962)『新選組始末記』(1963)『女系家族』(1963)『剣鬼』(1965)『眠狂四郎無頼剣』(1966)小津安二郎監督作品『浮草』(1959)
華岡青洲の妻を観た。市川雷蔵、高峰秀子、若尾文子の三大名優のぶつかり合いを見るためDVD購入したが、増村保造の演出は案外ストレートだった。前半、嫁をもらうまでの高峰のメイクと芝居は絶大で、オーラが本当にすごい。竹を割った雷蔵の性格も、キャラクターとして最初は驚くがやがて慣れる。昔は手の施しようもなく死んでいった貧乏人が山ほどいた事を実感できる映像。ただ、動物実験の撮影用に、実際に麻酔しヨタヨタ歩く猫などが、今のご時世では到底放映出来ない。頑張ってる医療用特殊メイクも白黒で見せるのが精一杯か(モノ
1988年野球殿堂特別表彰に永田雅一氏が選出された。早かったのか?遅かったのか?しかし、パ・リーグ初代総裁となり、東京スタジアムを建設し長い間、プロ野球界運営にいた人物としてはやっと野球殿堂入りしたという感想だ。野球選手に個性が無くなった。」という話がいつの時代にも出てくるが、それは個性という価値観が、時代とともに変わっているからだと思う。それでも、時代を超えた個性を持った人物はいた。1934年にベーブルースが来日して来年で90年となる。それをきっかけに現在の
1970(昭和45)年10月7日はロッテオリオンズがパ・リーグを制した日です。前年(1969年)の同じ日、球界に激震がおそった。「黒い霧事件」である。西鉄の永易投手が公式戦で敗退行為をしたと報じられ、西鉄ライオンズは崩壊し、近鉄、東映も西鉄ほどでもないが選手や関係者が黒い霧に呑まれていった。そんな中、1970年のロッテオリオンズの戦力は変わらず、投手陣は、成田25勝8敗、木樽21勝10敗、小山16勝11敗と安定した活躍完投試合が59試合もあった。打撃陣はアルトマン.319
君よ憤怒の河を渉れ★★★君よ憤怒の河を渉れAmazon(アマゾン)216円1976年(昭51)2月11日公開/永田プロ/151分/カラー/シネマスコープ企画永田雅一脚本田坂啓佐藤純彌監督佐藤純彌撮影小林節雄音楽青山八郎美術今井高司出演-高倉健・中野良子・原田芳雄・池部良・大滝秀治・田中邦衛・大和田伸也・岡田英次・西村晃・内藤武敏・伊佐山ひろ子前作「神戸国際ギャング」から約四ヶ月後の高倉健主演
図書館で偶然、面白そうな本を見つける。野球観戦好きの私にとって、野球場(スタジアム)は、切っても切れない仲。その本の名は、久保田登志雄著『日本の野球場100選巡礼~スタジアム漫遊記~』彩流社刊著者の久保田氏の略歴を見ると、本職は福祉系の仕事。(ケアマネジャー)その彼も、根っからの野球好きという事がすぐに分かる。北は北海道から南は沖縄まで、球場と言う球場、ほぼ全てに足を運んでいる。最後のページに今までの訪問歴が記載されているが、プロアマ問わず、計692回も観戦してい
戦後の日本映画ブームを牽引した大映の創業者・永田雅一から直接その帝王学を学んだ、永田雅乙氏の著書です。「お金儲けの秘訣はできるだけ多くの人を笑顔にすること」「お金を増やすより、使うイメージが大事」一見簡単な言葉が並んでいますが、何度も読み返すうちに意味の深さに気づかされます。永田雅乙氏自身も、会社経営や飲食コンサルタント、YouTuber、また書家、画家として個展も開かれる多彩な人物です。激動期を生き抜くこれからの帝王学Amazo
このところの当ブログで、京マチ子さんが『羅生門』(1950黒澤明監督)に出演したことには、偶然のタイミングが運よく重なった話を書きました。東宝の黒澤明監督が大映京都で撮ることになったこと、主演に予定していた原節子さんがスケジュールがとれず出れなくなったことです。そして、京マチ子さんが「グランプリ女優」となるには、もう一つの「運」もありました。東宝争議のあおりで他社で撮ることになった黒澤明監督を迎えた大映は『静かなる決闘』(1949黒澤明監督)に続いて『羅生門』を製作。羅生門の巨大オープン
懐かしい大映スタアと大映映画史とも言える映画の本「スタアのいた季節」が興味深い。一気読み必定、シニアはもとより、若い邦画ファンにもお薦めです。機会がありましたら、ご一読ください。本書の一部をご紹介します。「スタアのいた季節わが青春の大映回顧録」(中島賢・著)は、全286ページに懐かしい大映スタアと大映映画史が詰まった魅力ある単行本(ソフトカバー)。2015年講談社発行です。地元の印西市図書館にも蔵書されていました。懐かしい大映スタアの名前がいっぱい。本書の登場順に、若尾文子
こんにちはママと子の「たのしい」応援隊長ともみです先日、子育てに関するお話を大富豪から聞いてきました。今日はそのことを書いていきまーす♪わたしがお話を聞いたのは永田ラッパさんこと、永田雅乙さん。全国テレビでお葬式が生中継されるような御祖父さまに育てられた、生粋の大富豪。激動期を生き抜くこれからの帝王学Amazon(アマゾン)1,247円こんな永田雅乙さんは、こんな書籍も出版されています♪とても読みやすく、ハッとすることやグサッと刺
ひとつ前の当ブログで、『ひろしま』(1953関川秀雄監督)のことを取り上げました。広島に原爆が投下されてからまだ8年という時期、その生々しい惨状を描いた映画で、広島の中・高校生や教職員、一般市民8万8千人がエキストラで協力しました。そして、当時のマネーメイキング・スターの月丘夢路さん(広島出身)も出演を熱望し、ノー・ギャラで教師を演じています。この映画の原作になっているのは、長田新さんが編纂した子供たちの作文集「原爆の子」ですが、同じくそれを基にしたのが『原爆の子』(1952新藤兼人監督
大映創立80周年企画「大映4K映画祭」が、2023年1月20日(金)より角川シネマ有楽町にて、1月28日(土)からは大阪シネ・ヌーヴォほかにて全国順次開催されます。<「美しさを極めた男」とキャッチコピーが書かれた市川雷蔵版ポスター><「変幻自在な禁断の女」とキャッチコピーが書かれた若尾文子版ポスター>上映スケジュール(角川シネマ有楽町)「大映」は1942年に創立した映画会社。坂東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、4人のヒーローを輩出した大映映画は、多くのヒーロー、ヒロ
山本富士子(159cm,1931年12月11日(89歳))は-о映画о『夜の河』1956年(24歳)о『彼岸花』1958年(26歳)о『暗夜行路』1959年(27歳)о『黒い十人の女』1961年(31歳)о『私は二歳』1962年(32歳)о『雪之丞変化』1963年(33歳)оテレビドラマо『明治の女』1963年(31歳)о『大文字はもう秋』1982年(50歳)-出演。★山本富士子(159cm,1931年12月11日(89歳))出典:フリー百科事
日光街道を脇に逸れ荒川総合スポーツセンターにやってきたここは北島康介選手が幼少期に利用していたそうで、彼がオリンピックで金メダルを獲得したことでスポーツセンターの名も知られるようになり一時、館内の温水プールを「北島康介選手記念プール」と命名する話もあったとか何度かナイターでお世話になった野球グランド横へ気が付かなかったけど「井上省三」の胸像と顕彰碑このあたりにはかって1879年に操業を開始した官営千住製絨所があり国産羊毛を原料としたラシャ繊維を製造していたそう
ひとつ前の当ブログで書いたように、1960年に三原脩監督率いる「大洋ホエールズ」は優勝、日本シリーズでも下馬評を覆し「4勝0敗」のいわゆる「スイープ」で大毎オリオンズをくだしました。この敗戦で大毎の西本幸雄監督が永田雅一オーナーの逆鱗にふれクビになったのは有名ですね。この1960年の日本シリーズ、「大洋ホエールズ」の4連勝はすべて「1点差」で勝ったことでも知られています。ミサイル打線を揃え、圧倒的に優位と思われた大毎に対し、1点を大事にして守り切った、まさに「三原魔術」の面目躍如であります。特